公爵夫妻に説明を
「ところで話というのは」
暗い顔の公爵様が挨拶もそこそこにいきなり本題を促された。
隣の公爵夫人もじっとこちらを見ている。
やはりご存知なのね。
私は今公爵家当主執務室にいる。
今朝使いをやったと思えば瞬く間に公爵夫妻に会う算段がついてた。
そうね。
何があったんだと思っていらっしゃるに決まっている。
「昨晩の事はもうご存知かと思いますが、決して軽い話ではございません。ただの喧嘩などではない事を伝えに参りました。」
初夜は行われなかったこと
私では世継ぎは期待できないということ
そして伯爵家の恋人がいらっしゃること
あらかじめ用意していた事をすべて話した。
学生の間は自由恋愛を楽しむ貴族がほとんどで、故に私はあまり気にしていなかった。
しかしこうなったのなら気にした方が良かったのだろう。
「あいつも次期公爵としての自覚はあるはずだが。」
「もちろんです。事実エリック様は私と結婚し、義務を果たそうされましたが……エリック様は繊細な方です。大事な方が他にいらっしゃるのに、私と夫婦を続けることに拒否感があるのでしょう。こればっかりは彼を責められません。」
「……」
公爵様は押し黙ってしまった。
「昨晩初夜がおこなわれなかったのは誰の目にも明らかで、公爵家のものなら皆知っているでしょう。ですので本日は説明のために伺いました。」
公爵様の代わりに婦人が口を開く。
「そして貴方自身はどう思っているの?まさか……」
夫人の言いたい事を察する。
いや、私の言いたい事を夫人が察したというべきか。
そこまでの話はすることはないと思いつつ、以前より初夜がおこなわれなければ話すべきだと思っていたことでもある。
意を決して私は口を開いた。
「このまま三年子供ができなければ離縁も話に上がってきます。」
この国では三年、子が成せなければ貴族の離縁は認められる。
「子が成せないと離縁して瑕疵がつくのは貴方だわ。養子も視野に入れて考えていけばいいことよ。そうでしょう?私達は四大公爵家として家を守ることは義務だけれども、決して薄情者ではないのよ。」
「ですが四大公爵の名は決して軽くはございません。伯爵令嬢とならエリック様の実子が期待できるのです。」
四大公爵家が結婚相手に家格を一番に求めるように、血の繋がりも大事にされる。
もちろん長い歴史の中養子がなかったわけではないのだけれど実子が望ましいのは当然のこと。
そして公爵家に子供は2人。1人はエリック様。1人は私の親友マーガレット王太子妃だ。
そして王太子妃の子供を養子にと言うのは難しそうだ。
今度は2人で押し黙ってしまった。
アゼリア夫人と私の仲は良かった。
だからこそ言ってくださるのだろうけれど、今ラムスター公爵家の血縁でいい年齢の子が居ないのは夫妻の方がよく知っているだろう。
「その話じゃまるで三年のお飾りの妻だわ。貴方はそれでいいと言うの?私たちにそんな事を認めろというの?もちろん貴方たちの関係がけっして良好だった訳でないことは知っているわ。でも歳が離れているが故に交流が足りなかっただけよ。結婚して同じ場所で生活すれば溝も埋まるわ。ねえ、貴方も公爵家の一員なのよ。私達が大事にすべき人にひとりよ。」
最後の方はアゼリア夫人も切羽詰まったように早口になった。
そう、私とエリック様の関係は結婚前に破綻していた。
「良好ではない」位の話ではないのだけど傍目にはそう見えたのかもしれない。
なぜなら交流のためのお茶会は月一行われていたし、誕生日や王城のパーティなど婚約者の義務は必ず果たしてくれていた。
ただただ、エリック様が私と仲良くなる気がなかったのだ。
いくら交流を重ねても埋まるはずのない溝があった。
だからこそ昨日の初夜がなされれば少しは希望があると思っていた。
もちろんあっけなく砕け散ったのだけれど。
「もちろんですアゼリア夫人。私も決して離縁したい訳ではございません。本日は具体的な話をしに伺ったわけではないのです。昨晩公爵家を騒がせた謝罪と説明に参ったのです。私はエリック様が立派に公爵家を継ぐのをしっかりお支えしたいと思っておりますし、もしかしたらエリック様に心境の変化があれば私に子が生まれるかもしれません。」
しかしエリック様に心境の変化があれば、なんて言ったもののそれはもう期待できない事を私は知っている。
私達の婚約はエリック様のまだ婚約などピンとこない子供の時に行われ、私は自分の欲の為にこの婚約を承諾した。
そもそもが断ることが出来る縁談だったのだ。
エリック様はそれ故憤りを感じていただろう。
学園に入り恋をした時には子供の時に成立した婚約が自分を縛っていたのだから。
故に今わざわざ伯爵令嬢の話をしたのはせめてもの彼への罪滅ぼしだ。
私がいなければ伯爵令嬢と結婚も夢ではなかっただろう。
公爵家が伯爵家との婚姻が前例がないとはいえいくらでも手はあるのだから。
アゼリア夫人のいう通り公爵夫妻は薄情者ではない。
それを私はよく知っている。
でもこうして私が伯爵令嬢の存在を知った上で認めているのだと公爵夫妻が知れば、離縁後の展開もいいものになるのかも知れない。
そんな望みを込めて。
「あいわかった。」
沈黙を破るように公爵様が言った。
「確かに今しても仕方のない話だ。ただ私たちも何度となくエリックには紳士たれと言ってきた。だというのにいつまでも子供な態度を改められないのは私達のせいでもある。昨晩公爵家を騒がせたのはエリックのせいだ。ローズ、君が謝罪する事はない。」
「そうね。その通りよ、ローズ。貴方がこんな話を私たちにしなければならないのは貴方のせいではないわ。結婚したばかりですもの。時間はまだまだあるのよ……。」
結婚したばかりだというのにこんな話をしている時点で絶望的だとは思うのだけど、その事を夫人も感じただろうか。
勝気な夫人には珍しく語尾は弱々しいものになっていた。
しかし今日はここまでだろう。
これからも公爵家の一員として公爵家に尽くすと言う話をし、退室の挨拶をして出て行こうとした時だった。
(ドアが開いてる?)
違和感を感じゆっくりとドアに近付こうとした時だった。
ドアがバターン!と音を立てて勢いよく開いた。
思わず一歩後ずさる。
「エリック!」
公爵様が驚いた声で名前を呼んだ。
勢いよく入ってきたのはエリック様だった。
エリック様の黒い瞳がギロリと私を捉えた。
その目は怒りに燃えており、髪の毛は逆立たんばかりだ。
ものすごく怒っているわ!
今の話を聞いていた?
勝手に伯爵令嬢の話をしたことを怒っている?
私が知っていると思っていなかった?
わからない。
ただエリック様の怒りが真っ直ぐ私に向いているのは確かだ。
「ローズ!」
憎々しげに私の名前を呼ぶとズカズカと私に向かって勢いよく歩いてくる。
迫力に思わず二歩三歩と後ずさってしまう。
「エリック!」
今度はアゼリア夫人が名前を呼んだ。
ただならぬ雰囲気に公爵様が立ち上がりこちらに来ようとしているのが視界の端に見える。
そのくらい今のエリック様は普通ではない。
「ローズ!」
しかしエリック様が私のところに来る方が早い。
エリック様はまた名前を呼ぶと後ずさる私を逃すものかと言うように、こちらに向かって手を伸ばした。
恐怖に息を呑む。
動揺した瞬間だった。
後ずさっていた足がもつれた。
ふらりと姿勢を崩した先にあるものにドンとぶつかった。
そしてそのぶつかったものに抑え込まれるように共に床に倒れる。
パーーーン!!!
景気のいい派手な音がした。
倒れ込んだ先で見たのはみるみる真っ赤に染まってゆく床とその向こうに駆け寄る公爵様とエリック様。
そしてアゼリア夫人の悲鳴を聞いた。
ああ、わかったわ!
あの大きな壺ね。
私の背丈よりもっと高い、女性らしい曲線美を持つ装飾品の陶器の壺。
見事とはいえ、足元のおぼつかないデザインねえ、なんて思っていたのよ。
でもこの音、割れたかしら……?
弁償……しなくちゃね……
そんな事を考えながら私は意識を手放したのだった。