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第4節

 クレイバン村の生活水ともなっている小川は、すぐ近くの平野の真ん中に横たわっており、とても澄んでいて美しかった。広さは10メートルほど。中心部の深さもシーナの膝を超えるか超えないかといったところで、それほど深くは無い。川縁から指先を浸せば冷たさが心地よく、小魚が群れているのもよく見える。


中に入ったシーナはそこにハンカチを浸すと、くしゅくしゅと濯いで水から取り出し、固く絞った。川から上がるとウェイドのそばを通り過ぎて、すぐ近くに立っている木の細い枝にそれを広げて引っ掛けた。


「この陽気なら、きっとすぐに乾くね。ウェイドさん」


シーナはそのまま木陰に腰掛けた。ウェイドは「そうだね、ありがとう」と微笑みながら返すと、川岸から離れてシーナの隣に座る。秋の涼しい風は川を撫ぜたことで、もう少しだけ冷たさを増していたかもしれないが、道中、日光に晒されていた身体には心地よかった。そしてウェイドはシーナに、事件についての話を切り出した。


「それじゃあ早速で申し訳ないんだけど、収穫祭の日にあったこと、その全部について、思い出せる限り詳しく教えてくれるかい?」


「いいけど、化け物のことを聞きたいんじゃないの?」


シーナは首を傾げる。

ウェイドは腰から下げた革袋から手帳をとりだすと、紐を挟んだページを開いた。


「正直、化け物が現れてからの出来事は、全ての村人の間で証言が一致してるんだ。ボクはその前後の出来事に、何かカギがあるんじゃないかと思ってる」


シーナが手帳の見開きをちらりと眺めると、なるほど、確かに彼女が事件の瞬間に見たことは、そこに網羅されていた。思わず当時の感情まで迫り上がってきそうになるのに慌てて蓋をして、歪んだ眉根を見せまいとウェイドから顔を逸らす。なんとか恐怖を頭の片隅に押しやると、事件の前の記憶を呼び起こしにかかった。


「んーと、あの日は昼過ぎまで、森の伐採場から丸太を運んでくる仕事をしてたんだ。いつもだとそのくらいの時間は、男の人たちは力仕事に出て、女の人や、わたしみたいな子どもはみんな自分の家の飾り付けをやるんだ」


「どこの家も飾り付けをするのかい? リンジーさんが、レダヴィを点けていた大通りの家を集中して襲われたって言ってたけど」


「レダヴィを飾れるのは大通りの家だけなんだ。いつもリンジーさんが街から買ってくるんだけど、値段が高いんだってさ。大通り以外の家は、部屋の中を飾るんだよ」


「なるほど……」


ウェイドは鉛筆を手帳の背表紙から抜き取り、既に書いてある段落に少し書き加えた。


「それで、木材運びが終わったら、祭りがはじまるまで友達と遊んでなさいって言われちゃって。…ほんとうは、わたしだって大人と一緒に準備がしたかったのに。わたしがもっと大きかったら、父さんだってあんな怪我せずに済んだかもしれないのに……」


シーナの眉は下向きにカーブを描き、まつ毛もそれにつられる様に下がる。そのハッキリとしている顔立ちは、彼女の感情の機微をよくも精密にトレースするものだ、とウェイドは思った。

この少女に限ったことでは無いが、心の傷や悩みといったものは、一朝一夕で消えるものではない。先程はすこし前向きになった心持ちだって、しだいに枝垂れていくものだ。であれば、自分にできることといえば、落ちてきた気持ちを都度、持ち上げ直してやることくらいだ。なのでウェイドは「ねぇ、シーナ?」と声をかけ、川の向こう岸に見えた大きな石を指差した。


「あの石、シーナは1人で持てるかい?」


シーナは視線だけ動かして、石を見る。


「そんなの、できるわけないじゃないか」


表情は変わらなかった。が、すぐにハッとしたような顔をしてウェイドの方を向く。


「もしかして、楽士ならできるの?」


「んにゃ。ボクにもムリ」


ウェイドも、穏やかな笑顔から表情を変えずに言う。


「なんだよ……」


一方シーナは一際眉を湾曲させ、とうとう眉根に皺が寄った。それをウェイドは横目で見ていたが、気にせず話を続ける。


「でも小石ならシーナにも持てるし、ボクは大人だからもう少し大きな石を持てる。なんならあの石だって、1人では無理でも、何人かで集まって道具を使えば、村まで持っていけちゃうよね」


「それはそうだろうけど……」


「大事なのは……」


ウェイドは顔ごと、視線をシーナへとしっかり向けた。


「人間ひとりひとりが、持てるモノの大きさや重さは違うってコトさ。何もシーナが、大人と同じモノを持てる必要はないんだ」


「それでも、わたしは…早く大人になりたくて…っ!」


思わず前のめりになるシーナを、ウェイドは手で制した。そして、その手を彼女の肩に置いた。


「君にその意思があれば、必ず君の望みは叶うよ。だから、君にできることを続けるんだ」


「わたしに、できること?」


「その先に君のやるべきこと、君にしかできないことが見えてくる。今は、まだ道の途中なんだ。だから、シーナがお父さんの怪我を「自分のせいだ」なんて思う必要は無いんだよ」


シーナは、もとの座っていた場所に腰を落とした。

そして彼女の肩に乗るウェイドの右手と、自分の手を見比べる。よく見ると手の甲に大きな傷痕の残っている彼の手は、シーナの憧れ、目指すところである「強い大人の手」そのものだった。対して自分の手ははるかに小さい。2、3日寝て起きたくらいでは、とても、こうはなれない。ウェイドの言う通り、遠い道のりの只中に自分がいることを、シーナは実感した。するとまた心細くなって、ウェイドの腕を握って、少し体重を預けた。


「そう、なのかな…。わたしもいつか、自分にしかできないことが見つかるのかな?」


「見つかるとも。ボクも、そうして楽士になったんだ」


シーナは目蓋を持ち上げて、ウェイドの瞳を真っ直ぐに見返した。疑いようもなく彼女自身へと向けられたその視線は、やはり、先の言葉も間違いなくシーナへと送られたものなのだということを確信させてくれる、説得力を持っていた。そして、彼女は強く思った。


(わたしも、なりたい。ウェイドさんみたいに…!)


それを声に出そうとした瞬間、2人の頭上にあった樹々の枝から、鳥たちが一斉に飛び立った。



それから、間を置かず、高いコーラスの不協和音が、平野中に響き渡った。



シーナの背筋に戦慄が走り、身体が硬直する。ウェイドはすぐさま立ち上がると、音の出所を探り当てる。


「今のは北の方か!」


「ウェイドさん、アイツだ…アイツの声だよ!!」


ウェイドのニッカボッカースにすがりつくシーナの頭を、彼はしたたかに撫でると、「ここで待ってるんだよ」と言いつけて、咆哮の発信源へと全速力で駆け出した。





平野から川を少しばかりくだり、丘陵地帯へと出た先にそれは居た。黄ばんだシーツを頭からかぶって張り詰めたような胴体から、細い枯れ木のような長い手足が伸び、クモかアメンボのごとく地面を突き刺し、掴んでいる。それは通常の生き物とは、明らかにルーツを異にするモノだった。


(やっぱりコイツは、「山のモノ」だ!)


ウェイドから見て、それが自分の「仕事」の対象であることは明らかだった。そして、化け物の眼前には3人の子供がおり、計り知れない脅威を前に固まってしまっている。ウェイドはまず化け物の注意を引くことを考えた。


彼はショートマントの下から、首紐でぶら下げている小さな金管楽器を取り出した。ベルを化け物へと向けて、口をパッと開けて素早く空気を肺に取り込み、それを全て吹き口へと注ぎ込んだ。高らかなトランペット様の音色を伴って、空気の塊が回転しながら、"彼女"の元を目指す。それを察知したターゲットは器用に翼膜を縮めつつ、四肢の先で思い切り地面を押し下げた。彼女の飛び立った跡に空気弾が到着し、微かに土を跳ね上げた。


上空で翼膜を広げた化け物は滑空しつつウェイドの姿を認めると、咆哮をあげて旋回し、重力を味方につけて彼目掛けて急降下してきた。ウェイドはその様子を刹那に観察した後、彼女が再び土を掴む寸でのところで半歩右に躱す。そのとき、コントラバスの弦を一本爪弾いたような低音が響いたのを聴き逃さなかった化け物は、片腕を軸に慣性で転回し、ウェイドに向き直ってから飛び退いた。


そして彼女は、同じくこちらを向いてバックラーを構えるウェイドの姿を認めた。携行時には黒曜石の如く暗い、静かな輝きを見せる盾は、今は微かに青い光を纏っていた。そして化け物のすれ違いざまに、その爪がバックラーを引っ掻いたことによって生まれた低音の残響が、ウェイドの視線と相まって彼女を威圧した。ここへ来て彼女は自分の相手が、先日と、たった今襲い掛かった人々とは異質な存在なのだと気がつき、警戒を強めた。


「ホロロロロ……」


化け物がコーラスのトーンを落とし、頭を屈める。ウェイドは彼女から目を離さず、バックラーを構えながら敵の付け入る隙を探す。化け物もウェイドの様子を伺い、両者円を描くようににじり歩きを続ける。


やがてウェイドの額に、少し日差しの暖かさを感じたそのとき、彼はバックラーの持ち手側に備えられた引き金を絞るように引いた。それは盾の中にバネ仕掛けで固定された(マレット)を解放し、その先端がドーム状の裏側を強く打つ。バックラーの表面は纏っていた青い輝きを発散し、次の瞬間、スフォルツァンドで鳴らしたテューバの音色と共につむじ風のような衝撃波が化け物に迫った。


絹ともゴム質ともつかない彼女の表皮に強烈に打ち付けられた波動は化け物の前脚すら持ち上げ、大きくのけ反らせる。


「ホオォォオオオ!!!」


化け物は一声吠えるとその勢いのまま翼膜を広げ、反転してウェイドから飛び退った。滑空し、丘を下ってスピードをつけてから、羽ばたいて高度を上げると、それで森林地帯へと消えていった。彼女の動向を見送ったウェイドは踵を返し、「君たち、怪我は無いかい!?」と呼びかけつつ子供達へと駆け寄る。


「大丈夫だよ!」


「ありがとう、お兄さん!」


ウェイドの言葉に各々が肯き、彼が安堵のため息を漏らしたとき、背後からもう一つ声がした。


「ウェイドさん! みんな!」


ここまでダッシュしてきたらしいシーナは、足を止めるなり膝に手を突いて息を切らした。子供達も彼女のそばに寄り、周りを取り囲む。


「シーナ、きてくれたのね!」


「みんなが無事でよかった…でも」


シーナは上体を起こすと、大きく深呼吸して無理やり息を整えた。


「なんで丘になんて来たんだよ! 危ないから、村から離れるなって言われてたじゃないか!」


彼女の言葉に、背の低い2人の子供は俯いて黙りこくってしまうが、残りの1人の男の子は彼らを庇って進み出た。


「ごめんシーナ。どうしても、これをお前に渡してやらなきゃって」


少年が小さな女の子の背を押して促すと、その子は後ろ手に持っていたものをシーナへと差し出した。それは、複数種の鮮やかに色づいた花々で作られたブーケだった。


「これ、シーナおねぇに……」


「わたし、に?」


シーナはブーケを、女の子の手を包むようにして受け取った。束の中心に据えられていたのは、彼女の最も好む花であり、シーナのために作られたことは明白だった。

年長の少年の背後に隠れていた小さな男の子も、おずおずと前へ出る。


「おねぇ、ずっとげんきがなかったから…はやくげんきになってほしくて、それで……」


男の子はそこまで言うと、たまらず泣き出してしまった。ここに至るまでのあらゆる感情が、処理しきれずに涙となって溢れ出し、それは女の子にも伝播して、2人揃ってわんわんと泣いた。しまいにはシーナまで泣き出して、2人を抱きしめながら「ありがとう」を何度も言った。その様子を見て一瞬口元を綻ばせた少年だったが、すぐに顔を引き締めると、ウェイドを向いて頭を下げた。


「さっきは、ごめんなさい。助けてくれてありがとうございました」


ウェイドは「気にすることないさ」と笑って、少年の肩を叩いて頭を上げるように促す。


「君たちは自分なりに、この事態と戦おうとしてくれていたんだよね。このことは、シーナにとって様々な面で栄養になってくれるハズだ。ボクからも礼を言わせてくれよ。ありがとう」


言われて、少年は少し驚いたような表情をしてから、目を逸らして、はにかみながら後頭部を人差し指で掻いた。


「本当は、あんな遠くまで行くつもりじゃ無かったんです。俺も、ちび達も、久しぶりに外に出られたんで、ちょっとはしゃぎ過ぎちまったんですよ。ところが、みんなでやいやい遊んでたところにバケモノが飛んできて……」


一転、少年は肩を落とし、腕を組んで竦めた。


「たぶん、騒ぐ声かなんかを聞かれたんじゃないかって思うんです。アイツが飛んできたときの風で、他にもシーナにあげようと思ってちびが作った花輪やらなんやらがほとんど飛ばされちまった。お兄さんが来てくれなけりゃ、俺たちの命も、ブーケも無くなっちまってた」


「騒ぐ声…?」


ウェイドは顎に手を当てて、目を閉じて思考を巡らせた。

先程の一戦で、敵には聴覚だけでなく、視覚にも優れているであろうという見立てを彼は持っていた。どこにも目玉がついているようには思えない姿形の生き物だが、いわゆる山のモノというのは、そういった理不尽さを皆備えている。


これだけ標的の探知に優れたものなら、例えば、捕食目的であれば、体格の小さい子供たちなど空中にさらって行くことだってできるはずだ。それをわざわざ、自分の存在を知らしめながら、目の前に降り立って、ウェイドが到着するまで威嚇を繰り返していただけだったのか…?


ふいに、ウェイドが目蓋を開ける。


「なるほど」


それは、彼の中で一つの、信憑性の高い推測が立った合図だった。


「さぁ、みんな」


ウェイドは手を軽くぽんぽん、と叩くと、子供たちの注目をこちらへと向けた。


「今日はもう帰ろう。あの化け物も、しばらくは森から出てこないだろうしね」


はーい、と声を揃えるおちびさんを、それぞれ少年とシーナが手を繋いで、村の方へと歩き出す。それを後ろから見守りつつ、ウェイドは手帳をとりだして、走り書きを始めた。それは、今夜、敵と決着をつけるための準備だった……。

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