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4:使用人ミネットの日記

12月11日。晴れ。


ロードシンシア様が中央へ戻られた。今度は長いご帰省だった。

出がけにベアトリス様から目を離すなとおっしゃった。この前の晩餐会でピアノが壊れた日以来、なにやら様子がおかしいらしい。

副メイド長として、気を付けなければ。

その日の晩、ベアトリス様がまた大事な壺を落として壊してしまった。反省しているようだし、この頃特に体調がすぐれないようだったのであまりきつく叱れなかった。



12月12日。晴れ。


若旦那様がご帰宅。すぐに書斎にこもった。ベアトリス様は面白くないといった様子で、私に愚痴をこぼした。

若旦那様もお忙しいですから、と宥めたが、納得していないようだ。

夕方にベアトリス様の稽古に同伴した。つまらなさそうだった。



12月13日。曇り。


非番だったので買い物へ行った。古かった手袋を買い替えて、時計を修理に出した。2,3日で直るとのこと。

夜に家族に手紙を書いた。年末は帰れそうにないとだけ。



12月14日。晴れ。


洗濯物を干しているとき、ベアトリス様が庭の隅でおひとりで立っているのを見た。

近づいても私にお気づきにならず、何もないところを見つめているようだった。

お寒いですから、と上着を差し上げたがお返事がなかった。

同僚に聞いても、最近このようなことが多いらしい。何かお悩みでも?


12月15日。雨。


明け方、玄関ロビーの大きなシャンデリアが落ちた音でみんな飛び起きた。

聞くところでは、偶然お手洗いに出ていたベアトリス様が通りかかっていて、あわや大惨事という事態だったらしいが、

幸い真下にはおられず、お怪我もないようだったので安心した。

ご本人は驚かれたご様子もなく、けろりとなさっていた。

それにしても、なぜ突然シャンデリアが落ちたのだろう?

その日の夕方、修繕されたシャンデリアを見つめるベアトリス様を見た。

声をかけると、綺麗ね、とだけおっしゃった。




12月16日。雨。


ベアトリス様が高熱を出した。

朝から晩まで寝たきりで、うわごとのようにお母様の(今は亡き奥様の)ことを呼んでいた。

少しでもお食事をとスープをお出ししたが、召し上がらなかった。

夕方に、直してもらった時計を取りに行った。




12月17日。晴れ。


この日は大変だった。

熱にうなされて立ち上がったベアトリス様がふらふらと自室の扉を壊し、

廊下に出て窓を割り、抑えようとした使用人を突き飛ばした。

驚いたのは、扉や窓が吹き飛んだようにというか、圧倒的な力で粉砕されたようにというか、

とにかくめちゃめちゃに壊れたことだ。

さらに、突き飛ばされた使用人は腕を骨折していた。

そのあと気を失って倒れたベアトリス様に、誰もすぐに近づけなかった。こんなことは初めてだ。

なんというか…、あのか細いベアトリス様の力で、そんなことが可能なんだろうか?

それを全部ベアトリス様が素手でなさったのを私も目にしたので、疑いようもない。

若旦那様にご報告したところ、案の定ひどく驚かれた。再び眠ったベアトリス様の寝顔を見ながらしばらくお考えのあと、このことは目撃した使用人たちだけの秘密にしてほしいとのこと。

なにやら対応を考えておくとおっしゃっていたので、それまでこの日記が誰かに読まれないことを祈る。




12月18日。雨。少し雪。


初雪だった。

ベアトリス様のご容態は思わしくない。

熱が下がらないし、たまにお目覚めになってお食事をしても、すぐ戻してしまわれる。

お医者様は悪性の風邪だろうとおっしゃった。

ベアトリス様は親の愛に乏しい子供時代をお過ごしだと思う。

お嬢様の容体をご連絡差し上げても、旦那様はお仕事からお戻りにならない。

お母様は早くに亡くされたし、こんなときは殊更心細いと思う。

せめて我々がそばにいて差し上げなければ。

夜になって、ロードシンシア様からお電話。

お嬢様の容体を伝えるとひどく心配された。

昨日の事件のことをお伝えしたかったが、ぐっとこらえた。

若旦那様が箝口令を布かれたのを、私が破るわけにはいかない。



12月19日。雪。


朝から雪かきをした。

暖炉に火を入れて回っていると、同僚のサマンサの悲鳴が聞こえた。

行って聞くに、ベアトリス様が何処にもいないので探していたら、庭で雪に突っ伏して倒れているのを見つけたという。

寝間着のままで、何も羽織っていなかった。

サマンサがすぐにお医者様を呼んだ。

私は凍傷の恐れがあると思ったので慎重に、お嬢様の体を少しずつ温めながら指示を待った。

しばらくしてお医者様が来たが、お体に問題はないようだった。

体温こそ下がっていたが、それだけ。安心したが…本当に?あんな雪の中に倒れていて…?

足跡から察するに、どうやら溜池に向かっていたようだった。

昼過ぎにお嬢様が起きてきて、ハチミツのラテをお飲みになった。

顔色が少し良くなったようだった。

朝のことを尋ねると、覚えていないとおっしゃった。

一昨日のことも同じく、まったく覚えていらっしゃらないという。

骨折した本人からの申し出もあり、お嬢様が使用人に怪我を負わせたことにはあえて触れなかった。

夕方に若旦那様がベアトリス様となにやら二人だけでお話をされたようだ。

今朝の無防備を叱ったんだろうか?体調のことかしら。ずいぶん長く話された。

部屋から出てきた若旦那様は青ざめていた。

コーヒーでもと私が言うと、ぶんぶんと首を振って書斎に戻られた。



12月20日。雨。


非番だったがベアトリス様のことを思うと休む気にもなれず、朝から取り留めもなく仕事をした。

新聞にアイロンをかけていると若旦那様がいらっしゃって、私の他にも主だった使用人数名を集め、こんなことをおっしゃった。

ベアトリス様を極力屋敷から出すなと。

どうしてもの際は二人以上で付き添って、必ず事前事後に報告をしろともおっしゃった。

また、その時集められた数名の使用人以外がベアトリス様に接することも避けてほしいとも。

私たちは互いに顔を見合わせたが、若旦那様が語気を強めておっしゃるので、

何も言えなかった。

今日はベアトリス様はお稽古を休んで大事をとっていたが、夕方前にはずいぶん回復されたようだった。

時折宿直室にいらっしゃって、いつものように使用人にちょっかいを出していた。

ただ、咳が止まらないようで、私は安静になさるようになだめた。



12月21日。晴れ。


ベアトリス様の誕生日が近い。

パーティのための準備が始まった。

私は赤ん坊のころのベアトリス様を知っている。

12月24日…お嬢様の誕生日。難産だったようでお屋敷が俄かに騒がしかった。私は仕事を教わり出した頃で何もできなかったが、妹ができたようで嬉しかったのを今でも覚えている。

当時私も13歳で子供だったが、将来自分がその赤ん坊に仕えることはわかっていたし、それを今も誇らしく思っている。

そんなお嬢様が、13歳になる。

体が弱くていらっしゃるので控えめになさっていた、社交界への参加の機会も増えてくるだろう。

そうなったら数年ですぐに結婚だ。

寂しいような、嬉しいような。…やはり寂しい。

烏滸がましいとはいえ、私たち使用人にとってベアトリス様は太陽のようなもので、それがいなくなると思うと実に心寒い。

せめてお嬢様が良縁に恵まれることを祈る。

今日は大広間の掃除をして、料理の発注をチェックして、当日贈られる予定の首飾りを、街の職人のもとへ取りに行った。アメジストが大きくあしらわれた首飾りだ。これだけで私の生涯賃金くらいの価値があると思うと、少しやるせない。

傷つけないように、壊さないように、ヒヤヒヤしながら屋敷へ戻った。



12月22日。晴れ。


お嬢様のための贈り物が続々と届けられる。

内容を検品して包装し直す作業。

危険物や教育に悪いものが無いか、しっかりとチェックした。

以前に屋敷にいらっしゃったフレデリックという軍の方からもメッセージと花が届いた。

毎年の恒例となっているが、若旦那様が夜に、使用人のためのクリスマスパーティを許可してくださった。

私たちは小ホールを借りて、料理と飲み物を持ち寄り、久しぶりに騒ぎあった。

リオとサマンサがお酒の飲み比べを始めると、騒ぎはもう止まらない。下品な話題に声量も大きくなる。

私はお酒が呑めないので、いつも酔っ払いの世話係だ。

酒が回って口が軽くなったのか、何処からともなく旦那様や奥様の悪口が聞こえ始めた。

なんでも奥様が浮気性だったとか、旦那様はそれを知っていながら興味を示さなかった愛のない人間だとか。その他にもまあ、悪し様に。

私は副メイド長として強く諌めたが、その噂…本当なのだろうか?

もしかして、ベアトリス様の御髪の色が黒いのは…

やめよう。

今日は騒ぎつかれた。もう休むことにする。



12月23日。晴れ。


ロードシンシア様からベアトリス様に馬が届けられた。

芦毛の仔馬だ。ベアトリス様の成長とともに大きくなるだろう。

良い贈り物をなさるなあ、と改めて敬服。

ベアトリス様はすっかり復調なさって、朝から屋敷を歩き回っていた。

先日の若旦那様からの言いつけもあって、私はベアトリス様のそばをついて回った。

なんだか、以前より血色が良いように思う。

お食事もいつもの倍以上召し上がった。走り回っても息も切らさないようだし…。

とにかく、病弱なベアトリス様にはなかったことだ。

何にせよお誕生日を前に、病床に伏しているよりはずっといい。

昼過ぎに旦那様がお戻りになった。

寒くて義手の調子が悪いと言いながら、すぐにお部屋に入られてしまった。

勲章として国王から賜ったという鋼の義手は、見た目には煌びやかだけれど、些か寒さに弱いようだ。

それにしても、ベアトリス様のことを心配したり、お誕生日を前にお声をかけたりしないのだろうか?

ベアトリス様は部屋に消えていく旦那様の背中を見送って、少しお痩せになったわね、と私に耳打ちした。

夕方、メイド長と私は旦那様に呼び出されてお部屋に行った。

行くと若旦那様もいらっしゃって、なにやら深刻そうな雰囲気だった。

促されて座った私たちに、旦那様はベアトリス様の近況を尋ねた。

口止めされていたこともあったので、若旦那様に目をやると、軽く頷かれたので、私はここ数日あったことをできるだけ詳しく話した。

旦那様は黙って聴き終わって、そうか、とだけ仰った。一度大きく深呼吸をなさったのが印象的だった。

そして、数分間の沈黙の後、ゆっくりと立ち上がられて次のようなことを仰った。

明日の誕生日パーティで何があっても、自分の身の安全を第一に優先しなさい、と。

その言葉の意味がわからず、私たちはどういう意味か尋ねた。すると、若旦那様が割って入って、

ベアトリスがまたやんちゃするだろうから、その時は怪我しないように気をつけてねってことだよ、なんて仰った。

若旦那様の顔は真剣で、悲しそうにも見えた。

なんだろう?ベアトリス様の悪戯はいつものことだ。ああそうか、今思うと、もしかしたら前にベアトリス様を抑えようとした使用人が骨折したことを踏まえて、仰ったのかもしれない。

ベアトリス様が、またあんな風に暴れるなんてことがあるだろうか?

私には杞憂のように思える。

明日の日記は長くなりそうだから、この辺で。

幸せな一日にして差し上げたい。



12月24日。晴れ。


まだパニックが治まっていないが、とりあえず日課として日記は書かないと。

ベアトリス様は今、どうしているだろうか?

まさか、あんなことが!

本当に驚いた。

ベアトリス様が旦那様からアメジストの首飾りを受け取ったところまでは私も見た。

確かそのあと、立派な淑女になりなさい、と旦那様がおっしゃったのだと記憶している。

そのあと…。そのあと。

ベアトリス様が首飾りを…。

硬い宝石があんな風に壊れるなんて?どう見てもベアトリス様がアメジストを握りつぶしたように見えた。

破片が飛び散って、キラキラと綺麗だったのが妙に印象的だ。

思い返すのも恐ろしいのだけれど、そのあと、お嬢様は、綺麗な義手ね、と言って…。旦那様の義手を引き千切った。いえ、鋼で出来ている義手を引き千切るなんておかしい表現に思われるかも知れないのだけれど、まさしく引き千切った、としか…。

場は騒然としていた。でも…。

あはははは、と笑いながら、さっき自分が握りつぶした宝石と義手を眺めるベアトリス様に、誰も声をかけられなかった。

みんな、お誕生日会ありがとう、とっても嬉しいわ、といつものようににっこり笑ったあと、ベアトリス様はニヤニヤしたまま、ふらふらとお部屋に戻られた。

みんなベアトリス様を避けるように動いた。

目が…普通じゃなかった。

ああ…今でもベアトリス様のお部屋からうふふ、とかあはは、とか笑う声がする。

お嬢様はどうしてしまったの?

今若旦那様がベアトリス様のお部屋に入った。誰も近づくなと怒鳴りながら。

旦那様は…どうなさったかしら。お怪我はないようだけれど。

今日はきっと素敵な日記になるはずだと思っていたのに…

明日には元通りの、いつものお嬢様の笑顔が見たい。

いてもたってもいられない。お嬢様が心配だ。近づくなというお達しだけども私もお部屋に行ってみよう。

詳しくは明日の日記に書くことにしようと思う。



12月25日


(日記はここで途切れている)

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