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第6節

 戦いの翌日、バーンナップの依代だった女性は昼頃に目を覚ました。

報告を受けたウェイドは直ちに彼女の元へと向かい、話を聞いた。それによれば、女性は名前をアシュリー・クワイエットといい、住まいはクレイバンから遠く離れた街だという。


人と接することが苦手な彼女はひっそりと、孤独に生きる日々を送っていたが、それでも他人と触れ合うことへの憧れを捨てきれない人間だった。ある日、遠方への用で汽車に乗った彼女は、そこで周りの乗客が皆、2人以上で乗り合わせている旅行者であることに気が付いてしまった。


前後左右から聞こえてくる、人々の「会話」が、彼女の耳から鉄砲水のように入り込んできた。それが家族の楽し気な会話でも、商人たちの仕事話でも、人と人がコミュニケーションを取っているという事実そのものが、彼女に恐怖感と敗北感、嫉妬といった負の感情のフルコースを生み出していった。それが自分自身で怖くなってきたアシュリーは、途中の駅で逃げるように汽車を降り、そのまま駆け出した。夢中で走った彼女は気が付くと見知らぬ山の中におり、とっくに日の暮れた山中でパニックを起こしたところで、記憶はぷっつり途切れているという。恐らく、その時点で周囲の霊気がアシュリーに感応し、彼女をバーンナップに変貌させたのだろう、とウェイドは考えた。


一通り話を聞き終えたところで、朝に手配をかけておいた王国の憲兵駐在所からの馬車が到着し、アシュリーはそれに乗せられていった。これから彼女はウェイドの言った通り、大きな病院で治療を受けたのち、詳しい事情を国の役人などに聴取されることになる。それからの処遇については場合によって様々だが、今回は彼女自身に明確な悪意があったわけでもなさそうなので、厳しい刑罰が下ることは無い。とはいえ、村の復興のための賠償金を何年かに渡って払い続ける、といった命令をされることはあるかも知れない。流石にそこは、ウェイドの「責任」の範疇を離れるので、何とも言えないところではあった。


そしてウェイド本人といえば、仕事の完了報告は王国の憲兵を通して本国へと送る手筈を整えたが、結局、楽士の拠点がそれを受け取って迎えが来るまでは時間がかかるので、3日間ほどクレイバンに留まることとなった。シーナはこれを大いに喜んで、朝起きてから、日が暮れて家に帰るまで、常に彼と一緒にいた。そのときのシーナときたら年相応の子供らしく振舞い、可愛げはあるものの、とんでもなくエネルギッシュな彼女に周りの大人たちから言わせれば「こっちの方が大変だ」と、笑ってしまう様子であった。


クレイバン村の完全復活には、男一人の手が加わった程度では、まだまだ時間がかかるのは致し方ないところではあった。が、昼飯時や夕方には陽気にギターをかき鳴らしてみせるウェイドに、村人は幾分気持ちを助けられたようで、なんとなく全体の雰囲気は明るくなっていった。シーナも相変わらず作業をよく手伝ったし、それに倣って他の子供たちも、頑張ってお手伝いに勤しんだ。


そして、3日目の朝。

世話になった下宿の主に挨拶を済ませた彼の元へ、シーナが迎えに来た。

玄関を出るなり、彼女は「自分も楽士にしてくれ」なんて言い出したのだ。


「おいおい、随分急なお願いだね」


ウェイドは本当に戸惑ったような顔をして、頭頂部を人差し指で掻いた。


「それ、お父さんとお母さんに相談してきたの?」


彼の問いに、シーナは目線を少し逸らした。眉間の皮膚が薄っすら波打って、眉の端が下がると、瞬きに合わせてまつ毛が揺れる。それは、「お返事を考え中です」という表示に見えた。やがて彼女は、小さな声を絞り出す。


「大人になったら楽士になりたいって…言った」


「だけ?」


「…うん」


シーナが唇を尖らせた。本当に彼女の表情とはこんなにも雄弁なものかと感心する。今では、それに本人の言葉も素直なものとなってきたので、それがウェイドにとっては嬉しく、面白かった。

ウェイドは屈んでシーナに目線を合わせると、穏やかな笑顔で彼女を諭す。


「残念だけどシーナ、楽士になるための試験は13歳から受験資格が与えられるんだ。だから、今はまだ、君を連れてはいけない」


「そっか……」


そう答えた彼女の口角は、急激にカーブを描く。瞳はあっという間に潤んで、水をやり過ぎた鉢のように、感情の雫がボロボロと頬を駆け出していく。ウェイドはそんなシーナの頭に手をのせる。


「でもさ、4年経ったあとも、まだ楽士になりたいって思ってくれているなら……」


懐からハンカチを取り出して、シーナに差し出す。それは初めて会った日にも渡した、緑色の音符の刺繍の入った、白いハンカチだった。


「ボクも、「カルナバル・フィルハーモニー楽士団」も、君を歓迎するよ」


ハンカチを受け取って、シーナはそれを胸に抱きしめると、涙を自分の腕で拭った。すっかり水気を払うと彼女の大きな目の淵は朱に色づいて、まつ毛はきらめきを増していた。


「ぜったい、行くよ。ウェイドみたいに、みんなを助ける人になる!」


「うん、楽しみに待ってるよ」


そう言って、ウェイドは立ち上がる。身を捩ろうとする彼のニッカボッカを、シーナは引き留めた。


「ねぇ、ウェイド……」


「ん、どうした?」


「ぜったいに、カルナバルに行くから、だから…教えてよ、ウェイドがどうやって楽士になったのかをさ!」


「ボクがかい? ははは、まいったな。あんまり人の参考になるような話じゃないんだけど」


ウェイドが苦笑いをする。しかし、シーナの眼差しは、もっと複雑な感情を彼に送り込んでいて、それに応えてやるのが、自分の今の役割なのだろうと、彼は思った。懐中時計にちらりと目をやると、それを果たしてあげられるだけの時間は、十分過ぎるくらいありそうだ。


「…いいとも、シーナ。これはボクが、ボクにしかできないことを見つけるまでの話さ」


ウェイドはシーナを手招きして、家のすぐそばに、おあつらえ向きに置いてあった平坦な岩に腰かけた。隣に彼女が座ると、遠く向こうにそびえる楽士の宗教的聖地、ヴォイス山を眺めながら、彼は語りだした。


「ウェイド・ビーツを名乗り楽士として身を立てた青年、雨宮邦和の冒険と受難、そして成功についての伝記」はおおむね、このときに彼が語ったことを元に記述していく。そのほか、情報の不足していた箇所については、多くの方の証言、助言によって補完をしていったが、いかんせん人の記憶に依る部分が大きいので、必ずしも正確な記述でないことはご留意いただきたい。


ただ一つ、確かなことは、


「彼は今も前向きに、神話とともに生きている」


ということである。

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