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第5節

第5節



 霊獣。その脅威はウェイドも、冬の遠征兵達から散々聞かされ脅かされた。山の支配者たる彼らには、人間を始めとする海から生まれた生き物の理屈が通用せず、生ける災害とも形容されるほど大きな力を持つ。


霊獣が出たという噂が広がってからというもの、巷では「霧の向こうに巨大な影を見た」という目撃情報が相次ぎ、森の中からはまるで空中で蒸しあげられたかの様な鳥の死骸が数多く発見された。それらが本当に霊獣によるものだったのかはともかくとして、ノース・メタロギーから人を遠ざけるのには十分過ぎる情報だった。

ローズ・コーミーを初めとしたゲダン村の代表者達は、この事態に対し、王国への調査依頼を申請することを決定した。もし本当に霊獣がいるならばゲダンは間違いなく国軍と化物がぶつかり合う戦場と化すが、このまま状況を放っておいても、村人達は全員飢え死にしてしまう。それに、仮にこれが霊獣の仕業で無くただの自然現象であったなら、それはそれでノース・メタロギーの安全性にお墨付きを貰えるというチャンスであった。

馬車に乗って村を出た重鎮一行は3日後に、さらに大きな馬車に乗って帰ってきた。一番近い都市であるレーズ府から、王国の脅威判定官とその護衛達を連れてきたのだ。彼らは仕事に熱心で、到着するなりホテルの裏山に入ると言い、危険だからとスタッフ達を全員麓へ追い出した。文句を言い続けるロミス夫人をなんとか宥めつつゲダン市場まで降りてきて、皆はその結果を固唾を飲んで見守ることになった。



そして、山頂から、煙が吹き出した。



半拍遅れて、甲高い蒸気の吹き出す音が町中に響き、建物をビリビリと揺らす。人々は一様に耳を塞いで目を固く閉じ、その場から動けなかった。透明度の低い凸凹の窓ガラスが軋むような音を立て、弱いものにはいくらかヒビが入ったが、割れることを恐れて足を動かせる余裕のあるものは無かった。

やがて幾人かがようやく目を開けたとき、次に見えたのは山頂から広がるリング状の雲だった。おぞましい灰色は急速に大きさを広げていき、それに伴って凸凹とした表面が目まぐるしく蠢いた。やがてリングの淵が市場の上まで到達すると、それは強烈な突風を連れてきた。

塵を巻き上げ、物を巻き上げ、人を掬い上げ、壁を打ち付けて、窓を打ち付けた。先程の音響とは比べ物にならない破壊力をもたらし、何軒かの家屋から屋根を引き剥がした。ハルは石畳へと突き飛ばされ、ウェイドは近くの建物のドアへ投げ飛ばされた。その建物の居間でソファに腰掛けていたローズにはガラスの破片が降り注ぎ、そのうちの幾つかは対面に座っていたロミスとその夫ターランドにも降りかかった。

幸い大怪我をしなかった彼らは風が止んだころに我に帰り、各々喚きながら小作人達と建物の玄関へ殺到した。おあつらえ向きに扉を開放したまま伸びていたウェイドは、頭を打ったせいでその声も光景もボーッと眺めていたが、直後に頬に走った痛みで首を動かすことを思い出した。


「%#$ド坊! ウェイ◆・ビーツ!!しっ+%&な!」


視線の先にはロミス夫人がいた。ウェイドの襟口を掴んで、揺さぶっている。言葉の端端が不明瞭で、よく聞き取れない。その背後でターランド・フレイル氏は彼女の肩を引っ張っていた。


「奴隷に構ってる場合かロミス!早く逃げないと!」


言われて、ロミスは夫の手首を掴んで彼の青ざめた面を睨みつけた。


「馬鹿かいアンタ!コイツはアタシらの財産だ、無責任な真似ができるか!!」


普段ならホテルの全館に響き渡るような怒声を間近で聞いて、ウェイドの意識は急速に覚醒した。ブレにブレていた夫人の輪郭が一致していくのを感じる。


「夫人…い、いま何が…?」


「山が煙を吹いてんだ。麓もいつまで安全か分からない。とっとと逃げるよ!」


夫人に促され、ようやく体を起こしたウェイドは膝に力を込める。そのとき、自分の胸から喉にかけてチラリと、焼けるような痛みを感じた。よろめきながらなんとか外に出ると、外は地獄のような喧騒だった。罵声に次ぐ罵声があちこちから聞こえるが、そのどれもがウェイドには意味を持って聞こえなかった。ウェイドは気圧されて、軽く咳き込んだ。

山の方を見ると、すっかり濃密な霧に包まれてしまい全くその全貌が見えなかった。これだけの湿気では、苦労して乾かしたリネンも全部ダメになってしまっただろうなどと、ウェイドは朦朧としつつ考えた。


「ウェイド!」


通りの方から、ハルが駆け寄ってきた。あちこち擦りむいていて、血が出ているところもある。


「フレイルさんと夫人も、ご無事で何よりだ」


「無事なもんかい。アタシらよりもガラスを引っ被った父上のが電光石火で飛び出して、すっかり出遅れちまった。脚腰の軽い老爺だぜ全く」


「僕の前でお義父さんを悪く言うのはやめてくれロミス。…とにかく、我々も早く逃げなければならないのは間違いあるまいよ」


妻の勇猛っぷりをひっくり返したかのような態度のターランド氏は、つやつやのカイゼル髭の先をしきりに弄っている。


「判定官のヤツはきっと何かやらかしたに違いない。そうなったときというのは、怒り狂った霊獣がワッと山から飛び出して……」


氏がその先を言う前に、正答は示された。彼の2、3メートル横に、不快な水音と共に何かが降ってきた。それは黒い布の塊で、破れた箇所から焼けただれたヒトの四肢が突き出している。バランスを崩して転がったそれから、何かキラリと光るゴミが落ちる。


「メダリオンだ…判定官の資格を示す…っ!」


ロミスがその正体を解し、ターランドが恐怖に飛び上がる。さらに、非常にやかましい高音が山の方からからこだまする。その音は王都にいた経験のあった者ならば、蒸気機関車のそれと非常に似通っていることに気がついたかも知れない。衆目を山に引き付けて、次に「それ」のしたことは、自分のお披露目だった。


霧のスクリーンに、薄らとシルエットが現れる。

ゴッ、シュッ、ゴッ、シュッ、と蒸気の力を得た何かの駆動音が始まると、金属の軋む音と規則的な地響きが始まった。足元が揺れるたび、礫が跳ねるたび、シルエットは色濃くなり、金属音は近くなる。

ふと、急に地響きの間隔が長くなった。

低い風切り音がして、それから影の一部が急速に濃さを増す。限りなく黒い一点から、霧を突き抜けて出てきたのは、何かの構造物だった。錆びた鉄板のパッチワークのようなそれは円柱状をしており、平面部分が少しだけ、三角に切り欠いてあった。ゲダンの人々は、その形をあまりにも見慣れているがために、むしろ疑問符を浮かべる。


「蹄…?」


塔と見紛うような大きさの蹄は、やがて上昇を止めると、今度は緩やかに真っ直ぐに地面へと振り落とされる。

否、決して緩やかなどでは無い。巨大であるが故にその速度を錯覚させる大槌は、地面に打ちつれられるなり、強烈な揺れを発生させた。土埃をものともせず、円柱はその背後にある大物を引き摺り出す。

まず出てきたのは、脚と同じ錆塗れの鉄板で形作られた面長な畜獣の頭だった。角は冠ともとれる形状をしていて、さながら古代中国の青銅器に刻まれた饕餮紋の様だ。鼻の穴からは蒸気をもくもくと燻らせている。

続いて胴が現れる。朽ちたトタン小屋のような外見の奥には、むしろ軽快に回転し続ける無数の歯車があった。時折オイルのようなものが遠心力で跳ね飛ばされ、脚の付け根などの駆動部を汚している。背中からは細い雨樋やドレンのような管が無数に伸び、どれからも蒸気が吹き上がっていた。


一歩、二歩、三歩。踏み出して、いよいよ全貌を表したそれは、要するに巨大な蒸気機械の牛であった。それは忌々しい湿気を無限に体内から吹き上げて、このゲダンの地を冷涼な避暑地から熱帯雨林のごとき有様へと変えてしまっていたのだ。彼はすっかりその姿を霧から抜き出して衆目に晒すと、胴に対して大きすぎる頭で天を仰いだ。明らかにバランスを崩して転倒しそうなものだったが、最早この偶蹄が不条理を成すことを誰も疑問に思えなかった。

機械牛はのんきに草でも食むように、口を開く。

すると喉元から、ごう、と音がして、彼の体表を覆うボロの鉄板たちがガタガタと震え始めた。やがてびゅう、だのひゅう、だのと風切り音が混じり始め、人々の足の間にも僅かに空気の流れが感ぜられた。

牛の腹から、アコーディオンのような蛇腹の吹子が顔を覗かせる。吹子の側端には二本のシャフトが通っており、それが伸びきると、ガコン、と動きが止まった。


一拍の間を置いて、シャフトは火花を伴って急に縮んだ。吹子はすっかり牛の腹に収まり、その結果牛は、吸い込んだ空気を一挙に吐き出した。それは彼の胃の中で、大量の蒸気を帯びたものになっていた。


「ア"ア"ア"ァァァァアアア!!!!」


人間の絶叫と聞き紛うような、それだけで人をどうにかできてしまいそうな轟音が、ありとあらゆる管から響く。趣味の悪いパイプオルガンのような背中から連なる頭より、破滅を齎す畜生が雄叫びを上げる。彼の喉奥に備わったファンが激しく震えながら回転し、ありったけの蒸気を吹き上げる。それはたちまち雲となって、幾重にも重なり、とうとうゲダンに雨を降らせた。


「あれが…霊獣……」


呆気にとられるハル。その頬に鋭い痛みが走った。

振り返ると、今まで見たことのないくらい表情を引きつらせたロミスが、彼に向かって平手を振り抜いていた。


「ボーッとしてないで、早く逃げるんだよ!!」


言うなり、ターランド氏共々踵を返す。氏も頬を摩っているあたり、自分の前に頬を張られたらしいことが分かった。

言われた通り駆け出そうと前に出した右脚に体重を乗せたとき、視界の端でウェイドが立ち尽くしたままなのを認めた。慌てて彼の肩を掴み、声をかける。


「何やってんだウェイド! いい加減逃げないと死んじまうぞ!!」


手前へ引き寄せようと手に力を込めた瞬間、ウェイドはその上に自分の手を重ねた。そして、ハルの手を優しく振り払った。


「いや…ボク、逃げても死んじゃうかも知れない」


この非常事態に全くそぐわない、落ち着き払った声だった。その冗談めいてないない感じが、余計ハルを混乱させる。


「お前、何言ってるんだよ…!?」


ウェイドがハルの方を向く。

土砂降りの雨で、伸びっぱなしの彼の髪が頬に張り付いて、表情はよく見えない。


「さっきから、夫人やターランドさんが何言ってんのか、上手く聞き取れないんだ。それに…息をすると、胸がチリチリする」


ハルの脳裏に、ここへ連れてこられたときの記憶がフラッシュバックする。


「ウェイド…お前、喉が?」


「うん。魔法、解けかかってるのかも」


惑星エム・フォウティの霊気は、地球人の肺にとってエネルギー過剰の毒物だ。それを奴隷商人のかけた魔法でフィルタリングし、かつ、この星の言語を聞いて話せるようにしていた。本来ならこの世に霊気がある限り効果の続く種類の魔法であったが、何故かウェイドのそれは解けかかっていた。


「ボクはどっちみち死ぬ。だから…ボクが、アイツの気を引いてみる。少しでも、みんなの逃げる時間を稼ぎたいんだ」


「何言ってんだバカ!一緒に逃げて、もう一回魔法かけて貰えばいいだろうが!!」


ウェイドは先程頭を打っていたし、息が上手くできていないこともあって錯乱してしまっている。そう思ったハルは力ずくでも彼を連れて行こうと乱暴に掴みかかった。だが当の本人はそれを二歩、三歩下がって避けてしまう。その動きは、不気味なくらい冷静だった。


「ウェイド!!」


本当にどういうつもりなのか量りかねて、ハルは声を荒げる。ほんのひととき睨み合うような格好になって、逡巡の後にウェイドは目線を逸らした。


「…あのさ、ハル」


もう数拍、躊躇う。

絶え間無い雨に負けた前髪はウェイドの顔をすっかり覆った。


「ここから逃げて、また息ができるようにして…それからやりたい事が、ボクには無いんだ。

ここに来るまで仕事もした事なかったし、働いて、将来をどうしたいとか、そういうのも無い。でも、君にはそれがある」


「こんなときに何の話だよ! 生きるか死ぬかなんだぞ、後で考えろ!!」


「だからだよっ!」


今までになく、ハッキリと聞こえる大声だった。

この一瞬ならロミスにも引けを取らなかったかも知れない。

だが今の二人は、そんな冗談も言い合わない。


「…だからボクの命、みんなのために使おうと思ってさ。早くミーツちゃんのとこに行ってやってくれ」


「なんでお前それを……」


「これがボクの出来る、最初で最後のお礼。今まで散々、足引っ張ってゴメン。って、今もか。ハハっ。…じゃあねっ」


有無を言わさないで、ウェイドは怪物に向かって走り出した。ハルが後ろから呼び続けていたが、振り返らなかった。


正直なところ、ウェイドはこれを1つのチャンスだと思っていた。睡眠と食事を繰り返すだけの日々と、奴隷として暮らす日々、共通するのは「この先が無い」ということだった。無限に続く虚無から抜け出す方法は死ぬことだけだと、いっそ終わりにしてしまいたいと常々考えていたが、自分の力で死ぬことはどうしても怖かった。


だが、目の前の圧倒的な存在ならどうだろう?

恐怖を感じる間もなく、蒸気で焼き殺すなり、踏みつぶすなりしてくれそうだ。そしてそのことが、ノース・メタロギーの人々の逃げる時間を稼ぐなら、まるで自分は炉にくべられる薪のように、その命でもって誰かの役に立つことだって出来てしまうのではないか?


どうしようもない、現実逃避で自己満足だ。

そんなことは今の彼にだって分かっていた。

ただもう、何もかもに疲れてしまった。それから解放されることを思うと気持ちが弾むのか、不思議と長いこと走っていられた。その分肺に霊気を取り入れてしまっている筈だったが、いよいよ感覚が麻痺しているのか、焼けつくような痛みは感じなくなっていた。気がつけばだいぶ山道を登ってきていて、市場がよく見渡せた。


「…ボク、こんなに足早かったっけね。ハハハ……」


感慨とも感想ともつかない弱々しい独り言は、すっかり近づいた歯車と蒸気ピストンの音に潰される。機械牛は我が物顔で街道を下っている。それをウェイドは脇の岩陰に潜みながら、近くの小石を1つ掴んで敵の接近を待った。


投石の届く距離まで来たところで、ウェイドは岩を飛び出し、思い切り叫んだ。


「やいやい化け物、こっちを向けよ!!」


そして小石を投げつける。それはデカブツの顎にコツンと当たり、高い音を出す。彼は緩やかに静止すると、大きすぎる頭を微かにウェイドに向ける。


「そうだウスノロ! よかった、日本語が通じるらしいな!」


そうしてもう一つ足元から石を拾うと、また投げつけた。ロクにボールも投げたことがない彼の投石は、なかなか先ほどのように怪物にはあたらないが、それでもウェイドは懸命に挑発を続けた。闇雲に投げまくっているうちにみるみる息は上がり、あらかた自分の周りの石を投げ尽くしてしまう頃に、とうとう膝をついた。手を置いた場所にあった1つを放り投げると、それは牛の目蓋にカツン、と当たり、牛は煩わしそうに瞬きをした。


牛は、自身の左の前脚を少し持ち上げて位置を調整すると、口を開けて吸気を始めた。先ほどの暴風そのものの音がウェイドを再び包む。その後に起きるのは、きっと、あの大量の蒸気の放出だろう。ついに、そのときがやってきたのだと、ウェイドは思った。


(みんな…逃げられてるかな……)


ウェイドはゲダンに住う人々を思い出す。

かつて、自分から関わりを拒否した他人に、もう一度受け入れてもらえるときが来るとは思わなかった。始まりこそ最悪だったが、結果的に、マシと考えられる最期を迎えられた。


(ハル、みんな、どうかお元気で)


風が止む。

蒸気機械はすっかりその機能を果たす準備を終えた。

腹から伸びた二本のシャフト。あれが縮んだとき、自分も終わる。


ウェイドは、目を閉じなかった。

訳のわからないままの日々、せめて自分がどう死ぬかはしっかり分かっていようと思った。



だから、全部見てしまった。


化け物は、突然そっぽを向いた。

意外と、その動きは俊敏だった。


そして、麓に向かって口を開いた。

ウェイドは、ここまで彼の気づもりを悟れなかった。


細く、粗末なピンで繋がれた牛の眉がカサリと動く

連動して、口角があがる。それはきっと笑顔。



次の瞬間、シャフトは列車のブレーキのような音と火花を伴って収縮し、吹子を急激に押し上げた。暴力装置から放たれた水蒸気は、それが水蒸気と信じられないほどの速度でもって山肌を下り、まっすぐにゲダン市場へと降りた。風圧で家屋のなぎ倒される音がするが、本当の脅威はそれだけでは無い。あの蒸気は、確かにヒトを焼き殺せるものなのだ!!


「やめろおおおォォォ!!!」


火砕流が如く射線上の全てを焼き尽くす蒸気の吹き出し音にウェイドの絶叫が混じる。だが、決められた動作を決められただけこなす「機械」は止まらないし、目の前の人間の魂胆を察知し、且つ台無しにしてやろうという悪意を持った「化け物」は止めることをしない。


叫び続けたウェイドの喉は枯れて擦れる。

同様に、牛の喉も潤いを失う。

仕舞いにはそよ風が彼の喉を流れゆき、粗末な取り付けのタービンがカラカラと音を立てて回り、軸の摩擦抵抗と重力に従って止まる。最早彼の身体から無数に生えるどのダクトからも煙は出ない。彼は、すっかりやり遂げたようだった。


一方、ウェイドのしたことは全て無駄だった。

無駄だったと、咎める人すらいなくなった。

最早麓は靄に包まれてしまい、立ち上る煙の壁は遥か向こうまで続いている。


「どうして…」


自分はここへ連れてこられたのか。


「どうして」


目の前の化け物は、ゲダンに現れたのか。


「どうしてっ」


自分は生きているのか。


「どうして!」


麓の人々を、焼き払ったのか。


「ボクが、アイツらが、何をしたって言うんだよ!!」


2人ぼっちのゲダンを、怒声が駆け渡る。

牛はそれに対して、「フンス」と鼻を鳴らすと、前脚を持ち上げた。その気怠げな挙動は地面に落としたタバコの吸殻を、踏み消そうとするのに似ていた。彼にとって目の前の人間は、その程度の、取るに足らない命でしかないのだ。


23年の歳月の果てに、ウェイド・ビーツの心は虚無感で溢れた。肩まで浸かり、耳を塞がんとしたのを、ふいに刺さった清涼な高音が引き留める。雨音も曇天も突き破るような、鋭い鷹の声だった。

蹄を追っていた視線がそのまま上空へと通り過ぎる。すると、雲を突き破って1羽の鷹が降りてきた。一見なんの変哲もないと思われたそれは、急降下で牛を目指しており、近づいてくるにつれ通常のものよりはるかに大きいことが分かった。


いよいよ牛の角に到達しようかという頃合いで、鷹は翼を広げ急ブレーキをかける。そしてその背から黒い影が落ちていった。影は巨鳥の懐を離れると、すぐにそれが白い服を着た人間であることが判別できた。空中で2、3度綺麗に回転すると、何やら振りかぶって牛の脳天に叩きつけた。


金属と金属のぶつかる音が鳴る。しかし、いままで錆だらけの蒸気機械から発せられていたそれとは違い、オーケストラのユニゾンのように気持ちの良い響きを持っていた。

直後、「ブワン、ウワン」と電子的な低音が激しく揺らぎながら聴こえてくる。揺らぎの間隔が徐々に収束していくのを聴き取りながら、ウェイドはかつて地球で聴いていた音楽を想起した。


「ワブル…ベース?」


収束は極まり、蒸気機械のあちこちにヒビが走る。牛の目がギョロリと上を向き、眉を繋ぐ細いピンがいっぱいまで引き延ばされる。全身が体幹から膨らみ、亀裂から光条を放つ。牛の脳天に一撃をくらわせた人物は軽やかに着地して見せると光源に背を向ける。


「ア"ッ!」


断末魔とも、破砕音とも付かない音を残して、蒸気機械の牛は爆散した。その体躯の全ては塵となり、四方八方へ散っていく。牛の居た場所から直上へ真っ直ぐに光が伸び、曇り空をただちに青空へと変えていく。遠くから、大きなベルの音が聴こえたような気がした。

残骸ともいえる煌びやかな粒子が、しばらく吹いていなかった春らしい風に乗ってウェイドの前髪を払い除ける。視線の先には、少年がいた。


ありきたりな言い方をすれば、まさに人形のように整った顔立ちだった。西欧の血を感じさせる青い目に金色の髪。前髪は丁寧に両側に分けられ、毛先は眉ほどの高さで瞳の美しさを邪魔しないどころか、引き立てている。

ブラウスにニッカボッカースを履き、白いショートマントを羽織っており、その右肩には、空と同じ色の八分音符が刺繍されている。

右手には紅く輝く鉈のような刀剣を握っており、これが災厄を消滅せしめたのは明らかだった。その峰を左手の親指と人差し指で摘んで、持ち手から切っ先にかけてスライドさせると、輝きは失せたが、黒にホログラムのような虹色を含んだ不思議な色合いだった。それを鞘に戻すと、少年はウェイドに歩み寄って、彼の前に跪いた。


「すまない、遅くなってしまって…。霊鳥(ピクト)と貴方の声が無ければ、本当に1人も救えなくなってしまうところだった」


少年は空を見上げる。彼の頭上では、先程の巨鳥がゆったりと旋回を続けている。


「…君は、いま、何を…?」


目まぐるしく変わる状況に疲れ果てたウェイドには、それを言うのが精一杯だった。だが、少年は優しく微笑みかける。


「今のは僕の仕事だ。僕のやるべきことであり、僕にしかできないこと。いつもはただ、壊すしかできないけれど、今日は貴方を守れた」


少年は立ち上がると、肩の刺繍に手を当てて、深く頭を下げ、一礼した。


「"私はヴォイスの目となり、耳となり、口となるもの"…僕はフライヤ・イクスビー。貴方の名前は?」


「…ボクはウェイド。ウェイド・ビーツ」


「そうか、ウェイド。貴方の声によく似合う、素敵な名前だ」


「声?」


「そうだとも。…さぁ、肩を貸そう。麓まで降りて、救助を待とう」


腑に落ちないまま、されるがまま、ウェイドは担がれて山を降り始めた。


この親切なような、胡散臭いような少年こそが、ウェイドの成長に大きな役割を果たすこととなり、彼のこの世界での2人目の親友となるとは、まだ、ヴォイスすらも知らないことであった。


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