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第1節

 惑星エム・フォウティ。多くの生き物を宿す母なる大地は、依然その全てを人間に委ねることは無い。シーナ・ノッチが生まれて初めてその事を知ったのは、9歳になったばかりの秋だった。


その日、彼女は村の恒例行事である、収穫祭の設営を手伝っていた。この仕事に関わることはシーナの夢の1つであり、彼女の日焼けした顔は自信に満ち溢れた表情だった。

沢山の丸太を積んだ荷車を牛に引かせて、村の中央にある広場に到着すると、この作業の責任者であるリンジー・アリアンに声をかけた。細身な彼は神経質だが、計算や建築においては非常に頼りになる男である。


「お疲れ様、シーナ。道中、怪我は無かったかい?」


「大丈夫だよおじさん。大体、森の入り口からここまで、ただの真っ直ぐな道じゃないか」


「それでも生き物に引かせているんだ、万が一ってこともある。もしそうなれば、私は君のお父さんに申し訳が立たんのだ」


「あー! またそうやって、わたしを"村長の娘"扱いするんだー!?」


シーナはリンジーを指差して糾弾した。彼は眼鏡のブリッジをちょんとひと押しすると、両手を腰に当てシーナを見おろした。


「扱いも何も、それが事実だ。自分の立場がよく分かっているということも、君が目指す"立派な大人"の条件だぞ?」


「むぅ〜!」


シーナの母親譲りの整った顔立ちが、ぷくっと膨れる。自分はもっと出来るのに、立場というものがこうして周囲に遠慮をさせてしまう。そんな風に彼女は考え、それを不満に思っていた。


シーナの住むクレイバン村において、彼女は同年代の友達の誰よりも身長が高かったし、彼女より気が強いものも居なかった。腕っ節も強いシーナはしかし、それらの能力を好き勝手に振るうことは決してなく、若きリーダーたる父と同じような、みんなの役に立つ人間になることに憧れた。だから村の一大行事たる収穫祭の手伝いをすることは、彼女にとって、責任重大な大人の世界への第一歩だったのだ。

5つの頃から毎年父親にお願いをし続けて、今年ようやく許しが出た。意気揚々と挑んだシーナだったが、リンジーを始め大人達は自分を侮っているのか、気遣っているのか、単純な仕事ばかりを与えて来ると感じていたシーナは、いつか見返してやると密かに誓い、熱心に作業に取り組んできた。

しかし、彼女の負けず嫌いな性分を周りの大人達は当然承知しており、今のように諌めることもしょっちゅうといった様子であった。


リンジーは眼鏡を僅かに上下させて、手に持っていた酷く茶けた紙の設計図と丸太を交互に見ながら、その数を数えると、工程表の一行に鉛筆で打ち消し線を引いた。


「うむ、次は君の運んできてくれたその丸太を組み上げる工程に移る。もう夜まで仕事は無いから、家に戻って休むなり、友達と遊んでくるといい」


「えぇっ! なんか手伝えることあるでしょ?!」


シーナの甲高い抗議の一声に、「ああ、またこれだ」とリンジーは呆れ果てたように肩を落とした。だがこういう時の必殺の文句を持っていることは、彼にとって1つ幸運であった。


「いいかいシーナ、櫓火(やぐらび)を組み上げる作業はとっても危険だ。だから、18歳にならないと参加出来ないのが"村の決まり"だ」


「ぐぬぅっ!」


シーナの顔が露骨に歪む。"決まり"を持ち出されてしまっては、それに背くことは、彼女には絶対に出来ない。「でもっ」となんとか反論の余地を探すが、9歳の少女の語彙と知恵はリンジーの無言の圧力に負けてしまった。唇を尖らせてリンジーの傍に立ち尽くしていると、遠くからシーナに呼びかける声がした。振り返ると、友人達が彼女に手を振って遊びに誘っていた。


「ほれ、丁度いいじゃないか。行ってきなさい。それとも、退屈なままここで立ち続けるのかい?」


リンジーはもはやシーナのほうを向くことすらなく、図面とにらめっこしている。シーナは「わかったよっ」とだけ語気強く言い捨てて駆け出したが、友達と合流するころには普段彼女らに見せているニコニコ笑顔になっていた。

はしゃぎ声が遠のいてからリンジーはふっと息をつくと、「賢明なお嬢さんだ。ねぇ村長?」と、いつの間にか傍に立っていた親友にしてシーナの父親、ゴン・ノッチに笑いかけた。


「面倒かけて済まないな。やはり参加させるべきじゃ無かったろうか?」


ゴンはリンジーが横に3人並べるほどの大きな図体をきゅっと縮めて、申し訳なさそうにした。リンジーは「いやいや」と手をひらひら振ると、眼鏡の端を軽く触った。


「むしろ今年で良かった。もう一年待たしたら、さらに面倒になっていたかも知れんよ? 地面の中で溜まり続けたマグマが、一気に吹き出すようにさ」


リンジーはその"マグマが吹き出す"様子をジェスチャーで表したが、ゴンは要領を得ないといった感じで首を傾げた。それを見て「ああ」とリンジーは言葉を付け加える。


「最近、都の魔法学校から出た論文に書いてあったんだ。火山の地下にはドロドロに溶けた岩やらなんやらが溜まってて、あるとき限度を越えると爆発するんだ。それが噴火なんだとさ」


「なるほどな」


ゴンはフッと笑った。


「人間の分かることはどんどん増えていくな。もう、何でもかんでも"お化け"のせいにできる時代じゃなくなってきた」


「おいおい、不用意なこと言いなさんな。ジイさんバアさん連中が聞いたらブチ切れる」


リンジーは慄くようなフリをして、ゴンと笑いあった。


「そうだな。うちのオヤジは間違いなくカンカンだったろう。生前はよくご先祖の話を聞かせてくれたもんだ。"霊獣"に追われて山から逃げてきたっていう話を」


2人は遠くの青く霞んだ山を見据えた。国境を挟んだ隣国にそびえる、ヴォイス山という名前を持つその山は宗教的な聖地として周辺国には知られている。信徒らは山そのものを巨大な生命体、霊獣であると信じているとゴン達は聞き及んでいた。そんなに大きな生き物がいる訳は無いだろうと思いつつも、実際のところ、魔法も霊獣も、この世界には確かに存在することを彼らは知っている。


若き惑星エム・フォウティは、海から人間をはじめとする多種多様な生物を生み出してなお、その生命誕生の源を大気中に宿しており、それは人々から「霊気」と呼ばれている。この霊気は人間の思考に感応し様々な現象を引き起こす性質を持ち、人類はそれを魔法として使いこなすことで文明を築き上げた。現在でもこれは変わることなく、ゴンもリンジーも、もちろん村の全ての人が恩恵にあずかっている。そしてこの霊気は、一か所に集まって濃度を高めることで新たな生命を陸に生み出す。それが霊獣である。


深い森の奥や険しい山中で発生することから「山のモノ」とも呼ばれる彼らは、一様に強力で超自然的な力を持つ。それらは時に人間に牙を剥き、ゴンたちの祖先のように生まれの地を追われることすらあった。


ゴンは物々しい霊峰から、自分の村へと視線を移した。普段はとても質素な家々は、祭のために多彩な装飾に彩られている。彼はその光景に口元を緩めた。


「この祭だって、元々は霊獣のご機嫌取りで始めたことなんだろう。でも、今となってはみんなが楽しむだけの平和な祭になった。良いことだと俺は思うんだよな」


「準備を子供に手伝わせても安心だしな?」


「それはお前達のおかげさ。ありがとうよ」


再び2人の間で笑いが起きた。

そのとき、村の青年が遠くからゴンを呼び、駆け寄ってきた。


「村長、手の空いた若い衆を連れてきました。これで櫓の組み立てを始められます」


「よしきた」


ゴンが手を打ち鳴らすと、乾いた音が秋空によく響いた。青年の連れてきた村の若い男たちがぞろぞろと集まり、ゴンとリンジーを囲んだ。


「そんじゃあ作業開始だ。村人の多くの期待がかかった大仕事だぞ。良い夜にするため、気合い入れていこう!」


直後、一糸乱れぬ「オウ!」の大合唱とともに、全員が散らばり、忙しなく動き始めた。日暮れから始まる村の収穫祭の主役、櫓火(キャンプファイア)の準備に、皆大いに張り切って臨んだのだった。





普段は静かなクレイバン村の夜も、この日だけは様子が180度変わる。村中の建物という建物は、夜間に色とりどりの光を放つ植物「レダヴィ」で飾り付けられ、外灯のない道を照らしていてとても明るい。夜なのによく見えるということの非日常感が楽しく感じる子供たちは、ただ無邪気にはしゃいでいた。

あちこちに椅子とテーブルが用意され、その上にはご馳走が並ぶ。人々はそれを取り囲み、かすかに発泡する果実酒を飲み酌み交わす。その顔は一様に赤みを帯び、皆顔が皺だらけになるほどの笑顔だった。


そして、村の中心たる広場には、村の男たちによって立派な櫓火が組み上げられ、煌々と燃えていた。それを近くで見上げたシーナは、肌に感じる強い熱気も忘れて感動のため息を吐いた。


「近過ぎだシーナ。もうちょっと離れなさい」


後ろからゴンに諌められ、シーナは慌てて火から遠ざかった。その下がった位置ですら、普通の子供は入れてもらえない、村の青年団の作業エリアである。ここで下手なことをしてつまみ出されてしまえば、念願の"大人の仲間入り"は中断されてしまう。彼女にとってそれは最悪の結末である。

自らの背後に回ったシーナの頭に、ゴンは優しく手を乗せた。


「ありがとうシーナ。お前の手伝いのお陰で、今年も立派な櫓火を灯すことが出来た」


そう言って櫓火に見惚れていたゴンだったが、自らの手が退けられるのを感じて、シーナの方を見た。

彼の手首を強かに握る娘は、頬を彼の腰につけて櫓火から視線を逸らしていた。


「わたしは何もしてないよ、父さん。組み立ての手伝いしてないもん…」


「そんなことないだろう、シーナ」


思ってもみなかった答えにゴンは少し驚いた。


「だって、丸太をリンジーおじさんの牛に運んでもらっただけだよ? 自分の力で運んだわけじゃないし、自分の牛を使ったのでもない。わたしが何かをしたみたいに見えるだけで、何もしてないのと同じだよ…」


顔は見えないが、またもやこのお嬢さんがふくれっ面なのは明らかだ。本当は目を見て話してやりたいところだが、もし今そうしようものなら更に機嫌を悪くするだろう。それはめでたい祭りの日にはあってはならない事だし、何よりゴンがこれから"伝えたいこと"の理解を阻むだろうと考え、視線は櫓火から外さなかった。そして「シーナ」と呼びかけようとした。その時、


「何かが櫓に飛んでったぞ!!」


櫓の番をしていた若い男性が声を張り上げた。直後、丸太のへし折れる激しい音と共に、突然櫓火の頂点がボンと弾けた。


「?!」


ゴンは咄嗟にシーナを抱き抱え櫓から離れた。

間も無く破片は先程シーナが立っていた辺りにまで飛散し、それを見てしまった彼女の顔から血の気が引く。広場の淵の、櫓が倒壊しても大丈夫だとされている場所までゴンは走り、到着するとシーナを下ろして振り返った。


高さが10メートルある櫓の頂点から、4割ほどが崩れ落ちていた。その燃え盛る残骸の陰から、人影のようなものがゆらゆらと見え隠れしていた。


「っ!? おい、大丈夫か!!」


ゴンが駆け寄ろうとすると、その人影から炎を突き通すように、長い棒が伸び上がった。それは異様に細く、途中に節がありそこから折れ曲がっていた。先端に人間そのままの手が付いており、そこで初めてそれが腕だと理解できた。手の大きさに対してあまりに歪な細く長い腕が地面に突き立てられると、やがてその付け根から本体が現れた。飛膜を広げきったムササビのような輪郭をしており、(それが仮に本当にムササビであったなら)本来手がある位置からさらに、例の奇妙な前腕が伸びている。頭はどんな動物のそれとも一致しない、と言うよりは、シーツを被って端を引っ張って浮かび上がらせた"人間の顔"そのものでしかなかった。


「なんだ…アレは……」


呆然とするゴンの前で、化け物としか言いようのないそれは頭を高く掲げ、高いコーラスのような咆哮を上げた。伸びきった体皮は炎で照らされているはずなのに中身の影は全く伺えず、どこから出しているのかもわからないそのサウンドは酷く喧しく、周囲の者は皆耳を塞いだ。

そして化け物は視覚があるのかもわからない顔をあちこちに向け、ある一角に目を向けると、そこに向かって駆け出した。

村人達は悲鳴を上げながら、化け物の動線の左右に分かれて逃げ出す。やがて一軒の家に到達した化け物は前脚を使って飛び上がり、駆けた勢いのまま、膝だけをひっくり返した人間のような後ろ脚で家屋を蹴り飛ばした。直後、その華奢な脚の構造からは考えられないような衝撃が丸太作りの壁を打ち、建材を粉々に破壊した。そしてその破片が、呆然と立ち尽くすゴンとシーナを目掛けて、恐ろしいほどの速さで飛んで来た。

シーナは絶叫し、腕を前に出して目を固く閉じた。直後、彼女の身体は暖かいものに包まれ、鈍い衝撃音と共に地面に倒れ込み転がった。何回転かしてようやく止まり、しばらくして自身に痛みがほとんどないことに気がついてシーナはゆっくりと目を開けた。


自分の父親が、彼女を抱きしめたまま、顔から血を流していた。


「とうさん…?」


ゴンは掠れるような唸り声を上げると、なんとか血に濡れていない方の目を開き、胸に抱えた娘の傷ひとつない顔を見て安堵の溜息をついた。


「よかった…シーナ……」


言葉を続けようとしたものの、頭のてっぺんから、サーっと不快な冷たさが広がり、意識がいともたやすく遠のいた。そうして腕の力がゆるんだ事に気がついたシーナは、そこから抜け出ると父の肩を叩き、必死に呼びかけた。泣きじゃくるように叫び続けるシーナの声に、遠くから化け物の咆哮が混じる。聴こえてきた方角を見ると、前後の脚を伸ばした不自然な造形が、煙い夜空を高く飛び去っていくのが見えた。


「ゴン! シーナ!」


呼び声に振り返ると、シーナの母親であるキキと、リンジーが駆け寄って来ていた。ゴンの様子を見たリンジーは目を見開いたが、グッと言葉を飲み込むと彼の呼吸と心音を確認してから、慎重に彼を肩に担いだ。


「このままじゃゴンがマズい。キキさんは先にシーナと家に戻って、清潔な水と布をたっぷり用意していてくれ」


「わかりました。シーナ、一緒に手伝って頂戴!」


震える声を押し殺し、キキはシーナの手を引いて駆け出した。なすがまま村内を母と走り抜けていると、先ほどまで煌びやかに飾られていた家々は一様に痛々しくひしゃげていて、多くの人が怪我をしている。これだけのことを、突然現れたあの怪物はほんの一瞬でやってのけたのだろうか。だとしたら、人間はあまりにも無力では無いだろうか?

と、シーナは胸に湧いてきた考えがとても恐ろしくなり、慌てて頭に蓋をした。しかし、もう既に遅かった。心臓がひりつき、毛穴が広がって冷たい汗の出て行くのを感じる。食道で堪え切れなくなった刺々しい呼気を、母に聞こえぬよう吐き出すように囁いた。


「わたしだけじゃない……」


わたしのする事も、他の誰かがすることも。

リンジーや、尊敬する父のすることでさえも。

人間の為せることはとても小さく、意味が無い。


幼い心に、そんな深い絶望が横たえた。


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