夏 6節
実によく動き、はしゃいだ。なのでウェイドとエコーズは大聖堂のテラスへと抜け出てきた。ヴォイスの背を駆けてきた涼風が髪の間を櫛のように通り抜ける。快い感覚と共に、テラスの石造りのフェンスに寄りかかったウェイドはほっとため息を吐いた。
「ありがとう。すごく楽しかったよ」
エコーズはフェンスに肘を置いて、頬杖をついている。その様子はかつて、イクスビー邸で座学を習っていたときに、彼女が窓でしていたのを想起させたが、表情は未だかつて無いほど穏やかで、目を閉じて風を感じているようだった。
「…ワタクシもですわ。こちらこそ、ありがとうね」
細く開いた瞼からですら、エコーズの瞳はこちらを捉えているのが分かるほど眩い。まるで夜中にこっそりと、宝石箱を覗き見たようだ。
もはや、ウェイドも自分を疑う余地は無かった。
「ボクは彼女に強く惹かれている」と。
先ほどまであれほど近くで向き合っていたのが、今度は逆に、不用意に触れることが怖くなってきている。
自分の行動一つで、この瞬間をぶち壊してしまわないか、考えるだけで足がすくむ。
それでもウェイドには、かねてより温め続けた一つの目標があることを忘れてはいなかった。すなわち、エコーズと「友達」になることだ。フレディのように。
愛おしくて愛おしくてたまらなくて、今すぐにでも抱きしめたいが、何事にも順序がある。一つずつ出来ることを増やして、深めていくということ。楽士の仕事やボールルーム・ダンスを身につける中で、彼は重々承知していた。だからまずウェイドは、そっとエコーズへ手を差し出した。
「ねぇ、エコーズ…君さえ良ければ、ボクと、友達になってくれないかな?」
ちょっと、緊張で笑顔が引き攣ったかもしれない。そのせいなのか、エコーズは鼻で「ふぅん」と息を吐くと、向き直って「あら、いやよそんなの」と言いながら彼の手を取った。
言葉と行動の矛盾にウェイドが混乱し、固まっている刹那に、エコーズは彼の腕を自分の身体に巻き付けるようにくるりと回ると、彼の胸に飛び込んだ。
「え…!?」
これまでは微かに感じ取ることのあった薔薇の香りが、鼻腔に押し寄せる。同じ楽士とは思えぬほどの柔らかさ、暖かさが、ウェイドのあばらをすり抜けて、心の臓を強く引っ叩く。だが、それは彼女も同じらしい。痛々しいくらいに速い鼓動が二の腕に伝わってきている。
「友達なんて、いや。わたくしは…ここがいい」
もう少し風が強かったなら、聞き取れていなかったかも知れない。万が一にでもそうなってしまわないように、ウェイドは彼女の顔に耳を近づけた。
「…いいの?」
問いかけるとエコーズはウェイドの手を、ショートマントを、強く握った。
「…それをいま、ワタクシが聞いてるんでしょうにっ」
どれだけの勇気を振り絞ったかは想像に難くない。彼女の声は、すぐにでも泣き出しておかしくは無いといった具合だ。ウェイドは空いている方の腕を彼女の背に回すと、しっかり抱き寄せた。
「ボクも、そうだったらいいなって、思ってた。…好きだよ、エコーズ」
「…うん。わたくしも、ウェイドが好き。お願いだから、ずっとここに居させて……」
ホールからは、再び穏やかな演奏が聴こえてきた。ついに安心できる"場所"を見出したふたりの脈拍からも角が取れて、ゆるい曲線を描いていくようだ。目を閉じ、抱き合ったまま、夜会の終わりまでを過ごした……。
*
霊鳥祭の警備という大仕事を終えて、非番のウェイドの姿はクロウ・ワイトの自宅兼アトリエにあった。久しぶりに休暇が被った彼の作業を後ろで眺めながら、ウェイドはこれまでのことを語った。
「ほーん。随分遠回りしたのぉ」
それだけ言うと、クロウはインク塗布用のローラーをバケツに浸し、小さい木版へと大胆に緋色を塗りたくった。
「反応うっすいなぁ。こっちは結構ドタバタしてたんだけど……」
「そりゃまぁ、そうじゃろうて」
インクを塗った原板に紙を押し付け、バレンで擦る。しばらくガシガシと刷ったらば紙を剥がし、次の原版を手にとって机に置くと、今度はネイビーのインクを塗っていく。
「姫様はそらぁもう素直じゃ無かったし、お前さんはドがつく鈍ちんじゃあ。お前さんたちはぁ〜、アレだ、お月さんとお天道様みたいに、2人揃って堂々巡りしとったようなもんじゃあ。そらぁドタバタもするわい」
「えぇっ、そこまでいう!?」
ウェイドががっくりと肩を落とす。そんな様子に目もくれず、クロウはまた原板に紙を押し付ける。
「んでも、そんなふたりがよぉーやっと纏まったんじゃあ。"日食"なんちゅうもんは、仕組みが分かってたって、見てるとありがたいもんじゃあ。そうじゃろう?」
クロウは原板から剥がした紙を…いや、「作品」を見て、満面の笑みで頷いた。
「へっへっへ…我ながら良か出来じゃあ! ほらよ」
クロウから差し出された作品を、ウェイドは手に取る。それは、普段の彼から全く想像の付かない、かつ普段の彼の作風と違う、繊細なタッチで彫られたもので、夜と朝の溶け合うような背景に、男女が抱擁を交わしていた。
「クロウ…これ!?」
「ちょっち待っとれい。もう一枚刷ってやるから、姫様ンとこ持ってってやったらよかろ。どうせこの後行くんじゃろ?」
誇らしげに鼻の頭を擦るので、顔にインクが付いてしまっていたが、気にするそぶりも無く作業机に戻った。彼の背中を見ながら、ウェイドはもう一度クロウの版画を見て、にやける。
「ありがとう。本当にボクってば、みんなが居るから幸せなんだ……」
人と人との繋がり、そこから生まれる、もっと深い繋がり。それはきっとこれからも、自分を勇気づけてくれるし、だから、守りたくなる。
今一度の認識と新たな決意を胸に、今日もウェイドは前向きに、神話と共に生きていく。
*
祭の後の霊鳥たちは、数日のあいだ思い思いに羽を伸ばしている。ある夜のこと、アウティーヤの楽士堂の一室を、ミラーは訪ねていた。重厚な観音開きの扉を嘴でノックすると、扉は向こうから1人でに開いた。室内へ入ると左右それぞれにドアマンがいたことが分かるが、恐らく2人とも手練の楽士である。部屋の最奥のデスクには彼らを配置した張本人、実戦部隊の長、ロスト・コズモ楽士長がいた。彼は先の総演会でフレディと鎬を削ったシャウト・コズモの父親である。
ロストと彼の部下たちは各々楽士章へ手を当てると、ミラーへ深く一礼する。ミラーも軽く会釈を返すと、ロストはデスクの前へ出た。
「ご足労いただきまして、有難うございます。本来であれば、霊鳥にこのようなお願いをするべきでは無かったのですが……」
「かまわんよ。大した仕事じゃ無いしな」
「して、如何でしたか?」
「スクリーンとモニタは口を揃えて「北の海が騒がしい」と言ってる。特にスクリーンは、"マドミア"の辺りで商船の出入りが活発だ、と」
コズモは部下の楽士へ視線を向ける。彼は僅かに頷き、「セレモニア条約の情報網とも一致します」と、その意図を肯定する。コズモは眉間を押さえて、沈痛な面持ちになりつつも、すぐにミラーへ深々と頭を下げて「ご協力、ありがとうございました」と礼を述べた。
「そんなに深刻なのか、状況は?」
「近頃大陸の北部で、これまでとは様子と違う霊獣の出現と被害の報告が相次いでおるのですよ。フライヤを中心に対処に当たって来ましたが、今年は特に多く…。間もなく、ファースト・アンサンブルの全メンバーへ指令を下す予定です」
確かに、とミラーは顎を擦った。直近でフライヤと行動を共にしていたが、対峙する"相手"は、これまでに見てきた数多の霊獣たちとはどこか違った雰囲気を感じていた。霊気の集合から突如「発生」しているはずの彼らに、何かしらのコンセプトというか、一貫性のあるテーマを持っているものが増えたような気がする。
「その原因がマドミアにあると? 確かに得体の知れない国だが、人為的に霊獣を作るなんて不可能だ」
「ええ、確かに。ですが、バーンナップなら……」
「なんだって?」
ミラーの眉が吊り上がる。ロストは動ずることなく、淡々と続きを言う。
「2年前のゲダン村、楽士ウェイドが被災したあの事件に現れた霊獣は、バーンナップでは無いかと」
「バカな、アイツには中身が無かったぞ!?」
声を荒げる霊鳥というものを見たことが無かったドアマン達は肩を強張らせる。しかしミラーがそんな態度を取ってしまうのも当然であった。何しろ常識として考えにくいことであるからだ。
時系列が前後し恐縮ではあるが、皆様は序章「ボクはウェイド」の出来事を覚えているだろうか。あの騒動を引き起こしたのは霊気の暴走によって怪物になってしまった人間「バーンナップ」であった。彼あるいは彼女たちは、身体に集っている余剰な霊気を鎮めてやれば元の姿に戻る。一方で、今話題に上がっているゲダン村の化け物は、フライヤの一撃で粉々になっているし、中から人間は出てこなかったのだ。第一、バーンナップが霊獣と見紛うほどの力を持つなんてことも前例が無かった。
「ここからはどうか内密にお願いします」と、ロストは自分の背後にある戸棚の鍵を開けて、中から大きなスクラップブックを取り出した。デスクの上に広げられたページを、ミラーも覗き込む。
「例の個体に依代は確認されていません。が、残骸から遺作と思わしき痕跡が出ているのです」
「遺作だって? いくら魔法道具といっても、本気でバーンナップの依代になり得ると?」
ミラーはもはや疑うくらいの気持ちでロストのスキンヘッドを睨みつけるが、彼の推理は相当固いらしい。「私は、そう考えています」と構わずページを捲る。そこにはカルナバルの帳簿の写しと、国外に派遣された楽士団員からの報告書の写しが貼ってある。
「今年に入ってからの個体は、過去にカルナバルのチャリティーオークションで落札された品と特徴の類似が報告されております。追跡調査をしたところ、いずれも落札者から盗難されたか、そもそも落札者が架空の人物であったことが分かりました」
このチャリティーオークションというのは、カルナバルで亡くなってしまった作家の中で、作品の行き先がとうとう決まらなかったものを街が引き取り、競売にかける仕組みのことだ。もちろん普通の芸術品を取引しているのであって、魔法道具を売りつけているのでは無い筈だが……。
「なるほど、ここまでくると疑わしいな」
ミラーは、そう考えざるを得ないと思った。今のところ物的証拠は揃ってきているようだし、自分の違和感とも矛盾しない。たが、知性ある生き物のさがとして、先入観だけがどうしても抜けない。そこを個人としてどう考えているか、ロストに聞いてみたくなった。すなわち、「霊気を呼び寄せ、奮い立たせるだけの力はどこから来ているんだ?」ということだった。
ロストは目を閉じ、幾度も逡巡を重ねたように首を振ってから、ぼそりと「タクト…」と呟いた。
「ミラーもあの場にはいらしたでしょう。ウェイド・ビーツとエコーズ・ギーガーの踊る夜会に。おそらくウェイドは、"タクトの才があるから連れてこられたフィフス・トラベラー"なのでは無いでしょうか?」
「…他に、根拠はあるのか?」
「タクト」という言葉の持つ重みを承知している上で、ミラーは聞き返した。それは楽士団の最高権力者の称号であると同時に、世界的にも稀有な模倣不可能な技巧の名称であるのだから。
「以前、お話ししたウェイドの誘拐未遂事件についてです。主犯のハル・マーキュリーという男は、レフタイの街道沿いに霊気酔いを引き起こしました」
「まさか、それがヤツの"タクト"によるものだと?」
「他に物証も無いのです。王国より専門家も招へいしましたが、魔術の痕跡は無い、と」
「なんてこった…」と、ミラーは閉口する他無かった。あらゆる人間、物が示す結論が、最悪の方へ向いている。すなわち、ある集団が、人為的に、災害をもたらす手段を高いレベルで実証しているか、あるいは……。
「既に、バーンナップの兵器化が済んでいるのか?」
ミラーの問いに、ロストは首を縦にも横にも振ることが出来なかった。
2章 夏 完。




