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婚約破棄された銀眼の令嬢は闇の皇帝に溺愛される~「不吉」と蔑まれた私を「俺の月光」と呼ぶ人に出会いました~

作者: uta
掲載日:2026/05/13

「——婚約破棄だ」


月が太陽を蝕み始めた戴冠式の大広間に、その言葉は残酷なほど明瞭に響き渡った。


私——セレナ・ヴェルディーナは、三年間支え続けた婚約者の背中を見つめたまま、瞬きひとつできずにいた。


「アレク様、それは……」


「聞こえなかったか?」


太陽王国の至宝と讃えられる王太子アレク・ソラリスは、金色の髪を揺らしながら振り返りすらしなかった。その隣では、私の異母妹リディアが勝ち誇った笑みを浮かべている。


「月蝕の戴冠式をもって、我が婚約者はリディア・ヴェルディーナとする」


ざわめきが波紋のように広がる。しかしそれは驚愕ではなく——嘲笑だった。


「ようやくですわね」

「影の王女に三年も付き合うなんて、殿下もお優しい」

「あの不吉な銀眼が王妃になど、最初から無理があったのよ」


(……ああ、そう)


不思議なほど、心は凪いでいた。


三年。三年間、私は誰よりも早く起き、アレク様の衣装を整え、政務の補佐をし、夜会では壁の花となって彼の邪魔にならぬよう息を殺してきた。愛されていないことは知っていた。それでも、いつかは——


「お姉様」


リディアが、わざとらしく心配そうな声を上げる。蜂蜜色の瞳が、月明かりの下で嗜虐的に輝いていた。


「可哀想なお姉様。でも仕方ないわ。だってお姉様は——」


彼女は一拍置いて、大広間中に響く声で宣言した。


「太陽の下では、輝けないのだもの」


嘲笑が、爆発した。


(……ええ、知っています)


私は静かに頭を下げた。震える手を、握りしめたドレスの裾で隠しながら。


「——殿下のご多幸を、お祈り申し上げます」


その声は、自分でも驚くほど平坦だった。


「下がれ、セレナ。お前はもう、この場にいる資格がない」


——三年間、私は何を見ていたのだろう。


俯いたまま、私は大広間を後にした。背中に突き刺さる視線と嘲笑を浴びながら。重い扉が閉まる直前、リディアの甲高い笑い声が聞こえた。


「さようなら、影の王女」


月蝕が、深くなっていく。


私の世界を覆っていた偽りの太陽が、ゆっくりと翳っていく——。


***


宮殿の外れにある小さな庭園。月光草が静かに咲き乱れる、誰も訪れない場所。唯一、私が息をつける場所だった。


「……私は影で構いません」


誰もいない庭で、私は呟く。


「誰かの光を遮らずに済むなら」


そう自分に言い聞かせて、三年間を耐えてきた。


私の銀の瞳は「不吉」と忌避され、実の両親からも疎まれてきた。『月に魅入られた呪いの子』——幼い頃から、そう呼ばれ続けた。


その時——


「——ようやく見つけた」


低く、深く、闇そのもののような声が響いた。


振り返ると、そこに立っていたのは——


漆黒の髪に深紅の瞳。月光を纏うように佇む、圧倒的な存在感の男。


「お前は知らないのか?」


彼は私に向かって手を差し伸べた。その唇が、三日月のように弧を描く。


「月蝕の夜にだけ現れる銀の瞳を持つ娘は——我が国の『月の后』となる宿命を持つと」


何を、言って——


思わず目を瞬いた瞬間、視界が銀色に染まった。


月光を受けた私の瞳が、輝いている。普段は灰青色のはずの瞳が——まるで月そのものを宿したかのように。


「美しい」


男は一歩近づいた。その深紅の瞳が、まっすぐに私を捉える。


「太陽に焼かれる必要はない。俺の傍で——」


彼の手が、私の頬に触れた。


「——月光の中で、永遠に輝け」


月が、太陽を完全に覆い隠した。


世界が闇に包まれる中、彼の深紅の瞳だけが——太陽よりも眩しく、私を照らしていた。


***


「……あなたは、誰」


声が震えていた。目の前の男から発せられる威圧感は、アレク様など比較にならない。


「レイヴン・ノクターシュ。月影帝国が皇帝だ」


——月影帝国。


息が止まった。「血の皇帝」「闇帝」と恐れられる暴君が治める、太陽王国の宿敵。その皇帝が、なぜここに——


「十五年前」


皇帝の深紅の瞳が、微かに揺れた。


「月蝕の夜に迷子になった銀眼の少女がいた。国境で、俺が見つけた」


——え?


記憶の断片が、繋がった。幼い頃、月蝕の夜に森で迷子になったことがある。黒い髪の男の子が、銀色の花を見せてくれた。


『泣くな。お前の目、綺麗だから。月みたいだ』


「『また会おう』と、約束しただろう」


皇帝が、私の手を取った。


「忘れるものか。十五年、お前を探していた」


「そんな……」


「お前を愛さなかった男の元へ、戻りたいか?」


——戻りたくない。


心の奥底で、本音が叫ぶ。あの冷たい視線。嘲笑。私の存在を否定され続けた三年間。もう二度と、あの場所には——


「……戻りたく、ありません」


「ならば俺の国へ来い」


皇帝は、私の手を引いた。


「お前が望まぬなら、無理に后にはしない。だが——俺はお前を諦めない。十五年待ったのだ。あと百年でも待てる」


その言葉が、凍りついた心のどこかを——確かに、溶かした。


***


月影帝国での日々は、驚くほど穏やかだった。


誰も私の目を「不吉」と言わない。むしろ、敬意を込めた視線を向けてくる。


「月の乙女様だ」

「なんて美しい銀の瞳……」


——祝福された存在。


生まれて初めて、そう呼ばれた。


「寒くないか」


レイヴン陛下は、いつも私を気にかけてくれた。


「い、いえ、大丈夫です……!」


「嘘をつくな。お前は震えている」


「これは寒さではなく……緊張で……」


「——緊張?俺が、怖いか」


その声は、どこか寂しげだった。


「……いいえ。怖くはありません。ただ——戸惑っているのです」


「何にだ」


「こんなに……親切にされることに」


言葉にした途端、目頭が熱くなった。三年間、誰にも心配されなかった。寒くないかと聞かれることも、体調を気遣われることもなかった。


「……すまない」


陛下の声が、低く響いた。


「お前を、もっと早く見つけるべきだった」


外套が、私の肩にかけられた。陛下の体温が残る布地は、驚くほど温かかった。


「もう耐えなくていい。俺の国では、お前は——」


陛下は言葉を切って、視線を逸らした。月明かりの中、その耳が微かに赤く染まっているのが見えた。


「……俺の国では、お前は祝福された存在として扱われる。それだけだ」


(……耳、赤い)


初めて、唇が緩むのを感じた。


この人は、本当に「血の皇帝」なのだろうか。


***


「ふふ、兄上。早速惚気ですか」


凛とした声の主は、ルナリア皇女——レイヴン陛下の妹だった。


「ご存知ありませんでした?兄上、月蝕の度に国境へ向かうのですよ。『銀の瞳の少女を探している』と言って」


「——ルナリア」


陛下の声が、明らかに焦りを含んでいた。


「ある時などは、吹雪の中で——」


「ルナリア!」


陛下の顔は——明らかに赤かった。


「セレナ様。一つだけ覚えておいてくださいね」


皇女の紫の瞳が、真摯な光を宿した。


「兄上がどれほど不器用でも、あなたを大切に思っていることだけは——疑わないでください」


***


そして、運命の夜が訪れた。


月庭で、陛下は私の前に跪いた。


「——っ!?陛下、何を……!」


「十五年前の約束を、果たさせてくれ」


深紅の瞳が、真っ直ぐに私を見上げる。暴君と恐れられる皇帝が、私の前で跪いている。


「俺は、お前を探し続けた。お前以外の誰も、俺の后にはなれないと——そう決めていた」


「私は、何も持っていません。地位も、財産も——」


「俺には、お前がいればいい」


陛下が立ち上がり、私を抱きしめた。


「太陽に焼かれる必要はない。俺の傍で、月光の中で——永遠に輝け」


涙が、止まらなかった。


「……はい。私を、あなたの月にしてください」


***


それから一年後——太陽王国からの使者が訪れた。


「セレナ。戻ってこい。本当は……愛していたのだ」


アレク・ソラリスの言葉に、私は静かに口を開いた。


「三年前、私が熱を出して寝込んだ時——あなたは一度もお見舞いに来てくださらなかった」


「それは……」


「あなたは最初から——私を愛してはいなかった」


私は、真っ直ぐにアレクを見つめた。


「私は三年間、あなたの影でした。でも、もう——私は影ではありません」


レイヴンの傍らに立つ。彼の手が、自然に私の腰に回された。


「私は、自分で輝く場所を選びます」


「お引き取りください、アレク様。私はもう、太陽の下で枯れる花ではありません」


***


——月蝕の夜、戴冠式。


一年前、私は婚約破棄を宣言された。今夜、私は月影帝国の皇后として戴冠する。


「セレナ・ヴェルディーナ。お前を、月影帝国の皇后として戴冠する。——俺の、永遠の伴侶として」


銀の王冠が、私の頭上に載せられた。


「月光こそ、お前の王冠だ。お前が俺の月光だ。永遠に——俺だけを、照らしてくれ」


涙が、頬を伝った。


「レイヴン」


初めて、名前を呼んだ。


「私は——あなたの月光です。永遠に、あなただけを照らします」


レイヴンが、私を抱きしめた。


「愛している、セレナ」


「私も——愛しています、レイヴン」


月が、太陽を完全に覆い隠した。


闇の中で、私たちの愛だけが——永遠に輝いていた。


——これは、日陰者と蔑まれた少女が、闇の王に愛され、真の女王として戴冠するまでの物語。


そして、これからも続く——月光の中で紡がれる、永遠の愛の物語。

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