95話 そうだ、すき焼きを食べよう
「何よ。まだやるつもりなのっ……あ、あれ」
わたしはググッと体に力を込めて立ち上がろうとするが、立ち上がる事が出来ない。
「ルナさん。無理しないで」
ショコラがわたしの体を押さえる。
「ルナ、もう決闘は終わりだ。休んでな」
ミケはわたしにそう言うと、倒れた雪之丞を見下ろした。
「あんたも、そんな体でこれ以上戦えるとは思えないが?」
「もう戦うつもりはない。傷もそうだが、補助魔法の反動で今は指一本動かす事が出来ない。俺の負けだ。煮るなり、焼くなり好きにしろ」
「煮るなり、焼くなり、ってまるですき焼きみたい」
お肉とネギとしらたきと、後なんだっけ?
あ、確か飼い主さまが家ですき焼きしていた時は、後焼き豆腐入れてたかな。お肉を解き卵に絡めて食べるんだよね。うわぁ、おいしそう。
「ルナ、涎が出てるぞ」
ミケが呆れたように、そんな事を考えているわたしに言った。
「え、うそ……」
わたしは取り繕うように、口元を拭く。
わたしがそんな事をしていると、雪之丞が至極真面目な声を掛けてきた。
「すき焼きをおごればいいのか?」
「え、いや別に……」
「遠慮するな。お前は俺に勝った。煮るなり、焼くなり好きにしろと言った手前、すき焼きをおごれというのならば、そうしよう」
「あ、あの……」
わたしが困惑していると、
「ほぅ、なら、肉は最高級のやつにしてくれ。六人前な」
「ちょ、ミケ」
ミケが悪乗りしたようにニヤリと笑みを作り雪之丞に言った。
「了解した。材料を郵送で送ればいいか?」
「ああ、ヤマネコ宅急便の保冷郵便の即日配達で俺宛に送れ」
「ヤマネコ宅急便か。確か英雄ショップ直営の運送サービスの。住所は?」
「住所は必要ない。ヤマネコ宅急便は英雄ショップの直営だからな。ニャルラトフォンの番号でいける。この番号に送ってくれ」
ミケはメモ帳を取り出すと、そこにさらさらと携帯番号を書いて雪之丞の着物の懐に差した。
「確かに、受け奉った」
雪之丞が妙にうやうやしい態度で言う。
なんだかよくわからないけど、話が勝手に進んでるんですけど。
「ねえ、ミケ。いいのかな……」
わたしが混乱しながらミケを見ると、ミケはわたしの頭にポンと手を置いた。
「くれるって言ってるんだから貰っとけ」
「う、うん」
「というか、本当にすき焼きで許していいのか。こっちはこいつにいきなり襲われて殺されそうになったんだぞ?」
「うん、まあ。ミケの怪我も治ったわけだし」
「お前がいいならいいけどな」
ミケはそう言うと、わたしの頭をクシュっと一回撫でると手を離した。
わたしは改めて、仰向けに倒れている雪之丞に目を移す。
胸が激しく上下し、ひゅうひゅうと荒い気遣いが聞こえてくる。
「ねえ、ショコラ。わたしの回復が終わったら、あの猫も回復してあげてくれない?」
それから、隣のショコラに顔を向けた。
「な、なんで……」
ショコラが困惑の表情を浮かべる。チラリと雪之丞を一瞥すると、
「だっていきなり襲ってきたんですよ。危険な猫なんですよ。回復なんてしてまた襲ってきたら……」
「ショコラ、お願い」
わたしは手を合わせると、ショコラにウィンクする。
さすがにこのまま放置はかわいそうだし。
「……わかりました。傷を塞ぐくらいなら」
ショコラが渋々といった様子で頷く。
「いや……、その、必要はない」
声をくぐもらせた雪之丞の声が割り込んできた。
「俺に回復魔法は効かない。先ほども話したはずだ」
「あ……」
そう言えば、そんな事を言っていたような気がする。魔法過敏体質で、回復魔法を受けると体が腐ってしまうとか。
「やはり、家猫は……甘ちゃんだな。敵の心配をするとは、殺すとか言ってなかったか?」
「ふん、あの時はあの時、今は今よ。猫は気分屋なの」
わたしが言うと、雪之丞は可笑しそうに笑った。
「な、なによ」
「お前、飼い主は好きか?」
突然何を聞くのだろうと、わたしは面くらいながらも、
「うん、大好き」
わたしがそう言うと、雪之丞は「そうか」と息も絶え絶えな声で言った。
「だから、なんなのよ」
「家猫は温室育ちで弱いというレッテルは、元々は野良の嫉妬からきているものだ。一時に比べれば差別感情は収まっているように見えるが根は深い。本当にそれを覆したいと思うなら、そんな調子では足元を掬われるぞ」
「どうしてあなたがそんな事を……ってあれ」
反応がない。どうやら気を失ってしまったようだ。
「はい、終わりましたよ」
「あ、うん。ありがとう」
わたしを包み込んでいた回復の光が消える。
体中の傷もすっかりよくなっていた。
さすが回復魔法。あんなに傷だらけだったのに元通りになってる。
補助魔法かけ放題は確かにすごいけど、この回復魔法の恩恵に預かれないと考えると、ちょっと微妙かも。
というか回復魔法こそ真のチートなのでは。と雪之丞を見ながらそんな事を考えていると、
「……?」
傷が治った所で立ち上がろうとした所で、力が抜けてしまって立ち上がれない。
「ほら」
ミケがわたしの手を掴んで立ち上がらせてくれる。
「あ、ありがとう」
「ったくダメージを蓄積させすぎなんだよ。回復魔法で傷は治っても、体に溜まったダメージまでは取り切れるわけじゃないんだ。ダメージを蓄積させると回復魔法も効きづらくなってくる。あまり回復魔法を過信するな。あんな無謀な戦い方ばかりしてたら蓄積ダメージで命を落としてしまうからな」
「う、うん」
わたしは手に持った猫村正を鞘に戻しながらながら頷く。そうか、回復魔法も万能ってわけじゃないんだ。
「え、そうだったんですか……。てっきり完全に治ってるものとばかり……」
ショコラがそれを聞いてしょんぼりする。
「いやでも、ショコラの回復魔法は助かってるよ。ね、ミケ」
「ああ、治癒師〈ヒーラー〉がいると、パーティの安定感が格段に増すからな。それに蓄積されたダメージはちゃんと休めば抜けるから」
「だってさ」
「はい……」
ショコラが複雑そうに頷く。
「あくまでも程度の問題だよ。治癒師がいるからって怪我しまくっていいわけじゃないって話だ」
「じゃあ、適度にショコラの事頼ってください」
「でも、わたしは滅茶苦茶ショコラの事頼っちゃうけどね」
そう言うと、ショコラにガバっと抱きつく。
「だ、だめです。適度ですっ」
わたわたとした様子で、ショコラが慌てて顔を赤くする。
このリアクションが面白くて、思わず抱きついてしまう。
「ふぅ……」
わたしはショコラから離れると、倒れている雪之丞に目を向けた。
「ねぇ、これどうするの?」
「転がしとけばいいんじゃないか」
ミケがぶっきらぼうに言った。
かなり身も蓋もない言い様である。
「でも……」
今、この街はどこからMTTBが沸いて出るのか判らない。
さすがに、このまま放置ってわけには……。
そう、わたしが考えていると、どこからかパチパチという乾いた音が聞こえてきた。
「……?」
音のする方を見ると、柔らかい雰囲気を纏った、スーツを着た青年が笑みを浮かべながら拍手をしながらわたし達を見ていた。




