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第2節

 秋の涼やかな風に、森の木々が日光を遮ることで生まれる薄暗さが心地よく、馬車の中で呑気に居眠りをしていたウェイド・ビーツだったが、その甘美な時間は突然感じた嫌な臭気によって遮られた。何かの焼けた臭いを薄めたような、中途半端な酸っぱさを感じるものだった。

ワイシャツに茶色のニッカボッカース姿で、肩に白いショートマントを羽織った彼は、座席からのそのそと起き上がると開いた窓から少しだけ顔を出して外の様子を伺う。一面深緑の視界の遥か奥にぽっかりと白く光る穴を認めた彼は、御者の席と通じる窓をさっと開けた。


「もうそろ着くかい、ゴーシュ?」


燻んだ緑のオーバーオールと、同じくらいくたびれたハンチングを身に付けた御者のゴーシュはウェイドの方を一瞬振り返ると、再び正面に向き直ってハンチングの位置を直した。


「ええ、"楽士"ウェイド。よくお眠りで。道中かなり揺れたハズなんですがね」


「おかげでぐっすりだったよ。過去の経験が生きるのさ、こういうことは」


窓枠に肘をつき、右手の甲に頬を乗せ、ウェイドはヘラヘラと笑いかけた。


「楽士になる前は、奴隷のような環境で働かされていたんでしたっけ? 他の方から聞きましたよ」


「ようなってか、そのもの奴隷だよ。お船でドンブラコッコと運ばれて来たのさ。大嵐ん中でだって寝てやれるぞボクは」


大したもんですな、と、御者は大声で笑った。


「だが今や、団の中でもトップクラスの実力をお持ちの楽士様だ。今回の仕事も、きっと上手くやってください。みんなが貴方と、貴方のもたらす平穏を待っている」


御者の言葉の最後は、とてもトーンの落ちたものだった。このゴーシュという男は御者の中でも大ベテランであり、ウェイドをはじめ数多くの"楽士"を彼らの仕事場へと送り届けて来た。その行き先のほとんどは、か弱き人々が理不尽や自然の猛威に晒されている恐怖の只中である。それを重々理解しているウェイドも、居住まいを正した。


まもなく森を抜け、ウェイドを囲う窓の全てから眩い光が落とし込まれる。一瞬白く潰れる視界の中で、彼は煙たい臭いの強まりをはっきりと感じ、これから見えてくるであろう光景が脳裏をよぎった。


「さぁ、着きますぜ。クレイバン村だ」


馬車が停まる。ウェイドの目が慣れて来て、車窓からは悲惨な光景が見えた。「クレイバン」とペンキで書かれた木製の看板が、地面に刺さっていた支柱が真ん中から折れたことによって落ちてしまっている。その村の様子はといえば、あちらこちらの建物が一部を破砕されており、最も酷いものは全壊していた。折れた看板の脇の道から真っ直ぐ見える村の広場と思われる場所には、そこそこ高く積み上がった木組みが、真っ黒に炭化した状態で放置されていた。


(こりゃあ…酷いな……)


ウェイドはしばらくの間、外に出ることなく周囲を観察し、あまりの惨状に目を細めてしかめっ面になった。そして3秒ほど経ってから、深呼吸して自分の両頬を平手で二回叩いた。


「…よっし。こっから先は、こんな顔はNG。行くぞウェイドっ」


彼は長椅子の脇に立てかけていた鞘に入った刀剣とバックラーを引っ掴むと扉を開けて、クレイバンの地へと降り立った。そして、自分を運んできてくれた御者と2頭の馬に一礼した。


「ありがとうゴーシュ。ブランとヴァンもね」


ゴーシュはハンチングを持ち上げて頭を軽く下げ、鞭を入れた。白い毛並みのブランと、茶色い毛並みに際立って立派なたてがみを持つヴァンは足並みを揃えるのに少しもたついてから走り出し、視界の向こうへと消えていった。それをしばらく見送ったウェイドは先程手に取った武具を腰のベルトに硬く括り付け、ショートマントの裾を少し引っ張って皺を伸ばすと、今回の自分の仕事場となる煙い風の吹く村の大通りへと歩き出した。仕事とはすなわち、この状況を引き起こしたモノへの対処だ。


ウェイド・ビーツは楽士(がくし)である。

楽士とは、大陸のほぼ中央にそびえる霊峰、「ヴォイス山」を宗教的聖地とする聖職者たちであり、同時に山の麓に広がる大きな都市、「カルナバル」の治安を維持する警察組織でもある。そしてもう一つ、彼らには国際的に必要とされる重要な役割がある。それが"霊獣やそれに類するモノ"が人間に及ぼす被害の調査と調停、そして征伐である。


この世界においても、基本的に各国内の脅威には自前の武力組織が対応するが、霊獣をはじめとした怪物たちは一筋縄ではいかない性質を持つものが多い。それらがもたらす影響は、例えば絶命と同時に土砂崩れを引き起こし、洪水を起こし、天候すら変えることも過去にはあったほどである。このような霊獣たちの縄張りと生活圏が近い楽士たちは、必然その対応に長けるようになっていった。


そこで、ヴォイス山のあるシュラインフォレスト共和国とその周辺国は、霊獣に下手を打って被害を拡大させることを防ぐため、征伐任務を帯びた楽士に限り、ある程度自由に国境を行き来できる協定を結んでいる。ウェイドがこの度訪れたクレイバン村も、共和国とは国境を挟んだ隣国に属しているのだ。


早速ウェイドは村の住人を1人見つけ、砕け散った屋根板に真新しい白い木板を打ち付けているその男性に声をかける。


「もし!」


「はいよっ…む、見慣れん格好ですな。街のお役人様ですかい?」


「いえ、此度の災難の調査のため派遣された楽士でございます。お忙しいところ、お邪魔してすみませんが、村長のお住まいはどちらでしょうか?」


「ゴンさんの家なら、この大通りをもうちょっと行ってすぐ左に曲がりゃあいい。もうあんな化けもんが二度と来ないよう、よーく効く"おまじない"をお願いしますよ、楽士様」


「たはは…お任せください。お時間をいただきましてありがとうございました」


「おまじない」という言葉に苦笑いしつつ、ウェイドは深く一礼して再び歩き始めた。国軍相当の"騎士"や"武士"に比べて楽士は非常に軽装であるため、祈祷師や呪い師と勘違いされ易い。彼にとってもこれが初めてでは無かった。


間も無く目的地に着いたウェイドはそこで村長夫人のキキの出迎えを受け、ゴン・ノッチの寝室へと通された。比較的若く、普段は先頭を切って農作業に臨む大柄のゴン村長も今は1日のほとんどをベッドの上で過ごしており、右腕と右脚は添え木と包帯で固く固定されていた。事件当日のことについて一通り語り終えると、彼は傍らのコップに入った水を少し舐めた。


「声、聞き取りづらいでしょう。申し訳ない。口の中を切ったモンですから、どうにも喋りにくくって」


そう語る彼の右頬は赤黒く腫れて、息をするたびに閉めきれない口の端からひゅうひゅうと音が鳴る。痛々しいその傷跡はしかし、自らの幼い娘を、怪物の被害の余波から庇った際に負ったものである事を、ウェイドは村長の妻から聞き及んでいた。


「あなたは立派に父の務めを果たされたんですよ、ゴン村長。むしろ気を使うべきはボクの方でした。今日はこれくらいにしときましょう。他の村人にもお話を伺うつもりではありますが、特に詳しい方はいらっしゃいますか?」


「それなら、櫓番(やぐらばん)だったリンジーという男を訪ねると良い。ヤツ以外の櫓番は皆、怪我が酷くて街の病院にいるもんでして」


「成る程、わかりました。ありがとうございます」


ウェイドは頭を下げ、それまで座っていた丸椅子から尻を離した。そこにゴンが「ああ、それと」と呼び止めた。


「道中でシーナ…俺の娘に会ったら、一声かけてやって欲しいのです。俺の怪我は、シーナの無力のせいなんかでは無い、と」


「それはまた…まだ9つほどだとお聞きしていましたが」


ええ、とゴンは苦笑した。


「とてもませていて、理屈っぽく責任感が強い。顔立ちも性格も、街出身の妻に似たんですなぁ。大人の仲間入りをしたがって、今回の収穫祭も熱心に準備を手伝っていたんです」


「すると、櫓火の近くに?」


「怪物と目が合ったと、言っていました」


ゴンは腫れた目蓋の奥の瞳を静かに伏せた。


「それだけで、子供にとっては計り知れない恐怖です。それから足がすくんで動けなくなったアイツ目掛けて木片が飛んできて、俺がこうなった。俺と妻は、「シーナは何も悪くない。気にするな」と言っているんですがね…だから、村の外から来た"専門家"である楽士様からも、何か声をかけてやっていただきたいんです。少しでも、あの子の心が軽くなってくれれば、と」


ゴンが身動いで、背を鈍く丸める。それは身体が不自由な彼が今できる精一杯に頭を下げたということだった。ウェイドは彼の左の肩にそっと手を置き、「無理をなさらず。楽にしてください」と頭を上げさせて、それから目を見て、ニカッと笑ってみせた。


「安心なすってください。もとよりボクが"ヴォイス"より賜っている使命は化け物への対処だけではありません。ここに住まう人々の笑顔を取り戻すことこそが最も重要なのです。お嬢さんの不安をより多く取り除けるよう、尽力いたします」


細い隙間からしか伺えない父親の目から、少しだけ希望の光を見たウェイドは、今度こそ椅子から立ち上がるとゴンに深く一礼し、胸の八分音符の刺繍に手を置いた。


「"私はヴォイスの目となり、耳となり、口となる者"…霊獣の見渡すその全てに、祝福がありますように。それでは、お大事に……」


楽士の行う略式の祈りを済ませると、部屋から出たウェイドはキキに一言挨拶し、家を後にした。

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