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第8節

 カルナバルの街には、ヴォイス山の西側から街の南東側へと流れていく広い川が横断しており、メインストリートの途中にはサーヴィング大橋という立派な石橋がかかっている。川の向こうの東部に分類されるエリアに入ると、またそこで雰囲気が変わってくる。西側を象徴する言葉が「活気」であるならば、東側のそれは「気品」という感じだ。


建物の壁にはグラフィティの類をさっぱり見なくなるが、その代わりに壁への彫刻やら、全面ガラス張り、螺旋や球形を取り入れた複雑な建築が多くなり、いずれも西のようなバラエティに富んだ色彩ではなく、ホワイトや木材のブラウンでシックにまとめている。

橋のそばにあるちょっとした広場には噴水があり、立派な下向きの角を持った偶蹄類の顔と、2、3人の男女の彫刻が中心にそびえていた。その周りにもやはり、楽器を演奏する人々が集まっていたが、聞こえてくる楽曲はどれも穏やかで、ここで日中を過ごしたならばうっかり眠ってしまいそうな程だった。


「ふふ、川を隔てるだけなのに、すごい変わり様だよね。さぁ、そろそろ目的地だよ」


フライヤに言われて正面を見ると、そこそこに高さのある城壁と、その中へと続く跳ね橋があった。橋の両脇には楽士が立っているが、橋を渡る人々は多く、意に介さない。「ここって、誰でも入れちゃうの?」と聞くと、「当然さ。ヴォイスは誰とでもお会いになるんだよ」と淀みなく返された。


跳ね橋を渡り切ると、そこからは街の中枢である「ナイア」という区画になる。外の区画と違い、こちらは堅牢そうで、実用的な建物が多い。通りから目を逸らすと、それらの建物では楽士たちが動き回っており、職務に励んでいるようだった。橋を渡ってきたウェイドら一般人は皆、ひたすら正面に向かって歩き続けるばかりだ。彼もフライヤと共にそうしているうち、再び凝った造形が現れた。パルテノン神殿に代表される古代ギリシアを思わせるような柱と、ローマの水道橋が組み合わさったようなデザインの庭園の向こうに、ウェイドが幼い頃に遊園地で見た西洋風の城と酷似した本堂がある。この非常にデザイン的にちぐはぐさを感じる建物こそが、カルナバルの心臓にして霊獣ヴォイスの住処、ナイア大聖堂である。


「ここはカルナバルで最も古く、最も改修を施された建造物なのさ。だから部分によって、そのとき流行していた様式でデザインされているんだ。だけど、どんなに形が変わっても聖堂にはたった一つの、変わらずに重要な役目があるんだよ」


庭園を抜け、開放された聖堂のエントランスをくぐる。

急に空気が変わったようにウェイドは感じたが、その理由はすぐに分かった。彼の耳に、管弦楽の重厚なユニゾンが飛び込んできたのだ。


ロビーらしい空間は申し訳程度で、そこからすぐにすり鉢を半分にしたような階段が下へと続いている。各段には座席が据え付けられており、ほぼ満員という具合だ。

すり鉢の一番下は奥に向かって扇状のステージが広がっており、そこでは楽士の装いをしたオーケストラが演奏を披露していた。曲はすでにクライマックスへと向かっているらしい。指揮者の力のこもった、キレのある棒振りに合わせて音の出る様は、オーケストラひいてはホールそのものが、指揮者の扱う「楽器」であるかのような感覚を覚える。

そして、最後の一振りのあとの余韻まで味わい尽くしてから、カルナバルの市民たちは割れんばかりの拍手をチームへと送る。ウェイドも、思わず手を叩いていた。


「ヴォイスに音楽を捧げること。それこそが、ナイア大聖堂の一番重要な役割なんだ。…ほら、彼が姿を顕すよ」


「えっ」とウェイドがフライヤの方を向くと、そこに彼は居なくなっていた。慌てて周囲を見回すが、少年だけでなく、ホールに居たはずの他の人々まで一切消えていて、あれほど騒がしかったホールは一転、しんと静まりかえっていた。


「こいつは一体どういう…?」


ウェイドは小走りで出口へ向かおうとしたが、それを「若人(わこうど)よ」と呼び止める声があった。大した音量ではなかったが、やけに腹の底に響く声で、彼は素直に足を止めた。


恐る恐る、ステージを見る。

演台のさらに向こう側は反響板などではなく、人の胸元くらいまでありそうな手すりの先は手付かずの崖がある奈落であった。崖はちょうど中央のあたりが裂けており、細い回廊が続いているらしかった。その隙間から、青白い光の粒がふぅと吹き込んできた。最初はそよ風程度だったが、ただちに勢いを増して粉塵のごとくステージ上に渦巻いた。それらは、なんらかのポリゴン像のようなものを結んでいくと、次にそこへテクスチャーを被せていった。やがて出来上がったのは、苔むした岩のような肌をもった、ロバのような、馬のような、あるいは牛のような頭だった。口を開くといくらか表層の岩石質が剥がれてパラパラと落ちて、「こちらへ……」と言葉を放った。ウェイドはそれに従ってすり鉢を降りて、顔面の真下に立った。


「ようこそカルナバルへ。若人よ」


もそもそとした顎の動きに対してあからさまに明瞭な言の葉は、それ自体が音曲のように聴こえるほどだった。

それがもっと聴きたいような気がして、ウェイドは「あなたがヴォイス?」と分かりきった問いかけをする。途方もない時を生き、これからも生きる予定である半神半獣は悠長に、丁寧に「如何にも」と答えた。


「わたくしはヴォイス。既に顎門は鈍く、目蓋も蝸牛も礫に閉ざされて久しい、老いた偶蹄としてわたくしは在ります。それでも老いぼれが「歌と詞」に親しめるのは、人々が、わたくしに聴かせたい「うた」を持ってここへやってくるからなのです、ウェイド?」


「うた」と言った霊獣のイントネーションが、ハツカネズミのようにちっぽけな青年の知っている以外の意味を持っているのは明らかだった。大いなる顔面を見上げ、驚きも怯れも抜け落ちたウェイドはただただ、幼気に発音の意味を問うた。


「訴え。

つまり、意志です。多くの人々は何かを志したとき、わたくしを訪ねてくださいます。それは単に、「わたくしを訪ねたい」という意志であることも当然にございます」


「そりゃあ、そうだろうけど……」


ウェイドは面食らった。巨大な霊獣の価値観は人間とかけ離れているのか、単に彼が天然なのか。ふわふわとした言説はなまじメロディとして心地いいので、余計に頭が呆けそうになる。


「ですが、ウェイド、あなたは後者ではありませんね。

…あなたは、どんなうたを、わたくしに聴かせたいのですか?」


言われて、ウェイドはこめかみを掻いた。あーだの、うーだの一文字目を行儀悪くまさぐって、結局出てこなかったので「ごめんなさい。ボク自身、それを知りたくってここまで来たんだ。ボクは一体、この先どうしたいんだろうって」と思ったままを話した。霊獣の像は顔色(?)ひとつ変えずに「成る程」と呟いた。


「ボク以外に、ゲダンの人々はみんな死んでしまった。彼らの分も生きて、何か良いことを為したいと思ってる…でも、それをどうやって実現すればいいか、分からないんだ」


「良いこと。それは、社会に対して?」


「そんなに具体的なハナシじゃないんだ。マズいかな?」


ヴォイスは首を横に振る。光の粒が少しばかり、パチパチと飛び散った。


「まさか。意志に具体は関係ございません。今は、まだ。

ですが、わたくしからは具体的な助言をひとつ。あなたはこのエム・フォウティで「良い」とされることについて、あなたの意思の実行を円滑にするほどの知見を持っていないと見えます」


「…つまり、エム・フォウティの道徳?」


「そして礼節と習慣。郷に入れば郷に従え、ですよ、ウェイド」


横に長い切れ目の入った岩肌のような霊獣の口は、見かけでは変わっていないように見えるのに、何故か微笑みかけているようにも受け取れる。


「まずはここで暮らしてみることです。フライヤ・イクスビーから、支援の申し出を受けているんでしょう?」


「…いいのかな? ボク、彼に何でもしてもらうばっかで」


「それを言える状況へと身を持ちなおせるまで、胸にしまっておく事です、ウェイド。ありとあらゆる意味で、今ここでのあなたは"人未満"でございます」


ぐぅ、とウェイドは唇の端を噛んだ。


「君って、そんなキツい言葉も使うのかい」


「その人に必要であれば、わたくしはそういたします。それがわたくしの、個体として信ずるところの道徳でございます」


「街の神様みたいな君が「信じる」って言葉を使うのは、なんだか変な感じだ」


「信ずることは、意志ある者の特権でございますよ。まさに「うた」そのものです。

信じて、歌い続けてごらんなさい。調子外れの「うた」から、一歩を始めるのです」


そう言うと、ヴォイスの頭はサンドアートを払い除けたように散り散りになって、彼を形成していた粒子は渦巻いてウェイドを包み込んだ。思わず両腕で顔を庇うが、それを突き抜けて閃光が眼前に広がった。





 「おかえり」


やけにいい声が微かなエコーを伴って、外耳道をくすぐった。閃光を阻むために閉じた目を恐る恐る開けると、自分が上を向いていることを、天窓の向こうの青空が教えてくれた。ひゅっ、と息が肺に吹き込んで、そこでウェイド・ビーツは、コンサートホールの座席にそっくり返って爆睡している、側からみれば間抜けとしか思えないような身体を自覚した。目蓋を擦って、慌てて立ち上がると、先程の心地よい目覚まし、つまりフライヤ・イクスビーが隣に座ってくれていたのに気がついた。


「ボク、どうなってたの?」


外身(そとみ)の君のことなら、ヴォイスの齎す霊気でトランス状態になって、静かにこの座席で眠っていたよ。中身の君は……」


フライヤはウェイドの目を見て、自信ありげに微笑んだ。


「君の見た通りだ。話したんだろう、ヴォイスと?」


ウェイドは静かに溜息をつくと、上手く開いていなかった目蓋を強く擦った。


「…あれは、夢じゃないんだね」


「君の体験が夢か、そうでないかの境界は曖昧だよ。正直な話、ウェイドにとって嫌な内容だったら、夢だと思って忘れてしまってもいいだろう。でも、そうじゃなかったみたいだね」


「ボクが目的を探すには、準備不足だってさ。だから、君にもう一つお願いがあるんだ」


次の一言を発するには、正直まだ抵抗を拭えていなかった。それが申し訳なさから来るのか、妙なプライドから来るのかは分からないが、このちょっとした段差を乗り越えることが、自分にとっての「調子外れの第一歩」かも知れないと思った。


「ボク、ここで暮らしてみたい。自分を知るためにはきっと、ボクの周りのことを知って、外とボクとの関わりを、輪郭を解るようにしないといけないんだ」


相変わらず、後ろに言い訳みたいな言葉を続ける癖は抜けない。だからと言って、フライヤも、それを咎めるような人間では無かった。彼は立ち上がると、ウェイドに右手を差し出した。


「僕はずっとそのつもりだったよ。

大丈夫。貴方の生活はイクスビー基金がバックアップする」


ウェイドはその右手を取って、硬く握手を交わした。


「ありがとう。君は本当に、ボクの命の恩人だ」


ウェイドは感謝を込めたと思っていた言葉だったが、フライヤは僅かに唇を尖らせる。


「恩人、かぁ。

嬉しいけど、もう一歩進めない? 友達、とかさ」


すぐに、いつもの小悪魔的な笑みを浮かべる美少年に、ウェイドは顔が勝手に熱を帯びるのを感じた。その出所が分からないくせに、人に伝えるその意味だけはやたら鮮明で、ウェイドですら知っているので更に恥ずかしい。かといってそっぽを向くのも違う誤解を与えそうなので、握った手を見るフリをして俯いた。


「君がいいなら、なってくれると嬉しい……」


「じゃあ、よろしく!」


フライヤはより一層子供っぽく、結束したばかりの友情を上へ下へと振り回した。そんな大聖堂の外では、カルナバルの西へと夕日が駆け込んでいた。

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