第15節
探偵ウェイドの聞き取り調査は朝早くから始まった。肌に鋭い風が当たる中、あくびを噛み潰しながら、まずはエコーズの同期たちに接触するべく出勤中の楽士に声をかけていく。見分け方は楽士章の色で、入団時期でカラーリングがローテーションしている。あのおてんば娘と同じ赤の楽士章であることを確認したら、あとは「なんとなく年が近そう」とか、ニュアンスで判断していく事にした。これが意外とバカにできず、3人に1人くらいの割合で当たりを引くことが出来た。
話に聞くところによると、やはり同期でエコーズと親交の深い者は「皆無」であるらしい。
いや、「やはり」とは言ったが、流石に皆無などという言葉が出てきたのにウェイドは閉口した。彼女は決して無口な訳では無いし、自分以外には失礼な振る舞いもなく、むしろ家柄相応の教育レベルの高さが伺えるほどだ。そんな人間が、上辺だけの関係ですら仲良しがいないとは本気で思わなかった。ある意味でこれは、かつての雨宮邦和青年よりもヒドい。早くもウェイドは、この調査を始めたことを後悔し始めていた。他人のデリケートな部分に、無遠慮に立ち入っていることに他ならないと、自己嫌悪の念まで湧いてくる。
ある楽士に、エコーズがこんなことになっているのは何故だと思うか、質問をした。
「ほら、あの子ってば、マジでフライヤ・イクスビーにしか興味が無いから?」
全く、否定のしようのない回答だった。
*
「ってワケ。ボク、なんだかとっても良くないことをしてる気がする」
時は夕方、ライタイの飲み屋街「駆け足横丁」の一角にある居酒屋で、ウェイドはやけくそ気味に、手に持った木製のジョッキを呷る。いくら香り高いとは言っても常温のビールには慣れていなかったが、胸のモヤモヤとぶつかり合って、打ち消してくれるのならそんなことは気にならないと思った。1人で勝手に深刻ぶっている男の対面でトルティーヤの端っこを齧っていたフレディはリアクションこそないが、かといって無表情でもない。本当に、なんでもない普通の顔のままだ。
「いや、別に良くも悪くも無いんじゃないスかね。事実の再確認でしょうこんなモン」
あっさり言い放つ。
ウェイドはジョッキを置いて、急ぎ口の中を空にし、両手で顔を覆った。
「その"事実"が最悪じゃんかよぉ…。1日かけてボクはたったそれだけを嗅ぎ回ったってコトだしぃ……」
間延びした語尾にフレディは僅かにイラッとした。今日はクロウの到着が遅いので、しばらく静かに過ごせるかと思いきや、最年長がこのザマである。今後この男が酒を飲む事については考えてもらう必要があるとすら思った。
「てめえが興味本位でやったことを、いつまでもクヨクヨするんじゃ無いんですよ。みっともない。第一、それを気に病んでるウェイドは姫様のなんなんです?」
情けない呻き声が止んで、ウェイドは手を開いた。いないいないばあみたいな格好で、またフレディは少し苛立った。
「ボクが、エコーズの…なんだろう?」
「私が聞いてんですよ?」
なんだろう。まず、思いつくのは「教え子」。
「ほんじゃあ、姫様は先生ってことになりゃあすが、生徒が先生の交友関係に探り入れて、勝手に陰で憐れんでるとかクッソ失礼では?」
「そー…れにヘコんでんじゃんかよう」
崩れ落ちた粘土細工みたいに、ウェイドは机に頬杖を突く。フレディは彼に目線を合わせるように伏せると、「そんなウェイドが、最低ヤローじゃ無くなる方法がありますよ」と微笑む。午後のベタついてまばらな前髪からそれを見るウェイドは「うぇ…?」と聞き返す。
「姫様と、友達になっちゃえばいいんですよ。友達がぼっちしてるのを心配するんなら、違和感ないでしょう」
ふふっ、とフレディが胸を張る。我ながら会心の名案だと思っていた。ちょうどウェイドも、人の事を言えないほど人付き合いが少ないワケだし、お互いにとってきっとメリットになるだろう。だがしかし、目の前の赤ら顔のボロ雑巾は大したリアクションを寄越さない。そればかりか、心配そうな顔をしやがる。
「…これまで友達1人もいなかった娘と友達になるって、めっちゃムズくない?」
…その発言にドン引きを通り越して血の気が引いたフレディは、大きな溜息を一つついて、彼の頬を引っ叩いた。
*
翌日。朝から楽士たちは訓練に励んでいる。
真面目に取り組む彼らだが、その習熟度に関わらず怪我をすることは間間ある。試行回数が多いのだから、当然のことだろう。
だが、その男の怪我は、そう言った類のものとは違っていた。頬に雑に畳んだガーゼを、これまた雑に貼り付けたテープで留めているが、端々からは人間の平手によって付けられたとしか考えられない細く赤い跡が伸びている。訓練による怪我を仮に名誉の負傷とするならば、こちらは不名誉極まる負傷と言えるだろう。
「流石はイクスビーのお気に入りだぜ、やる事やってんだなぁ」だの、「やだぁ、フケツ!」だの、あっちこっちから飛んでくるサボテンのトゲみたいな言葉に晒されて、猫背のウェイド・ビーツは道場へと入った。
「おはようございます……」
最初に振り向いたのは教官のサマル・ティーネージだった。初対面ではいきなり実験台にしてきた彼女だが、細かいところまで目の届く人であり、"せむし男"の鈴虫の様な声だって聞き取れるのだ。
「はい、おはようさん!…って、どったのその顔!?」
思わず揃えた指先で口を押さえるサマル。純粋な心配の眼差しが、今のウェイドにはどんな"ちくちく言葉"より鋭かった。かくん、と垂れた頭の先で、急いで閉めたカーテンみたいに前髪が揺れた。
「なんというか、傲慢さから来る自己嫌悪の結果と言うか……」
「やや、意味わからんて」
怪訝な顔をして首を振る。その後ろから、既に支度を済ませ待機していたフレディが声をかける。
「教育的指導でございますよ教官。コイツには人の心が無いんでさ」
「あんまり見んでやってくれ先生ぇ。男の恥にも及ばない、マジで恥ずかしいモンなんじゃあ」
昨夜、あの後現場に到着したクロウも、事のあらましを聞いて呆れ返っていた。それでも、こんなボロを出したのも、打ち解けてきた証拠だろうと前向きに捉えてはいたが。
「ん〜? …なんだかよく分かんないけど、喧嘩はほどほどにねぇ?」
釈然とはしなかったが、かといって深掘っている時間もない。何しろサマルは忙しい。シンバルにも負けないほどよく通る拍手で自分に注目を集めて号令をかける。
「さぁさぁ青少年諸君、人生色々あるとは思うが適度に身体を動かしてリフレッシュと行こうじゃないか。すなわち、今日は打ち合いの稽古ってワケさ!」
その言葉で、早朝のいくらか和やかさを持っていた試奏場に緊張が生まれた。何故ならばそれはひよっこ楽士たちにとってお待ちかねの時間だったからだ。前回はチュートリアルに終わった剣の訓練だが、本日はなんと打ち合いをしてみよう、という訳である。
ヴィオラ・ダ・スパーダがいわゆる"普通の刀剣"と一線を画すのは、その美しさである。元はヴォイスに感謝を捧げるための祭礼用の剣として生み出されたヴィオラは、刀身は勿論のこと、特にモノを打ったときに響かせる音色が注目を受ける。
「それでは早速いってみよーう!
クロウ・ワイト、ワンダ・フレデリカ、前へ!」
サマルの指名を受け、2人が前へ出る。ただの仲良しコンビという選出では無い。
クロウの出身は遥か東の国、マサ。そこに住まう部族の一つ、ウトバ族の領土は農業に不向きな土地であり、食料のほとんどを狩猟・採集に頼っている。狩猟の対象となるのは濃い霊気を吸収して霊獣と遜色ないほど強力な巨大生物達であり、彼らは自分の身長と同じくらいの刃渡りを持つ太刀を背負って獲物を追い回す。生活の一部として剣での戦いが染み付いているクロウは、その技巧を上手くトランスレートしてヴィオラに適応していた。
床に描かれた白い長方形の真ん中に2人が立ち、各々後ろへ下がって距離を取る。ショートマントの刺繍に手を当てて略式の礼を済ますと、それを確認したサマルが「抜刀!」と号令をかける。
クロウは抜いたヴィオラの柄を両手で持ち、ほどほどに足を開いたならば腰を深く落とした。これはウトバの構え方で、大きな獲物の突進にも耐えうる姿勢だった。
対するフレディと言えば、左足は前に出して屈曲させ、右足は後ろに伸ばしている。ヴィオラを握った右腕は頭の高さまで持ち上げて、ちょうど頭身が鏡の様に彼女の顔を映し出す。左手は前に突き出して握り拳から人差し指と中指だけを伸ばしてクロウへ向けている。
「クロウ、今日のことはぜひみんなに自慢しといてくだせぇ。あのスーパー楽士、ワンダ・フレデリカと1番に打ち合ったのだ、てな具合にね!」
フレディがニィっと犬歯を見せつける。人によってはひどく癇に障りそうな不敵な笑顔に、しかしクロウは態度を崩さず、唇をへにょっと曲げて、変顔をして見せた。
「よう言うわい!ワシかてウトバの端くれじゃあ、シティガールになんぞ、そうそう負けんて!!」
2人のテンションが昂ったように思えた頃合いを見計らい、サマルが開始の喇叭(らっぱ)を鳴らす。
最初に飛び込んだのはフレディだった。高く構えられていたはずのヴィオラはいつの間にか刀身をクロウの右腕スレスレまで下げられている。彼女の拳骨は上を向いており、そのまま斜め上へ振り抜くことは明らかだ。クロウは視線を刃に向けるより先に、微かに後ろへ身じろぐと、刀身の幅広な面をフレディの刃先へ向けた。まんまとそこへ撃ち込まれ、激しく衝突した2つの刀身は、それぞれヴァイオリンとコントラバスを鳴らした様に共鳴する。
クロウに跳ね返された運動エネルギーを利用して、フレディは刀身を自分に引き寄せる様に腕を振る。そのまま右足の爪先を軸に、バレリーナかフィギュアスケーターの様に一回転すると、クロウから2、3歩ほどの間合いを取って元の構えに戻った。彼女のヴィオラはピアニッシモで歌うソプラノのような音を響かせて紅く発光しており、反対にクロウのそれは青く鈍く輝き、メゾピアノのバリトンのような音色だった。
フレディの身のこなしは、決して一朝一夕で身付けたものでは無い。彼女は故郷で祖母と暮らしていた頃から、既にこれを習得していたのだ。超大国、ライデン・メタロギー連合王国で「騎士」になることを志していた彼女を阻むのは、15歳という若すぎる年齢だけだった。
再び、フレディの身体が突撃の姿勢を取る。突きが繰り出され、一瞬下へ沈み込んだ切先へクロウが防御の対応を取るが、彼の間合いへ入り込む前に急激に上昇した。
切先がクロウの鼻っ面を目指す。目にも止まらぬその軌道は、同じく不可視の衝撃によって急激に逸らされた。ドン、というテューバの音色に酷似した圧力の発信源は、クロウの膝に叩きつけられた、彼のヴィオラ自身だった。彼はフレディのフェイントによって下げざるを得なかった刀身をそのまま膝小僧で打ち鳴らし、ヴィオラの中に蓄積された"響き"のエネルギーを解放、フレディにカウンターを浴びせたのだ。
これこそがヴィオラ・ダ・スパーダの、武器としての最も大きな特徴である。霊獣が詞と音楽を喰らった末の老廃物である音鋼は霊気を多く含み、振動によって活性化する音鋼の分子はエネルギーを内に溜め込み続け、特定の衝撃に反応してそれを一気に発散させる。
その波動を間近で、もろに受けたフレディの身体は宙に吹き飛ばされた。すかさずクロウが攻撃に転じ、落下予測地点目掛けて駆け出す。しかし、フレディは空中で一回転して体勢を立て直すと、そのまま力任せにヴィオラを振り抜いた。彼女の前に描かれた半月状の赤い軌跡は、なんと、そのままの形でクロウに向かって飛来してきた。
「だあぁ!?」
クロウが横に跳ぶと、すぐさま元いた場所に弾着し、床には裂け目が残った。それを見て顔を青くしている間に、彼の首にはフレディのヴィオラの刃が添えられていた。すっかり輝きを無くし黒くなった刀身から、今の攻撃は響きのエネルギーを使った飛び道具だと分かる。
「ふふん、対ありでさぁ。クロウ」
「そんなんアリかい……」
がっくりと肩を落とすクロウにタオルを投げかけるかのように、サマルが試合終了の喇叭を鳴らした。
「そこまでぇ〜。お疲れ様、2人とも!」
調子の変わらない教官の後ろでは、ウェイド含めた楽士の卵たちがピタッと固まったままになっていた。誰かがその静寂から一足先に抜け出て、それでも小さな声で「今の、"アクト"だ……」と呟いた。サマルは声のした方へ振り返ると、満面の笑みで可愛らしい拍手をした。
「正解だ、誰かさん。ヴィオラの残響エネルギーを攻撃に用いる。これが楽士の発展テクニック、まぁ、つまり剣術の技巧ってワケ。2人はそれぞれ別の型を応用して使っているけれど、その他のみんなにはちゃんと基礎からやってもらうよ〜! じゃ、気を取り直して今日も練習練習!」
号令で散り散りになる楽士達。そんな中で、ウェイドだけ突っ立ったままでいた。いつも仲良くおしゃべりしているクロウやフレディが、これほどの達人であるというのに驚いたのもそうだが、今の一戦で、ふとゲダンの集落でのことを思い出していた。蒸気機械の巨大な牛の脳天に、一撃を与えたフライヤ・イクスビーのことを。
固い床を抉ってしまうようなフレディの一撃でも、今のままでは、きっとアレを一撃で仕留めてしまうようなことは叶わないだろう。改めて、彼が自分のアクトを「僕にしかできない技」と言っていたことの意味を思い知る。
先は遥か遠く。
しかし、遂にスタートラインに立った。
「こっから、始まるんだ」
思わず漏れ出たそんな言葉は、期待とは裏腹に、不安に邪魔されてヴィオラの残響のようにささやかだった。




