第14節
したたかに、伸びやかに。数回の深呼吸で、すっかり肺の冷え切るようだった。赤に黄色の葉で埋め尽くされた裏庭で、ウェイドは自分の口から白い靄が出ていくのを見た。それは、かつてゲダンの集落で殺人機械がやったのとは正反対に、ゆっくりと空へ昇っていく。見送って、再び吸い込もうとしたところで手拍子が鳴る。よく反響していくのに聴き入って、ふと、鞘から抜き放った直後の剣みたいだなんて思った。
「はい、そこまで」
手を打ったのはエコーズだ。いつだって、どこの山々よりも金色な髪と深紅の瞳を持つ彼女は、この庭の中であってもよく目立つ。
「痛みや、眩暈はありまして?」
地面にしゃがんで、頬杖をついた退屈そうな表情で聞いてくる。勿論、ただの確認だ。ウェイドもすっかり慣れて、「いんや、何も」と返す。
「じゃあ、霊気順化は今日でおしまいですわね。やっと自分の仕事に集中できます」
立ち上がって伸びをする。ショートマントの端がサラサラと揺れた。
「どうも。そこんところは、ホント感謝してるよ」
「フン、当然ですわ」
本当にエコーズは何でもなさそうに言う。ウェイドも、それ以上は何も言わない。どんなリアクションが返ってくるのか知っていれば、突っかかる場所は無くなっていった。裏庭はいつまでも静かで、心地よい。空を見上げると、気づけば真上まで昇っている陽が眩しくて目を閉じる。そのまま、風の音と光の温もりに浸っていた。
が、突然ウェイドの尻に衝撃と、鋭い痛みが走った。
「ギャ!!」
スタッカートのかかった叫びと共に落ち葉の絨毯を転げる。自分のいた場所を睨みつけると、片足を上げたエコーズが無表情で突っ立っている。
「これはどういうこったよ!?」
すらっとした足は降ろされてそのまま、軸足の後ろに隠された。後ろ手を組んで、とうとう顔までそっぽを向いた。
「別に。何か勝手に浸ってボーッとしてるのが気に入らなかっただけです」
「君ってヤツはさぁ!?」
立ち上がり、抗議に駆け寄る。すると、彼女の横顔の、少し突き出したような唇が、もぞもぞと動いたような気がした。
「…何かあるのかよ?」
急に、大きなルビーの塊がウェイドの方を見た。心なしか、瞼も開いたような気もする。1秒ほど視線を浴び続けたが、今度は真後ろを向かれてしまった。何故だか手もお腹の方へ回っていて、いよいよ感情を識別できるものが何もない。
「なんにもありませんわ。貴方はそうやって、ぎゃあぎゃあ騒げばいいの」
じゃあ、ごきげんよう。と言ってエコーズはとっとと裏庭を去ってしまった。取り残されたウェイドは、「ったくもー」と悪態を吐きながら、既に仲間たちが訓練を始めているであろう場所へと、尻を摩りながら歩き出した。
*
運動が得意だ、という認識を自己に持ったことは無かったので、100mを5秒くらいで走り抜けてしまえたことにウェイドは驚嘆した。
肺から血管へと送り込まれた霊気は身体中を巡り、そのままエネルギーとして組織に取り込まれる。影響が顕著なのは筋組織で、運動能力は大幅に向上する。全てのアクトの起点たるブレスを習得した今、ウェイドには2階の高さまでひとっ飛びすることだって容易い。
この日から本格的に訓練に参加したので、同期達には大きく遅れを取っていたかと言えば、実はそうでも無いらしい。次に覚えるのは、強化された自分の肉体に慣れる、使いこなすための「柔術」そして「受け身の取り方」という、出立の華やかさとは正反対の泥臭さだ。そしてその訓練内容も単純極まる。二人組を作り、ひたすらお互いを投げ合うのである。
号令と共にゾロゾロとグルーブを作り始めるので、ウェイドは急いで周囲に目を走らせた。間も無くクロウと目が合う。というかこちらに来てくれていたらしい。思わず安堵のため息が出た。
「助かるよクロウ。持つべきものは友達だって、ここに来てからは毎日思うね」
ちょっとオーバーなリアクションにも取られそうだったが、100パーセント本心からの言葉だ。彼がこんな風に口下手なのもとっくに知れている。
「ワシってば、ほら、アーチストだから? 感覚が鋭いというか、察しがいいんじゃあ。察しが」
「自分で言うんなら、もうボクから言ってやれることは無いって」
軽口を叩きながら、お互いに背中を合わせて腕を組み、柔軟を始める。ウェイドは腰を直角に折り曲げるように、クロウを自分の背に乗せた。
「だからそのうち、みんな罵倒しか寄こさんようになるんじゃあ。のぅ、フレディ?」
まぁまぁ距離の離れているフレディに対してクロウが声を掛けるもんだから、ウェイドは素で「うるさっ」と口走る。仰向けの、しかも胸の反った姿勢から、よくこんな大声が出るものだ。一方の彼女からも、「ふざけてないで、真面目にやるんですよバカクロウ!」とお望み通りのレスポンスが飛んできた。やれやれ、とか言いながら、クロウを地面に下ろし、今度は自分が持ち上げられる。秋晴れの空が視界いっぱいに広がって、つい先ほどのエコーズとのやり取りを想起した。
「そういやぁ、今日は姫様とはどうだったんじゃあ?」
姫様とは、エコーズのことだ。今しがた頭の中でぼんやり考えていたことを悟られたようで、ウェイドはちょっと怖さすら感じた。
「どうって、いつも通りさ。つまんなそうな顔して、感情の機微が読み取り辛くって、おまけに人の尻を蹴っぱぐる、いつものエコーズ」
「それなんじゃあ。引っかかるのは」
引っかかる?とウェイドは聞き返す。リクライニングが起き上がって、地面に足が付いたので、再度クロウを背負ってやる。
「お前さんがぶっ倒れちょる間、姫様がこっちに来よって教官殿の手伝いをすることも一度や二度じゃ無かった。愛想悪いのはご存知の通りじゃが、お前さんを前にしたときと愛想悪さの質が違うんじゃあ。なんと言うか、心底他人に興味がなさそうな感じじゃな。蹴る殴る以前に、他人に触れようとすることがあるってのが意外なくらいじゃあ」
そういえば、以前フレディも言っていた。エコーズは基本的に、フライヤ以外の人間と積極的にコミュニケーションを取ろうとしないらしい。刀匠ギーガー家の娘ということ以上に、本人の「人を寄せ付けない雰囲気」的なものが、そうさせているのではと言う人も見かけた。
「ひょっとして姫様は、お前さんのことを好いとるんじゃないのか?」
「ないね」
「いや、否定が早いのう」
クロウを下ろすと、ウェイドは振り返って、彼に地面に座るよう手で促す。クロウは尻を硬い土に落ち着けると、脚を直角くらいに開いて、右足のつま先を掴んだ。
「あの子はフライヤしか見てないよ。だって本人がそう言ってんだから。僕に噛み付くのは、そのフライヤと仲がいいからさ」
クロウの肩にゆっくりと体重をかける。
横隔膜の圧が増し、彼の口から「ん〜」と声が漏れる。
「するとなんだ、憎さ余って可愛さ100倍っつーことかのぅ?」
「どう思うかは勝手だけど、本人の前でそれ言うなよ? 痛い目見るのはボクなんだから」
「それ、言わない理由になるんか?」
「人の心が無いのか…よっ」
肩への荷重を瞬間、気持ち強めたことによって、クロウが「いててっ」と呻く。
でも、確かに、エコーズと他人との関わりというのは、少し興味をそそるテーマだ、とウェイドは思った。しかし、「友達とかいるの?」と本人に聞くのは容易い事としても、回答は得られないだろう。ブン投げられてお終いだ。ならば必然、外から調べを進める必要がある。
折角1日のほとんどを医務室で過ごさなくても良くなったのだ。良い加減、楽士内でも話せる人くらい増やして行かなければならないだろうし、少し聞いて回ろうじゃないか、と珍しくウェイドはやる気になってきた。




