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第10節

 ウェイド・ビーツは今までの人生でも数えるほどしかなかった「挑戦への情熱」を胸に灯していた。なぜなら彼は自らの住む街、カルナバルの警察機構であるカルナバル・フィルハーモニー楽士団へと入団を志し、そのためには入団試験を通過しなければならないからである。


さて、その入団試験とは如何なる物なのか。

実を言うとそれは、大して難しいものでは無い。


 楽士団は今でこそ街の治安維持を担ってもいるが、元々は霊獣ヴォイスに音曲と詞を捧げるための聖職者だ。これは楽士の本分であり続けており、故に、団はヴォイスを敬うあらゆる人へと、その参加の門を開いている。そんな訳なので、入団試験などという名目ではあるが、実態はただの一般教養確認程度のものであり、この世界で生きてきたなら誰でもパスできるものなのだ。


そう、この世界で生きてきたならば。



 聖堂の周囲を取り囲むように存在する地区、アウティーヤ。ここには楽士達の運営に関わる各施設や、街の名士などの住まいが存在し、レフタイやライタイとは一線を画す場所だ。ここにあるイクスビー邸に招かれたウェイドは、朝からフライヤ・イクスビーの見守る中、入団試験の模擬試験に挑んでいた。が、1時間ほど経った後に行われた自己採点の結果に2人は驚くこととなる。


「に…にじゅってん?」


後にも先にも、フライヤのこんな声をウェイドは聴いたことが無かった。完全無欠の優男に素っ頓狂な声をあげさせた張本人も首を捻る。


「…っかしいなぁ」


ウェイドは模擬試験の解答用紙と正解を交互に見る。

100点満点の試験のその内訳は算術、語学・文学、社会制度、理科、そしてヴォイス神話の知識だ。合格点は80点で、ヴォイス神話について疎くとも、とりあえず合格点は取れるというのがフライヤの予想だった。

ところが、20点。これは算術で満点をとっていることによるが、それ以外が壊滅しているのだった。


ウェイドがエム・フォウティへ連れてこられて1年は経っているが、言うまでもなくその内のほとんどは仕事ばかりで、稼業に必要なこと以上の教育など奴隷に与えられることは無かった。ノース・メタロギーで奴隷の管理をしていたロミス・フレイル夫人は人格者であったが、同時に冷静なビジネスパーソンであった。自己の所有権の買い戻しが実現に近づいていたハル・マーキュリーならともかく、ウェイドにその可能性は無いに等しかったのだから。


そんな訳で、ここへ来てウェイドに立ちはだかった最大の障壁は「教育」であった。自分より5つも歳が上の男の醜態を見て、フライヤは顎に手を当てて思考を巡らせた。

勉強を教える。そのことについては特に問題はない。

いい大人なら、この街で1年も暮らしていくだけで自然と身について行くだろう程度の教養だ。フライヤの家の者に任せれば半年で身につくだろう。だが、それでも時間が足りない。

何を隠そう試験は秋に行われる。今からでは一月あるかないかというところだ。来年の受験を目指すのも手段としてアリだったが、見た目に似合わずせっかちなフライヤは、ウェイドが乗り気なうちに、なんとかしてやりたいと考えていた。しばらく静かに思考を巡らせていたフライヤは、ふいに「…そうだ、適任がいるなぁ」と呟いた。ウェイドが振り返り、「と、言うと?」と聞くと、優男はいつものニッコリ顔に戻った。


「大丈夫さウェイド。全部僕に任せてくれ!」


そしてこの日を境にウェイドは、フライヤにとりあえず「全部」は任せるべきでは無いということを学ぶこととなる。



 翌日、再びイマジン邸へ足を運んだウェイドは、1人で応接間に通された。薄いカーテン越しに見える窓の外には、ヴォイスの背を見るのに邪魔をしないよう配慮して植えられた木々が、夏風に合わせてサラサラと枝葉を揺らしている。膨らんだカーテンの裾から涼やかな風をふくらはぎに感じて、もっと風に当たってみたくなったウェイドはカーテンを開けようと窓に近づこうとしたが、その瞬間にノックが鳴った。


向き直って「はーい」と声をかけると、開いたドアからはいつも通りのフライヤと、その後ろにもう1人付いて入ってきた。急に、室内に甘い香りが漂った。


 香りの正体が石鹸であることはすぐに分かった。背の丈は160センチあるかどうかという少女が、豊かなブロンド髪をロールさせ、それが涼風にさらわれることで揺れて、香るのだ。小さくともシルエットのしっかり張った肩を包むショートマントに施された刺繍は、フライヤと違い赤色で、その下のブラウスにニッカボッカース、ブーツという出立ちは他の楽士達の制服に準じている。勿論腰には、例の刀剣をぶら下げていた。


ふいに、彼女は目にかかった前髪を指先で跳ね上げた。その瞬間に、大きなルビーを思わせる瞳が際立つ。リコリスの花のようにまつ毛が上を向き、さながら豪奢な額縁といったところだ。少し釣りあがり気味の目尻が大人っぽく見せるのに対して、頬は控えめにぷっくりとしていて、幼さが残る。しかしながら、これから咲き誇っていく、約束された美を感じさせられて、ウェイドにはいささか眩しいように感じた。


「紹介するよ。彼女はエコーズ・ギーガー」


彼女を平手で示しながら、フライヤは一歩下がった。逆にエコーズは一歩、歩み出ると、小さくカーテシーをした。姿勢を戻すと爪先を綺麗に揃えて、両手を下腹部の前で重ねてそっぽを向いた。目蓋でカラット数を半減させたその表情はどことなくつまらなそうだ。


「カルナバルの名家「ギーガー家」のご息女で、非常に優秀な楽士だ。入団後も良いお手本になるだろうから、是非仲良くなっておくべきだね」


だよね?とフライヤはエコーズに例の微笑みを向ける。彼女はそれに対して口角を上げて、両の拳を腰にあて胸を張った。


「ふふん。このエコーズ、フライヤさまの期待に必ずや応えますわ。ビシバシ行くから覚悟することね、この無精髭!」


「ぶっ、ぶしょうひげぇ?」


ウェイドは慌てて自分の顎を摩った。カルナバルに来てからこういうことには気を使っていたつもりだったが、どうも剃りが甘かったらしい。しかし、それをいきなり指摘してくるとは、結構手厳しい()であるらしい。


「そんじゃ、後は頼んだよ。…ウェイド、頑張ってね」


フライヤは顔の横で小さく手を振ると、ショートマントを綺麗に翻して部屋から出て行った。些細な仕草も、目の前のお嬢さんに負けず劣らず可愛らしいのが、また悩ましい。「ありがとう、フライヤ」とウェイドも手を振って見送ったが、視線をエコーズへ戻すと、さっきまで誇らしげな表情だったお人形さんは能面に付け替えたように目を吊り上げていて、どうみてもそれが示すのは怒りの感情だった。


「貴方がウェイド・ビーツ…こンの泥棒猫ォ!」


「ヒィ!」


急に吠えた少女相手にウェイドは飛び上がる。後に彼らには7つの歳の差があると分かるが、あまりにも情けない光景であった。

それはそれとして、彼には初対面の女の子にここまで敵意を向けられることに心当たりが無かった。まさか、無精髭がそこまで気に障ったろうか? などと、気が動転しすぎて、「泥棒猫」と呼ばれたことに気付いていなかった。


「耳の穴かっぽじって、よく聞きなさいフィフストラベラー!」


エコーズは胸を張った姿勢のまま、ウェイドにピッと人差し指を突き出した。さながら、故郷で放映されていたティーヴィー・ショーの悪役みたいだった。


「ただでさえ人気者で国外に出てばかりのフライヤさまが、珍しくカルナバルに長くいらっしゃるから折角いろいろお話できると思ってたのに、話題に上がるのはウェイド、ウェイド、ウェイドって貴方のことばーっかり! どんな卑怯な手を使ってカルナバルを代表するイクスビー家の長子に取り入ったか知らないけれど、ワタクシに同じ手は通用しなくってよ!」


一息で言い切った。

そのことに感嘆するが、ウェイドは一回首を捻ってから、目を細めた。


「…すると、君がそんなぎゃあぎゃあ喚くのは、ヤキモチ妬いてるからってことかい!?」


「ヤキモチだなんて中途半端な感情じゃありませんわ、正真正銘のブチギレでしてよ!」


拳を振り上げるエコーズに、反射的に自分の頭を腕で覆う。なんてこった、フライヤはなんて人選をしてくれたんだ。これから1ヶ月はお世話になる家庭教師に、あろうことかウェイドを敵視する人間を付けてしまったのだ。恐るべき未来をなんとか回避しようと、ウェイドは説得を試みることにした。


「ちょっと待ってくれよ、ボクとフライヤは確かに友達だけど、お互いの恋愛なんてまだ知ったこっちゃないくらいだよ? 君が勝手にアプローチかけるなりして、よろしくやることにボクは関知しない!」


「なぁーにそれっ!? 関知しないだなんてフライヤさまに失礼だわ! 貴方それでも友達でして!? ワタクシまだそのポジションでもないのに!」


「んじゃあボクはどうしろってんだ!?」


最早訳がわからない。段々とコイツは思いつきで喋っているのではないか、と思って、相手もよく見ずグルグルパンチみたいな要領でぶつけた発言が、意外にも静寂を齎らした。ピタリととまり、上を見て、クエスチョンを浮かべまくるエコーズ。長いローディングの末に、コホン、と咳払いすると、元の縦一直線の美しい立ち姿へと戻った。


「ワタクシとしたことが、宿敵を目の前に取り乱してしまいましたわ」


「宿敵て」


「安心なさい。貴方のことはキチンと、秋の試験にパスさせてあげますわ。フライヤさまのためにも、ワタクシのプライド的にも」


彼女はショートマントの胸元を軽く払うと、下のブラウスのポケットから丸メガネを取り出して装着した。その言動から子供な印象を覚えていたエコーズは、あっという間に知的な雰囲気の女性教師へと早変わりした。


「ほら、席に着きなさいな。時間が勿体無くってよ?」


妙に説得力のある声色にウェイドは戸惑うばかりだった。とりあえず促されるまま椅子に腰掛け、窓の外を見やる。青い葉は相変わらず揺れている。一際強く吹き込んできた風に目を閉じて、その感触を味わいながら、「この世界のことが分かるようになれば、この娘のことだって、分かるようになるんだろうか」なんて考えていた。

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