夏の終わりの赤信号
少し寂れた漁港だった。
かつてはマグロ漁船で賑わい、一攫千金を狙って移り住む者もいた。
今はその古い雰囲気を活かし、昭和レトロを前面に押し出して観光客を呼び込もうとしている。
祖父母の開いた喫茶店は、厚切りのピザトーストや緑色のクリームソーダがショーウィンドーを飾っていた。
「にゃーん」
裕美の足元に、馴染みになった野良猫がすり寄ってきた。
そっと背中を撫でてから、裕美は喫茶店の扉を開けた。
『いつもならしゃがみこんでしばらく撫でてくれるのに』と不満げに、猫はその背中を眺めていた。
「おばあちゃん。今日、帰るから」
夏休みの最終日だ。
三日前にも、一週間前にも、同じセリフを言った。
けれど裕美はバス停で何台もバスを見送り、祖母か常連客が連れ帰るということを繰り返している。
小学五年生というのも、難しい年頃ではあった。
まだ子どもなのに、ふとした瞬間に、大人びて見えることがある。
一学期の半ばから学校へ通えなくなった。
けれど、「行かないと将来が真っ暗」という知識があるせいで、行かなければと焦っているのだろう。
大人からすれば、どうしたって力のない子どもでしかない。
健康志向の母親の影響で、クリームソーダを好まない孫のために、レモンクリームソーダを作り、カウンターに置いた。
「裕美のひいおじいちゃんはね、文字が読めなかったんだよ」
裕美はストローを紙の袋から出そうとして、手を止めた。
「やっぱり学校に行かないと」という説教が始まるのかと、身体を硬くする。
「漁師には必要ないって船に乗せられて、学校に行けなかったんだって」
それなら、次のセリフは「恵まれているんだから、学校に行きなさい」だろうか。
「文字は読めなくても凄腕の漁師で、こんなにいい場所に家を建てた。
すごいだろう?」
裕美はストローを刺して、少し飲んだ。パチパチと口の中で炭酸が弾ける。
「学校に行ってみんなと同じ生活ができた方が、生きていきやすいのは確かだよ。
だけど、頑張って行って死にたくなるなら、行かないで生きていた方がいい――と、おばあちゃんは思うんだ」
裕美は黙って、柄の長いスプーンで丸いアイスを突いた。なぜか表面がシャリシャリして、特別な感じがする。
「帰ってもいいし、帰らなくてもいいよ」
カラン、コロン。
カウベルが鳴り、客が入ってきた。
「ただし、動画で勉強はしなさいな」
おばあちゃんはそう言いながら、お冷やとおしぼりをトレイに載せた。
おじいちゃんは、黙って珈琲を入れ始めた。
まだ、注文を取っていないのに。
いつの間にか入ってきたさっきの猫が、カウンターの中に入り込み、みゃうみゃうと鳴いた。




