最後のお話
五人と二匹は頂上に向けて歩き始めました。
インデペンデントは納得のいかないような顔をしてイデアに話しかけました。
「わしはお主を認めておらんぞ。神なんてものがいるのかも怪しいし、宇宙の法則の前には不思議な力なんてものは存在しないのじゃ。すべての不思議は解き明かしてしまえば不思議ではなくなる」
イデアは笑って答えました。
「私の力ももちろん宇宙の法則から外れたものではありません。私の力は『不思議であって、不思議でない力』なのです」
「なんじゃそれは?不思議じゃのぉ」
二人が話しているうちに、頂上が見えてきました。
周囲にあった霧も晴れ、地上を果てなく見渡せるほどの絶景がみんなの前に飛び込んできました。
インテグラはその景色を見ると、手を合わせて感動しました。
「きれい……」
イマヌエルは自分の村を探しましたが、小さすぎて分かりませんでした。そして、世界とはなんと広いものだろうか、自分のいた世界はなんとちっぽけだったのだろうか、と思いました。
イシュタルだけは険しい顔をして、頂上を見ていました。
「僕とイデアはここから先に行かなければならない、しかしイマヌエル達は行く必要はない。頂上ではおそろしいモンスターが待っているはずだ。危険だからこのまま山を降りた方がいい」
しかしインテグラは首を振りました。
「ここまで来たら、イシュタル様。あなたの目的を果たすまでお供します」
イワンコフは言いました。
「わしらはもう仲間じゃないか。仲間ってのは泣くも笑うも一緒にする事を言うんだろ?それをわしだけさしおいて、怪物を倒して名誉を得ようなんて、ひどいじゃないか。わしも仲間に入れてくれい!」
インデペンデントも言いました。
「名誉と聞いたらわしも行かないわけにはいかんのぉ。わしが怪物を倒したとなったらわしの地位は動かぬものになるじゃろうて」
イマヌエルはただ、入り口の看板に書いてあった文字を思い出しました。
『後戻りはできない』
最後にイデアが言いました。
「みんなで行きましょう。私たち生物は生まれた時からすでに神に抱かれているのです。生きるも死ぬも天の導きです」
夕焼け空が照らす中、ゴツゴツした岩場を登っていきます。
そしてとうとう、頂上にたどり着きました。
頂上は夕焼けの太陽を背にしていて、とても綺麗でした。
しかしその美しい太陽の真ん中に、何やら黒い影が見えました。
それはよく見ると、とても大きなバケモノでした。
イシュタルはとうとう会えたとばかりに、みんなの前に出ました。
「イモータル!お前を倒しに来たぞ!」
イモータルと呼ばれる黒いバケモノは、女の顔をしているものの、胴体は虎、その首から上に牛の胴体が繋がった、何とも奇妙な体をしていました。そこにハゲワシの黒い翼がついており、髪の毛はところどころが蛇になっていました。
インデペンデントはその容姿に驚き、おびえて岩陰に隠れました。
「なんじゃあの姿は!キメラ?メデューサ?どうしたらあんなおぞましい姿になるんじゃ!?」
イシュタルは剣を抜き、構えました。
「あれは私の妻だった、イセリアという女です。彼女は世の中の全てを呪っていました。呪って呪って呪い続けた結果が、あの姿です。私は夫として彼女の罪を半分受けたのです」
イシュタルはそう言いましたが、すぐに自分で自分を否定しました。
「それは違います。今言ったのは僕の左半身です。僕の右半身は、『自分の姿は自分の罪の結果である』と言っています。僕の姿が醜いのは僕自身の罪によるものです」
「お前さんも難儀だな」
イワンコフがイシュタルに同情しました。
イシュタルはいつもこのように、一つの意見をもう一つの意見で否定しているのでした。
イモータルは、半分バケモノになったイシュタルの姿を見て嘆きました。
「ああ、かわいそうなイシュタル。美しかったあなたも今や、半分は私と一緒じゃないか。いっそ私のようにバケモノになってしまえば、不老不死の肉体と美貌を得る事ができるものを」
イモータルは、動物の肉体から命を吸い取って、いつまでも先に寿命を延ばしているのでした。
インテグラとイマヌエルもイシュタルに並んで、勇ましく前に出ました。
「イシュタル様はあなたを倒して善の自分を取り戻すのです!」
『善は急げ!』
インテグラは持っていた投げナイフをイモータルに向けて投げました。
それは胴体に突き刺さり、イモータルは色んな動物の声が混じったような鳴き声を上げました。
イモータルは虎の前足を高くあげ、頭から何か黒いものを飛ばしました。
その黒いものとは、イマヌエル達を苦しめた、あのイリーガルでした。
それが何と、今度は五匹も出てきたのです。
イシュタルは驚きの声を上げました。
「イリーガルは彼女の髪の毛が変化したものだったのか!巨大なクモがこんなに沢山!」
「クモではありませんわ。イシュタル様、あれはカミキリムシです」
「僕には大嫌いなクモに見えるぞ。もしかして、一人ひとりの嫌いなものに姿を変えているのか?だとするとイマヌエルには山猫に見えているのか!?」
イマヌエルはうなづきました。
「なるほど、ネズミの天敵は猫だからな……
イマヌエル、一体だけでいい。君の力で倒してくれないか!」
その時、五体のイリーガルのうちの一体が、イマヌエルを食べようと一直線に向かってきました。
イマヌエルは逃げ回りながら、反撃のチャンスを伺いました。
岩陰に隠れたインデペンデントは言いました。
「何じゃあ!うちのかみさんが五人もおるぞ!わしゃ夢でも見ておるんかいの!?」
「いえ、違います。あれは自分が最も恐れているものに見えているだけです」
「そうかそうか。それなら納得じゃ。すまんがわしの分も誰か倒してくれんかの」
そう言って岩陰に完全に隠れてしまいました。
イシュタルはインデペンデントの事は諦めて、剣を構えました。
すると、イシュタルよりも早く、イワンコフがイリーガルに向かっていきました。
「イワンコフ!君には何に見えているんだ!?」
「ただのモンスターだよ。わしはいつもモンスターと戦っとるから、特別恐れる事もない。恐れっちゅうのはな。尻込みすればするほど襲ってくるんだよ」
そう言って、斧でイリーガルを四匹同時になぎ払いました。
そしてイマヌエルに向かって言いました。
「迎え撃て!ネズ公!恐れたら負けだ!」
その怒声でビックリしたイマヌエルは立ち止まってしまいました。
その瞬間、イマヌエルの何倍もある大きな山猫が、イマヌエルに噛みつこうと、牙をむき出しにして突進してきました。
イマヌエルは逃げるという選択を捨てて、ついに山猫に向かって逆に突進していきました。
そして前歯が折れているのも忘れて、山猫の喉元に噛みついたのです。
その瞬間、山猫は黒い影に戻り、ついには風と共に消えていきました。
イシュタル達は喜んで声を上げました。
「やったぞ!イマヌエル!ネズミがネコに勝った!」
岩陰に隠れていたインデペンデントもそれを見ながら、やっと出てきました。
「今何と言った?ネズミが猫を噛んだ、じゃと!?わしは今新しいことわざを思いついたぞ。『窮鼠猫を噛む』じゃ!窮鼠とは追い詰められたネズミという意味で……」
ぶつぶつ言うインデペンデントを尻目に、みながイマヌエルの勇姿をたたえました。
勢いに乗ったイシュタルはイモータルに剣を向けて言いました。
「さあ、こけおどしはもう通用しないぞ!今度はお前の番だ!」
「生意気な!」
イシュタルが構えた瞬間、イランイランが太陽の光を反射させました。
「イランッ!」
イシュタルは、剣で目を隠し、反射した光をイモータルに向けました。
「今だっ!」
イシュタルは聖なる剣でイモータルを切りつけました。
イモータルの胴体からは激しい血しぶきが飛び散りました。
「があああああっ!」
イモータルの血は黒赤色に変色しておりました。
それを見たイシュタルは、剣を鞘に納めてしまいました。
「痛いか!?イモータル……いや、イセリア!それなら君はまだ生きているという事だ!そして君にもまだ赤い血が残っている。それはつまり、まだやり直せるという事だ!そうだろう。イデア?」
イシュタルはイデアの方を向きました。
イデアは笑ってうなづきました。
「あとは彼女次第ですわ」
イシュタルはイモータルに言いました。
「君はまだ人間としてやり直せる。これが最後のチャンスだ。怪物になって周りを呪ったって何も変わらなかっただろう?これからは自分の力で最後まで生きるんだ」
イシュタルは、イモータルが怪物になって後悔している事をすでに知っているのでした。
なぜならイシュタルも半分は怪物だったからです。
イモータルは傷を抑え、大人しくなって言いました。
「……もしも叶うなら、もう一度やり直したい。もう一度人間として生きて、泣いたり笑ったりしたい!」
「それでいいんだ、イセリア。すまなかった。僕の罪は、君という不幸な人間がいると知って、見捨ててしまった事だ。ずっとそれを気に病んでいたんだ。許してくれ、イセリア」
イデアは二人の話に納得したように、うなづきました。
そして、杖の底の部分で地面を二回叩きました。
「審判の時は来ました。私の力をお見せいたしましょう」
イデアが金に輝く杖を振ると、天から光が降り注いできました。
天に最も近い山の頂上が、イデアの力を発揮できる一番の場所だったのです。
「私の力は、みなさんの純粋な気持ちで訪れる将来の姿を今、反映させる事です」
光はそこにいる全員を包み込みました。
まずはじめに、イシュタルの左半身の醜さが消えました。
「おお!これで僕は一心不乱に『善』に向かって生きていける!」
イセリアは昔の姿に戻りました。
「髪の毛は少し減っちゃったけど、まだまだ見られるわね」
インテグラは今よりもっと綺麗になりました。
「何だかわくわくしてきたわ!子供の頃に戻ったみたい!」
イワンコフは特に変わりませんでした。
「人間というのは、感情が豊かで面白いのぉ。わしも生まれ変わったら人間になりたいわい」
インデペンデントは、もう地位を気にしなくなりました。
「わしはなぜ肩書きなんぞにこだわっていたのじゃろう。これからは未知の生物の研究で忙しくなるわい」
そしてイマヌエルには前歯が戻ってきました。
「やっと普通のネズミになれた」
一同はイマヌエルの方を見ました。
片言ではなく、ハッキリと話すイマヌエルを初めて目にしたのです。
「イマヌエル!君達黒ネズミはそんなに立派に話せるのかい!?」
「もちろん。これまでは前歯がなくてうまく喋れなかっただけだよ。やっぱりネズミには前歯がないとね」
山猫を倒したことも、イマヌエルの自信につながっていました。
自信を取り戻したイマヌエルは、自分や自分の住んでいる町の事をいっぱい仲間たちに話しました。
そうこうするうちにイマヌエル達は山の入り口にまで戻ってきました。
イデアはそこにいる全員に感謝しました。
「運命とは言え、この喜びは予想していませんでした。あなたたちの成長は私にとっての喜びです。私はこれからも悩める者を救っていく事に喜びを持って取り組んでいけるでしょう。私は神に感謝いたします。
ああ、神よ、わが主、イエ…………イエ…………言えません!!私は自分がまだ『イ』からはじまる、聖なる名前を呼ぶに値するとは、どうしても思えません!」
イシュタルはイデアのその姿を見て感激しました。
「それほどの力がありながら、神の名を呼ぶ事さえできないとは、何と謙虚なのだろう。あなたは間違いなく天の使者です。自信を持って下さい」
イデアはその言葉に涙しました。
「ありがとう。
これから私は次の使命に向かう事にします。それではまた、運命の輪が一回りした時に会いましょう」
そう言って山を降りていきました。
イシュタルは今度はイセリアの方を向きました。
「イセリア、君はどうするつもりだい?」
「私は償っても償いきれない罪があるわ。イシュタル。あなたはもう一人の私だから、いつでも会えるわね。それじゃあ……」
そう言ってイセリアは別の方角に降りていきました。
逆にインテグラは反対の方向に降りていこうとしました。
「イシュタル様、私はいつでもあなたを想っています。それでは……」
二人の女性が別の方角に行ってしまう様子に、イワンコフは慌てたように言いました。
「イシュタル、わしはふるさとに帰るが、お前さんは女を追いかけなくていいのか?わしにはよく分からんが、男は女を追いかけるものだと聞いたぞ」
「僕は……」
悩むイシュタルをさえぎるように、インデペンデントは言いました。
「若いもんはいいのう。まあ、わしにはわしの楽しみがある。それだけの事じゃ。
……はて?誰か忘れとるような気がするが、まあよい。わしも帰るとするか」
インデペンデントは助手と一緒に山に来た事をすっかり忘れているのでした。
「イマヌエルはどうするんだ?」
イワンコフの問いに、イマヌエルは答えました。
「僕にはまだ『言葉を集める旅』がある。それを終えるまでは帰る事はできないよ。でもまあ、ちょっと自分の町に立ち寄るくらいはいいかもね」
「ガハハ!言うようになったじゃないか。好きに生きてこそ人生だ。それじゃあな、ネズ公。またどっかで会おう」
そう言って、イワンコフもインデペンデントも降りていき、ついにイマヌエルとイシュタルだけになりました。
イシュタルは胸の内を、イマヌエルだけに話しました。
「イマヌエル、僕はインテグラの事も気になるが、どうしてもイセリアを忘れる事ができないんだ。ああ、どうして僕はいつももう一人の自分を見失ってしまうのだろう。わが親愛なる友よ、また必ず会おう!」
「イランッ!」
そう言ってイシュタルとイランイランは、イセリアを追いかけて山を降りていきました。
*
イマヌエルはぼんやりと、自分の町から登ってきた長い坂を見降ろしていました。
すると、途中で出会ったナマケモノのイデオットが向こうからやってきました。
「やあやあ、君はいつかのネズミ君じゃないか。僕はあれやこれやで大忙しだよ」
「あんなに怠けていたのに、一体どうしたの?」
「うんとね、僕は今でもナマケモノだよ。でも、将来うんとなまける為に、今がんばっているんだ」
「それはいいアイデアだね」
「そしたらさ、僕は『昨日の使者』じゃなくて『明日の使者』と呼ばれるようになったんだ。どうだい?すごいだろう?
ところでネズミ君。君はさぞかし名のあるネズミだと思うけど、何と呼ばれているんだい?」
イマヌエルは少し考えてから言いました。
「僕は『勇敢なイマヌエル』だよ。これからまた新しい冒険に出かけるところさ」