かささぎの背の上で
七夕は後悔と懺悔の日。
街灯もなく、車通りも少ない橋の上。
ここは地元の者なら知る人ぞ知る、星見スポットだ。
だが、見上げれば空は曇天。
期待していたミルキーウェイは見えない。
年に一度しか会えないというのに、こうなってしまっては恋する2人が哀れでならない。
そう言った俺に、幼馴染の彼女は言った。
『大丈夫よ。星の一生は私たちの一生よりずっとずっと長いんだもの。
人にとっての一年なんて、2人にとっちゃ数日とか数時間レベルよ』
だけど、人と星の時間の流れは違いすぎて。
君にとっては数時間レベルかも知れないけれど、俺にとっては年に一度・・・それも晴れた日にしか会えないのは辛い。
おそらくこの辺だろうとアタリをつけて空を見上げる。
天の川どころかその両端にいるはずの恋人同士ですら、その姿は灰色の雲に覆われている。
一瞬、雲が流れたように見え、思わず橋から身を乗り出した。
「ちょっと!自殺するならよそでやってくれる?!」
それが、佐織との出会いだった。
「誰が自殺者だ!俺は単に、雲が切れたから星が見えるかと思ってちょっと乗り出しただけだ!
勝手に殺すなガキ!」
勘違い女は、俺よりも小さな子どもだった。
黒のワンピースを着ている。
言い返すとさらに、俺より甲高い声で言い返してきた。
「だぁれがガキですってぇっ!私これでも高校生なんですけどっ
それに私には“佐織”っていうれっきとした名前があるんですぅ~
どこの誰かは知りませんが、ぶしつけではなくって??」
「俺だって星也って名前があんだよ!だいたい高校生なんて十分ガキだろうが!」
自分も数年前まではそうだったことを棚に上げ、俺も思わず言い返す。
佐織、と名乗ったその娘は、しばらくきぃきぃとやかましく騒いでいたが、しばらくすると大人しくなった。
代わりに、握った手を突き出される。
反応に困っていると「手」と言われたので、とりあえず差し出すと、その手にキャンディが落とされた。
ソーダ味のキャンディにラムネのカケラが入った、新商品の奴。
大学で噂にはなっていたが、俺はまだ試したことがなかった。
「言い過ぎた。ごめんなさい・・・んと、星也さん」
「・・・俺の方こそごめん。えっと・・・佐織さん?」
佐織でいいよ、と彼女は笑う。
「星、見てたの?お祭の日なのに?」
俺はうなずく。
今日は祭の日。
この橋の名前が、離れて暮らす恋人同士をつなぐ“かささぎ橋”であることにちなみ、その両端の街がどちらの祭がより盛り上がったのかを競うという、七夕を意識しているわりにはまったくその様相をなさない、わけのわからない祭が繰り広げられている。
耳をすませば両端から、祭囃子や花火の音がまるで輪唱のように響き、中にはほとんど怒声のような声すら聞こえるところを聞くと、相当盛り上がっているようだ。
その一方でその中間に位置しており、本来はもっと脚光を浴びてもいいはずのかささぎは、その白い姿を夜闇に紛れ込ませたまま。
俺や佐織のような“変わり者”がその背に乗るばかり。
「・・・お前には関係ない」
少し言い方がきつかったかな、と思ったが、沙織はただ「そっか・・・」とだけつぶやいた。
口の中で、キャンディの中に閉じ込められていたラムネがしゅわしゅわと溶けていく。
「・・・星也さん、死なないよね?」
「・・・ああ」
変な問いかけだな、と思ったが、俺は素直に答えた。
それから俺たちはどうでもいい話ばかりした。
佐織は高校での話を、俺は大学の話やバイトの話。
それから最近読んだ本や、ドラマの話。
佐織は、都会に・・・ここからずっと遠くに住んでいた。
「こっちには里帰りかなんかか?」
佐織は答えなかった。
祭の喧騒が静まるころ、俺は立ち上がり帰り支度をはじめた。
佐織も、軽く身震いをしつつ立ち上がる。
天の川は結局、最後まで見ることが出来なかった。
「・・・あの、また来年・・・ね?」
「?・・・ああ」
佐織が笑った。
少しだけ、似ていた。
翌年も佐織はかささぎ橋に来た。
地元で就職した俺が、去年より少し遅い時間にそこへ行くと、沙織は橋の欄干に寄りかかり、ぼんやりと空を見ていた。
「・・・おい、自殺ならよそでやれ」
そう冗談めかして声をかけると、佐織は振り返って笑った。
佐織は浴衣を着ていた。
「死装束?」
「違うわよ、ばか」
土産代わりに途中で買ったわたあめを渡すと、焼きそばが差し出された。
「2つ買ってきたから、一緒に食べよーよ」
2人で焼きそばを食べた。
俺が持ってきた綿あめも半分こにした。
今年も、天の川は見えなかった。
「来年はカキ氷がいいな。いちごのやつ」
「鬼が笑うぞ」
佐織が笑った。
来年はいちごのカキ氷を買ってきてやろう、と決めた。
佐織は、俺が毎年ここに来る理由を聞かなかった。
俺も、佐織が何故毎年ここに来るのか聞かなかった。
知らなくても構わなかった。
聞いてはいけないと思った。
そんな2人だけの祭が、何年か続いた。
俺はその年、佐織のリクエストでお好み焼きを買っていた。
2つ買って、また橋のところで一緒に食べようと約束していたから。
橋にたどり着くと、佐織はまだ来ていなかった。
お好み焼きが冷めてしまわないか心配ではあったが、いつもなら必ず俺より先に橋にいる沙織がいないのは不思議な感じだった。
手持ち無沙汰に空を見上げる。
濃い藍色の空に浮かぶ2つの星の間に、オーガンジーの布を垂らしたような星々が瞬いている。
・・・今年はミルキーウェイが出てるんだな。
ぼんやりとそれを眺めていると「星也さん・・・」と声をかけられた。
佐織だった。
はじめて会ったときのような、黒いワンピース。
つややかな生地のそれは、祭の場にはどこか相応しくない。
その理由を、俺は佐織が隣に座ったそのときに感じた。
よく言えば白檀・・・いや、むしろそれは・・・
「十三回忌、だったの・・・」
そのときに俺の胸に飛来したその不思議な感覚を、どう説明したらいいのだろう。
奇妙なまでの、一致。
俺が、毎年このかささぎ橋に訪れていたわけ。
そして・・・
はじめて会ったときの彼女が着ていた、黒いワンピース。
「誰の・・・?」
沈黙を破ったのは俺の声。
それは、聞いてはいけない事だったのかも知れない。
佐織がためらうように口を開く。
それは俺が、16歳のとき。
まだ馬鹿みたいに野郎連中とつるんでいて。
そんで、その暴走っぷりを見て幼馴染の彼女、姫子がケラケラと楽しそうに笑って・・・
下校んときには途中で買ったアイスをかじりながら、このかささぎ橋を渡って。
その途中で、ずっと想い続けてたことを伝えて・・・
はじめてのキスは、甘い甘いバニラの味。
だけど・・・
好きなアイドルのライブチケットが当たったのだと彼女は言って。
じゃあライブの翌日の祭デートはキャンセルだなって俺が言ったら、ちゃんと祭までには帰ってくるよって彼女は頬を膨らませ。
俺は2人の家の近くにある祭会場で待っていて。
そして・・・
あの赤は、今も目に焼きついている。 騒然となった祭会場。
胸騒ぎ。
野次馬の大人たちの隙間をかいくぐり俺が見つけたのは、俺が彼女の誕生日にプレゼントした、赤く染まったブレスレット。
バスの運転手の居眠り運転、だったそうだ。
事故現場であるこの橋はいくら祭期間とは言え、普段から星見スポットなだけあって夜も街灯は少なく。
何台かの乗用車を巻き込んで対向車側に突っ込んだバスは、まるで死んだ魚の腹のようにぎらぎらとその側面を月明かりにさらけ出していた。
道路に転々と残る血のあとは、運び出された乗客たちが流したものだろうか。
そしてその中には、きっと・・・姫子のものもおそらくいくらかは混じっていたのだろう。
誰が食っていた焼きそばだかお好み焼きだかはわからないが、やけに甘ったるいソースの匂いに混じって、鉄錆の苦いような匂いが辺りに充満していた。
「・・・お姉ちゃん」
ぽつりとつぶやく佐織。
いやちょっと待て、そもそもアレはかなり大きな事故だった。
たまたまだ。
きっと。
だからもうこれ以上・・・
佐織は止めない。
まるで裁かれる罪人のような目で。それでもその声は、まるで流れるように紡がれて。
「ホントは私が死ぬはずだったの。
私が当てたライブのチケット・・・風邪引いて行けなくなった私の代わりに、お姉ちゃんはライブに行って・・・」
『その帰りで事故にあったの』
俺の中で、血液がざぁっと不自然に流れていく。
頭に血が巡っていないのだと気づいた。
姫子が死んだのは佐織のせい
そんな恐ろしい事実を突きつけられた俺は、軽い混乱状態に陥っていた。
それを否定したいはずの声は出ず、代わりに出たのはため息にも似た吐息だけ。
「最初に会ったときもね・・・言おうと思ったの。だけど、言えなかった。
私は星也さんのこと・・・お姉ちゃんの恋人なのに、星也さんのことを・・・」
思い出した。
姫子がいつも言っていた。
5つも年の離れた、可愛い妹がいるのだと。
いとおしそうに微笑んだ、その笑顔を思い出した。
その妹が、今俺の目の前にいる・・・佐織?
それならば、彼女の笑顔がどことなく姫子に似ているのにも合点がいく。
「私のせいなの・・・お姉ちゃんが死んだのは。
星也さんからお姉ちゃんを奪ったのは・・・私なの。
なのにこんな気持ちになるなんて、私は卑怯だよね・・・」
呆然としている俺をよそに、佐織はスカートのすそを軽く払い言った。
「だから・・・ごめん。
全部、伝えちゃったから、もう会えない。
もう、会わない」
くるりとスカートを翻し、空を見上げる。
「・・・ほら、今日は天の川だけじゃない。こと座のベガもよぉく見えるよ。織姫・・・お姉ちゃんの星も」
おそらく姫子が話したのだろう。
『私が織姫なら、星くんが彦星だね』って、笑った姫子を思い出す。
おんなじ文字が入ってるし、と冗談めかして。
「だから・・・偽者の織姫はもう、消えるね」
ばいばい、と、佐織が微笑んだ。
遠ざかっていく。
背筋をぴんと伸ばし最後の最後まで織姫の仮面を被ったまま、やけに場違いな祭囃子をBGMに。
気づけばその腕を自分の方へ引き寄せていた。
胸にあたる人の体温。
もがいて逃れようとする彼女をぎゅっと抱きしめる。
「姫子といた時間を・・・姫子のことを忘れたとは言わないし、嫌いになったとも思わない。
今でも俺は姫子のことを思ってるし、そのためにここにきてた」
もし彼女が星になったなら、きっとあの星だろうと、ずっと思い続けていた。
だからいつかその星が見れたなら、夢の中でもいい・・・もう一度君に会えると思っていた。
もしあの日、祭会場で待つのではなく駅まで迎えに行ってたなら、彼女は事故に合わなかったかも知れない。
あるいはもしかしたら・・・
「そんな後悔をずっと抱いていた。
毎年、祭の喧騒から逃れてここに来るのは、俺への戒めの意味もあった。
あの夜を忘れるな、姫のことを忘れるな、って・・・」
もう佐織は逃げようとはしなかった。
大人しく俺の腕の中で、俺の話を聞いていた。
「でも、それをお前が変えてくれた。
姫は忘れない、あの夜も忘れない・・・それでも、悲しむだけの夜にしなくていい。
屋台のメシでも食いながらここで他愛もない話をして、そうやって過ごしてもいいんだって・・・」
きっとお前に会わなかったら俺は、今も見えない天の川に向かって、会えない織姫に祈りと懺悔を繰り返していただろう。
たとえこの身が、人の一生を終えても。
「だから、いいんだ。沙織・・・お前が思い悩むことはない。
少なくとも、お前は俺を救ったんだから」
だからもう、まるでおとぎばなしの2人のように、年に一度のひそやかな逢瀬に満足しなくたっていい。
かささぎの背の上で会うのはもうおしまい。
「だから今度は・・・俺がお前に会いに行くから。7/7なんて関係なしに」
だから待ってて・・・
そう言って触れた唇は、涙の塩辛い味がした。
さすがに10年も前に書いたのを読み返すのはこっぱずかしかったです……
追々、過去の一次創作もこちらに転載してく予定です。