微笑むエリック様
これは夢ではない。
その事に気付いたのは、ホットミルクを飲み、医者の診察が済ませ、エリック様がまた部屋に来た時だった。
診察は頭の包帯を変え、傷の説明をされ、そこで丸一日眠ったままだった事を聞いた。
私は倒れた時後頭部を打ったらしい。
その時に頭が切れたようだった。
後頭部の目立たぬところだから傷が残っても誰にもわからないだろうと説明された。
あとは割れた陶器の破片で細かい切り傷が所々あるものの、それらはすぐ完治するらしい。
頭を打ったからと問診をされ、診察はすぐ終わった。
問診は、名前、生年月日、家族構成を聞かれ、「ゆっくりやっていきましょうね。」と柔らかく言われた。
医者が出ていってしばらくするとエリック様がまた部屋に来た。
「さっき医者に叱られたよ。俺が焦って君に僕がエリックだって事と本当の年齢を教えたこと。ゆっくりやらないと君が混乱するって言われた。その通りだ。驚かせて悪かった。」
確かにエリック様と話していると混乱する。
本当の年齢?
「だが言ってしまったものは仕方がない。ただその他の事はのんびりやろう、ローズ。」
そう言うと押し殺したようにくくくと笑う。
「そうだよなあ。君からしたら友人の10歳の弟が18歳になってるんだから驚くのは当然だ。」
10歳の弟?
「フフ、何だか不思議な気分だけど、今の君からしたら俺は君より3つも年上なんだ。頼ってくれ。」
そこでハッとした。
長い長い夢の途中で一度目が覚めた事を思い出したのだ。
エリック様は10歳でしょう。
そう言った覚えがあった。
私は青ざめた。
そうだ。
公爵様に何歳かと聞かれ、15歳の頃の夢を見ていた私は15歳だと答えたのだった。
まさか?
頭を打ったせいで自分が15歳と思い込んでると思われているの?
「ああ、心配いらない。記憶が混濁しているだけの可能性も高いと医者も言っていた。いつも通り過ごしていればそのうち記憶も戻ると。」
青ざめた私を見て慌ててエリック様が言った。
15歳以降の記憶がなくなっていると思われているんだわ!
そう考えれば目が覚めてからの事は全て辻褄が合う。
「ローズ?」
エリック様の顔を見たまま固まってしまった私の顔を心配そうに覗き込む。
「悪かった。可笑しくて笑ったんじゃないんだ。ただ……年下のローズっていうのが…ちょっと……なんかくすぐったくってつい……悪かったよ。」
そう言うと優しく私の頭を撫でた。
「少しずつで良いから18歳の俺にも慣れてくれたら嬉しいよ。」
そのまま指で髪を梳くようにしてそっと手を離すと眩しい笑顔を浮かべて、また来るよと出ていった。
エリック様が出ていっても私は固まったまましばらく動けなかった。
あれは本当にエリック様なの。
私にあんな笑顔を向けるなんて。
しかし固まっている場合ではなかった。
記憶など無くしていないと、今言うべきだったのだ。
なぜならその後誤解を解くタイミングなど、私に見つけることはできないのだから。
「ん?起こしてしまったか、ローズ。」
目を開けるとエリック様の微笑んだ顔が飛び込んできた。
何度起きても目が覚めない悪夢を見ている気分ね。
(でも現実だわ。)
エリック様が出て行った後、ウトウトとまた眠たくなった。
私もまだ本調子ではないのだろう。
そうして眠り、起きると、エリック様が眼前にいたのだった。
起き上がろうとするとエリック様が手伝ってくれる。
侍女がすかさず背中にクッションを入れてくれた。
「お手間をおかけして申し訳ありません。」
「手間なんかじゃないよ。」
そう言うとエリック様はジッと私の顔を見た。
「両親に会いたいか?ローズ。」
「え……」
「きっと疑問に思っているだろうから言うけど……」
逡巡するようにエリック様は言う。
え……?
私は何を疑問に思っているのかしら……
自問自答しているとエリック様はようやく決心したように言う。
「何故ここがグリーンバート侯爵家ではないのか。君はどうして公爵家にいるのか。」
ハッとした。
そうだわ!
言わなくては!
わかっていますと!記憶が混濁していたのは最初だけですと!
口を開きかけたがエリック様が早かった。
「実は……俺たちは結婚しているんだ。」
エリック様のハッキリした口調に遮られ、はくはくと私の口からは空気だけが漏れた。
「驚くのは無理はない、君の心はまだ15歳なんだから……。」
パクパクと口だけが動いている様を驚いていると思ったらしい。
そうして情けない事に紡ごうとした言葉を見失い私の口はパクパクしたままだ。
そっとエリック様が私の手を取った。
「混乱させたか?でも、そろそろおかしいと思い始めていただろう?」
優しく言い聞かせるように話す。
「今君は不安だろうし、医者の許可がでれば侯爵家に戻っても構わない。父上と母上には俺から話すから。」
息を呑んだ。
もしや帰って欲しいと言う事だろうか。
しかし構わない訳がない。
この間結婚式を挙げたばかりの花嫁がもう自分の家に帰っているなんて、周りにどう思われる事か。
「不要です。」
やっと口から言葉が出る。
そもそも怪我をしているものの私は15歳ではない。
すべて理解しているのだ。
言わなくては!
「そ……そうか。」
パッとエリック様の顔が明るくなった。
その顔に喉まで出かけた言葉を飲み込んだ。
そうだ。エリック様とて貴族だ。
醜聞になる事をわかっていて提案してくれたのだ。
きっと…
15歳の私のために