セカイは教室の片隅で出来ている
「おい、安田。ちょっと付き合ってくんねえ?」
今日も前川が僕を呼びつける。
「ためしてみたい事があってさあ~」
どうせ、またきっと碌でもない事に違いない。
僕は某関東圏の田舎に住む中学二年生。見ての通り、スクールカースト最底辺のしょっぱい系だ。
友達と呼べるヤツはいないけど、でも、体力テストでいつもビリになるようなクラスのダウナー系キモオタ男子2~3人とつるんではいる。
まあ、ボッチよりは数千倍ましかな?
そして放課後、僕は前川と、そのつれのメンバー橋本、大島、榎本の男子3人らによって、鍵の掛っていない空き教室へと連れてかれていった。
「ちっ、何だ?今日は100円ぽっちしか持ってきてねえのか。しょうがないなあ~」
こうやって、前川に連れ出されたときは、いつも儀式と称してお金を巻き上げられる。
一応、校則で金品の持ち込みは禁止されているんだけど、山川に抵抗する勇気がないから、いつもはひっそりと数千円を持ち込んでいる。
「・・・・仕方ないだろ。前川が全部持ってちゃったんだから」
「っんだと?何俺らに口答えしてんだよ!!!」 前川達が一斉に僕の股間へと蹴り上げた。
腹部と股間に激痛が走る。
「うっ!いっつつ・・・・」 僕は情けない虫の声をあげる。
「あははははは。お前、何回きゃんたま蹴られてんの?もう、林さんでオナニーできねえんじゃね」
林さんとは、僕が勝手に片思いしている女子である。
前に前川に好きな女子を聞かれて無理やり自白させられた。
「まあ、オナニーは出来ても、どうせお前はセックス出来ねえだろうから、ちんこぶら下げてても意味ねえんだろうけどな」
「ギャハハハハハ」
大島がくだらないセリフを吐き捨て、それにヘラヘラした笑い声が続く。
「てめぇー!何がセックスできねえだよ」
大島の一言で僕はキレた。
「あ?ドレイのクセしてご主人様に盾突く気なの~」
「豚は豚らしくしろよ!!」
前川と子分達が僕を脅す。
そして、前川が懐からシャープペンを取り出しそれをちらつかせた。
「うわぁ・・・。何なんだよ」
「はぁ~い、修正タ~イム。安田を取り押さえて~」
すると、子分たちが僕の腕や足をガッチリと押さえる。
「たっぷり反省しろ、糞野郎!!」
前川がシャープペンの先っちょで僕の太ももに何回も刺す。
「痛たたたたた」 太ももに、嫌な痛みがじんわりと走る。
「直ぐに痛いって言うな!若松も言ってんだろ」 前川が怒鳴る。
「しつけがなってないな~。よし!パンチ一丁で校庭を周って来い!」
そして、僕は学校指定のジャージを脱がされ上半身裸にされた。
流石にパンツ一丁は不味いと思ったのか、下は脱がされなかったけれど、『バカ』とか『ウンコ』などの幼稚園児レベルの下ネタを体中に油性マジックで書かれ、そして『安田は林さんと××したがっています』という中央に女性器のマークが描かれた張り紙をべったりと背中に貼られた。
「うひひひひひ。うんじゃ、校庭十週走ってきてねえ~」
そして、僕は校庭に無理やり連れ出される。
「安田君の望みは何~だ?」
「林さんとセックスすることで~す」
「どんな、プレイがしたいの?」
「林さんのアソコをクンニしたいで~す」
前川たちの下品な掛け声に続いて、僕は恥ずかしいセリフを校庭で走りながらめいいっぱい叫ばされる。僕だってこんなことしたくはない。けど、やらないと殺されるんだ!!
「はっはははは。セクハラじゃね?名誉毀損だよね。警察に捕まるんじゃん」榎本が茶化す。
それに続いて、似たような奴らの汚い野次が飛ぶ。
その様子を部活終わりの生徒や教師がニヤニヤしながら見つめている。
途中、生活指導の若松が通りかかったが、ふと立ち止まって少し見つめただけで通り過ぎてしまった。
きっと、単なる罰ゲームにしか思われなかったのだろう。
屈辱と憎悪の感情が複雑に交差し、今にも脳味噌がパンクしそうだ。
でも、自分からあいつらに手を出す事は出来ない。
何故なら以前、授業中に連中にからかわれた事があって、僕は痺れを切らして教科書を前川に投げつけたことがあった。
それが運悪く、教科書の角が前川のおでこにクリーンヒットしてしまい、ヤツを出血させてしまった。
そして、その事件が警察沙汰となってしまい、逮捕は免れたものの始末書を書かされた挙句、警察の方から「次やったら後は無いよ」と、きつくお灸をすえられた。
その経験が、今にも怒りで手を出しそうな僕に理性とも恐怖心ともつかない自制を促す。
そして、校庭をちょうど5周したその時・・・・。
「あ、林さんだ!」
「お~い、安田!お前は林さんに何したいんだっけか?」
僕は沈黙する・・・・。
「黙ってんじゃねえよてめえ!!お前ん家の庭で飼っている犬をぶっ殺すぞ!!」 橋本が怒鳴り散らす。
それは困る。チャミだけは勘弁してくれ。
「・・・・・。林さんとセックスしたいで~す。クンニしたいどぅぇ~す~!!!」
仕方なく、僕は唇を震わせながら林さんの前でめいいっぱい叫んだ。
それを横目で見ていた林さんが、涙を隠すかのように両手で顔を覆い、そそくさと校門へと駆け抜けていった。
「安田ぁ~。お前、なに林さん泣かしてんの?」「つうか、犯罪じゃね?また警察につかまりたいの?」
「訴えられたら確実に終わるよねこれ」「凶悪性犯罪者安田」「明日クラス中の連中に今日のこと言いつけてやらないとね!」
お前等がやらしたんだろうが!心の中でつぶやく。
「あ、もう直ぐ塾の時間だ。んじゃねえ~」 前川達はその場から立ち去っていった。
そして、僕だけが一人校庭にポツンと取り残される。
その後、体育館手前の水場まで行き、上半身のいたる所に油性マジックでかかれた卑猥な言葉を石鹸で消そうと思ったが、いくらやっても消えなかった。
仕方ないので、僕は諦めジャージを着て学校を出た。
でも、明日どうすればいいのだろう?クラス中どころか、学年中に噂が広まるに違いない。
しかも、みんな計画犯は前川たちだって知っているのに、ワザとそんなの知らぬフリをするからタチが悪い。
結局、林さんをイジメた全責任を背負わされる。多分、教師達もそのような対応をするだろう。
そう考えると目の前が真っ暗になる。そして、「死にたい・・・」という、どうしようもなく、暗い気持ちになった時にいつも口に出すおなじみのセリフをボソッと呟いた。
けど、今回は、死にたいというだけで済むような生易しい気持ちじゃなかった。死への甘い誘惑が僕を誘う。
いや、誘惑なんていう甘ったるいものじゃない。僕自身がこの現実世界に存在しているという感覚すら消えかかっている。
無論、自分が今この目で見ている風景は現実に違いないが、でも、自分自身が実体としてこの大地に立っているという事自体もう信じられない。
あらゆる、悲しみや怒りを通り越して全ての感覚が麻痺してくる。もう何がなんだかわからないし、知りたくも無い。
そんな、夢とも現実ともつかないモヤモヤした気持ちで歩きながら、通学でいつも通っている橋に通りかかった。
そこで僕はふと立ち止まり、ある決断をすべきかどうか迷った。何をするかは聞かれなくても分かるだろう。
僕は、自分の肉体、記憶、意識、この世界に存在していたという事実の全てを消し去りたっか。だから、迷いなんて一切無い。
ただでさえ、夜は人通りが全く無い橋のど真ん中だ。僕は体中の神経が反応するままに、靴や鞄を身に着けたまま柵を飛び越えた。
・・・・・・・。そして、僕はこの世界の次元から消失した。
「ん・・・・・・?」
暗黒に包まれた謎の空間。かつて、安田と呼ばれていた少年の概念がその空間の中に漂っている。
「・・・・・ここは何だろう?」 元安田である概念が思考する。
そして、地上に存在していた時には無かったような、生ぬるくも冷たくも無く、時間も空気の気配も感じられない不思議な感覚に、元安田は、違和感と共に、まるで好きな娘に抱かれているかのような、甘い居心地の良さを感じていた。
「俺・・・たしか死んだんだよな。橋から飛び降りて」断片的ではあるが、地上に存在していた頃の記憶が甦ってきた。
「まあ、ここは天国じゃないってことか。けどしょうがないよな、あんな死にかたしたんだし。それに、ここは閻魔大王様が支配するような地獄よりよっぽど居心地がよさそうじゃないか」
このまま、この閉鎖空間の中を永遠に漂いつづけるのもよいかと思ったその時、どこからとも無く奇妙な影が徐々に近づいてきた。
「なんだ・・・・あいつは・・・・・?」 影は近づくほどに巨大化していく。
そして、その影が、元安田の前に姿を全てさらけ出した。
3mはあろうかという巨体。髪が焔のように煌いているというよりも、焔そのものといってよい揺らめき方をしている。ただ、その色は暗く紫色に見える。
顔には奇妙な文様のついた仮面に全身を漆黒のマントで覆っており、まるで、典型的なロールプレイングゲームに出てくるラスボスのような姿をしていた。
「ほう・・・。貴様にはまだ『念』が残留しているのだな」その影が異様に低いくぐもった声でつぶやいた。
「あんたは何者なんだよ?」
「ふん。つまり、貴様は未練を残したままこの次元に来たというわけだな」影は元安田には答えずに、一方的に話す。
「未練って何の事だよ?」
「何の事?それは貴様自身が一番知っているはずだ」
元安田は黙り込んだ。たしかに、惨めで行き場のない怒りと憎しみを抱え込んだまま、自らの命を絶ったことは事実だ。でも、他にどうしようも無かったのだ。
「ふふん。この所、貴様のような死を選択する輩が多くてな、まあ、よくある事ではある。しかし、『念』を残したままこの次元に留まり続けるのは非常に苦痛を伴うことだ。少なくとも、私が知りうる限り『念』を残したままこの空間に留まった者はいない」
「じゃあ、どうすればいいんだよ?」
「そこでだ。私と一つ契約をしてはくれないかな?契約すれば、貴様が地上に残した未練を回収する事が出来る」
「今更そんな事してどうするんだよ?」
「貴様も悔しいのだろ?あのような惨めな姿格好をさせられた挙句、被りたくも無い罪を無理やり被せられて。それに、お前はわかっているはずだ。貴様が死んだところで誰も同情するものはいない。少なくとも、貴様が同情して欲しいと思う人間は誰も同情しない」
たしかに、誰かが同情してくれる場面を思いつくことが出来なかった。特に林さんは俺に恨みを抱いているはずだ。それに、自殺者を出したことによって出世に傷がついた教師達からも恨まれているだろう。
また、某マット事件のように、「あの家から自殺者が出た」というだけで、俺の家族だった人が地域から村八分にされてしまう可能性もある。
その思念が横切った時、耐え難い憎しみが元安田を襲う。
「グゥォォオオオオオオオオ!!!!!!!」 元安田が叫んだ。
それは、まるで獣のような咆哮であった。
「クククク。そうだ、その調子だ。お前を精神的、肉体的に苦しめた連中は、その後も真っ当な人生を送るだろう。そして、仮に貴様が死なずに地上に留まり続けたとしても暗い人生が待っていただけであろう」
たしかに、前川は、きっとそれなりの人生を送るに違いない。対して自分は、卒業後も偏差値30前後の高校に進学した後も地元のヤンキーにいじめ続けられる人生が待っているだけだろうと思う。
そう思念すると、元安田は、また怒りが込み上げてきた。
「そうだ、その調子だ。既に貴様らが望む神は死んだ。もう神という概念は何も保証しない。それは、貴様が住んでいた地域だけでなく、セム系一神教からバラモンまで全ての文明を構築してきた神への信仰は既に途絶えている。貴様らの世界で勃興している原理主義とやらも神への信仰の復活を意味しない。その行為自体、神への追悼でしかないのである」
「ゆえに」 影の演説が続く。
「貴様の甘さというのは、『善』というもので世界が構成されていると信じていたことだ。しかし、世界は『善』ではなく、むしろ、合理性によって支配されている。貴様は受けた苦痛に対して不合理な感情を抱いていたようだが、しかし、それは、共同体の維持という目的に照らし合わせれば合理的だったかもしれないのだ」
「俺が奴らにやられた事が合理的だったと!?何を根拠にそんな事を言っているんだテメエは!!」
元安田から発せられる声は、既に人であった時のそれではなく、ピッチが3段階ぐらい上がったような感じで、それが空間へとこだました。
「しかし、逆に、その合理性が『善』であるという根拠も無い。だが、滑稽な事に、貴様がかつて存在していた世界の多くの人間が、その合理性を新たな神として信仰し始めている。貴様を真に苦しめているのは、その無根拠な合理性への信仰なのだ」
元安田は、言っている意味が分からなかった。だが、この影と契約すれば再び復活して、地上でやり残したことを出来るかもしれない。元安田は迷う。
「さあ、我と契約するのだ。いずれにしろ、このままこの空間に漂っていても、やがて激しい苦痛が襲ってくる。貴様に選択の余地などは無い」
「・・・・分かったよ、契約するよ。どうせ、この空間に長く留まってはいられないんだろ」
「それでは、契約成立ということでいいのだな。では、早速、貴様という概念に新たな実体を注入する作業を始める」
そう告げると、影は、元安田という概念に手を差し出した。その手は異様に細長く、そして、不気味に折れ曲がっていた。
作業は一瞬で終わった。
「・・・・って、これで終わりなのか?見た目に何も変化を感じられないけど」
「貴様は、そのまま地上に再降臨することが出来るようになった。そして、状況によっては生前の姿に実体化することも可能である。」
「実体化って、結局俺は生き返るって事なのか?」
「いや、そうではない。生前の姿のまま長く留まってはいられない。その姿に留まり続けるには、地上に残した未練を回収しなければならない」
「その、未練はどう回収すればいいんだ?」
「それは、貴様が思い当たるフシを探し続ける事によって見つけるしかない。その事は貴様自身が一番心得ているだろう」
元安田は何となく分かった。とにかく、まず、始めに前川にあたればいい。あいつこそが、自分の人生を狂わせた張本人なのだから。
「分かった。とにかく、思い当たるものを片っ端から調べてあたればいいんだな。とりあえず、サンキュー!」
元安田は、影に礼を告げ、地上へと降り立っていった。
そう、この世に取り残した未練を取り返し、自分の思い描いたセカイにつくりかえるために・・・・・。