88話 狂猫VS地下ダンジョン
一人の男が薄暗い地下道の階段を下っていく。
刃のように鈍く光を宿した目が、周囲を警戒するようにギョロギョロと忙しなく左右を行き来する。
そして階段を下りきり広めの通路に出た所で、男は額の汗を拭うと一息ついた。
とりあえず、ここまで来れば大丈夫だろう。
腰に二本の短剣を差した細い、それでいてしっかりと鍛えられた体の男は、他の猫から狂猫などと呼ばれている。
本来は不本意な類の二つ名なのだろうが、男は割りと気に入っていた。
それにしてもと男は思う。
ネコソギシティの地下に、こんな入り組んだ広大な地下空間が隠されていたとは。
ニャルハラには、近代化する遥か以前の古代において、魔物を恐れ地上から地下に逃れたミーヤキャット族と呼ばれるネコドワーフが、巨大な地下王国を築き繁栄していたという伝承が残っているが、まさにこの地下空間はそれを彷彿とさせるものだった。
ミーヤキャット伝説は所詮おとぎ話とはいえ、ひょっこりとそこら辺からミーヤキャットが顔を出しそうな雰囲気である。
「おっと、いけねぇ……」
男は呟くと、気を引き締めなおした。
感傷に浸っている場合ではない。早く例の施設を探し出して破壊してしまわなければ――。
男の使命はMTTB養殖プラント呼ばれる施設の破壊及び、そこに残る一切の資料を抹消する事にあった。
途中いくつかのトラブルに見舞われたとはいえ、ついに目と鼻の先までやって来たのだ。ここで失敗するわけにはいかない。
気は張っておくに越したことはない。
何しろ、今は異常な事態だ。
どこの壁から突き破って、MTTBが突然出現するかもわからない。
しかも想定されるランクはA級。
男も一対一ならA級のMTTBにも遅れを取らない技量を持っているという自負があった。しかし、二体以上同時ともなれば話は変わってくる。
地下への入り口前で、突然沸いてきたイカのようなMTTB三体に囲まれた時は、正直死を覚悟した。
実際あの時、あの侍の格好をした白猫が介入して来なかったら男は死んでいただろう。
あの侍が瞬時に二体のMTTBを斬り伏せ、残りの戦闘を引き受けてくれなかったら、中に滑り込む事すら不可能だったに違いない。
あの白猫の口ぶりからして、どうやら護衛として送られてきたようだが、あんな化け物のような強さの猫を増援に寄越してくれるとは、奴らもそれだけ今回の件についてマジだという事か……。
まあ、報奨さえもらえれば、こっちとしてはどうでもいいがなぁ。
気を引き締めなければと思うが、成功した後の多額の報奨金の事を思うと、自然と口が緩んでしまう。
男は口元を押さえると、探索を続けた。
通路を進んでいくと、いくつもの部屋が並ぶ通路に出た。
それまでの遺跡然とした様相は身を潜め、金属の管のようなものが増え始める。段々と研究所らしい景色になってきていた。
部屋の中には机や本棚が置かれ、魔法式の書かれた紙が数枚床にばら撒かれていた。
誰かがここで生活していた痕跡だ。
また、別の部屋ではベッドが複数個置かれたような部屋もあり、薬剤の保管庫のようになっている部屋もあった。
だが、男が目的としているものはまだここにはない。
さらに奥へと進もうとした時だった。男はふと、違和感に気がついて足を止める。
違和感があったのは空の部屋ではなく、それらを繋ぐ廊下だった。
廊下の一部の壁だけレンガが新しい事に気がついたのだ。
目立たないように巧妙に、レンガを汚して隠してあるが、他の石レンガとは明らかに年代が違う。
もちろん気がつけたのは、男の長年の経験と勘の鋭さの賜物であり、普通ならば気づかずにスルーしてしまうだろう。
さすが俺である。男は心の中で自画自賛し、上機嫌で壁を調べた。
「おっ……」
程なくして、レンガの一つが奥へと凹み、取っ手が現れた。
男はその取っ手に手をかけると、ゆっくりと手前に引く。
すると、石が砂を吐き出すような重たい音と共に、分厚い扉がゆっくりと手前に動いた。
その先には、隠し部屋とも言うべき広い空間が広がっていた。
中心には複数台の机が固められて置かれており、周囲の壁にはいくつか本棚が置かれている。
隠されていた割には、特別何か変わった所もない。
男は拍子抜けしながらも、隠し部屋の中へと入ると一応物色を開始した。
「へぇ……」
本棚からいくつか封筒を取り出すと、その中身を中央の机にぶちまける。そして数枚を手に取ると、男は唸った。
「やはり、俺は有能だぜ」
満足気に呟くと、男はニャルラトフォンを取り出して操作する。
そこに書かれていたのは、MTTB養殖に関する内容だった。
これら資料の抹消も男の仕事に含まれていた。
もし、隠し部屋の存在に気づかなければ、そのまま放置してしまう所だった。それでは仕事も片手落ちというものだ。
男がニャルラトフォンの画面上に表示されたボタンを押すと、炎の浴衣を纏い頭の上に手ぬぐいを乗せた〈鬼火ちゃん湯浴みエディション〉が姿を現した。
「あぢ~、のぼせる~」
出現した炎を浴衣を纏った小さな女の子は、気だるそうに手をブラブラとさせている。
「千八百秒数えろ」
「あーい千八百秒ね~。おけおけ~」
気だるそうに言うと、女の子は部屋の隅に隠れると秒数を数え始めた。
元々は焼畑農業用に〈猫野火舎〉と呼ばれる地方の魔法会社が開発した業務用魔法。
それが〈鬼火〉シリーズである。
秒数を指定することによって発火のタイミングを遅らせる事が出来、安全に野焼きをする事が出来る。〈鬼火ちゃん〉はその〈猫野火舎〉が開発した最新シリーズなのだ。
その無気力な外見とゆるい喋りが地味に農業をしている使い魔の間で人気が出て、通常のノーマルエディションに加えて、晴れ着エディション、湯浴みエディション、さらしエディションの三タイプが続けざまに販売された。
男もつい最近鬼火ちゃんの二頭身フィギュアを購入したばかりであった。
ともあれ趣味的なものは置いておいても、この魔法は破壊工作において非常に相性がよい。
企業が意図した使い方とはかなり外れるだろうが、時限発火装置として非常に優秀なのだ。
男が満足し、部屋を立ち去ろうとした時だった。
入り口に立つ人影に気がついた。
「なんだ、てめぇ!」
白衣を着た男だ。ここの研究員だろうか? 臆する様子もなく憮然と立ちふさがっている。男はニヤリと白衣の男に口元を歪ませた笑みを向けると、
「誰だか知らねぇが、てめぇも抹殺対象だぜっ。死ね!」
男は腰から二本の短剣を抜き放ち、そのまま突き刺さんと二本の切っ先を向けて突進した。




