春 6節
春風に乗って木の枝が揺れるたび、その先についた薄紅の花びらが散っていくのを見て、ウェイドは故郷の桜の花を思い出した。この木は本当によく似ている。これが全て散って葉ばかりになったら、いよいよフレディの本番が訪れるだろう。
「そんなわけで、今は友達が総演会で勝てるように特訓の手伝いさ。慌ただしいけど、ボクとしても凄く勉強になってるよ」
幹に背中を預け、根本に腰掛けているフライヤ・イクスビーへ、これまでのいきさつを語った。ウェイドをカルナバルへ導いた恩人にして親友は、一通り聞いて「へぇ」と、相変わらず男前な笑顔を見せる。
「やっぱりウェイドは、そうやって何か新しいことをしているときが一番楽しそうだ。ずっとそんな顔でいて欲しいって、そう思わせてくれる」
「なんだよ照れ臭いな。やめてくれよ」
ウェイドがフライヤの肩を小突いて、それから2人で笑い合った。そんな様子を間近で見て、フレディは喉まで「ぶいあいぴー」という単語が出かかった。
現在の楽士団、そして精鋭集団の「ファースト・アンサンブル」を象徴する楽士であるフライヤと、こんなにも気さくに話していると、どうもウェイドが自分の同期じゃないような気すらしてくる。そりゃあ、どうしてこんなにも親密なのかという話は本人から詳しく聞いているし、ウェイドにとって一番信頼のおける人物であることは良く分かるが、フライヤからもウェイドへ矢印が向いているらしいのが釈然としない。「ウェイドの楽しそうな表情が嬉しい」なーんて、昨日ウェイドが聞いてなかったエコーズのセリフそのまんまを楽士団のヒーローはつらつらと仰る。自分の素直な気持ちを、相手が喜びそうなら臆面も無く言ってしまうのがこの人の強さか、などと思う次第だった。
それに引き換え、ウェイドとエコーズのやり取りの噛み合わなさと言ったら酷いもんだ。「なーんだ、やることやってんじゃねぇか」と思うくらいにはエコーズはウェイドへの好意を隠せていないが、本人にその手応えは微塵も無いらしい。にぶちんに照れ隠しの相性は最悪で、正直何度か張っ倒してやろうかと思った。2人ともを。
だが、どうせなら一本取る形で張っ倒してやりたい。この訓練を開始して数日経つが、目立った成果は出ていないのが現状だ。あまりにも進展が無いから、昨日なんかはサマルが口を出してくれた。
*
フレディと交代するようにウェイドの前へ躍り出ると、軽く自身のバックラーと剣を打ち鳴らしてから、剣を素早く振り抜いた。たちまち、2つの蒼い衝撃波がウェイドに襲いかかったが、何度か同じ技を見ている彼はそれぞれを剣と盾で防ぎきってしまった。
「ヴィオラは刀身自体が重いんだから、腕力で頑張る必要は無いのさ。手首を上手く使ってやるだけで十分スピードが乗るし、こっちの方が連発が効くだろう。身体を大事にね、楽士ワンダ?」
肩を2回、ポンポンと叩いてコートの外へ戻ってしまったサマルを見て、元気付けられたんだか、げんなりさせられたんだかというような感じだったが、これしきのことで腐るフレディでも無く、教えを早速実践し、技に磨きをかけている。
*
そして今日。エコーズとサマルは楽士堂に出ているが、その代わりに特別ゲスト、フライヤ・イクスビーがやってきたと言うわけだ。国外遠征が多く、ほぼ街にいない男の姿にさほどありがたみを感じないのは、少ない時間を必ずウェイドのために割くからだ。おかげで月に1度くらいは見る。こんなに近くでは初めてだったが。
「あんのぉ、楽士フライヤ?」
おずおずと声をかけた。するとフライヤは彼女に視線を向けると、やはり白い歯を見せた。
「フライヤでいいよ。僕もフレディって呼んでいいかい?」
「ええ、光栄でさぁ。それでフライヤ、あなたはダンザには出られないんで?」
「まぁね。僕は対楽士を強く禁じられているから」
「はえ〜。サマル教官やウェイドみたいなルールなんですねぇ」
返事の歯切れが何となく悪いような気がする理由は、ウェイドは既によく知っていた。フライヤは、自分の模倣不可能な技巧についてあまり喋りたがらないのだ。
「ワブル・ベース」と呼ばれる彼のアクトは、「ウェイト」のように楽士団の中で連綿と受け継がれてきたものでは無く、フライヤにのみ発現した、突然変異的なものだ。彼の骨格、筋肉、動きのクセが音鋼と組み合わさったとき、フライヤから剣戟を受けた物体は強く微細な振動を与えられ、ブオン、ウオン、という独特な音を発するようになる。いずれ音は収束し振動に耐えきれなくなった対象は崩壊する。まさに一撃必殺の剣だ。
なぜ彼が国外を飛び回り霊獣の対処に引っ張りだこなのか。要するにそれは、どんなに危険だろうと「フライヤが斬れば終わる」からだ。と、サマルから聞き及んでいる。本人からは話したがらないし、なぜそうなのかも分からないから、結局彼女に聞くしかなかった。
ウェイドとしては、ヴォイスを敬い、彼の望む平和を実現すべく人を助けて回るフライヤにはピッタリの能力じゃないかと思ったが、それを口にしたらきっとフライヤは落ち込んでしまうんじゃないか?という不安があるくらいには、この話題はセンシティブそうだ。だから、とっとと話題を変えてしまいたい。
「そういえばフレディ。昨日サマル先生から習ったヤツ、結構安定してきたね?」
フレディはウェイドに目線をくれると、眉の端も目尻もシーソーみたいにガタっと下げて、天を仰いだ。
「それでも、有効打になって無ェんだから落ち込む一方っスよ。なんで連発しても全部防げんですか?」
「そりゃあ、フレディが全部バラバラに飛ばしてくるからだよ。気配が生まれたタイミングと場所の通りに手を動かしてるから弾けてるってだけだって」
「うっわぁ、ムカつく!!」
ウェイドの無神経な物言いは、最近減ってきたからこそ余計に、出てきたときの刺さり具合が深くなってきたとフレディは感じた。だが、同時に出てきたヒントについてすぐに思考を巡らせた。
つまり、ウェイドの言う気配。殺気とも言い換えられるだろうものを、全く同時に発生させられたなら、彼を撹乱することができるのではないだろうか、と。
*
日が暮れて、アウティーヤの楽士堂をエコーズとサマルは出るところだった。今日まで彼女らはハル・マーキュリーの件についての調査結果を各部署から取りまとめており、その最終報告を提出するべく、実戦部隊の司令である楽士長を訪ねていたのだった。
「ふぃ〜…。やっと終わったねぇ、お疲れぇ」
建屋の前だというのに縦横無尽に伸びをするサマルを見て、エコーズは「もう、よしてくださいな」と困り顔で言う。
「まぁ、今回は時間もリソースも食わされましたものね。先生もお疲れ様でした」
エコーズが一礼すると、大先輩たる楽士殿は「ん〜」と返して、口をもごもごさせた。波打つ口唇の上でサーフィンでもできてしまいそうだ。しばらく荒波だったが、急にそれがぱっと開いて、「どっかメシでも行くかい?」と訊いてきた。エコーズはニッカボッカースのポケットから、チェーンを辿って懐中時計を取り出して時刻を見た。すかさずサマルが茶茶を入れる。
「ウェイドならもう帰ってんじゃないかねぇ」
「っちがいます! 今日はフライヤさまが来ているんですから!!」
そこそこ大声で否定するので、人気がなくなり始めている敷地内にちょっと響いた。サマルは「おうおうおう」と、逆に狼狽えた。
「…んもー、先生の意地悪」
「ごめんて」
「今日はもうお預けですわっ。ワタクシはこれで失礼します」
エコーズは冗談めかして言うと、サマルへ手を振って歩き出した。サマルも「気をつけてね〜」と彼女を見送った。
楽士堂の敷地を抜けたくらいで、なんとなく早足になる自分を感じた。以前の自分なら、そのことに何の疑問も抱かなかった。月に数度、帰ってくるかどうかのフライヤと話ができるのだから。
しかし今、間違いなく自宅へ向かうこの足が、本当は何処を目指しているのか、エコーズ自身も分からなくなるときがあった。物心ついた頃から、フライヤ・イクスビーのことばかり考え、慕い続けてきた彼女の思考に走る、正体不明のノイズ……。
いや、正体不明というのは全くの嘘だった。
ウェイド・ビーツ。長く彼の世話を焼き続けたせいか、彼の一挙一動が気になるし、心配になる。基本的に他者への関心が薄いエコーズにとっては異例のことで、今や彼女の金糸に埋もれた小部屋のいくつかには、ウェイドが潜んでいるようだった。それは、誠に自分勝手ながらフライヤへの不義理にも感じて、自分が許せないんだかウェイドが許せないんだかと、常に混乱させられている。
だからこそ、フライヤと話したい。今までの、ちゃんと知っている自分へと一旦リセットしなければ。今更履き慣れない靴で歩くような日々を過ごすのには、酷くストレスだと考える繊細な面がエコーズにはあった。
ギーガー邸がもう少しに迫ったとき、向こうから小さな人影が歩いてくるのが見えた。と同時にエコーズは少しがっかりした。ガス灯は間も無くそれがワンダ・フレデリカであることを明らかにしてしまったのだ。この娘が此処まで歩いてきたということは、今日の特訓は解散してしまっているということだ。
「ありゃ、姫様。お疲れさんです」
フレディは楽士章に手を当てて一礼する。それから、エコーズも自分の楽士章に軽く触れた。
「お疲れ様。今日は目ぼしい成果がありまして?」
「これがさっぱり…って訳でもありませんで。今日やっと、取っ掛かりかも知れないところに手が届きました。間もなく、ウェイドにあっと言わせてやりまさァ」
右腕でガッツポーズを作るフレディ。だが、一瞬、まぶたの端が曲がったのをエコーズは認めた。理由は考えなくても分かる。剣の振りすぎだ。いくらやり方を変えたとて、通常のヴィオラ・ダ・スパーダほどの重量を振り回していれば、腕には負担が蓄積するばかりだ。
「…楽士ワンダ。少し時間はありまして?」
「へい!? や、あるっちゃありますけど……」
「では、ついていらして」
エコーズは再び、フレディをギーガー邸の道場へと招き入れた。そして壁の飾り棚から何やら取り出すと、それをフレディに見せた。紫色の柔らかそうな布に、鞘に収まった細身の剣が二振り包んであった。
「こいつぁ…?」
「高音の双剣といいます。貴女のような攻勢に秀でた楽士達が愛用してきたヴィオラです。過去にはゼン・クロークも使っていましたわ」
「勇者も、これを……」
フレディは生唾を飲み込んだ。今まさに背中を追いかけている男と、同じ道筋が目の前に提示されたのだ。
「刃同士を擦り合わせただけで、強い響きを溜め込むことができますの。今の貴女が必要としている力を、この剣は持っています」
フレディはソプラノ・スパーダの柄へ手を伸ばそうと左手を持ち上げた。そのとき、自分の腰に下げているヴィオラの柄に触れた。彼女は少し目を見開いて、すぐに細めると、「相棒」をしっかりと握りしめた。
「ありがとうございます、姫様。でも、ここまで一緒に汗を流してきた剣を、ここで置いてきぼりにはしたく無いんでさ」
それは、実戦部隊に配属されたときに支給された、通常のヴィオラ・ダ・スパーダの一振りに過ぎない。しかし、フレディの願望への足がかりを作ってきたのは、彼女と共に活路を見出したのは、この一振りしか無いのだ。それを思い返すと自然と笑みが込み上がってきて、フレディはエコーズへ、ニカっと歯を見せた。
すると、予期せぬことが起きた。エコーズも笑い出したのだ。
片手で口元を隠して「ふふふ」と囀るように、上品にしてみせる彼女の目元も頬も、これまで全く見たことが無い類のもので、尚且つ、心底嬉しそうだ。
「分かりましたわ。もう少しだけ、この剣にも眠っていて貰いましょう」
エコーズはソプラノ・スパーダを元通り布に包んだ。
「今日はよく腕を冷やして、休ませてあげることですわ。無理をして貴女が万全でなくなれば、その子も全力を発揮することが出来ませんもの。…期待していますわよ?」
最後の一言に更にびっくりしたフレディだったが、純粋な応援の言葉は、やはり純粋に励みになる。闘志の炉へ、新たな薪がくべられたような気になって、フレディは「はい!」と力強く答えた。
*
翌日。コートでウェイドと相対したフレディの顔は自信に満ち溢れていた。これから繰り出す動きについて、イメージトレーニングは十全だ。あとは実行あるのみ。
サマルの合図と共に突進し、四方八方から斬りかかる。重低音の剣が、ヴィオラ・ダ・スパーダが、それぞれ輝きを増し、音のボリュームを上げていく。そして遂にフレディは後方へ飛び退いて、素早く剣を振り回した。衝撃波による攻撃を警戒したウェイドがバックラーを構えるが、視線の先には発射されたタイミングを全く同一にする三方向の衝撃波があり、それを放った筈のフレディが消えている!!
捜索の暇は微塵もない。見えている、感ぜられている範囲だけでも対処せねば直撃を逃れ得ない。バックラーと剣を的確に振り、全ての衝撃波を掻き消した後に、動きを止めたウェイドは首元に一際強い殺気を感じていた。
見るまでも無い。フレディの剣が、彼の首を捉えていた。驚嘆のあまり、声も出なかった。
「へへっ、対ありでさぁ、ウェイド!」
背後から、誇らしげなフレディの声。サマルの試合終了の合図で、身体からどっと力が抜けた。
「すっ…ごいね。フレディがどっから来るのか、全く分かんなかったよ!」
お互いに剣を鞘に戻しながら、ウェイドは賞賛の言葉を贈った。そして、フレディの身体はさらに仰け反る。
「名付けて三連斬符! これでもう、ウェイドにだけカッコ付けさせませんぜ!」
「本当にすごいねワンダ! この短期間でよくぞやってみせた!」
サマルも拍手しながら駆け寄ってくる。フレディはマントの楽士章に手を添えて一礼した。
「サマル先生とウェイド、それに姫様の協力がなけりゃ、実現できやせんでした。本当に、ありがとうございました!!」
「ははっ、どういたしまして! んでも、喜ぶのはまだ早いよ。なんたって本番はこれからだしね? まだ特訓には付き合うよ。良いでしょウェイド?」
もちろん、とウェイドは答える。フレディはそれに「じゃあ、早速もう一本!」と駆け足で配置に付く。サマルが再び試合開始の合図を鳴らすと、すぐさま2人は打ち合いを始め、フレディは意気揚々と新技を繰り出した。
しかし。
「…あれ?」
剣を頭頂部まで振りかぶり、ウェイドに迫っていた彼女の腹には、バックラーが添えられていた。全ての衝撃波を凌いで、ウェイドはフレディへの防御態勢を整えていたのだ。
「ごめん、一度見ちゃったし……」
本当に申し訳なさそうにするのが、なお腹が立つというか、悲しくなるというか。だから、フレディはただただ「えぇー!!?」と叫ぶしか出来なかった。
晴れ舞台まではもう少し。
それまでにどれだけ技の完成度を高められるかという新たな挑戦を、フレディは続けていくこととなるのだった、




