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第19話 居場所の温度

 雪灯籠祭りの翌日。


 フィオラ村には静かな夜が訪れていた。


 昼間は晴れていた空も、夕方には薄い雲に覆われている。


 窓の外では雪がゆっくりと舞っていた。


 白い粒は家々の灯りに照らされながら静かに落ちていく。


 音の少ない夜だった。


 夕食を終えた後、カイロスは自室で本を開いていた。


 手にしているのは魔術理論書。


 王都では毎日のように読んでいる本だった。


 けれど今日は、なかなか文字が頭に入ってこない。


 窓の外を見れば雪が降っている。


 遠くからは川のせせらぎが聞こえる。


 暖かな部屋。


 静かな夜。


 気付けば視線は本ではなく窓へ向いていた。


 しばらくして、カイロスは本を閉じる。


 王都では考えられないことだった。


 少し喉が渇いた。


 部屋を出て階段を下りる。


 家の中は静まり返っていた。


 エリアスもレイラも、もう休んでいるのだろう。


 その時だった。


 居間の方から暖かな光が漏れていることに気付く。


 暖炉の火だった。


 そっと覗くと、そこにはミーナがいた。


 毛布にくるまりながら椅子に座っている。


 両手には湯気の立つマグカップ。


 暖炉の炎がその横顔を優しく照らしていた。


「あ」


 ミーナが顔を上げる。


「カイロス」


「起きていたのか」


「うん」


 少し照れたように笑った。


「なんとなく眠れなくて」


 カイロスは暖炉へ目を向ける。


 赤い火が静かに燃えていた。


 外は雪。


 中は暖かい。


 心地良い空間だった。


「座る?」


 ミーナが隣の椅子を指差す。


 カイロスは小さく頷いた。


 暖炉の前は思った以上に暖かかった。


 薪がぱちりと音を立てる。


 窓の外では雪が降り続いている。


 白い世界。


 暖かな光。


 どこか夢の中にいるような気分だった。


「ハーブティー飲む?」


 ミーナが尋ねる。


「ああ」


 差し出されたカップを受け取る。


 優しい香りが立ち上った。


 一口飲む。


 身体の奥まで温かさが広がっていく。


「美味しい」


 思わず口にすると、ミーナが嬉しそうに笑った。


「良かった」


 その言葉に、カイロスも少しだけ肩の力が抜ける。


 二人は他愛のない話をした。


 王都の話。


 村の話。


 雪灯籠の話。


 夏の蛍の話。


 どれも特別な話ではない。


 それでも時間はゆっくり流れていった。


 不思議だった。


 王都では沈黙が重く感じることが多い。


 けれどここでは違う。


 話していても。


 話していなくても。


 安心できる。


 暖炉の火が揺れる。


 その光がミーナの横顔を照らしていた。


「ねえ」


 ミーナがふと窓の外を見る。


「雪の日って好きなの」


「そうなのか」


「うん」


 翡翠色の瞳が雪を見つめる。


「世界が少し静かになるでしょう?」


 カイロスも窓の外へ目を向けた。


 確かに静かだった。


 雪が音を包み込んでいる。


 王都では感じたことのない静けさだった。


「それにね」


 ミーナが続ける。


「こういう夜って、みんな家にいる気がするの」


 暖炉。


 家族。


 灯り。


 温かな食事。


 帰る場所。


 きっとミーナはそんな景色を思い浮かべているのだろう。


 カイロスは暖炉の火を見つめた。


 少し前まで、自分には縁のないものだと思っていた。


 けれど今は違う。


 少なくとも、この家にいる時だけは。


 しばらくして、ミーナが小さく笑った。


「最初に会った時のカイロス、今よりもっと怖そうだったよね」


「……そうか?」


「うん」


 即答だった。


「全然笑わなかったし」


「別に今も笑わない」


「笑うよ」


 ミーナは自信満々に言う。


「少しだけ」


 そう言って笑った。


 カイロスは反論しかけて、やめる。


 ミーナの中ではそうなのだろう。


「今の方が好きだな」


 ぽつりと零れた言葉だった。


 あまりにも自然で。


 何気なくて。


 だからこそ胸に残った。


 特別な意味ではない。


 分かっている。


 それでも。


「……そうか」


 そう返すのが精一杯だった。


 ミーナは満足そうに頷く。


 暖炉の火が少し小さくなった。


 気付けば夜も更けている。


 外では雪が静かに降り続いていた。


「冬が終わったら春だね」


 ミーナが言う。


「ああ」


「春が終わったら、また夏」


 その声はどこか嬉しそうだった。


 カイロスは暖炉の炎を見つめる。


 夏。


 川。


 蛍。


 花畑。


 丘の上の風。


 思い浮かぶ景色の中には、いつもミーナがいた。


 その時だった。


「二人とも、夜更かししすぎよ」


 柔らかな声が聞こえる。


 振り返ると、レイラが微笑んでいた。


 どうやら様子を見に来たらしい。


 二人は顔を見合わせる。


 そして小さく笑った。


 立ち上がり、それぞれ部屋へ戻ることにする。


 階段の前で、ミーナが振り返った。


「おやすみ、カイロス」


「おやすみ」


 短いやり取りだった。


 それだけなのに、不思議と心が温かい。


 部屋へ戻り、窓の外を見る。


 雪はまだ降り続いていた。


 暖炉の火の温もりが、まだ身体の奥に残っている。


 フィオラの冬は静かだった。


 そしてその静けさは、カイロスの心の奥にある張り詰めた何かを、少しずつほどいていくのだった。


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