夏休み前
7月18の金曜日…
白色が濃い力強い雲が青い空に掛かる中、
三谷澤高校の駐車場には次々と送迎のバスが止まり賑やかに生徒たちが降りてくる。
今日は一学期最後の登校日なので
間近に迫った長い夏休みに期待に胸を膨らませると同時に
とにもかくにも1学期を乗り越えた安堵感が生徒たちから漂っていた。
その中で周りの人波の中をするすると女の子がスキップをしていた。
彼女、木田翔子にとっては
まだ二年生ということもあり、取りあえず進路の事は横に置いて
しかも進学など夢の様な底辺の家政科では夏期講習も予定には無く、
小中学生と同じで純粋にしこたま遊びきる覚悟で臨めるので
147cmで40キロあるかないかの小さな体が、
凄い勢いで飛び跳ねながらウキウキと教室へと向かって行く。
そんな風に少々能天気な彼女を少し低い声が呼び止める。
「 よう…おはよう。ご機嫌だなぁ 」
翔子が立ち止まって振り返るとそこには長年の悪夢の過去から解き放ってくれた珠美が明るい笑顔で近づいてくる。
昔の様な3ミリ厚の鉄板が入っているような鞄では無く普通の鞄を振りながら、
しっかりと櫛が入って手入れの行き届いた髪を揺らしていた。
「 あ、おはよう。」
翔子はそう言いながら向日葵のような(カワウソの様に目は細くしていたが)笑顔で答える。
「 明日から夏休みだもん、何しようかなって思ってさぁ 」
「 そうかそうか… 」
珠美は罪のない顔で子供の様にはしゃいでスキップしていた木田ちゃんを
凄く可愛いと思って口元が緩んだ。
と同時に心の中でこんな子を暴力で虐めていた奴らがいたことを思い出し、
ちゃんと守ってやらないとと半分姉のような気分になった。
「 そういやさ、珠ちゃんって土曜日に引っ越したの?
”みけ”から昨日聞いたんだけどさ、言ってくれたら私も行ったのに…
瞳や”みけ”にえっと…
智彦君だっけ?見たことは無いけどさ…手伝いに行ったのにさぁ 」
翔子は少し不満げに口を窄ませた。
ただ、家政科に入ったのが不思議なほど家事が苦手の自分が言っても何の役にも立たないのは自覚しているので残念とは思ってはいないが…
「 引っ越しって言ってもなぁ…”星の海”の従業員の部屋の空きに入れてもらっただけなんだ。
ばあちゃんと2人暮らしで荷物も少ないし、
旅館の勝手知ったる皆と番頭の北村さんだけ十分だったからねぇ…
別に木田ちゃんを意識して外したわけじゃないわよ。舎弟たちにも声かけなかったしね 」
「 ふ~ん あの人たちをねぇ 」
翔子は前に珠美の家に行ったときに見かけたごついお兄ちゃん達を頭に浮かべた。
引っ越しにはもってこいの人材だと思うけど…居なくても十分なほどだったんだろうなぁ。と
「 ところで、なんで引っ越したの?
”みけ”に聞いても、よく分かんないし 」
「 ああ…あいつにはちゃんと話したんだけどねえ… 」
多分、理解していることをちゃんと話す能力が低いだけなんだろうと
珠美は思ったが、
ひょっとして珠美自身が直接に翔子に話す事の方がいいと思って
気を使ったのかもと思った。
( 頭は悪いけど、気はよく使う奴だからなぁ )
「 ばあちゃんの家はさ、持ち家なんだけど築50年は過ぎてオンボロで
雨漏りも多いし、その割に町中なんで固定資産税っていうのが高いじゃん。
開発で言い値で買ってくれる所が出てきたんで売ろうかなって思って。
二人っきりだしどこかアパートでもって思っていたら
なんだかタイミングよく”星の海”の専務さんが話しくれたんでいいかなと…
家賃は知り合いだからいらないって言うし、
ばあちゃんが売ったお金もあたいの結婚費用にでも使えばって言ってくれたしね。
ま…23までには遅くとも結婚したいからありがたいけどね 」
「 へえ、家賃いらないって凄いね。
しかし、23までに結婚って早いんじゃないのぉ? 」
「 同級生と結婚するつもりだから普通じゃない?
子供出来たら大学行かせるから結構時間かかるんで早めがいいんよ 」
「 へえ… 」
相手は?って一瞬言いかけて翔子はやめた。
ヤンキーは早めに人生決めるってのが定番だし、多分相手が承知しなくても
珠美の中では既に組み込まれているのだから。
「 それにちゃんと卒業もしたいから、
うちの先生とも毎日旅館で会えるし勉強も教えてもらえるしね 」
( そういや”みけ”と一緒にこの間の酔っぱらいのお姉さんに勉強教えてもらってるんだっけ?
”みけ”に聞いた話だと先生の免許も持っているって言ってたな~ )
「 ふ~ん それなら卒業どころか、成績もそのうち上がるかもね。 」
( ちゃんと勉強してるなら…うちの学校じゃあ余裕で卒業できるっしょ。
その後で直ぐに結婚かぁ…なんか、自分が子供みたいに思えるわ )
まあ、大して頭の良くはない翔子でも中の上に入るのでちょっと上から目線だった。
3年になるころには追い付かれることなど想像もしていないのだけれども。
長身の珠美と147センチの小柄の翔子は
お互いに進行方向を向きながら雑談をして歩き出した。
翔子と珠美が教室の中に入っていくと、
先に来ていた瞳がゆるゆると、”みけ”は大きな目をこちらに向けて近づいてきた。
「 おはよう、木田ちゃん 」
「 おはよう、珠ちゃんも一緒ならちょうどいいわ 」
真っ白い夏服が外からの光で透けて細いくびれがしっかりと影になって映り、
柔らかな髪の毛を揺らしながら近づいてくるのを翔子は呆然と見つめた。
「 え…何? 何か用事なの? 」
「 木田ちゃんてさ…夏の予定って何かあるの?8月なんだけどさぁ。」
え?ひょっとして誘ってくれてるのかなぁ…翔子は少し喉を鳴らした。
「 えっと…夏祭りは行きたいんだけど 」
翔子はそう言いながらチラチラと”みけ”の方を見る。
その様子に珠美が気が付いて小さく親指を立てて”みけ”に手でサインを送る。
「 ああ、お兄ちゃんね…大丈夫、私も一緒に行くからお願いしてみるわ
剛ちゃんも行くって言ってたから 」
その言葉に珠美が自分自身を何度も指さして首を傾げたので”みけ”は笑った。
「 勿論、それもあって珠ちゃんにも聞いてるんだけど 」
「 行くに決まってるじゃん。花火大会あるだろ?
折角さぁ、この間頑張ってみんなで浴衣作ったんだしさぁ 」
「 私は…単に浴衣が着たいし、お兄ちゃんもみんなと会うの楽しみにしてるみたいだしね 」
そう言いながら翔子にウインクを送る”みけ”
珠美は当然だと言わんばかりに胸を張ったが、瞳はその言葉を聞いて苦笑いを浮かべた。
「 智彦もなんだけどね 」
「 え…聞いてないよお 」
”みけ”が不安そうにそう答える。
「 なによ”みけ”いつも仲良くやってたじゃないのよ。なんで急に 」
「 う…なんでだろうねえ 」
「 そういや、この間の引っ越しの時も一言も話していないだろ二人ともさぁ。
智彦は… 」
何気に親し気に下の名前で呼ぶ珠美の顔を驚いて瞳は見たが、
舎弟が多く普段から男性と接する機会が多い珠美には普通の事かと思い頭を振った。
”みけ”の困っているような顔を見て珠美が助け舟を出した。
「 瞳がいるから気を使うっていう意味じゃないの?
そんな事はさ、祭りに行ってから別行動すればいい事だしね 」
「 ま…まあね 」
瞳は恥ずかしそうに鼻を摩り、”みけ”は胸を撫で下ろした。
「 んで、夏祭りの方はそれでいいとしてさ8月に他になんかあるの? 」
”みけ”が急に思い出したかのように手を打った。
「 そうだそうだ、肝心なことを聞かなきゃね。
8月の1日から一週間予定を空けれるかなぁと思ってさ 」
「 一週間?って、泊りでどっかに行くにしても長いよねぇ。
予定は無いけど…それだけ長くなんてお金がかかるでしょ? 」
珠美が不安そうに答えた。
引っ越しの時にはそんな話を全く聞いていなかったし、
一週間の旅行なんかに行けば費用どころか準備にだってお金がかかる。
貧乏な珠美にはそんな余裕などなかった。
「 大丈夫大丈夫。
お金は全部うちの専務さんが持ってくれるって言うから安心して。
着ていく洋服だって水着だって全部買ってくれるって言うしさぁ 」
「 は? 」
この時代にただの知り合いの女の子に大金を出してくれる大人って
凄く怖いわ…
と、一人だけ”星の海”に関係しない翔子は驚いたが、
珠美の方はそんなに驚きもしない様だった。
「 水着?水着って何よ…海にでも行くって言うの? 」
ちょっとお腹を触って弛んでいないことを珠美が確認した。




