エリックの結婚式
ポスと小さく音がする。
ローズの手から本が滑り落ちていた。
手はダラリと脱力しておりハッとしてローズの顔をガバっと覗き込んだ。
スースーという息遣いを感じホッとする。
頭を打った以上しばらくは注意が必要だと言われていた。
でも眠ってしまっただけだ。
安堵するとじわじわと体の底から湧き上がってきたのは歓喜だった。
ローズが自分の胸で眠った。
(まだ夢みたいだ……)
そっと抱きしめると閉じている瞼に唇を寄せた。
ずっと触れてみたかったプラチナシルバーの髪。
ずっと覗き込んでみたかった空色の瞳。
ずっと唇を触れさせてみたかった透き通るような白い肌。
今すべて自分の腕の中にある。
数日前までは考えられない。
まるで奇跡だ。
(今まで俺が馬鹿なガキだったから……)
ローズが記憶を取り戻したら、俺の嘘をどう思うのだろう。
怒るだろうか。
でもようやく腕に囲った妖精だ。誰が逃すものか。
ローズの記憶が戻ったらみっともなくても謝って謝って許してもらえるまで謝って、そして今度こそ自分の想いを伝えるんだ。
「君を初めてみた時から好きだった」と。
初めてローズを見たのは公爵家の庭だった。
当時俺は9歳で庭で虫を捕るのに夢中になっていた。
そうして木々の隙間から美しい銀髪が見えた。
ハッとして走り出した。
妖精が現れたと思ったのだ。
妖精はふわふわとして、姉のマーガレットと一緒にコロコロと笑いながら歩いている。
庭のガゼボでお茶をするらしい。
ええ?
姉上と話している。
ていうことは人間なのか?
そういえば妖精姫がうちに来ると父上も母上も騒いでいたな。
それなら人だ。
でも妖精にしか見えないぞ?
俺はあんなふわふわした雰囲気の御令嬢を見たのが初めてだった。
派閥の色としてうちの派閥は勝気な女性が多い。
母上しかり、姉上しかり。
妖精姫……
かわいい……
あっさり恋に落ちた俺は自分が捕った自慢の虫を見せてやろうと思った。
結果姉上が大声で悲鳴を上げ、ローズに謝罪させられる事になるんだが。
思えば最初から俺は格好なんてつけ損なっている。
それが12歳の時ローズと婚約を結ぶ事になり、今までうちに遊びにきたのを盗み見ることしかできなかったというのに、初恋があっという間に叶ってしまっていた。
ローズは学園に通っていた。
それがすごく大人に見えた。
子供に見られたくなくて試行錯誤の挙句クールな大人の男を演出したものの、ただ子供が不機嫌になっているだけになっていた。
当時は空回っている事になど気付かなかった。
しかしこれはなんか違うと思った時にはもう遅く、どういう風に軌道修正して良いのか全くわからなくなっていた。
そうして状況は変わらぬまま結婚式を挙げることになった。
だから失敗することなど目に見えていたと言える。
いつも格好つけるつもりがつけ損なって不機嫌になって後悔しての繰り返し。
そうして見事にやることは全部裏目に出た。
次の誕生日こそうまくやろう、次のお茶会ではきちんと謝ろう、思っているだけで何年も経ってしまっていた。
ただその時の俺は現実が見えておらず結婚式は必ず成功させると意気込んでいた。
まずスマートに事を済ませなければ。
頼れる男と思われるように。
誓いのキスで失敗などありえない。
何度も頭の中で練習した。
初夜はローズの不安や緊張を少しずつ解きほぐしながら、ゆったりとしたあたたかい雰囲気を作って、今までの事を謝罪しよう。
そしてすべて自分に委ねてほしいと、男らしくそう言おうと決めていた。
優しく優しく、小さくて華奢な彼女を決して壊さぬように。
俺が彼女のことを大事に思っていることを伝わるような、そんな夜にしたいとずっとずっと思っていた。
それが何故ああなった?
現実は想像を軽々と超えてきたのだ。
神の御前で向かい合い、誓いのキスをするには近付かなければならない。
こんな間近で彼女の顔を見るのは初めてだった。
それはそうだ。今までまともに交流など持った事はないのだから。
今まで横目で盗み見るのが精一杯だった俺に真正面至近距離で見るローズは眩しすぎた。
輝かんばかりのプラチナシルバーの髪。白い滑らかな肌。キラキラと輝くまつ毛の奥には空色の瞳。小さめの鼻に合わせたような小さく可愛いピンクの唇。
え、誓いのキスって、もっと顔を近付けるんだよな?
え?
もっと?
もっと?
ええ?
えええ?!
こんなに?!
正気か?!
気が付いたら間近に迫ったローズの顔に耐えられず顔を背けていた。
何をしてるんだ?俺は!!
もうそこからはあまり覚えていない。
誓いのキスを失敗した。
この事をローズはどう思ったのだろう。
とてもじゃないが怖くて聞くことなど出来ない。
パニックのまま迎えた初夜は夜着の彼女を見た途端真っ白になった。
ただ座っているだけなのに夜着というだけで妙に煽情的だった。
だめだ。直視できない。
思っていたような初夜を迎える事ができる気がしない。
やめろ、俺を見つめないでくれ。
もはや八つ当たりだった。
気が付いたら突き飛ばしていた。
思ってもいない酷い言葉が口から出た。
居た堪れなくなり部屋を飛び出した。
もうめちゃくちゃだった。




