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お題4『天井の染み』 タイトル『スリースターズ』

「こいつとも今日でお別れだな」

 俺は自分の愛車を眺めて呟いた。この車は俺が初めて買った車であり、最後の車になるかもしれないのだ。

 型はトヨタ・白のセリカT200型の後期だ、平成11年のものを中古で買って12年乗っている。四つ目が特徴でミッションのスポーツカーであり、全体的に丸みを帯びたデザインが愛らしい。今でも俺はこの車に飽きていない。

 なぜこいつを手放すのかというと、俺は仕事で関東に行かなければならないのだ。仕事の都合で行くのだが、さすがにこいつを止める駐車場代は払えない。だから最後にお別れをしようと思い、車を洗車しに来たのだ。

 車を洗う場所は毎回決まっている。近くのセルフのガソリンスタンドだ。そこでは200円で洗車機のシャンプーをしてくれるため、後はタオルでふきあげて水垢のワックスを掛ければ終いだ。

 買った当初、俺は機械の洗車機を躊躇った。車に傷が入るからだ。もちろん最後だからといって最初から手で洗う気はない、こいつの洗い方は最後までこれで通すつもりだ。

 ふと彼女と結婚したらこういう関係になるのかな、と想像する。現在同棲している相手がいるのだが、彼女とのこれからの関係は未知数だ。車との距離感と彼女との距離感が自分の中でシンクロする。

 この車・セリカとの最初の出会いは刺激的で、俺は自分の車を所有するだけで嬉しかった。一週間に一回は洗車を欠かさなかったし、暇さえあればオートバックスにいってこいつに合うものを選んでいった。意味もなくギアチェンジに使うグリップも銀色に変えてみたりした。自分なりの色に染めたかったのだ。

 今の彼女も同様に、最初の出会いは刺激的で、こいつと一緒にいられれば後はどうでもいい、という気持ちだった。彼女の職場まで迎えに行き、その帰り道の時間だけでも話せるのが俺にとっては何よりの幸せで彼女を思うだけで満たされていた。

 だが今はどうだ、車に関しても洗車は一ヶ月に一回すればいい方で冬になれば業者に任せる習慣がついた。彼女にいたっては迎えに行く所か、帰ってきても返事もせず必要以上に近づかない、という暗黙のルールが出来上がっている。

 一体いつの間にこんな関係になってしまったのだろう、洗車機の中で俺は溜息をついた。これが終わればセルフスタンドの駐車場でワックス作業に入る予定だ。

 洗車機の行方を見ていると、車の天井に一つの染みが見えた。見覚えのないものだった、これは一体いつできたのだろう。

 俺は最初の出会いから早送りをしながらイメージを遡る。セリカと出会って12年、この車には二人の彼女を乗せている。

 一人は10年前、今の彼女は5年前、この染みは煙草のような気もする。俺は元カノと出会った時、まだ煙草を吸っていたのだ、愛用していたのはセブンスターのカスタムライト、今はセブンスター10という名前に変わっているらしい。

 染みを再び凝視する。小さい円形になっており真ん中だけぽっかりと空いている。茶色の染みがカフェオレのように緩く広がっており、特別に汚いという印象は与えない。

 再び今カノを連想した。彼女もまたアラサーと呼ばれる年齢に入っている。付き合った当初は肌も綺麗で、今でもそれに変わりはないと思うのだが、染み消しクリームを丹念に塗っている。本人にしか気づけない点があるのだろう。

 俺はセリカに染み消しクリームを塗ってやりたい衝動に駆られた。こいつは感情表現をしないクールな女だ、こいつは今俺のことをどう思い、どんな感情を抱いているのだろう。

 都会へ行くことに対して捨てられた、という妬みの思いがあるのだろうか。それとも長い間、大切に使ってくれてありがとう、という感謝の気持ちだろうか。それとも自分の使命を全うしてほっとしているのだろうか。

 洗車が終わると、俺はセルフスタンドの駐車場に止めて丁寧に水を拭き取ることにした。やはり最後だという思いから手に力が篭もる。綺麗になっていくこいつを見ると、やはりいい車だなと思ってしまう。正直にいえば手放したくない。

 今の彼女だってそうだ、と俺は反芻した。俺のことをきちんと考えて朝飯を用意してくれるし、俺が仕事で落ち込んでいる時も支えてくれたのは彼女だ。仕事を辞めている今でも、彼女は文句の一つもいわずに俺のことを気遣ってくれているし、東京に行って頑張って来いと応援さえしてくれる。こんないい女、東京にいるはずがない。

 自分の葛藤を何度も拭いながら、セリカの水拭きを終えた。後は白コーティングのワックスを掛ければそれで終了だ。

 なぜ俺は東京に行くことになったのかという思いが再燃する。それは自分の技術の向上で、新しい世界を知りたいと願ってしまったからだ。前の職場でも正直にいえば食っていくのに困らないし、同じ業界で考えれば俺は貰い過ぎていた方だ。

 要するに俺はバカなのだ。給料が半分以下に減るという現実を見ず、夢を追い掛ける少年なのだ。30を超えても俺のバカな脳味噌は俺を夢へと誘っていく。新しい世界を見ろと。お前はここにいるべき存在ではないと。

 彼女もセリカも一緒に行ける世界があればいいのに、俺は頭の悪い考えに飲まれていった。会社を辞め、先方に話がついているのにだ。自分で決めたことに対して躊躇するバカがどこにいるのだろう。

 俺は自分の考えを払拭するために、気合を入れて水アカを落としていった。この作業が終われば、こいつとはお別れだ。

 俺はお前に出会えて本当によかった、と心の中で思った。お前が俺のセリカでよかったと思うし、俺のセリカでお前がよかったと思ってくれたらいいと考えている。10年以上の付き合いをなんの文句もなくお前は淡々としてくれた。

 それだけで俺は満足だ。

 できれば新しい相手に出会って欲しいが、お前の体じゃ持たないだろう。こいつの修理はすでに本体価格を超えている。これ以上は無理をさせたくない、という思いもある。

 今カノはどう思っているのだろう、という考えにシフトする。あいつは本当にいい女だ、俺じゃなくてもきちんと恋をして新しい相手に出会えるだろう。男勝りな所があるから、最初はきちんと猫を被るんだぞ、そうしないと一次試験の面接でふるいに掛けられて落とされてしまうぞ。

 もちろん東京であいつと一緒に暮らせる金はない。家賃と食費で手一杯だろう。だからセリカと今カノはこの北九州に置いていくと判断を下しているのだ。

 ワックスが仕上がった。車に乗り込もうとすると、見慣れた相手を見つけた。元カノのノリカだ。

「おーい、久しぶり」

 彼女は大きく手を振って俺の方へ来る。

「元気してる?まだセリカに乗ってたのね」

「ああ」

 俺は相槌を打ちながら彼女の表情を見る。別れてから5年以上経っているがたまにこうやって出くわすのだ。なぜなら地元が一緒だからだ。

「凄い綺麗、傷一つないじゃん。今何万キロ走ってるの?」

「15万だな、まだこいつは走れるよ」

 そういいながら今日でお別れだなんていえない。

「へぇーそっか、懐かしいね」

 元カノは懐かしそうにセリカの周りを一周する。こいつの口癖は『セリカに乗るの?それともノリカ?』という訳のわからないフレーズで俺を何度となく誘惑してきた。

 その誘惑に勝てた試しは一度もない。

「実はさ、ねえ、見てよ」彼女は嬉しそうに財布をごそごそと探す。「じゃーん。ねえ、私ミッションの免許取ったんだよ。凄いでしょ」

 こいつの免許は最初、ATだった。彼女の運転技術でMTを取るのは手間が掛かるし純粋に凄いと思った。

「ん、お前の車は?」

 俺は周りを見渡した。しかしそこに車は一台もない。

「さあ、どこにあるでしょう?」

 嬉しそうに彼女は微笑む。俺は不審に思い、再び免許を見た。右下を見ると中型という表記が目に入った。

「あれか、あのバイクがお前のなんだな」

「そう、当たり」彼女は満面の笑みで微笑む。「実はさ、×××君に私の免許がMTじゃないって馬鹿にされてて傷ついてたんだ。それでMT取りに行っていたんだけど、バイクの方に夢中になっちゃって……」

 当時、俺たちの世代ではAT車はまだ五分の割合だった。男でATを取るのが恥ずかしいとされていたのだ。俺は付き合っていた女にもそれを当たり前のように卑下していたようだ。

 最低のクソ野郎だ。

「ごめんな」俺は本心で謝った。「申し訳ない。気に悩ませてたなんて気づいていなかった」

「全然いいよ」彼女は笑顔のままいう。「でもそれで私はこいつに出会えたんだから、チャラってことで。バイクに乗るのって凄い気持ちいいんだ。倒れたら最悪だけどね」

「…そうか」俺はほっとしながらも決心がついた。「実はな、こいつとは今日でお別れするんだ。もしお前が乗りたいのなら、無料ただでやるよ。車検は半年後に切れるけどな」

「マジ?」彼女の目が輝く。「どうしよう、欲しいんだけど……やっぱ無理」

「どうして?」

「私さ、もう結婚してるんだ。だから前の彼氏から車貰ったなんていったら、不味いでしょ」

 それは確かにやばい。最悪、俺が東京に行く前にセリカと一緒に海に沈められる可能性がある。こいつの彼氏はそっちの筋の方だからだ。

「でも惜しいね。どうするの、セリカ」

「修理してくれた人に譲るつもりだ、お前の家の近くの修理工場だよ」

「ああ、あの土手にある所ね」

 彼女はそういって頷いた。この車を10年以上修理してくれている所に感謝を込めて贈呈するつもりだ。その会社の社長はセリカが好きで、俺がぼろぼろにしたセリカを安く修理してくれた。だからこそその恩に報いたい、と思っている。

「そういえば、セリカの天井に染みがあるんだけど、知らないか?煙草かなと思うんだが」

 元カノと一緒に染みを見つめる。彼女の眉間に皺が寄る。

「うーん、どうだろうね。私が乗ってた時には……なかったような気がする」

「そっか」

 俺は二つ返事をした。俺が覚えてないのに彼女が覚えているはずがない。

「んじゃ私、もう行くね」

「ああ、ありがとう」

 元カノを見送り、俺は再び決心がついた。今カノのハルカに電話しよう。

「何、今忙しいんだけど?」

 彼女は一言いって俺の言葉を待っている。仕事に行っているのはわかっているが、電話を掛けずにはいられなかった。

「なあ、お前さ、セリカの天井に染みがあるの、知ってるか?」

「知ってるよ」彼女は即答した。「それがどうしたの?」

「もしかしてお前がつけたの?」

「そうだけど」

 ごくり、と唾を飲み込む音が聞こえる。もしかすると彼女にもこの音が聞こえているのかもしれない。

「どうしてつけたんだ?」

「答えた方がいいの?」

 自問する。ハルカがこういう風にいう時は自分で考えて答えを出さなければいけないのだ。付き合った5年の年月がそういっている。

 しかし答えが見つからない。

「ヒントをくれ。煙草だということはわかってる」

「なら、簡単でしょ」

 煙草だということは確定らしい。彼女は元々煙草を吸わない、吸っていたのは5年前の俺と元カノだ。

 ということは……。

「ごめんなさい」俺は電話で謝った。「もうしませんから、許して下さい」

「…今頃、謝ってすむと思ってるの?」

 俺の心臓は大きく揺れ動いている。そう、俺は一度だけ元カノと二人だけで会ったことがある。

「この際だからはっきりいっとくわ。私、今日で×××君と別れようと思ってたのよ」彼女は淡々とした口調でいう。「セリカを持っていくっていっていたから、今まで我慢してたのよ。私のせいであの子を傷つけちゃったから、あの子がいるうちは我慢しようと思ってたの」

 どんな思いで彼女はセリカを傷つけたのだろう。ボディに傷が入れば、俺が気づくのは目に見えている。曲がりなりにもきちんと整備をしているからだ。

「今頃気づくっていうのはある意味、才能あるよ、×××君」

「すまない」

 俺は携帯を持ったままお辞儀をした。誠意を示すには態度からだ。

「別にね、私もあなたのことが嫌いじゃないんだけど……私もいい年だし、もうこれ以上は付き合えない」

 反論する余地はない、事実だからだ。俺がしてきたことに対して、これ以上どんな言葉を掛けても彼女には伝わらないだろう。

「だからさ、一つだけいわせて」

「はい………」

 俺は頷いて彼女の返事を待った。体全体が心臓になったように脈を打つ。できることならこの場を離れたい。

「後、3年だけだから。それ以上、待たせるのなら無理」

「ありがとうございますっ!!」

 俺は土下座する勢いでハルカがいそうな方角に頭を下げた。顔を上げると、太陽が俺の方に光を向けている。

「次、煙草の匂いつけて帰ってきたら家に上げないから。それと……」彼女は大きく溜息をついていった。「ノリカに乗ったら殺す」

 電話はそこで切れていた。きっと彼女の理性も一緒に切れていることだろう。今日、俺は果たして家に帰ることができるのだろうか。

 愛車に乗りながら再び煙草の染みを眺める。正直、元カノと何もないなんていえない。ただ久しぶりに彼女に会って俺の友達と付き合う報告を受けただなんていえるわけがない。

 もう一度だけ煙草でも吸ってみようかな。

 俺はあてもなくハルカを思いながら、遥か彼方にある空をぼんやりと眺めた。

お読み頂いてありがとうございます。

もしあなたのお時間がまだあるようであれば一言だけ、感想を頂けないでしょうか。

頂けたら、明日はもっといい作品が書ける気がします。

一つ、よろしくお願いします。

読んで下さって、本当にありがとうございました。


明日は『ライブハウス』でお送りします。お楽しみに!


※もしあなたがお題を出してくれるのなら、それで一つ書くことができます。お題を募集していますので、気軽にコメントを下さい。

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