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夏 3節

夏3節


 結局は、早足のまま家に帰ってきたような格好になった。別に、こんなこと初めてでは無かった。最後にフライヤと霊鳥祭に参加したのも幼少の頃だし、思春期を迎えてからも根気強く声はかけ続けたが、彼の模倣不可能な技巧(ユニーク・アクト)は、彼がカルナバルに釘付けにされることを決して許さなかった。


司祭(タクト)の孫で、共和国上院議員の息子で、最強の剣技を持つ楽士団のカリスマ。

同じカルナバル名家の娘だったとしても、フライヤ・イクスビーという男一人の抱えるものがあまりに強大で、釣り合うとは思えなくなっていた。「はたち」に近づきつつある今となっては、正直、ほぼ諦めに近い感情があったことも、無視するには難しい。


なのに今更、なぜこんなにも胸がざわつくのだろうか。

そもそも、このざわつきとは何なのか。

悲しみでも怒りでも、不安かどうかすらも怪しい。と、すれば…ひょっとしてこの感情は、フライヤに宛てたものですら無いのか…?


 頭の中でフリントがはじけそうになったのが恐ろしくて、エコーズは門扉を後ろ手で強く閉めた。自分のつま先をじっと見つめて、深呼吸する。思考を一旦全部せき止める。そうするうちに、だんだん、試奏場(道場)から景気の良い音が聞こえてくるのが分かった。極めて鋭く、激しい高音と、頼りないが、それでも必死に主張をする低音。すなわち、サマルとウェイドの打ち合い稽古だ。


 庭の小道を抜け、試奏場の中を覗く。

既に二人とも、(ヴィオラ)の刃は濃く色付いていた。先の総演会からウェイドは、より高度な剣技に対応する術を身につけるべく、猛特訓をサマルに願い出ていたし、かつてのライバルの暴れっぷりを目の当たりにしたサマルもまた、技を振いたくて仕方ないといった風だったので、打ち合いの苛烈さは日に日に増している。試奏場の中には危なくてとても入っていけず、窓の外から様子を伺うことしか出来ないのには、エコーズ本人が認めるかは別として、寂しいものがあった。


「うっしゃ、そろそろ締めるかァッ!!」


サマルが逆手に構えた剣を背に回す。同時に右足の(かかと)を上げると、刃が当たり、ワイングラスを指先で弾いた様な音色が広がる。と、思えば、彼女の姿は紅い残像を残して消える!

ウェイドの方へ急ぎ目線を移すと、彼は既にバックラーを頭頂へ構えており、そこにサマルの剣が振り下ろされている。


「ふぅんッ!!」


ウェイドがカウンターの一撃を頭上に向かって突き出す。このままサマルの剣へ当てれば、重低音の響きが開放されることによって大きな衝撃波が生まれるハズだった。が、確かにふたつの音鋼(ハーモナイト)はぶつかり合ったにも関わらず、インパクトが弱い。サマルが直前で剣戟の速度を早め、自らの響きのエネルギーと打ち消したのだ!


さらに彼女は反作用を利用して空中へ戻ると、再び刀身を弾いて姿を消す。どうやら少ないエネルギーを瞬間的に発散して、高速移動に利用しているらしい。ウェイドは左脚を軸に身体を少し捻ると、迷わず下に向かって剣を振り抜いた。そこにサマルが回り込んでいたが、既に攻撃動作を中断できない彼女は真正面から蒼いヴィオラの放つ響きのプレッシャーを受け、地面に押さえ込まれる。すかさず、トドメのバックラーを突き出す! が……。


「あらよっと」


サマルが剣先を下げる。依然衝撃波の影響を受ける刃はただ脱力しただけでも加速を得て、床を叩く! グラスを床に叩きつけたかの如き音と共に刀身はバウンドし、蒼き衝撃波を貫いてバックラーごとウェイドをカチ上げた!!


「ぐわぁ!?」


高く放られたウェイドは空中で錐揉みしつつ、やぶれかぶれでバックラーの引き金を力一杯引いた。持ち手にバネ仕掛けで固定されていた(マレット)が解放され打面の裏を叩く。一瞬にして音鋼が纏っていた蒼い輝きは霧散し、地面に向かって空気が倒壊でもしたかのようなインパクトを放った。が、刹那に見えた着弾点にはサマルがいない。


なんとか体勢を整え着地し、膝をついたウェイドの右耳から、音叉の響きが緩やかに迫る。音源は言うまでも無くサマルの剣だったが、紅い輝きはかなり薄れて、奥ゆかしい桜色になっていた。


「ほい、お疲れさん」


「…ふーっ、ありがとうございました」


2人とも剣の腹を撫ぜて響きを止めると、(ケース)へ戻す。それを見計らってエコーズは試奏場へと上がった。


「お見事でしたわ、サマル先生」


「おや、おかえりエコーズ。なんか早くね?」


リスのように小首を傾げるサマルに、エコーズは「たまたまですわ」と返して、ウェイドに声をかけようとした。その瞬間、彼は見たことがないほどスムーズに立ち上がった。気のせいかも知れなかったが、以前より所作から野暮ったさが抜けたような感がある。


「先生、今日もありがとうございました。エコーズもまたね」


一礼すると、さっさと試奏場を出てしまおうとするのに、慌ててエコーズはウェイドを呼び止めた。


「ちょっと、毎度毎度、何処へ行くんですの!?」


思ったよりも声が出た。それにウェイドも驚いて「はぇ?」と素っ頓狂な声を上げ、すかさず「何って、習い事だよ」と続けた。横からサマルが「あぁ〜、エコーズ知らなかったか?」なんて言いながらニヤニヤしている。


「ウェイドってばね、今ホーミィさんトコでボールルームダンス習ってんのさ。てっきり社交辞令かと思ってたのに、ホントに始めちゃうとはねぇ」


ちょっと図星を突かれて、ウェイドはひととき肩を縮め、すぐに元以上に脱力した。


「いやそれボクもちょっと思ってましたけど…でも」


続けながら、彼の肩が持ち上がる。とりたてて背が高い訳では無いが、それでもエコーズがウェイドの顔を見ようと思ったらば、少々顎を上げねばならない。

ショートマントの皺はみるみる伸びて消えて、胸元の刺繍が輝く。なんだか白い塔が建っていくのを、早送りで見せられたように思った。その頂上には、見慣れたものしか座ってない筈だったが。


「霊鳥祭のダンス・パーティってのが気になるんですよ。どんなものか見てみたくて」


ウェイドの眉が、目が、耳が、口元が、「ワクワク」している。と、エコーズははっきり読み取れた。いつの間にこんな、精巧な時計じみた動きで、感情を人に伝えられるようになったのだ、この男は?


出会ったときのこいつときたら、楽しいことや嬉しいことがあっても、声だけがなんだか明るくなって、それ以外、顔のパーツは彫像みたいに硬く、鈍かったじゃないか。だからちゃんと見ててやらないと、勉強を教えるに当たって機微が掴みづらかったのだ。楽士の採用試験に合格したとき(1章 第11節)には、ついにこの事を指摘してやった。それだけじゃなく、彼の生活態度についてだって度々小言を吐いたのも覚えている。


今、目の前の彼は、完璧とまでは言わずとも、キチンと言われた通りに身なりを整えている。何故か、そのことが、いまこのとき、無性に腹立たしい。


「…貴方まで、そんな浮かれてっ、ウェイドのくせにっ……」


怒りで膨れた風船から少しずつ空気を抜くように、エコーズは悪態をついた。それを聞いたウェイドの眉が下がり、唇が少し尖る。見知った、慣れ親しんだ反応を見て、それに安堵を感じる…が。


「は〜、言うと思ったよ」


彼の顔は、すぐに明るさを取り戻してしまった。

強い、強い灯火のようだ。

何故かその光が、今の自分にはたまらなく恐い。


だって、前はくってかかって来たじゃないか。

だから、遠慮なく何でも言えたのに。

だって、前はそのまま落ち込んでたじゃないか。

だから、そのままにしないよう引っ張り上げたのに。


なんでも出来た。なんでも言えた。

他の人にも、言ったこと無いことも。


なぜ、いつも見ていたはずなのに。

なぜ、今日はこんなにも違って見える?


もしかして、貴方(ウェイド)

もしかして、「わたくし」を


置いて、どこかへ行ってしまうの?


「まったく、今に見てろよ? んじゃ行ってきます」


「行」の字が聞こえたくらいのところで、エコーズの手が大きく振り上がった。踵を返しかけたウェイドの手首を掴み、彼の肘と肩が一直線になるよう仕向けたのちに力をかけた。これは柔術の一種であり、相手の重心を崩して、その後の投げ動作に繋げるためのテクニックだった。しかし。


「え、ちょっと!?」


ウェイドは腰の捻りで勢いを殺したのちに、エコーズへ向けて力をかけ返し、相殺して、手首を振り解いた。いとも容易く。それも当然の話で、このテクニックは楽士なら皆習得しているし、解き方だって心得ている。とくにウェイドは、カルナバルに来て間もないころからエコーズに投げられまくったので、二度と痛い目には合うまいと訓練は熱心に取り組んだものだった。


「急になんだってのさ!?」


ああ、ようやくちょっと怒った。

でも、顔がひどく困惑している。違う、これじゃない。「わたし」は彼に、混乱をもたらしたかった訳では無い。なかった、のに。


「…なんでもっ、ない、ですわ」


自分の顔すら今どうなっているのか分からなくなって、エコーズはウェイドに背を向けた。腹の前で結んだ両手は、白むほど硬く握りしめていた。これは幼い頃からの彼女の癖であった。


一方でウェイドからしてみれば、エコーズがこういう態度をとったときには、いよいよ取り付く島が無い状態で、彼女なりの会話の切りどきなんだ、程度の認識でいた。だから、怪訝には思ったものの、今は立ち去るしか無いか、という判断に至る。


「…なら、言いたくなったときに、聞くよ。それが楽士(ボクら)でしょう?」


"楽士"ウェイド・ビーツは改めてサマルに一礼すると、ショートマントの裾を翻して試奏場を出ていった。引き戸の閉まる音がしてから、サマルはエコーズのうしろにそっと近づいた。


「どったの、エコーズ?」


ゆっくりと声をかける。決して彼女の前に回り込んで、瞳を覗くようなことはしない。昔から他人に壁を作りまくってしまったこの子(エコーズ)は、こういうとき何処へ逃げたら良いのかが分からない。なのでサマルは、彼女の逃げ道を塞いでしまわないようにしているのだ。


「ワタクシにも、分からないんです…ごめんなさい。失礼いたしますわ」


エコーズもまた足早に、道場を飛び出してしまった。1人、静かに風の吹き抜ける空間に残されたサマルは、気だるげに丸眼鏡の位置を直すと、口をぐにゃぐにゃと波打たせた。


「はぁー。まったく手のかかるオコチャマたちだコト。…"エクスさん"に、ひとこと言って帰るかァ」


彼女は大きく伸びをして、とぼとぼと歩き始めた。

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