4.敬虔な誘惑者
あの日、山陽さんを避けるようにして自室に帰った次の日からずっと、艦長室に篭るようになって、早くも1ヶ月が経った。
山陽さんから出来るだけ遠ざかって、彼のことを考えないようにしようと考えるたびに……、なんでだろう、彼の存在が日に日に大きくなってきている気がしないでもない。
『駄目ですね……、砲撃訓練も演習も力が入らないなんて……』
ロザリオを握り締め、ただ祈ることしかできないが……、それで少しは命中率や回避率が上がるかといえば上がることはない。
ただ、祈るだけだ。
砲弾はわたしではない。
わたしではないものは、思い通りに動かすことはできない。
だから。
何の役にも、立てない。
『ああ……』
深いため息をついたとき、こんこん、と控えめにドアがノックされた。
誰だろうと考える日まもなく入ってきたのは、
「失礼します」
『………………ッ!!!』
山陽さんその人だった。
咄嗟に身を翻して壁をすり抜けようとしたその時。
「どうして逃げるんですか」
『…………っ』
鋭い声が、背後から刺さった。
ゆっくりと、振り返ると。
どこか焦ったような声と顔で、わたしを見上げる彼がいた。
『逃げてなど、おりません』
「じゃあどうして目も合わせてくれないんだ」
『……、そのような機会がないだけではありませんか』
胸元のロザリオを、血が滲むほど(実際にわたしには血というものは存在しないが、あくまで例えとして)握り締める。
「俺はあなたに嫌われたと理解してもいいのか」
『わたしはこの長門に乗る全ての方を愛しています』
「そういう意味じゃない。個人として俺が嫌いかと聞いてるんです」
個人として。
そんなこと、考えもしない。
考えてはいけない。
『そのようなことを、考えたこともありません。わたしはただ、皆さまのためにだけ存在し、皆さまとこの國のために尽くすようできております』
「……ひとつだけ、聞かせて欲しい」
うつむいて、言う。
わたしはそれに、黙って耳を傾けた。
「長門……さん、あなたに感情はあるのか」
『もちろんあります』
「恋情は」
『それに限ってはありません』
山陽さんは、どうして、という目でわたしを見た。
そんなの、持ってはいけないからに決まっているのに。
誰か一人だけを深く愛することなど、艦に宿る魂として許されていることではないから。
でも、何故だろう。
山陽さんの、傷ついたような表情を見ると、彼と同じ気持ちになった様な錯覚が生まれる。
他の人間と会話をしたことがないからなのか?
他の人間とこうやって対面してこんな顔をされたら、同じ気持ちになるんだろうか。
……いいえ、きっとならない。
「会話くらい、してくれてもいいじゃないかと言いたいが、それを言ったらあなたが困りそうだから、やめておきます」
『…………そう、ですか』
あっさり引かれると、さみしいような、感覚に陥る。
どうして?
「俺はあなたが見えていない振りをすればいいんですよね」
『………………その、通り、です』
わたしがいなかったことに、されるということに。
ただ一言、肯定するしかできなかった。
「じゃあ……、俺がここにいる意味ももう無いわけだ。…………失礼致します」
ドアの前で物々しく敬礼をして、背中を向けて一歩踏み出した、その、背を。
“行かないで”
「…………え?」
『………………………………えっ……』
手を伸ばして掴んでいた。
ぱっと服を離すと、山陽さんは目を丸くしてわたしを見下ろした。
行き場を失った腕と指は、しばらく空を彷徨って、スカートの中に隠れた。
山陽さんは眉を顰めた。
「伝え忘れでも?」
『……いえ……』
今度はわたしが、俯く番だった。
なんで、手を伸ばしたんだろう。
どうして、離れて行って欲しくない、という考えが、衝動が、頭をよぎったんだろう?
「遅いので失礼しま……
『もう少しだけ!!!』
「!?」
思わず、怒鳴ってしまった。
『……も、すこし、……』
「どう、したんだ?」
びくりと肩をこわばらせて、それでわたしの顔を恐る恐る覗き込む山陽さん。
顔に、熱が集まってくるような感覚。
“あなたが――――――――――”
『こっち見ないでくださいッ!』
「ぅがッ……!?」
はしたなくも脚で、渾身の力で、蹴り飛ばしてしまった。
『あああああの、すみません! 申し訳ごさいません!』
壁に叩きつけられて伸びている山陽さんを抱きかかえて、自室まで見つからないように移動した。
***
『目が、覚めましたか……? 先程はすみませんでした』
「いや……、ここは、どこで?」
うっすら目を開いた山陽さんは柔らかく微笑んだ。
どくりと心臓が脈打ったような気がした。
『わたしの部屋です』
「連れてきてくれたんですか。申し訳ない」
『いえ、わたしが、悪いのです』
山陽さんはその言葉で、少しだけ眉を下げた。
「あのとき、何を言おうとしてたのか、よければ教えてくれないか?」
『あの、とき…………』
服の裾を掴んで。
“行かないで”
“あなたが、――――――――――”
あの言葉の、続きは…………。
『……なんでも、ありませんよ……』
「そうですか。じゃあ俺、帰らないと」
ベッドから起き上がってドアに向かった山陽さんに、思わず、考えもなしに、
「な、長門、さん……?」
『さん、よ、う、さ……』
腕を伸ばして、捕まえていた。
山陽さんはすぐ下にあるわたしの顔を見て、小さくため息をついた。
「動けないんですけど……。何ですかさっきから……」
『……すみません』
身体が勝手に動くなんて、死んでも言えない。
『あの…………』
「はい」
身体を山陽さんから引き剥がして、ロザリオを握った。
何を言おう。どんな風に、告げよう。
この厄介な想いの塊を。
しかし。
『あの……、こういうことは、男性が言うべきものです!』
「はいぃ!?」
口をついて出てきたのは、なんとも可愛らしくない言葉だった。
ぽかーんとしている山陽さんから目をそらして俯いてしまう。
「こういうこと……って」
『わたしは何も言っていません。全てあなたの空耳です』
三陽さんが頭上でため息をついた。
「空耳にしてはやけにはっきり、|お誘いされているように《・・・・・・・・・・・》聞こえましたが」
『そらみみですそらみみにきまっています』
「ほんとに誘いじゃないのか。残念」
『~~~~っ』
スカートを両手でぎゅうっと掴む。
皺が残るくらいに。
『~~~ああ、もう……』
降参です。
主よ。
わたしは人間ではないですが、この方を好きになってもいいでしょうか。
許してくださいますか。
主よ。
けれどひとつだけ、あなたへの誓いを守れませんでした。
『こんなふうに弱いわたしは、嫌いですか』
真っ赤だろう顔で、半ば泣きそうに、山陽さんを睨みつけて、言った。
わたしは、こんな言い方しかできないから。
山陽さんは、くつりと笑った。
「随分下手糞な誘いですね、長門さん」
わたしはその答えにむっとして、子供の言い訳ように言った。
『へ、返事はどうなんです。礼儀ですよ』
「勿論愛してもいいとあなたが許すなら、喜んでそうします」
わたしが許す?
愛する?
『曖昧なのは嫌いです』
山陽さんは困ったように小首を傾げた。
「我が儘な聖職者だな。これ以上なんと言えばいいんですか」
『好きか嫌いかに決まっているでしょうが』
すっと脚を出していつでも蹴り出せる姿勢にすると、山陽さんは背筋を伸ばした。
「答えるから蹴るなよ? 蹴るなよ?」
『答えによります』
「なにそれ怖っ! いや、……」
口をもごもごとさせるだけで一向に言い出さない。
次第にイライラしてきた私は、脚を持ち上げた。
『男でしょう……早く答えなさいな……』
次回(最終話)、5.神のもとで禁忌を




