春 8節
アリーナの観客席は人で埋め尽くされ熱狂していた。心なしか、この手の催しにしては女性の観客が多い気がするのは、これが闘技であるよりも、楽士らしい「美しい戦い」を重視する、一種の芸術であることが大きいだろう。
そんな混雑の中でも、エコーズの立派なロールさせたブロンドと、サマルの真っ赤なショートマントはいい目印になった。ウェイドとクロウは座席まで辿り着くと、二人にチュロスを渡しながら先ほどあったことを話した。
「なるほどね、甘いもの好きは相変わらずか」
「いや、まぁ、それはそれでビックリはしたんですけども」
サマルは呑気にスナックにかじりつき、エコーズもなんだかんだ、上品にかつ黙々と食べ進める。それに対して、男二人は言い出しっぺのくせに、なんとなく食が進まなかった。
「…んなぁ、サマル先生ェ? 勇者とはなんかあったんで? あの御仁、先生ェのこと剃刀女言うとって」
「ははは、同期はみんなそう言うよ」
サマルはすっかり食べ終えると、包み紙を勢いよく丸めた。
「特にゼンは、私に思うところがあるかもねぇ〜」
うんうん、と頷いてから、やれやれと言ったように両手を広げてみせたサマル。ウェイドが「思うところ、ですか?」と聞き返すと、彼女は自分の腰に下がったバックラーを指差した。
「アイツに一本も取らせてやんないまんま、試合出場を禁じられちゃってさ。勝ち逃げみたいになっちゃったから」
「そんなちっちゃいこと思いますかねぇ、あの勇者が」
「ま、所詮は私の想像さ。なんなら、この後聞きに行ってみようぜ〜」
と、会話がひと段落ついたところで、向こう側の座席から拍手が巻き起こった。徐々にウェイドたちの方まで伝播してくるそれの元を辿ると、闘技場の内壁に設けられた扉から、楽士がぞろぞろと出てくるのが見えた。
「おおっ、フレディ達の入場じゃあ!」
クロウの言う通り、旗を掲げた楽士に先導されているのは選手であろう屈強そうな人々だった。列の中程にフレディがおり、こうして見ると相当な小柄だと感じる。しかし、その目つき、立ち振る舞いは他の楽士に一切劣っていない。最後尾にはゼンがおり、周囲を見渡しながら悠々と歩いている。まるで、観客席の闘志をも確かめるように。
彼らは闘技場の中央に集まり、整列した。行進が終わると、今度は貴賓席から一人の老人がゆっくりと現れる。ウェイドは「あっ」と声をあげそうになるのを、寸でのところで抑えた。
老人の名は、パーチ・イクスビー。
現在の楽士団のトップ、大司祭を務める人物であり、フライヤ・イクスビーの祖父である。アリーナを建てた大司祭ラシックが武の象徴とするなら、パーチは和を象徴する存在だ。共和国の外務大臣を兼任する彼の手腕により、周辺国が技術と国力を高めるこの時代においても、大規模な衝突を起こさずに済んでいる。その多忙さ故に、孫以上にカルナバルに居ることは珍しい。
「うっひゃあ、パーチのじいさん、ひっさびさに見たよ」
サマルが眼鏡のフレームを摘んで上下させる。そんな彼女の腿を、エコーズが軽くはたいた。
「ギャラリーがごまんといるのに、じいさん呼びはやめてくださいましっ。一応、一昨年くらいにはイクスビー邸でお見かけしましたわ」
「うん、ボクが勉強見てもらってるときに。エコーズのせいで大恥かいたけど」
「はぁ!? ウェイドのせいでしょうに!!」
エコーズが拳を振り上げる。それを、チュロスを右頬に追いやってリスみたいになったクロウが、「しーっ」と諫めた。
「るっさいぞ姫様ァ。大司祭が喋り始めそうじゃあ」
白髪のタイワンリスの言う通り、大司祭パーチは会場全体へ向けるように深く一礼をした。流石に楽士達の目線は、一様に老爺へ向かう。
「ごきげんよう、楽士諸君。そして、ご来場の皆々様方」
悪く言えば、少し胡散臭いような。芝居がかった言動が特徴的だ。フライヤによると若い頃は役者志望だったらしい。納得の雰囲気だ。
「これよりアリーナで行われるのは、単なる剣術の披露ではありませぬ。これは、ヴォイスに捧げる"うた"であります」
うた、というキーワードにウェイドは少し身じろいだ。ヴォイスの口から何度も出てきた言葉だが、こうして人間から聞くのはもしかしたら初めてだったかも知れない。それが、みんなが信心を心に秘めるというか、ヴォイスとの会話を自分の中に留めているからなのかは定かでは無いが。
「うたとは、誰一人として同じ形をとりません。ある者は歌唱し、ある者は書き記し、またある者は、音曲の剣を振るうのです。故に、我々はヴォイスに仕える身としてこそ、剣を振るうことを否定いたしません。どうか彼らの生涯を、信念を乗せたうたに、最後まで耳を傾けていただければ幸いにございます。私は霊獣の目となり、耳となり、口となる者」
パーチは、自らの法衣の胸に刺繍された、大きな八部音符に恭しく両手を重ねると、登場したとき以上に深々とお辞儀をした。会場の楽士達は、一人残らず自分のショートマントに手を当て、同様に頭を下げた。
しばらくして大司祭は頭を上げ、高らかに言った。
「ここに、第369回、楽士団総合演舞会の開会を宣言する!!」
会場は、わっと歓声に沸いた。その熱狂と対照的に、パーチは穏やかな笑顔で手を振ると、付き添いの楽士と共にそそくさと奥に消えていってしまった。
かくして、武人達の歌劇は幕を開けた。
闘技場の中でフレディは、そっと剣の柄頭に触れると、ギュッと握りしめた。




