1.社畜の日常の終わり
初投稿作品です。
よろしくお願いします!
「佐藤、お前さぁ……これ、なんだと思ってる?」
会議室の空気が凍った。
神谷部長が俺の出した売上予測資料をテーブルに叩きつける。A4の束がバサリと跳ね、ページが床に散る。
「……え、売上予測の資料です」
「そんなこと聞いてねぇ! これが客先に出せる資料かって聞いてんだよ!」
顔が熱い。喉がからからに乾く。視線が一斉に俺を突き刺す。
「答えろ!」
「……出せません」
「だろ? で、佐藤。お前、いくつだ?」
「……二十八です」
「入社七年目だよな?」
「……はい」
「七年目でこのレベルか。新人のほうがまだマシだぞ。なぁ、村瀬」
「僕も最初の年は徹夜で基礎を叩き込まれましたから」
隣で涼しい顔の村瀬。部長がうなずき、俺を見下ろす。
「聞いたか。同期にこう言わせるって、恥ずかしくねぇのか?」
「……申し訳ありません」
「申し訳ありませんで済むかよ。六年以上やって成果ゼロ、足引っ張るだけ。お前がいるとチームの士気が下がるんだよ。正直……お荷物だ」
最後の一言で、会議室の空気が完全に凍り付く。
誰もフォローしない。みんな視線を逸らし、沈黙。
――これが俺の日常。
(……俺、本当に要らないんだ)
⸻
会議が終わり、机に沈んでいると。
「佐藤さん、大丈夫ですか?」
声をかけてきたのは小野だった。総務の後輩、二十四歳。明るくて、誰にでも丁寧な対応をする子だ。
「い、いや……大丈夫」
「部長、ちょっと言いすぎですよ。私、佐藤さんの資料、分かりやすいと思いました」
胸がぎゅっとなる。
ただそれだけで、救われる気がする。
「ありがとう……小野」
「いえ。佐藤さんって、真面目にやってますから」
――真面目にやってる。
その一言が、喉の奥で甘く響く。
(優しいな……俺のこと、認めてくれてるのか?)
(もしかして……ワンチャンある?)
タイトなワンピースでくっきりと強調された小野の豊満なボディラインと、ノースリーブからチラリとのぞくブラジャーに、思わず唾を飲み込む。
(いやマジでシコい。こんな俺に気をかけてくれるとか、まじ天使じゃん)
机の下で足をもぞもぞと動かす。
資料なんて目に入らない。
その日も下卑た妄想をして仕事が一向に進まなかった。
⸻
夜。給湯室の横を通りかかったときだった。
ガラス戸の向こうから、小野と別の女性社員の声が聞こえてきた。
「……佐藤さん、正直キモいよね」
「うん、視線とか。なんかジロジロ見られてる気がして」
「私も最初怖かった。でも放っておくと、ほんとに潰れそうで……だからフォローしてるだけ」
「でもさ、彼氏に“かまいすぎるな”って言われちゃった。変に勘違いされたら困るって」
「そうなんだ。彼氏、すごい人なんでしょ?」
「うん。外資コンサルで……年収も高いし、ほんと尊敬できる」
――。
足が止まった。
喉の奥が冷えていく。
(……気持ち悪い? 俺が?)
(優しさは同情……? 彼氏は外資のエリート……?)
胃の中が鉄みたいに重い。
さっきまでの妄想が、一瞬でぶっ壊れる。
(俺なんか……やっぱ選ばれるわけないんだ)
(仕事では評価されないし、女からはキモがられて……)
視界がにじむ。
会社の窓に映った自分の横顔は、薄汚れて歪んで見えた。
⸻
帰り道。
夜の交差点、ネオンの光がにじむ。
「……あ」
猫が飛び出した。小さな影が、横断歩道の真ん中で固まっている。
右からトラックが迫ってくる。
地面を照らすヘッドライトがどんどん近づいてくる。
「危ないっ!」
俺は反射的に駆け出した。
猫を抱き上げようと伸ばした手が、その毛に触れた瞬間――
轟音。
世界が白く弾けた。
身体を粉砕するような衝撃。
(……あ、これダメなやつだ)
血の匂いが広がる。猫の小さな体が、俺の胸の中で震えている。
(最後に……誰かを助けられた、のか)
(でも俺は……結局……ダメでキモいやつで終わるんだな)
サイレンの音が遠くで鳴る。
意識が暗闇に沈んでいった。
ここまでお読みいただきありがとうございました!