甚六の夢はここで終わる
女性側との仕切りから異様な歓声が聞こえてくるのを亭主連中は鼻で笑っていた。
曰く、
「 28.9の独身の男で彼女もいないってのは病気か変態じゃねえのかなぁ 」
「 しょうがないよ…うちの娘もそうだが今の若い奴って大学出て就職してって感じだと
直ぐに25だし、10代みたいな性欲無いし疲れてるし
お互い理想は高くなるわ、見てくれは劣化していくわだもん。
結婚なんてのは、若いうちにしなけりゃ意味無いんだよなぁ…子供いるならだけど 」
「 まったくまったく、いい女なんて中学からいい女だろうによぉ…
俺なんざ、中学に粉かけて俺は就職して金稼いで、嫁の高校卒業と同時に結婚だわ 」
「 で、あの程度なんやもんなぁ… 」
「 ぬかせや!お前んとこもそうは変わらんやろがぁ 」
亭主どもは、大昔の奥さん連中の顔を思い浮かべて乾杯後のビールを飲み干した。
まだ若いのに、初老のおばさん達の旅行についてくる情けない男達と、
今の時代はそうなってしまう社会の恐ろしさに背中が冷たくなのを感じるので、
余計にいい時代に、しかもいい状態の女性を
中学生ぐらいの時に捕まえた自分が少し誇らしくなる。
もっとも、そのせいで高校や大学には行けず直ぐに仕事とはなったが
今思っても、そうは後悔はしていない。
なにせ同い年で、同じ学年で気にいった女の子と結婚できたし
苦労もあったし遊びたい時もあったが、若くて馬力のある時だから耐える事が出来たし
嫁さんも若くて一緒に付いてきてくれた。
子供も直ぐに生まれて必死になって仕事して家族を養った…いい人生じゃないかと思う。
梶がしみじみそう思うが、
今朝見た、粉煙に浮かぶ古女房を思い出して少しだけ心臓が痛くなった。
で、一気にビールを空けると
「 ほい! 」
隣に座るギーちゃんが梶のグラスに追加のビールをお酌する。
「 ああ、ありがとうな… 」
( 色気を全く感じないギーちゃんに注いでもらっても、
娘に注いでもらっている気にしかなれないやな。
まあ、その娘も大学出て都会で苦労しているからご無沙汰なんだけどなあ… )
でも、お酌する細い手を見て久しぶりに娘に注いでもらった気になって
一気にグラスを空ける。
「 冷たいものばかりだと、お腹冷えるしなぁ…熱燗行くか? 」
と言いながら仲居さんに熱燗の注文すると、
当然のように更にビールを注ぐ。
梶は、体の心配をしてもらったと思い、まるで娘に心配されたかのように
しみじみとしながらビールをゆっくり飲む…
少し、チ!っていうような音がしたが気のせいだろう…
「 なあ、ギーちゃん…俺には娘がいてさぁ…もう26になるんだが 」
「 へえ、娘がいるんか…おっさん…ほら、ビール… 」
まだ、3分の1ほど残っているが話を聞いてくれそうなので慌てて飲み干して杯を空ける。
すると、泡が噴きこぼれるほど注がれて慌ててグラスに口を付ける。
「 26か…危ない年頃やなぁ…彼氏とかいるんか? 」
( 痛いとこつく…俺らの時代なら行き損ねに近いんだが…
彼氏ね…いるなら連絡ぐらい入れるだろう?流石にいてほしい年頃だし )
「 分からんよ…会社の方は忙しくて残業や休日出勤も多いって聞いてるから
出会いも無いんじゃないか? 」
梶がグラスを降ろし、刺身に手を付けると仲居が徳利を4本手提げで持ってきて
静かに2合徳利を置いて、
更に、何故か年齢の高い組合員の所に張り付いている清美達に各個置いていく。
「 よう、刺身には熱燗だよなぁ…注いでやるよ 」
ギーちゃんはさっと、大きめの猪口を取り上げると梶に持たせナミナミと注ぐ。
一口を付けると、口の中に甘い香りが広がって
さっきのビールのとげとげしさが消える様な気がした。
いつもはあまり感じない変化だが、多分、久方ぶりに若い女性と向き合ってるからだと
勝手に梶は思った。
「 だよな、でも、仕事ならいいじゃんか…夜に適当に出歩いていると
都会には悪魔とか鬼とかいるんだし…危ないからさ 」
( 悪魔に鬼?まあ、誘惑は多いし人が多ければ悪い奴もいるってこと言いたいんだろうなぁ )
梶はそれでも、その言葉に不安を感じてすっとお猪口を開ける。
直ぐに、ギーちゃんが空いたお猪口にさっといれる。
「 あの…ギーちゃんは?飲まないのか? 」
徳利を抱えたままのギーちゃんに不審な物を感じた梶はそう言ったが、直ぐに返事が返って来る。
「 飲むよ、んなら… 」
ギーちゃんは空のコップを梶の前に出す。
「 返杯で、あんたも飲むんだったらこれぐらいは呑んだるわ 」
( 1合は入るか… )
と、梶がグラスに熱燗を入れると丁度1本空になった。
「 んじゃあ行くぞ! 」
と、ニヤッと笑ってナミナミと注がれた熱燗を一気に飲み干して
少し熱かったのか、胸を拳骨でポンポンと叩いた。
「 んじゃあ、次はお前な… 」
( お前って…一応、凄い年上なんだけど…まあ、外人さんだからしょうがないか )
と思いながら、手にしたお猪口を飲み干した。
少しピッチが速くねえか?と思いながらもニコニコとこちらを見て来るギーちゃんに
”おかしくねえか? ”とは言えなかった。
「 おお、来た来た! 」
御品がきの順番に従って牛肉の蒸し物が出てくるが、
同時に赤ワインが何本かが運ばれて、これまた清美達が手に手に年配の席に回る。
で、梶の担当の様な顔をして事務的にギーちゃんがワインを取って来る。
「 な、なんだよ…ワインって柄じゃなんだけど 」
「 なに言ってるの? 折角地元のいいお肉なんだろ?ビールでも日本酒でも合わねえだろ? 」
と、馬鹿にした顔をしながら目は梶の方に向けたまま
赤ワインを大きめのワイングラスに表面張力で盛り上がるほど注ぎ込む。
「 まあ、あたいも付き合って飲むからさ… 」
と、自分のは常識的な所までしか注がない。
ギーちゃんの酒を断れる訳が無い。
だが、流石に梶といえどビールから日本酒、赤ワインときては胸やけするし少し気持ち悪い…
肉の蒸し物にかかったソースは濃厚だが、梶の口には殆ど味が感じられずに
ムニュムニュと異様な噛みごたえ(本当は柔らかいのだが口の感覚が無くなっているのだ)
で首筋が何故か腫れぼったく感じた。
その様子を、清美達がジッと見て直ぐに、指定されたのか年配の男にワインを勧め出した。
( もうちょい、もうちょい…はや沈めや )
ニコニコ笑うギーちゃんの顔が梶の目にはユラユラと歪んで見えた。




