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第3節

 この三日間、支社長は彼の説明通りの待遇を雨宮邦和、改めウェイド・ビーツに与えた。そこには何の過不足もなかった。ただ他の「積荷」たちとのコミュニケーションのチャンスが無かったのだけを不満に思ったが、この時点での彼にそれが与えられたとして、きっと上手くは活かせなかっただろう。


到着の日は、ゴロゴロという喧しい金属音で目を覚ました。それが錨を下ろす音だということは想像に難くなかった。ウェイドは久しぶりに地面を踏めることに安堵しつつも、これから始まる「奴隷」という未知の生活への不安が胃にぶら下がっていた。

やがて船倉には、先日のジョージと似たような詰襟姿の男たちがぞろぞろとやって来て、ウェイド達の足枷を外し、彼らを船の外へと連れ出した。彼のほかに捕まっていた奴隷たちの顔をここでようやく見ることになったが、男と女が2人ずつで、年齢も国籍も一見バラバラだった。

1人だけ、ウェイドと同じアジア系の顔つきの男性がいたが、彼も他の奴隷と同様、その表情は暗く、唇を引き結んでいた。桟橋に降り立った際、支社長と目が合ったが、お互い何をいうでもなく通り過ぎていった。


港の様子といえば、桟橋と石畳の道路を挟んだ向かい側は倉庫が立ち並ぶばかりで味気なく、荷物のやり取りがメインの役割であろうことを伺わせる。しかし、もっと遠くに目をやれば緩やかな丘陵の曲線が見えて、それは青々としていて美しい。今日の天気が曇りで無かったならば、きっともう少しくらいは清々しい景色だったろう。

倉庫の一棟一棟には数字と、それを所有する会社の名前らしきものが看板に記載され、入り口の上に掲げられている。ここでふと、ウェイドは、自分がその文字を初めて見るのに、ちゃんと意図を理解できていることに気が付いた。支社長の言っていた「魔法」の存在と、その効果を彼は改めて実感した。この数日間、「情報」そのものに乏しい生活だったウェイドは、石畳を誘導されるままに歩きながら、それらの看板の文字を忙しなく読みまくった。


やがて彼らは大通りに出ると、丁字路の突き当りに三台、列を成して停まっている馬車へと乗せられた。ウェイドは最後尾の馬車で、先ほどのアジア系の男性と相乗りとなったが、当然支社長の部下たちも乗ってくる訳なので私語は出来ない。詰襟が客車の扉を閉めるなり、窓にはブラインドが下ろされ、全車準備が整うと外から聞こえた「出発!」という号令で馬車は走りだした。


薄暗い闇の中でじっとしているうち、ウェイドは眠りに落ちる。が、突然尻の下が大きく跳ねたことで目が覚めた。車体は出発直後とはうってかわって酷く上下に揺れていて、微かに湿気を帯びた草の香りを感じ取った彼は、あの港町を出たのだと理解した。そこからは延々、眠ったと思えば悪路による衝撃に起こされてを繰り返して、ウェイドはその道程を、苛立ちを抱えたまま往った。



時計は見える所にない。故に、具体的にどれくらいの時間、座ったままでいたかは定かでない。もう何度心の中で終わりを願ったかも分からないままウェイド自身、そして同乗者の2人も疲労困憊となったところでようやく馬車が停まった。外から扉が開けられ、ラフなシャツとパンツルックでハンチングを被った中年の男性が車内をのぞき込んできた。


「長旅ご苦労さんです、「陸運さん」。いつもすみませんねぇ」


中年男性が声をかけると、詰襟は帽子を取って軽く頭を下げた。


「これはこれは、コーミー殿。オーナー自らお出迎えいただけるとは恐縮です」


詰襟は帽子を被りなおすと、さっさと客車から降りた。ウェイドも腰を浮かしそうになったところで扉は直ちに閉められて、外からコーミーと呼ばれた中年男性と詰襟の談笑もすぐに遠のいていった。


「けっ、行っちまいやがった」


向かいの席の、項垂れるように座っていたアジア系男は吐き捨てるように言った。「だね」とウェイドは苦笑いで返す。


「今なら、2人がかりならこっから逃げられないかね?」


冗談めかして呟くと、男は首を振った。


「やめとけ、扉の隙間からもう1人立ってんのが見えた。この会話だって聞こえてるだろうよ」


「そっか、残念だ」


ふふっ、とお互いに小さく笑う。男は背もたれに身体を預けてリラックスするような姿勢をとった。顔を上げた彼は切れ長の目をしていて、無精髭がまとわり付いていても輪郭はシャープな印象を受ける。


「俺は小野晴一ってんだ。アンタは?」


晴一の自己紹介に、ウェイドは顔を明るくした。


「ボクは雨宮邦和。君も日本人だったんだね、なんだか心強いよ」


「へへ、奴らの妙ちきりんなテクノロジーのせいで、どいつもこいつも流暢に日本語喋ってるように聞こえっから、吹替の映画でも見てる気分だぜ」


「確かに。なんもかんも、現実味が無いって意味でもさ」


一見軽口のようで、その口調はやはり2人とも疲れ切っていた。お互いに疲れている、という状態さえ今口を開いてみるまで自覚が出来ていなかったようでもある。


ふいに、客車の扉が乱暴に開かれた。

顔を見せたのはここまで相乗りしてきたのとは違う詰襟で、おそらく晴一の言っていた「もう1人」だろう。彼は2人の顔を交互に見やった。


「ウェイド・ビーツ、どっちだ?」


聞かれて、ウェイドは言葉を発さずに手を挙げる。従うほかないが、まだこの名前を完全に受け入れた訳では無かった。その動作を確認した詰襟は、また晴一の方を向く。


「ならばお前がハル・マーキュリーだな。2人とも車から降りろ。納品だ」


それだけ言って詰襟は頭を引っ込めた。納品とはすなわち、現在地が彼らの職場となり、住処となる場所になるということだろう。

開いたままの扉を前にして、再び奴隷達は顔を見合わせた。


「これからよろしく頼むぜ、ウェイド?」


「こっちこそよろしく、ハル」


疲れた笑顔のまま、2人は馬車からのそのそと降りた。

こうして、ウェイドとハルの2人は、ローズ・コーミー氏の所有する奴隷として、ホテル「ノース・メタロギー」での労働に従事することとなったのだ。



 王国領、ノース・メタロギー。夏になるとこの土地は、避暑地として賑わいを見せる。

元は王国の貴族達がちらほらと別荘にやってくる程度で静かなものだったが、ここ数年王国の経済は飛躍的な成長を見せており、財を持て余したブルジョワジーはまさに、青い血たちの真似事と言った感じにノース・メタロギーに押し寄せた。このムーブメントにいち早く対応したのがゲダン村という集落の豪農、ローズ・コーミーであった。彼はこの地方の名を冠したホテルを立ち上げ、それは瞬く間に大評判をとることとなった。

当然、年を追うごとに宿の忙しさは増しており、コーミー一族と小作人たちだけでは人手が足りず、本業の農作業に影響が出かねないほどになっていた。

そこで彼は、近頃海外進出に熱心な王国の勅許会社から奴隷を買うことにした。ウェイドとハルもこうした経緯でローズに買われ、総勢で10人ほどの奴隷がこのホテルでの労働に従事していた。


明け方に起床し仕事を始め、日が落ち切ると仕事は終わった。産業の発達している王都から離れすぎているせいで電気が通っておらず、燃料に困ってはいないが無駄にできる程では無いので、夜遅くまで明かりは付けない。光が無ければ仕事ははかどらないし、ゲストも遊びようが無かったのだ。


地球では朝早くから夜遅くまで働いていたハルは、この生活にひどく拍子抜けしたような気持だった。このホテルでの仕事は雑用ばかりで大して難しくなかったし、食事は決まった時間に三食出る。奴隷専用の集団生活寮に帰ると清潔な布団とシーツがあり、自分でキチンと管理していればその清潔さを維持することだって容易だった。さらにホテルの近くには小さな滝つぼがあり、そこで頻繁に水浴びをするように主人から指導を受けた。これはゲストへの衛生的な配慮のためだった。


結論を言えば、ハルからしてみれば元の世界よりもずっと快適な暮らしだったのだ。逆に不安がった彼はある日、コーミー氏の姪で奴隷たちの管理を任されているロミス・フレイル夫人に、自分たちの待遇の良さについて聞いたことがあった。それについて夫人は、「例えば、牧羊犬を虐めるようなヤツがいるとすれば、それはただの悪趣味だろう?」と答えたので、ハルはそれで納得することにした。


一方で、これが初めての就労だったウェイドは今、想像通りの苦しみの中にあった。

これまでベッドの中で腐らせていた筋肉はいくつもある客室の清掃だけでズキズキと痛み出し、ネットサーフィンにしか使ってこなかった脳みそは実に注意力に欠け、ミスを連発した。そのいくつかはハルをも巻き込んだ。

配膳中の小さなトラブルが連鎖したことで引き起こされた「喋る朝食事件」をはじめ、「サウナ室の屈辱」「リネン室の情婦事件」「サロンの乱」「第二次サロンの乱」など、何か大きな失敗があるたびにハルとウェイドはあっちこっちへ大騒ぎし、ロミス夫人はそれらにタイトルを付けた。

さらに、不必要なまでに繊細な彼は相部屋で雑魚寝する生活にも全く適応できずにいて、次第に彼は他の奴隷からも軽んじられるようになっていた。


「もうだめだ…やってらんない……」


何度もそんな弱音を吐くウェイドだったが、かと言って他に生きていくあても無い。幾度も「今夜こそ逃げ出してやる!」とハル相手に息巻いたが、1日が終わり飯を食い終わればウェイドは気絶するように眠ってしまうので、ハルは一度も本気にしなかった。


季節が変わり秋になると繁忙期は終わり、商売のターゲットは流れの旅人や遠征に向かう軍隊となる。そんな隙を突いて懲りずに脱走を企てていたウェイドは、給仕中に彼らの旅の話を聞かされた。それによれば、街道の整備された大都市レーズ府からノース・メタロギー間はともかく、そこから先の山中は十分な準備無しに入ることは自殺行為だという。内陸部の濃い霊気は人間から魔法を奪い、狂気を掻き立て、怪物に変えてしまう。故に彼らの行軍は山の麓をなぞるようなものになるが、それでも毎年2、3人、行方不明になるか死ぬかする。「そういえば去年死んだヤツは、ちょうど兄ちゃんソックリだったなぁ、ガハハ!」なんて脅かされた夜には寝付けないまま朝を迎え、流石に使い物にならないと判断したロミス夫人が異例の待遇でウェイドを一日中煎餅布団に転がしておく有様だった。


そうやって過ごしていると、どんなにイヤなことだろうと、重労働(?)だろうと、人は次第に慣れる。やがてウェイドのどんくささは1つのキャラクターとなり、ウェイドも周囲の人間たちと、ちょっとはマシなコミュニケーションを取れるようになってきた。相互の理解が進めば後は何とも簡単なもので、春を迎えると雪と一緒に人間関係はすっかり打ち解けていた。この変化の裏には経営サイドからも評価の高いハルが、同郷のよしみで何かとウェイドの世話を焼いていたというのもあった。それだけ聞けばウェイドが無限にハルの足を引っ張り続けるギヴアンドギヴ、テイクアンドテイクのようにも取れるが、毎度毎度慌てふためいてドタバタを引き起こす姿は、ウェイドには悪いと思いつつも面白かったし、それが知らぬ星での奴隷生活という現実を一瞬忘れさせてくれることは、ささやかでしょうもなくはあるが、ハルにとっての確かなリターンだった。


ある日、ハルは言った。


「まったく、お前さんといると退屈しなくていいぜ、ウェイト(おっちょこちょい)君よ?」


それはウェイドをもじった、この宿内での彼のあだ名だった。最初はやはり気分の良いものではなかったが、このキャラクターで周囲と円滑にやっていけそうだと気が付いてからは満更でもなかった。


「そう言うなって。ボクだって、やりたくてやらかしてる訳じゃないんだぞ?」


「当たり前だ。ワザとなら張っ倒してるよ」


そして二人は、なんとも自然に笑い合って見せた。

分からないこと、知らないことだらけの世界。そんな場所でもぼんやりと、前向きに生きていけそうな予感が生まれはじめていた。


この時までは。

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