山の中にあるバイト先
やっと、舞台の旅館に到着ですわ。
バスの車窓から見える景色が緑濃くなってくると、すれ違う車はほぼ無い。
この先にはバイト先の温泉旅館”星の海”しかないので当然だ。
しかし、木々の合間から差し込む光がバスの中に森の模様を付けるぐらい山奥で、
交通量もうちの旅館しか無いって事で激少ないのだけど、
舗装してある道路は綺麗だし、ちゃんと夜も明るい光がちゃんと点く。
この先にバイト先しかないから、うちの私道って思う人も多いけど、
この道路は市道って事になっていて、ちゃんと市役所が面倒を見てくれてる。
多分、気の利いた温泉宿なんてだだっ広いうちの市内じゃあここだけってことで
研修って言っては謝恩会で飲んで、忘年会に新年会で2次会込みで飲んで
んじゃあ泊まっていくかぁ…ってノリに便利って事と
飲酒運転なんかしたら、一発で免職の公務員さんには必要なんじゃないの?
で道路の維持でお金かかって潰れたら困るんでしどうにしてるんじゃないの?
ってバイト先では言われてる。
大きなスギ林を抜け、うっそうとした森を突っ切って山を登り
私の住んでる街が上からよく見えるぐらいまで上まで来ると、
その先にうちの旅館が見えて来る。
本館は今時のコンクリート作りでしっかりした外観で3階建て。
自慢は天上露天風呂で気分いいし、
寄棟作りで屋根は瓦葺、エントランスへとつながる通路も
ちゃんと小さな庭園を配して、木造の屋根付きだから
今風の温泉旅館で綺麗だし、雰囲気もあるし清潔。
別館は凄く前に建てられた元の本館で、雰囲気のある木造2階建て。
長廊下に飛び石の配した大きなお庭に、私が気に入ってる鯉が泳ぐ池。
で、ちょっと離れたお風呂場はこの宿の最大の売りの川沿いの岩風呂露天風呂。
うちは、外人さんのお客さんが多いので古い別館の方がいつも満員で忙しい。
んで、私は手間のかかる別館勤務って事になっている。
バスは、大きなアスファルトの駐車場に入る。
今は11時ちょっと前なんだけど、お客様の車がチラホラと停めてある。
うちのお湯は万病に効くって事で長逗留、連泊で湯治って人が多いからね。
「 ほれ、着いたぞ西宮もう起きれ! 」
バスが停まると同時に瞳が後ろに向かって大きな声をかける。
「 ふあああ、分かってますって 」
西宮智彦 16歳…うちと同じバイトの子が
いつもの様に眠そうに声を上げて最後部の椅子から起き上がる。
耳の中に小指を入れて回しながら小さな声で文句を言う。
瞳には聞こえない様に小さな呟きだけど、私の耳は普通じゃないんでよく聞こえる。
「 瞳の馬鹿に起こされるより、みけの方がよかったんだけどなぁ… 」
私はあなたを起こすのは御免よ…瞳に睨まれるからさ。
生まれた時から隣同士の家の二人は、姉弟の様に育ったから
お互い男女の感情は無いんだけど、お互いに相手を気にはしている。
瞳がいるのに私が起こしたら”何なの?”って追及されるから嫌。
因みに、この子はうちらとは…じゃないか私とは頭の出来が違って進学校に通ってる。
普通はバイトなんか無理!って感じなんだけど
うちの旅館の身内だし、成績も常に上位なんで何も言われないらしい…
馬鹿の私にはどういう頭の構造してるんだろうてほど頭良いんだよね。
バスを降りて大きな看板の前まで歩いてそこで、本館の従業員専用口の方へと皆で歩く。
看板は檜で出来ているらしいが、私は檜ってどんな木かは分かんないけどね。
そこにはここの社長の文字で” 星の海 ○○〇〇 ”って書いてある。
○○〇〇っていうのは読めないからそう言ってるだけ。
日本語でも英語でもない言葉らしいけど…バイトの私には関係ないからよく知らない。
ロッカールームに瞳と大学生のお姉さんたちと一緒に入り作務衣に着替える。
最初は部屋の片づけに掃除が主なんでこれでいいんだよね。
ワイワイ言いながら連絡通路を通って、
別館の中に入って仲居の詰め所まで歩いて行くと、
「 は~い、おはようございます!今日も一日しっかり働きましょうね! 」
って、着物の裾をたすきでたくし上げ、棕櫚の箒の柄の束を
磨き上げられすぎて黒光りしている廊下にトンと突いて、
ニコニコ笑っている仲居頭の九鬼さんが立っている。
え~また箒? 掃除機にしようよ~って心の中で思ったけど、
逆らったりしたら、一人で家族風呂の掃除をさせられるから黙るしかない。
は~い、おはようございます!今日も一日、こき使ってください(泣)