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秋 3節

 「またドジやったんか、クロウ」

酷くリバーブのかかった声がして、光のもやの中に朧な輪郭が浮かぶ。色濃くなっていくので近づいているのであろうことは分かるが、目の前まで来ても得体はピンボケのままだ。


「まったくお前は…絵なんぞ描いちょるからそうなるんじゃあ。お隣を見てみぃ、一日中鍛錬じゃあ。これ以上恥かきたくなきゃあ、お前も見習えぃ」


恐らくこの姿を、自分は思い出すのも嫌なんだろう。はるか上層に空いたままの大穴を見ながら、クロウは意識を取り戻した。そうだ、自分はファド・パンチと、ここまで落ちてきたんだった。


「…命のあったモンが勝ちなんじゃあ。クソ親父め」


上半身をゆっくりと起こして、肩や肘、手首を動かしてみて、腰を左右に捻ってみる。たぶん、すぐに分かるような大怪我は負っていないらしい。陽光を頼りに辺りを見ると、この空間はドーム上に広がっていて崩落したのはちょうど天辺の部分だったらしい。どういう作用で出来たか知らないが、そりゃあ脆かったことだろう。すぐそばに転がっていたヴィオラは刀身はぐしゃぐしゃになっていて、潰した缶詰みたいになっている。おそらく着地時の強力な反動に耐えられなかったのだろう。戻ったら姫様(エコーズ)に謝る、ということを脳内のタスクリストに加えた。


そして、ファドも見つけた。クロウよりも幾分爆心から飛ばされたらしい。恐らく自分よりも先に意識を失って、腕が緩みでもしてしまったのだ。


「楽士ファド!」


立ち上がって鎧の大男に駆け寄る。ヘルメットに耳を近づけるが、当然息の判別がし難い。全身がピクリとも動いておらず、まるで最初から空っぽだったかのような脱力っぷりだ。これは万が一のこともあるか…と額に汗が滲む。


「どんな事情かは知らんが緊急事態じゃあ、失礼するぞ!」


ヘルメットの側面から留金を探り当てると左右のロックを外す。強い威圧感を与える造形が施されたホログラム光沢の面金を持ち上げたところで、クロウの手は一瞬止まった。


「んなっ…はぁ!?」


 まず、ファド・パンチの素顔は美しかった。天井から注ぐ僅かな光によってすら艶めくシルバーブロンドで、本来は長髪なのだろうが兜に収めるべくふたつのお団子にまとめて結われている。顔立ちは主にふっくらとした頬のおかげで幼く見えもするが、鼻筋が通っていていて、肌の白さきめ細かさなどは聖堂外郭(アウティーヤ)に住う高貴な人々と同じ雰囲気を持っている。地声を聞いたことは無いので男女の判別は付かないはずだが、それでもクロウは女性だという確信を持っていた。なんなら、地声を聞いたことが無いというのもたぶん嘘になる。何しろこの人物とは、クロウの自宅の近くで会っているのだから。


「この間、ぶつかっちまった嬢ちゃんかぁ!?」


クロウの驚愕の声が、大きな洞穴に幾度も反響していった。





 ほどなく地上では、シャウトが増援を手配を済ませた。先の霊獣に加えて、正体不明の何かが闊歩している可能性が高い場所で、クロウとファドを救出しなければならないという予断を許さぬ状況だが、現在のカルナバルからはファースト・アンサンブルのメンバーが出払っており、解決に当たれる人間はほんの一握りだ。


「んで、私たちが呼ばれたってぇワケかい」


肩を伸ばし膝を伸ばし、入念に柔軟体操をしているのはサマル・ティーネージだ。彼女はファースト・アンサンブルの在籍経験のある手練であり、今の街にこれほどの適任はいない。更に弟子のウェイド・ビーツというこの上ないオマケ付きだ。新人研修以来、久しぶりに街の外での仕事なので面持ちは硬いが。


「どこ落っこったって?」とサマルが聞くと、シャウトはすぐに地図を取り出した。下が透ける薄い紙に印刷されており、現在地と地下構造を照らし合わせられる便利な道具だ(カルナバルにいると感じにくいが、この大陸では魔法の研究が盛んな国が多数派であり、それに必要だった製紙技術は高度に発達している)。


「落下地点そのものは未知の空間ですが、周辺の洞穴で通じていそうなモノは2つまで絞り込めています。以前から霊獣の出入りが観察されていたので、元々は地下で暮らしてたんでしょう」


シャウトは地図の上に赤鉛筆でマルを付けていく。サマルはそれを目で追いつつ、眼鏡をほんの少し持ち上げた。


「なるほどぉ〜、気が立った勢いで自分チの天井に穴空けちまったってワケね。だってさウェイド」


「「だってさ」じゃないですよ。ボクはとっくにビビってますってば…。それよりシャウト隊長、クロウと楽士ファドから反応は?」


「下からシューティングホルンで知らせがあった。どちらが吹いたかは分からんのだが、「負傷1」と」


「なら、まじぃな。穴ぐらに奴さんが戻ってくる前に二人を見つけ出さないとだね」


口を波打たせながら大きく背中を逸らして伸びた後、サマルは自分の頬を軽く2回はたいた。


「うっし、出発するわ。真西の穴行ってみるから、アンタらは北西のやつをよろしく」


シャウトはマントの刺繍に手をかざすと、サマルに向かって深く頭を下げた。


「すみません、サマル先生。オレが至らないばっかりに」


「いいってことよ。どんだけマジメに仕事したって事故はつきもんさ。ケツ拭いてやっから、出世したときゃよしなに頼むよ」


若い楽士へ激励の言葉を残し、彼女はウェイドを伴って赤と黄のモザイク画のような森の中を進んでいく。「ヤレヤレ、ひっさびさのお外だぜェ」とぼやくサマルの表情は、いつもと同じか、それなりに緊張しているか、どこか寂しそうなのか…あるいはそれら全てなのか。こうして見ると、1番掴みどころのない人だ、とウェイドは思った。



 「判決を言い渡す。被告人を、無罪とする」


州地裁の裁判長はそう言った。

ああ、なんで。あれだけのことをしたのに…どうして私は?


「事件当日、現地には突発的な霊気溜まりが発生していたことは証拠により明白であり、当事者たちが事態を予測することは極めて困難であった。また被告人は生来、霊気への感受性が高いことが医学的見地からも示されているため、本件は典型的な、偶発性のバーンナップ事案と判断できる」


どうして、私を許そうとする?

私は、罰されなければならないのに。

だって私は、この世で1番大好きな音楽で…!!



 続く言葉を叫ぼうとして息を吸い込んだことで、ファドの視界は過去の法廷から、現在の洞穴へと引き戻された。肌に触れ喉を通過する空気が湿気っていてまとわり付くような感覚が、いつもより生々しい。マスクをしているのだからこうはならないハズだったが、顔に手を触れてみて理解する。(ヘルム)面頬(マスク)が、外されている。胸がきゅうと冷たくなり瞳孔が小さくなる。手を素早く地面に這わせて、ばっと横を見ると、そこでクロウが跪き、己の楽士章に手を当て頭を垂れていた。


「申し訳無い、楽士ファド。お主の息が確認出来なかったんで、兜を外させていただいた次第じゃあ。ここで見たことは決して他言いたしゃあせん。もしワシが信用ならなければ…なんなりと、処分を受け入れる所存じゃあ」


彼の姿勢は楽士の作法と少し違った風だったが、それでも清廉な印象を受ける。恐らく、地元で叩き込まれた礼儀作法なのだろう。それの意味するところは言葉と共に、きちんと原義を保持したまま翻訳されファドの心に届く。結果、彼女は緊張を解いて壁に背を預け、ようやく深い呼吸をする。


「よい、お前の機転に救われた命だ。礼を言う…お前も手負いであろう。楽にせよ」


「はっ」


クロウはあぐらで地面に尻をつけると、傍から彼女の兜を差し出した。ファドはそれを受け取り、膝の上に置いた。


「やっぱり、会っていただろう? ライタイの街で」


「ええ、その節は失礼(つかまつ)った。まさか、楽士とは思いませんでしたわい」


本当にその通りだ。鎧の大男という第一印象と、その中身は自分以上にちんちくりんな女性という事実は、あまりにもギャップがあり過ぎた。


「…まぁ、そのための鎧だ。姿を隠し身の上を偽るための」


兜に目線を落とし、金具を弄ぶ。まるで頭だけ別の身体に乗せ変えたようなアンバランスさは、彼女のパーソナリティを完全に隠蔽するに役立ったことだろう。思わず鎧をじろじろ眺めてしまっていたクロウは、たちまちファドと目が合った。


「お前、家はあの辺なのか?」


「へい、あの雑貨屋の正面ですじゃあ」


「そうか。なら、ご近所付き合いついでに改めて自己紹介しとこう。私はクリス・O・テイシア。ファドは偽名だ」


彼女は赤い刺繍に手を当てて敬礼するが、口の端はやけくそ気味な苦笑いになっていて、目は泳ぎまくっている。おそらく兜を付けていない状態でこの振る舞いをするのに全く慣れていないんだろう。だが、それ以上にクロウには無視できない事実があった。


「テイシアって…まさかお主、州知事の親族なんですかい!?」


 カルナバルの街はシュライン・フォレスト共和国の7つの行政区画のひとつ、シンフォニア州に所属している。この州はそれぞれ偉大な霊獣を敬愛する7つの部族のテリトリーが基になっており、シンフォニア州のそれは言うまでもなくヴォイスを慕う楽士の原型となった人々のものである。


現在のカルナバルには街のカリスマとして大司祭(タクト)パーチが居る訳だが、行政区分上の統治者は州知事、ナシオン・テイシア氏となっている。ナシオン氏も街の名家出身の政治家であり、アウティーヤには彼の邸宅がある。というか、楽士堂の途中に門があるのでしょっちゅう見ている。イクスビー邸とも近い。


「そうさ、ナシオン・テイシアは私の親父だ」


ファド改めクリスは、何故だか家名を口にする瞬間、少し吃る。偽名を使い家から距離をとって楽士をやっているんだから、過去に何かあった事だけは明白だった。だからクロウは早々に野暮な話を切り上げて、明後日の方向に飛ばしてやることにした。


「ふむ…道理で高貴なお顔立ちじゃあ」


「なんだお前、そういう趣味か?」


クリスが目を細めて、身を捩る。対してクロウは膝立ちになって抗議した。


「なっ、違わい! 第一、「ハタチ過ぎてる」っちゅーてブチギレてたのはクリス殿の方じゃあ!」


洞窟の中に、クロウの声がこだまする。なんともマヌケなセリフはいつまで経ってもハウリングしていて、クリスは鎧の襟で口を隠しながら「ヒッヒッヒ」と笑った。


「悪かったよ。そんなコト、面と向かって言われたの初めてでさ。私もちょっと、どうして良いか分かんなかった」


「堪忍して欲しいもんじゃあ。捉えようによっちゃパワハラもんですわい」


「おっとぉ、お前のセクハラが先手じゃねぇかな?」


「だっから!?」


再び、クロウの大声が内壁を跳ね回り、駆け巡る。微細な振動は直径1センチも無い外耳道に入り込んでくすぐる。それに耐えられず、今度はふたり一緒に吹き出してしまった。


「参ったか、高貴でも何でも無いだろ? 私もライタイっ子さ。たまたま…テイシアの家に生まれただけ」


「そうですかい。ハナシが合いそうで何よりじゃあ」


ふたりは腹が落ち着くまで、しばし無言になる。その間クリスは、兜の上でちょこちょこと細やかに指先を動かした。音鋼は響かずともささやかな音色を立てているが、何の曲というわけでも無い。何度かクロウの方へ瞳を向けて、しまいに眉間を押さえながら「ん〜」と呻いた。


「なぁ、聞かないのかよ」


「何がですじゃあ」


クロウは、壁を見ている。


「何で私が、家を出たのかって」


クリスは、彼を観察する。変化はない。


「見くびって貰っちゃあ困るのう。ワシゃそう言うトコ繊細なんじゃあ」


「じゃあ勝手に喋るから、聞いててくれよ」


クロウは彼女を見た。クリスはもう、壁を見ていた。


「大丈夫なんか?」


「……」


クリスは、襟に再び口元を埋めた。


「…私のことを知ってるのは、パーチのじいさんと、エクスさんだけ」


"パーチのじいさん"とはフライヤの祖父、大司祭パーチ・イクスビーであり、"エクス"はエコーズの父、エクス・カラル・ギーガーのことだろう。ビッグネームの連続に、クロウは片方の眉が疼いた。


「他の楽士はみんな、ファド・パンチの正体を知らない。他のファースト・アンサンブルのメンバーも」


クリスは少しだけ、膝を抱き寄せた。胴と腿の間で兜が窮屈そうにしている。


「ずっとそれでやって来たのに、今更…ちょっとだけ心細くなってきた」


「…ワシのせいか」


「そうかも知れないけど、そうじゃない。共犯者になってくれってハナシ。秘密、守ってくれるんだろ?」


「勿論じゃあ」


「ありがとう。じゃあ、聞いて」


そうして、彼女は少しずつ、黒鉄の巨体に身を隠すまでのいきさつを話始めた。

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