99話 深雪の記憶
深々と雪が降り積もる中、辺りは不穏な空気に包まれていた。
ふと、雪之丞が顔を上げ己の飼い主さまの顔を見ると、ひどく覚束ない表情をし落ち着かない様子で、ギョロギョロとした目でしきりに周囲を気にしている。
まるで怯える手負いの獣のようである。
飼い主さまはとかく隠居してからは、殊更に老け込み、気力も衰えぎみになってしまったらしい。らしいというのは雪之丞はその頃の事を全く知らぬが故の事だ。
雪之丞がこの江戸の武家屋敷で飼われるようになったのは、そのような主を心配した家臣がせめて慰めになればと、この屋敷に連れて来たからだ。
雪之丞のような左右の瞳の色が違う猫は珍しいらしく、飼い主さまも大いに喜び、雪之丞はこの武家屋敷で何不自由なく生活を送っていた。
「にゃーん」
鼻をツンと上げて一鳴きすると、骨皮となった老人の手が雪之丞の頭を撫でてくれる。雪之丞は自身の飼い主たるこの老人の事が好きだった。
その時、庭の辺りで物々しい音がした。
それを察した飼い主さまが、蝋燭の火をフッと吹き消す。
辺りが真っ暗になった。
いよいよ不穏さが増してきたという所で、襖が空き家臣らが慌しく入ってきた。
「殿、お逃げくだされ」
「ささ、こちらへ」
飼い主さまは立ち上がると、家臣らの案内に従い部屋を出ようとした所で、雪之丞を振り返った。
「何をしておる雪之丞よ。お主も来るのだ」
「にゃー」
呼びかけを受けて雪之丞は一鳴きすると、飼い主さまの元へと駆け寄る。飼い主さまは雪之丞の体を一撫ですると、足早に家臣らと共に廊下を進む。
すでに斬り合いが始まっているのか、周囲からは金属同時がぶつかり合う甲高い音と共に、男共の怒号が響いてくる。
廊下を進み台所脇の炭小屋まで来た時である。
「殿、この奥にお隠れを」
「この場は我らがお守り致す」
家臣らが言うのに、飼い主さまは頷くと雪之丞を抱え小屋の奥へと身を隠した。
雪之丞は抱きかかえられながら、段々と喧騒が近づいてくるのを感じていた。
「雪之丞……すまない」
「にゃあ……」
飼い主さまが申し訳なさそうに涙を流していた。その涙を雪之丞がペロペロと舐めると、じっとその顔を見つめた。
飼い主さま、済まないなどと、言ってはなりませぬ。
そう、瞳に込めたが伝わったかどうかは定かではなかった。
飼い主さまが賊に命を狙われているという話は随分前から、雪之丞の耳にも入ってきていた。そして、近々押し入りがあるのではないかという噂もあった。
けたたましい足音が近づき、返り血を浴びた火事装束の男たちが炭小屋の中へと押し入ってきた。家臣等が斬りかかるも、あっけなく返り討ちにされてしまう。
見つかるのも時間の問題。
「おい、何かいるぞ!」
火事装束の男たちが、近づいてくる。
もはやこれまであった。
雪之丞は飼い主さまの腕の中から飛び出すと、男たちの前へと飛び出した。
「フー!」
威嚇の声を出す。
雪之丞も武家屋敷に住まう武士の一匹として、主を守るために戦わねばならぬ。という覚悟がそこにはあった。
「なんだ、この猫は?」
「かまわん、斬り殺せ!」
「フギャー!」
威嚇の声を共に、雪之丞は男たちに飛び掛る。
雪之丞の爪が男の一人の顔を捉え、小さな傷を作る。
しかし、それまでであった。
雪之丞は呆気なく振りほどかれ、地面に伏した所を一突きにされた。
「いたぞ!」
「逃がすな!」
雪之丞の白い毛並みに赤い染みが広がっていく。
霞んでいく視界の中で、飼い主さまが斬られるのを見ていた。
男たちは飼い主さまの首を切り取ると、炭小屋を後にしていった。
「にゃ……」
雪之丞は最後の力を振り絞って、首のなくなった飼い主さまの元まで進むと寄り添うように倒れこむ。
もう自分は死ぬのだと、そう思った時だった。
辺りがぱぁっと明るくなり、羽飾りをつけた甲冑を着込んだ猫耳の女が雪之丞の元へと舞い降りてきた。
女は慈しむように、血に塗れた雪之丞の体をそっと撫でる。
「君はこんな場所で死なせるには惜しい猫だよ」
「おまえ……は?」
「こんにちわ。私は猫乙女〈ニャルキリー〉だよん。君を迎えに来たの。神さまは君の力を必要としておられるんだ。それってなかなかある事じゃないよ。うわぁ、めっちゃラッキーじゃん。略してめちゃラキって感じ? マジうけるんだけど、あはは。さあ、私と一緒にニャルハラに行こうよ。使い魔〈サーヴァント〉となってその力を存分に振るうのだ。楽しい異世界生活のはじまりだぜ☆」
「一体……、うぅ……」
周囲を眩い光が覆い、雪之丞の意識が急速に薄れていった。
「……っ」
飛び込んできた日の光に、雪之丞は思わず顔をしかめる。
どうやら古い夢を見ていたようだ。
「あ、目が覚めましたか?」
男の声がした。
声がした方に視線を向けると、少年のような笑みを浮かべた男が雪之丞のすぐ脇に腰を下ろしていた。
「お前は……確かエータとか言ったな。なぜお前がここに?」
雪之丞が問うと、エータはクスリと笑い声を漏らすと、
「雪之丞さんが面白そうな事をしていたので、少し見学させてもらってたんですよ」
「見ていたのか?」
「はい、途中からですけど」
「そうか、無様な所を見せてしまったようだな。……ぐっ」
雪之丞は起き上がろうとするが、体に痛みが走り、途中で止まってしまう。
「まだ無理はしない方がいいですよ。一応手当てはしましたけど、魔法の負荷の事もありますし」
言われて雪之丞は自分の体に包帯が巻かれている事に気がついた。どうやら、この少年のような男が服を脱がして包帯を巻いてくれたらしい。
「包帯だけじゃないですよ。ちゃんと傷薬も塗っておきました。もう少し安静にしていれば、動けるようにはなるはずです。最近は需要が減っているのか、こういうアナログな回復アイテムの値段が高騰していて困りますよね」
「ああ……」
思わず同意してしまう。
実際、普通の傷薬の値段が高騰しているのは雪之丞も肌で知る所だったからだ。
回復魔法を受け付けない雪之丞としては町の薬局をよく利用するので、その度にまた値段が上がったよと愚痴らずにはいられない。
いや、まあそれはいいとして。
「ぐっ」
雪之丞は無理やり体を起こす。
「あれ、まだ安静にしてないとって言ったのに」
「治療してくれた事には礼を言う。しかし、もう問題ない」
「そうですか、それなら僕は何も言いませんが」
そう言うとエータは引き下がる。
「それにしても、まさかあの子が雪之丞さんを倒してしまうなんて驚きました。ふふ、僕も戦ったら危ないかも」
「嬉しそうだな」
言葉の内容とは裏腹に、エータの表情は楽しげである。
心に微塵も思っていない事を言っているのだろう。
しかし実際の所、雪之丞はこの男がどのくらいの実力の持ち主なのかを知らない、数回戦っている姿を見たことがあるが、未だ底を見せていないのだ。
魔王の片腕と呼ばれているその地位を考えれば、かなりの実力者なのは間違いないが、正直よくわからない男だった。
「僕、あの子にちょっと興味沸いてきましたよ。特に純粋無垢そうな所がいいですね。あれならどんな色にでも染まってくれそうです。あんな所にいるんじゃ勿体ないですよ。ああ、僕らの仲間になってくれないかなぁ。ああいう子が絶望に堕ちた時、どんな顔をするのか。考えただけでゾクゾクしますね」
エータは口元を吊り上げて、邪悪な笑みを浮かべていた。
趣味の悪そうな男だ。
「やだなぁ。睨まないでくださいよ」
いつの間にか、目つきが鋭くなっていたようだ。雪之丞の視線を受けて、エータが眉尻を下げながらヒラヒラと手を振る。
「雪之丞さんも、あの子の事が気に入ったんですか?」
「いや別に。だが、俺を倒した相手が下種な手段で貶められるのは、戦いを汚されたようでいい気分はしないというだけだ」
「いやいや、言ってみただけですって。大体、彼女にちょっかい出したら、ミケ先輩がめっちゃ怒りそうだし、僕も先輩とは敵対したくないですからね」
「……」
「ほんとですって。みんな仲良しが一番ですよ。世界平和万歳。ラブアンドピースです」
エータはそう言うと、手でハートを作ってから、ダブルピースを雪之丞に向けた。
よくわからん奴だと雪之丞が冷めた目をエータに向けていると、地鳴りと共に地面が微かに振動する。
「やれやら、またですか」
ウンザリしたようにエータが言うと、地中からイカともタコともつかないようなMTTBが出現した。
「やはり女王型を倒さない限りは、キリがないんですかね」
独り言のように言うと、エータは立ち上がると手をクイクイと招き猫ように動かす。
すると、どこからともなく口、というか歯だけの物体がぴょこぴょこと跳ねながらエータの元へと集まってきた。
「デモンズデンターか」
「ええ、悪魔の総入れ歯〈デモンズデンター〉です」
複数のモルモット程度の大きさの歯並びの悪い入れ歯がカツカツと口元を開閉させながら、エータの指示を待っている。悪魔の総入れ歯の名前で呼ばれるそれは、正に悪魔の口元のレプリカなのだ。
デモンズトゥースと呼ばれる、かつて存在したとされる悪魔の歯を並べなおして弓とした魔弓があり、それの持ち主が無限に作り出す事が出来る矢の一つをデモンズデンター〈悪魔の総入れ歯〉という。
デモンズデンターはそれ単体においても持ち主の思念に反応して、自在に動き対象を噛み砕き、すり潰し粉々にしてしまうという遠隔兵器なのだという。
すべてはエータ自身から聞いた話で、雪乃上としてはそこまで詳しく知っているわけではなく、弓という時点で興味がかなり半減してしまうのでそれ以上聞こうとも思わなかったが、とにかく、あの歯並びの悪い入れ歯はそういう代物なのだ。
エータが手を振ると、デモンズデンターが一斉にMTTBへと襲い掛かる。
MTTBに群がる入れ歯の群れは、まるで入れ歯の形をしたピラニアの群れだ。MTTBが触手で払い落としていくが、破壊された分だけデモンズデンターが追加される。
「まあまあ、死んでくださいよ」
エータは微笑と共に目を細めると、さらに一山、デモンズデンターをけし掛ける。
MTTBの体は、いつの間にか樹皮が見えないほどの無数の入れ歯に覆われていた。そして為す術なくMTTBの巨体は大量の木屑の山にその姿を変えていた。
「――――っ」
悲鳴のようなものが聞こえる。
絶命し、木屑が灰となって散っていくのにそう時間は掛からなかった。
「さてと……」
エータがパンパンと手を叩くと、あれだけいたデモンズデンターの姿が掻き消えた。
「それじゃあ、僕はそろそろ行こうかな。その様子なら雪之丞さんももう大丈夫そうだし、あんまり油売ってると怒られちゃいますから」
エータはそう言うと、スーツについた埃を払った。
「行く? お前もこの奥に行くつもりなのか?」
「違いますよ。僕が行くのは本丸の方です」
「俺は、どうしたらいい?」
雪之丞が訊ねると、エータは少し困ったような顔を作る。
「どうぞお好きなように……と言いたい所なんですけど。僕達もなかなか人手不足でして、その体の雪之丞さんに言うのもあれなんですけど、任務を続行していただけたらと。斥候さんからは全然連絡がこないですし、彼女たちに任せっぱなしというのも少し心もとないですし」
「わかった」
「助かります。それでは僕は失礼しますね」
一礼すると、エータは駆け去って行った。
雪之丞はそれを見送ると、重たそうに緩慢な動作で立ち上がり、地面に転がったままの猫紫電を拾い上げた。
青い稲妻の奔る刀身を見つめながら、鼻を鳴らすと、
「俺も焼きが回ったようでございます……飼い主さま」
空に向かいポツリと漏らすと、雪之丞は地面に空いた地下への階段を下っていった。




