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「アレックス、赤ちゃんが、できたみたい。」
フィオナが言う。
目の前が暗くなる。嘘だ。
フィオナを食事に誘い、結婚の申し込みを、するつもりだった。
いつもより上品なレストランに、人目につきにくい個室を予約したのに、彼女は何かに気を取られているのか、あまり周りが目に入っていないようだった。
妊娠したのだと言う。
職場でひどい眩暈がして、検査をしてもらったらわかったのだと、きっと収穫祭の日のあの時だと言う。
信じられない。嘘だ。
「嘘だ。」
声に出ていた。
フィオナはビクッと怯んだように見えたが、さらに言い募る。
「嘘じゃないわ。お医者様に言われたの。2ヶ月ですって。ちょっと早いけど、間違いなさそうって。アレックス、私たちの子供ができたの。」
「そうか。それなら聞かせてほしい。父親は誰だ。」
誰だ。フィオナを奪ったのは。
「どうしてそんなこと言うの、、、、」
フィオナは青ざめた顔で誰でもない、父親は俺だと繰り返す。
もう食事どころではない。
もうその日はどうやって帰ったのかさえあやふやだった。
フィオナが泣いているのはわかったが、その日はかける言葉が見つからなかった。
上着のポケットに入れた指輪の箱がひどく重たく感じた。
それからは毎日フィオナを問い詰めた。相手は誰だ。望まない関係だったのか。それなら俺が話をつけて来る。どうして本当の事を言ってくれない。
フィオナがだんだんやつれていくのは分かっていたが、他にどうすることもできず。
とうとう2週間目に俺たちは終わりだと言われた。
諦める?そんなことはできない。
次の日もフィオナを待っていたら、フィオナは同じ職場のフレッド、だったか? そいつと二人で帰って来たのだ。ここしばらく見なかった笑顔を浮かべて。
もしかしてあいつが? そう思ってフレッド・ランドールについて調べたが、ベタ惚れの平民の婚約者がいることしか出てこない。
手詰まりだ。
途方に暮れていると、エリオットが会いに来た。
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「ミューラー様、仕事の紹介の御礼を申し上げます。」
エリオットは固い表情だった。
「やめてくれ。名前で呼んでほしいと言っただろう。」
エリオットは少し躊躇った後、
「では、アレックス。その、言いにくいんですが。姉さんとケンカでもしましたか。先月、実家で会った時、様子がおかしくて。
あまり寝てないようだったし。それに、、、あなたとの交際を辞めるようなことを言ってたんです。姉は何か悩んでいるようでした。」
本当はもっとアレックスを問い詰めたいのだが、エリオットは自分を抑えているようだ。
「今、少し意見が食い違って、、、」
「姉さんもそう言ってた。意見の食い違いって?」
エリオットが重ねて問いかける。
話を終わらせる気はなさそうだ。
「フィオナは妊娠している。父親がわからない。」
「何だって! 姉さんそんなことは一言も、、、。
って、相手はアンタしか考えられないだろう!」
もう丁寧に言葉を選ぶこともできないようだ。
「違う。」
「どうして!」
またこのやりとりか。アレックスもうんざりだった。
フィオナと散々言い合った後だ。
「俺は、子ができない。子供の頃の熱病が原因だ。」
「そんな。まさか。だからと言って姉さんの不貞を疑うなんて。姉さんは嘘は言わない人だ。子ができないなんて、確かなのか。」
確かだ、と言うには子供の頃の記憶はボヤけている。が、あれを聞いて以来ずっとそう信じて生きて来たのだ。
返事をしない俺に業を煮やしたのか、
「姉さんへの侮辱は男爵家へのものと受け取る!はっきりするまで姉には会わないでほしい。これ以上傷つく姉を見ていられない!」
カンカンに怒ったエリオットは帰って行った。
呆然と見送る。
エリオットに頭から否定されたことで我に返る。
もし本当に自分の子供だったら。
そうであってほしいと、どんなに願ったか。