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夏 4節

 夕焼けは竈門の火ほどに赤みを増していた。足は目的地へ急ぐウェイドだったが、内心ではエコーズのことが気掛かりだった。なにしろ、これまでの理不尽さとは性質がはっきりと違う。地に足がついていないというか、考えがぼんやりしているというか。掴まれた腕を振り解いたときのエコーズは正しく「呆然と」しており、本当は、そんなことをするつもりも無かったのかも知れない。


もう少し彼女とコミュニケーションをとってみたかったが、ホーミィに何も言わないままレッスンを休んでしまう訳にもいかなかった。だから、少ない時間と未熟なボキャブラリーから、慰めにもならないような一声しかかけてやれなかった。このときウェイドは本当に久しぶりに「地球だったらチャットで一言、ことわりを入れられたのに」と思った。


 歩みを進めてまもなく、イクスビー邸の正門がある通りへ近づく。そういえばこれまでは、エコーズがウェイドに理不尽をもたらすときには、行動のコアに必ずフライヤの存在があった。けれども今日の彼女にはそれが感じられなかった。だから態度や言葉に一貫性が無く見えたのだろうか。…簡単に言ったが、これは結構一大事な気がしてきた。やはりレッスンに行くのをよして、後日ホーミィに頭を下げてでもエコーズに話を聞いた方が良かっただろうか?


 モヤモヤと答えの出ないことを考えながら、イクスビー邸の門を見やる。すると、そこではフライヤ・イクスビー本人と、巨鳥が立っているではないか!!


「フライヤ!!」


大声で呼ぶと、ふたりはこちらを見た。フライヤの目が遠くからでも分かるほど煌めいたかと思えば、彼はウェイドに大きく手を振ってきた。ウェイドは小走りで門へと向かいながら、「いつの間に戻ってきてたのさ!」と問えば、フライヤも「ついさっきだよ!」と声を張って答える。


「ふたりとも、長旅お疲れ様でした。ええと……」


ウェイドは目の前の鷹の名前を思い出すべく、腰のポーチに入れてある手帳を探ろうとした。だが、それには及ばないと言うように、彼は翼を胸元に当てて一礼した。


「俺はミラーだ。"二度目まして"だな、楽士ウェイド? よくぞここまで立派になった!」


「はぇ?」


ウィンクするミラーの言っていることが分からず、すっとぼけた声を出しながら、今度は頭の中をまさぐる。少なくとも街に来てから霊鳥を見るのは初めてのはずなので、それ以前…と、ここまでくれば、思い当たるフシは一つしかなかった。


「…そうか、ゲダンでフライヤを連れてきてくれたのは、アナタだったんですね!!」


 「そうだとも」とミラーが胸を張る。

かつてウェイドが奴隷として過ごした、ゲダンの集落が霊獣によって壊滅した日。フライヤと初めて出会ったあの日に、高らかに鳴いた一羽の巨鳥がいた。ミラーと、彼の背から飛び降りてくるなり霊獣を一太刀で消滅せしめたフライヤ。このふたりが居たからこそ、ウェイドは今、楽士としてカルナバルにいるのだ。


「あのときは、本当にありがとうございました。この恩はどれだけ返そうとも、返しきれないと思います」


楽士章に手を当てて、ウェイドは深々と頭を下げた。それに対してミラーは「いやいや」と謙遜しつつ、彼に頭を上げるよう促す。


「俺は自由に旅をしているだけさ。そのついでに、たまにフライヤを乗せてやることもある。君を助けようとしたのは全て、フライヤの意思だ。大きな、よく通る声で存在を教えてくれた君を……」


「ミラー」


まだ続きそうだったミラーの言葉を、なぜかフライヤが遮った。声色が少し冷たいような気がして、驚いたウェイドは彼の顔を見た。


「ウェイドは何か急いでそうな雰囲気だったじゃないか。あまり引き止めてもいけないよ?」


相変わらず、よく整った顔立ちだ。

この男の第一印象は「人形のように美しい少年」だと、そう見えていたことを思い出していたウェイドだったが、今このときだけは別の意味…すなわち、どこか無機質めいているようだった。なんだか少し怖くて、居心地の悪いのを慌てて拭い去るように口を開いた。


「実は今、ボールルーム・ダンスを習ってるんだよ! これから教室に行くところで……」


そこまで言葉にしてから、ウェイドは習い事を始めた最初の理由を想起した。


「そういえばフライヤ、帰ってきたってことは、君も踊ったりするの?」


フライヤ・イクスビーには想い人がいるのか?

いるとすれば、共に夜会に出るのか?

この些細な疑問をきっかけに近頃のウェイドの動向は始まっている。こんなに早く答え合わせの時間が訪れるとは予定になかったが。


だが彼の顔はみるみる苦笑いに変わる。どうも期待した感じでは無さそうだ。


「ははは…実はさっきエコーズにも訊かれたんだ。残念だけど、パレードが終わったらまた遠征さ」


「そうかぁ〜、そりゃホントに残念だなぁ」


なんとも肩透かしの回答である。だが、先ほどのエコーズの様子には説明がついた。なるほどやっぱりあの()は、フライヤと夜会に出たかったのだ。


「実は、霊鳥祭のときにカルナバルにいるのも久しぶりなんだ。夜会だって、最後に行ったのは11とか、12歳の頃だし」


「随分昔じゃんか。やっぱりそのときは、エコーズと?」


「…いや、僕は踊りとか、あまり得意じゃなくってね。父上やおじいさまの後に付いて、大人たちの話を聞いていたんだ。負けじとエコーズも僕の後ろについていたけれど…今思えば、退屈な目に遭わせてしまったなって、申し訳なく思うよ」


「え…ああ、うん、やっ、君にも苦手なことがあるもんだなぁ。驚いたよ」


「はは、まいったね」


いつものように笑い合ったようなつもりでいたが、眉が少し引き攣っていやしないか、ウェイドは心配だった。流石に、かなり、エコーズが気の毒に思えてしまった。これだけ長いこと追いかけられて、その気がないなら断ることだってできただろうに、と、今まで揺らぐことのなかったフライヤへのイメージに、少しだけキズを見つけたような気がした。たぶんこれ以上直視するのは、自分の心理にとってあまり良い影響を持ってこないような気がして、避難を試みることにする。


「おっといけない、流石に時間がマズいや。それじゃあフライヤ、ミラーさん、パレードでまた会おう!」


「ああ、気をつけて行ってきて」


「またゆっくり話そう、楽士ウェイド!」


ちょちょっと手を振って、ウェイドは全力で駆け出す。その背をフライヤは、見えなくなるまで手を振って見送った。やがてその手が止まると、ミラーはひとつ、ため息をついた。


「…なぁ、フライヤ。あれじゃあお前さん、ただのイヤなやつじゃないか? 正直に、ウェイド君にお前さんの気持ちを言ってやったら、また印象が違ったろうに」


「やだ」


ピシャリ、と一言だけを霊鳥に返す。彼がこんな物言いをするということを、恐らくこの世界で、ミラーとヴォイスしか知らない。


「だって、だからここへ連れてきたんだろう?」


「ちがう。僕の"すべきこと"だから、そうしたんだ」


「確かにそうだ。でも、もっと自分の心も大切にしてやらなきゃダメだろ。使命を大切にするお前も、彼に惹かれたお前も、どっちも真実だ。片方だけウソだと決めつけて無視してしまうなんて、"お前自身"が可哀想じゃないか」


ミラーは翼の端をフライヤの肩に置いて、目線を合わせようとした。しかし彼は深く俯いてしまう。


「そんな身勝手は僕には許されない。壊すことしか能の無い僕には。ミラーだって、分かってるでしょう?」


絞り出すような言葉に、霊鳥は「いいや」と首を振る。彼の細かな羽毛が少し散らかった。


「お前はもう、それを許されるだけの働きをしているハズだ。俺が見てきただけでも、かなりの数を」


「…ありがとう。でも結局、僕がどうしたいかなんて、彼の幸せには関係無いから。先、部屋戻るよ」


翼をよけて屋敷に向かって歩き出すフライヤを、物悲しい目でミラーは見つめた。今すぐにでもヴォイスに話を聞いてもらいたいような気もしたが、霊鳥は祭りが始まるまで無闇矢鱈と姿を晒せないので、北の方を向いて、そう遠くはない聖堂の方の空を見上げた。


あの不器用なぼうやを幸せにしてやる方法はあるんだろうか。長いときを旅に費やし、多くのものを見てきた霊鳥にも、それは分からなかった。そしてもし、この地に聳える偉大な霊獣がそれを知っていたとしても、教えたり、導いてくれるようなことはしないと、そんなことばかり分かっているのが、少し煩わしいとも感じるのであった。





 瞼を照らす月明かりによって、エコーズは自分が眠ってしまっていたことに気がついた。青白いそれを頼りに懐中時計に目を凝らすと、夕食(ゆうげ)の時間も少し過ぎてしまったかも知れない。もっとも、あまり食べたいような気分にもなれなかったのだが。


ベッドから上体を起こすと、厄介な火照りは消え去ったぶん、頭に重たい煙だけが渦巻いているようだった。自分のしたことだけがハッキリと思い起こされて、何故したのかは筋が通っておらず、よく分からない。いつもの自分が傍から見ていたら、割り込んで頬を張ったっておかしくないだろう。なんて、はしたない……。


このまま自己嫌悪の満たされた水桶に浸かり込んで、朝まで眠ってしまおうかとも思ったが、明日も楽士としての仕事がある。せめて顔と髪くらいは、寝支度をしてやらないといけない。気が向いた頃合いに。少なくとも今ではない。手足は、動いてくれない。


「まいりましたわね…」と、ため息混じりに囁く。何しろこんな気持ちは初めてだ。普段なら落ち着いているか、感情的かにキチンとスイッチが切り替わっていたのが、中途半端なところでレバーを止められてしまったような不快さがある。出会わないように、気づかないように生きてきてしまったがために、対処がまるで分からない。これを言ってるのがウェイドなら、尻を蹴っぱぐってやるのだが。


「また、ウェイド……」


堂々巡りだ。また彼に戻ってきてしまう。先ほど、掴んだ手を振り解かれたときにハッキリと認識してしまった。ウェイドは今や、間違いなく立派な楽士であり、実力をつけ、どんどん活動的に、意欲的になってきている。そんな彼が、とても魅力的に見える。


でも、それって良いことなのかしら。だって、小さな頃からフライヤさまを追ってきたのに。


ずっと立ち塞がる大岩の前に、再びエコーズは辿り着いてしまった。つとめて直視しないように過ごしてきたが、真正面から向き合うととても大きく、びくともしなさそうな重さがある。こんなもの、いつまでもここには置いておけないのに、一体どうしたら…?


シーツを小さく握りしめたとき、不意に自室のドアからコンコンコン、とノックの音がした。一拍おいてから「エコーズ、起きてるかい?」と、くぐもった声が聞こえる。大いなる安心感と、信頼感をみとめたエコーズはその声に「はい、おとうさま」と答える。


「入っても、いいかい?」と尚も声は問いかける。お嬢さんは少しだけ居住いを正すと「ええ」と返す。すると扉が開いて、エコーズの父、エクス・カラル・ギーガーが入ってきた。


 恐らく、街の外の人が見たら、誰も彼がカルナバルの有力氏族のひとりとは気が付かないだろう。頭頂に近い部分だけ髪を残し、耳に近いサイドは剃り込みにしている。マンバンヘアかと思いきや、後頭部で結んだ先には虹色のエクステが混じっていて、鮮やかに編み込まれたものを豊かに垂らしている。日々、鍛治仕事に打ち込むその肉体は各部の筋肉が輪郭をもって主張し、さらに引き立てるような小麦色の肌をしているが、もとはエコーズに負けず劣らずの白い肌だったという。

先にも軽く触れたが、彼こそが"ヴィオラ・ダ・スパーダ"の生産を現在、一手に担う者であり、現ギーガー家の当主たる、エクス・カラル・ギーガー氏であった。


 エクス氏は部屋に入るなり、エコーズの机に備えられている椅子を引っ張りだして、背もたれを彼女に向けるように置いて座った。背もたれの上に両腕を預け、頬杖を付くように娘と向き合う。


「少しは、落ち着いたかい?」


父のくっきりとした笑顔は、月明かりをよく弾く。もう一つの月に照らされたような気持ちになって(実際、この星には3つの衛星があるのだが)、恥ずかしくなったエコーズは、袖で口を覆った。


「はい…少しは。けれど、モヤモヤが治らないのです」


「そうか、そうだろうね」と、エクスは表情を崩さない。適当に聞き流しているのでは無い。娘の言葉を真摯に聞いてなお、その言葉がくるのを待っていたかのような反応を見せる。ここまで表情が読み取れるので、逆にエコーズはその真意を汲み取りかねた。


「実は、サマル先生からちょっと聞いてね。…17代目(ウェイド)のことが、気になってるんだって?」


「もう、おとうさままで、そんな事を……」


エコーズはちょっと頬を膨らませて見せようとした。以前、サマルに似たような話を振られたときも、こんな風に受け流していた。だが、エクスの優しい目は、逸らされようとした流れを丁寧に、強かに本流へと戻す。


「マジメなハナシさ、エコーズ? 何よりも、キミの心にとって大事なことだ」


「ワタクシの?」


「ちょっと、強い言い方をするよ」


父の前置きに、彼女は思わず、くたくたの部屋着の襟を正した。


「今のボクにはね、エコーズが、自分の気持ちを押さえつけようとしている風に見えるんだ。もし、この認識が見当違いだってんなら、ぼくは"ごめんなさい"をして、改めて、かわいい娘が何故こんなにも悩んでいるのかをイチから聞くよ。どうだい?」


あまりにも的確に図星を突かれたので、目線こそ伏せたものの、首をゆっくりと横に振る。


「…おとうさまの、言うとおりだと思います。ワタクシは今、あたらしい感情を自覚して、それがフライヤさまへの不義理なのでは無いかと疑っています。以前なら視界に入る前に「邪魔だ」と追い払っていたでしょうに、あのひと(ウェイド)だと…手が、止まってしまう」


エクスはゆっくり頷いて、愛娘の言葉を反芻する。自身の顎を撫ぜながら「ふむ、不義理かぁ」と呟いたのちに、「ほんとうに、そうかな?」と彼女に問うた。エコーズは思いもしなかった言葉に「へ?」と、どこかの"まぬけ男"みたいな反応をする。


「ねぇ、エコーズ。答えなくてもいいけど、フライヤくんとの将来を考えたことはあるかい? 一緒に暮らすこと、キスやハグをすることをさ」


ともに暮らすこと。つまり、自身の父と母が日頃しているようなこと。そういえば全然…具体的なヴィジョンが、湧かない。なんだか夢物語のような、淡い色調で描かれた絵本の挿絵みたいだ。輪郭が細く曖昧で、重なった線は他の色に馴染んで溶けて、ぼやけて……。


「そして今日、楽士ウェイドの腕に触れてみて、どう思った? どうして、そうしたくなったんだろう?」


急に、彼の手首の感触が、人差し指の先から親指の先目掛けて蘇った。初めてぶん投げてやった日の頼りない腕と、楽士として精力的に鍛錬に励む、今日の腕。


それだけじゃない。

まだ彼が霊気に慣れていないころ、深呼吸だけで気を失う彼を担いで医務室に連れて行った。そのときの背の温もりを思い出せる。

秋風に浸るウェイドが、なんか別人みたいだったので、思わず尻を蹴っ飛ばしたこともある。そのときの尻たぶの重さを、足の甲が思い出せる。


それに…ハル・マーキュリーによって一撃見舞われるところだったのを、間一髪でウェイドに救われた。そのときの彼の力強さを、死力を振り絞る息づかいを、鮮明に思い出せる。翌朝落ち込む彼に「どう声をかければ良いのか」なんてことを、初めてヴォイスに訊いた。霊獣は答えた。「素直に、実直に。あなたの思ったことを、そのまま言葉に」と。


もはや自分の隣に、「想像のウェイド」を呼び出せてしまいそうだ。そんな彼と暮らすこと…と、考え始めたら、こめかみを起点に耳たぶ、頬、鼻の先からじんわり熱くなってくる。呼吸がひりつく。とても父親の前で晒すことを許容できるリアクションで無いと思い、袖で顔を覆った。だが、その反応に手応えを得て、エクスはなおも言葉を続ける。


「正直、親としては、良く出来たきみのことをある程度放任していたと言わざるを得ない。でもね、一つだけ心配していたことがあったのさ。「この()は、フライヤくんやサマル先生以外の人間を知らないまま大人になってしまうのかな」って。けれど、最近のエコーズはすごく変わった」


一息で様々な親の心中を織り交ぜられて、どう受け答えしたもんか考えあぐねたので「そう、でしょうか?」とだけ返す。エクスは「うん」と、普通に嬉しがっているような雰囲気だ。


「きみは、他の人に興味を持つようになった。楽士ワンダというお友達が出来たのにも、すごく驚いたよ」


彼がフレディのことを知ったのは総演会のあとだった。「剣を失った彼女に高音双剣(ソプラノ・スパーダ)を貸してやりたい」と頼んだとき、エクスは異様に乗り気というか、浮ついていた。どうしてとも聞かずに快諾し、後ろについてきていたフレディと硬い握手を交わしていた。そのときは、"重低音の剣"同様、倉庫で長いこと眠っていたヴィオラに再び使い手が現れたことを喜んだのかと思っていたが、こんな思惑もあったと知ると、なんだか自分が親不孝娘だったような気すらしてくる。


言ってしまえばこの縁も、ウェイドがエコーズに運んできたものだった。どうりで、どんなに目を逸らしても逃げられない筈だ。今やエコーズの周りは、彼の痕跡で満ちている。


「そう…そうだったんですね、ワタクシは……」


静かに、何かを確信したようなエコーズの声に、エクスはただ微笑みを向ける。そして椅子から立ち上がると、部屋から出る前に少し振り返った。


「したいと思ったことを、するといい。後悔をして辛くなるのは、自分だけだからね」


ドアが閉まる。足音が遠のくのを聞き届けて、エコーズは窓から身を乗り出し、二度舌を鳴らした。すると、屋敷で飼われている、よく躾けられた伝声鳥(レックトゥー)が何処からともなく飛んできて、彼女の手に止まる。真っ白な羽毛の彼の首筋をそっと撫でて、メッセージを伝えたら、もう一度月の照らす夜空へ送り出した。


良い返事が来ることを期待しながら、エコーズは寝支度を済ませ、床に就いた。

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