第19節
明け方には、レフタイの騒動は収束していた。暴動の中心には痛々しい破壊の跡が点々と残ったが、幸い命に関わるような怪我をした人はいなかった。朝には復旧作業が始まり、数日もあれば元通りになると見込まれた。
今回の事件で暴徒と化してしまった人々は皆、「急に気分がざわめき立つようだった」と証言した。当初は気象によって起こる極端な霊気の集中、いわゆる霊気溜まりの発生が原因と見られていたが、人間への悪影響があまりに唐突に現れたことと、ウェイドが遭遇した「遺作を持つ男」ハル・マーキュリーの存在から、これは人為的に引き起こされたものという見方が強まっていた。楽士団はハルを事件の犯人、または非常に強い関係を持つ人物として、共和国内で指名手配とした。じきに、共和国を盟主とする「セレモニア条約」の加盟各国でも、同様の措置がとられるという。
そのハルと接触したウェイド、エコーズの二人は、詳しい経緯の一切を実戦部隊のトップ役職である楽士長へと説明した。レリックは全てハルが持ち帰ってしまっているが、現場には彼の着けていたマスクの破片、そして剣が残されていた。回収し、分析したチームによれば、音鋼と極めて近い性質を持つものの、ヴォイスの背から産出されたものでは無いらしい。似通った経緯で自然に出来た鉱石を、他国で精錬したものであるようだ。これらは証拠品として、楽士堂で厳重に保管されることとなった。
事情聴取が終わると、ウェイドは久しぶりに、心の底から疲れたような気分だった。肺から喉にかけて、ずっともやもやしていて、口を開くと何かが迫り上がって来そうで、かっちり閉ざしてしまった。ほぼ真下を向きながら、なんとなく歩いていたら、気がつけば目の前には大聖堂の扉があった。まだ早朝で、一般開放も始まっていない時間だったが、鍵は開いているらしい。大きく重い扉を開いて、中へと入った。
そのまま、屋内の二重扉を抜けてホールへ入り、長椅子の一つにへたりこむ。すると間も無く、ウェイドの耳には直接、声が響いてきた。
「ようこそ、ウェイド。貴方が楽士となった日以来ですね、わたくしを訪ねてくださるのは」
目の前に光の粒子が集まって、苔むした岩山のような顔を形作る。それは街の象徴たる霊獣、ヴォイスのものだ。
そういえば、最後に聖堂を訪れたのは、楽士団の入団式だった。しかもそのときは、ただただセレモニーに参加し、退出したため、ヴォイスと語らうのは本当に久しぶりだ。「ごめんよ」と一言謝ると、ヴォイスは表情一つ変えないまま、首を横に振った。ウェイドは安心して、話を続けた。
「やっぱり、ヴォイスだったんだね。ボクを呼んでくれていたのは」
「いいえ。わたくしは何人にも、ここへ来ていただくように強いることはございません。貴方の心が、わたくしへ唄を届けたいと望んだのでしょう」
ヴォイスに丁寧に否定され、ウェイドは自分自身の気持ちを確かめる様に俯いた。自分の中の衝動、彼が唄と呼ぶ、どうしようもない気持ちが、この両足を突き動かしていたのは、誤魔化しようの無いほどに明らかだ。
「…そうさ。君に聞いてほしいことがあるんだ。…ゲダンの集落で死んだと思ってた友達が生きてた。この星で出来た、初めての友達だったんだ。なのにそいつは、奴隷商人の手先になってて、俺に襲いかかって来たんだ。あんなことするようなヤツじゃ無かったのに」
ふむ、と、霊獣は言葉に聞き入り、咀嚼するように頷く。僅かに身動ぐたびに、目元口元から礫がパラパラと落ちていく。
「どうやらハル・マーキュリーからは、貴方と同じように、異星の生まれでありながら霊気についての高い素養を感じますね」
言ってもないハルの名前が彼の口から出たので、ウェイドは驚いて、その顎を見上げた。
「わたくしはここを動けない身。しかしながら、この街の中の出来事であれば、霊気を通じてある程度把握することはできます。彼の発散する霊気は、上辺だけでも己のことを語ってくれました。何か事情があって、命令に従っているように見受けられますね」
「事情……」
この数ヶ月で、ハルが別人のようになってしまう変化があったのには違いない。それ相応の出来事に屈することなく、彼はきっと今を生き抜いている。彼にそうさせるだけの、何かがあると言うのだろうか。
「今のハル・マーキュリーを動かしているのは、貴方と同じく使命感でございます。さらに、霊気への適性もさることながら、彼の身体には人為的な処置が施されているようです。ウェイド、貴方は彼について、どうしようとお考えですか?」
「…ボクは、あいつが困ってるなら、手助けしてやりたいし、もし悪いことをあいつの本心からやってるんだったら、止めてやって、またマトモに暮らせるようにしてやりたい。ゲダンにいる間、とうとうボクはハルに世話を焼かれっぱなしだったから…今度こそ、恩を返さなきゃいけない、返したいと思ってる」
かつて、ヴォイスと話した時とは違い、ハッキリと言い切った。ウェイド自身の成長の証でもあるが、これは、かねてから変わらない彼の決意でもあるからだ。力強い唄を真正面から受け止めた霊獣は、その視線を真っ直ぐウェイド・ビーツに送る。
「それではウェイド、次に彼に出会うときまで、貴方はもっと、模倣不可能な技巧について習熟することをお勧めいたします。相手は強い信念を基にして、高度な戦闘技術を備えております。彼を助ける、ないし説得するには、貴方も信念だけでは、彼の心を包む殻までは、破ることが出来ないかと」
「君、戦いは嫌いなんじゃなかったっけ?」
「ええ、わたくしは争いや戦いを好みません。それゆえに、わたくしは、ときに積極的な「争いの解決」の方策を見出すことがあると自覚しています。それはすなわち、相手に争いの気を起こさせない、ということでございます」
ウェイドは腰のバックラーを見やった。この武器を発明した初代シンフォニウス・ギーガーの意図は、「よりヴォイスの意思に寄り添える武器を作ること」だったという。今、そのことを真に理解できたような気がした。
「結局、どこの星でもやることは一緒か……」
「とくに、わたくしの同類には荒くれ者が多くございます。縄張りを示すこと、威嚇をすることが、お互いの平穏な暮らしを保つのです。それに、戦いの知識を得ることは、もし戦いが起こってしまった際には、怪我の予防に役立ちます。知識も力も、使い様ですよ、ウェイド」
岩肌は器用に波打って、笑顔を作り出す。
「貴方は当初の目的について、必要なものの準備を着々と進めているように思います。そしてそれは、他の様々な目的にも、きっと役立つかと」
「様々って?」
「それは、そのときが訪れて初めて分かることでございます。ウェイドに余裕ができ、他のことに目が向くようになった頃、きっと」
我らが御神体は決して、人を導くということは無い。各々の最善を尽くそうという意思に寄り添い、それを後押ししてくれる。それを心地良いと感じるのはきっとウェイドだけではない。だから、ヴォイスは多くの人から親しまれ、敬われているのだろうか。
「…今、考えてもしょうがないか。目の前のことを、一個一個やってかないと」
「ふふふ、たえず唄い続けることですよ、ウェイド。貴方はとても良い唄声をしています。フライヤ・イクスビーが気に入るのもよく分かります」
「? それってどういう……」
ふと引っかかった言葉の端を確かめようとしたとき、ウェイドは自分が聖堂の天井を見上げていることに気がついた。上体を起こして、どうやら語らいの時間は終わってしまったらしいことを察する。目を擦り、一つあくびをした。
「少しは落ち着いたんですの?」
急に声がして、ウェイドは飛び上がった。隣にはエコーズが座っていたらしい。長椅子で脚を組んで、膝に両手を乗せている。いつもの、ちょっとだけムスッとした無表情だ。
「さっきはよくも、ワタクシを抱きかかえてくれましたわね」
言われてぎくりとした。そういえば、ハルからの一撃を回避させるために、エコーズを抱きしめるような格好になった。フライヤ以外の誰にもやられたって嫌な顔しそうなものだが、よりにもよって自分というのがまた、気に入らなかったかも知れないと、ウェイドは考えた。
「そりゃあ、悪かったよ。でも、アレしか方法が……」
「そんなことは分かってます」
エコーズは立ち上がった。その動きは早かった割には音を立てない。彼女はホールの奥、ヴォイスのいる方を見つめたまま、話し続ける。
「大事なのは、あなたがそれくらい、的確に判断ができて、かつ対処が出来るということ。…ウェイドは決して、役立たずでも、災いのもとでもない。優れた素質のある楽士です。不届き者なんかに負けないよう、お互い精進いたしますわよ」
とうとう目を合わせないまま、エコーズは聖堂から、スタスタと立ち去ってしまった。残されたウェイドは、今しがた掛けられた言葉を反芻する。
「ボク、もしかしてエコーズから褒められたの?」
彼もまた、ホールの向こう側、朝日に照らされた切り通しの奥を見た。見えないけれど、その先に間違いなくいるであろうヴォイスが、一瞬だけ、キラリと輝きを放ったような気がした。
事実はともかくウェイドは、それを、神話からの前向きなメッセージと受け取った。




