83話 勇者の戦い
口の中の剣を今、まさに打ち出さんとしていた鯨のMTTBは虚を突かれた形となり、無差別に外皮を傷つけていく光の奔流に体勢を立て直さざるを得なくなった。
そして、それに続くように頭上で巨大な炎の爆発が起こる。
魔魚達の魔法陣によって生み出された巨大な氷柱は、紅い炎に舐められて巨大な水蒸気と形を変えて霧散する。
それと共に、魔法陣を形作っていた魔魚の魚群は、あるものは爆発に巻き込まれ魔力の粒子となって散り、それ以外は逃げるように散開した。
それにより、魔法陣は完全に掻き消えた。
「……っ」
その様子に呆然としていると、二人の男女がわたしの脇を速駆けで通り過ぎていった。
あれは……確か……。
「マリ……リン……?」
赤髪に魔法使いの帽子を被った女性が通り過ぎ際に、こちらに真紅の目を向けていた。目が合う。
力なく座り込む、わたしの姿を一瞥し、目を細めると再び前に視線を戻し、そして二人はわたしから敵の目を逸らすように、巨大な鯨のMTTBの前へと躍り出た。
あれはマリリンとかいう猫だ。
英雄ショップに併設された酒場で、わたしに即死魔法をかけてきたムカつく女。
勇者のパーティの魔法使いだったはず。
そして、もう一人の薄い青髪の青年は、勇者と呼ばれていた青年だった。
名前はたしか……コジロー、だったっけ?
わたしが拙い記憶を辿っていると、青髪の青年、コジローが手に持った金色の剣を空に掲げる。
すると、剣は眩い光を放ちだした。
「~ぞぬきでは、とこすおた、をしたわは、でけだちた、えまおがだ、めごかの、んけいせい、しまいまい~」
「……」
そのあまりに眩しさに、わたしは思わず目を細める。
心なしか、鯨のMTTBは嫌がっているようにも見えた。
「まったく、なんて無茶をしてるのさ。あれは一人で立ち向かえるような魔物じゃないよ」
その時、軽快な男の子の声が、わたしの真横から聞こえてきた。
「……だれ、うぅ」
苦痛に顔を歪めながら、横に目を向ける。
「待って、今傷を塞ぐから」
彼がそう言うと、わたしの体が温かい魔法の光に包まれた。
じんわりと、お湯に使っているような感覚と共に、傷がゆっくりと塞がっていく。
「あなたは……、勇者のパーティにいた。魔法少女で男の娘の変態……」
「変態は余計だって!」
男の子は突っ込みを入れると、
「アステルだよ」
改めて名乗った。
「わたしはルナ……」
「オーケー、ルナ。もう少しじっとしてて」
そう言うと、アステルは手元のニャルラトフォンをわたしに掲げる。
改めてマジマジと見ると、ぱっと見は女の子にしか見えない。
ピンクのフリルのついた衣装に、ふんわりと膨らんだミニスカートを着ている。
手に持ったステッキにはハートがついていて、どこからどうみても立派な魔法少女だった。
でも、よく見ると魔法少女の格好をした男の子だと分かる。
魔法少女の男の娘に回復魔法をかけてもらうなんて、なかなかない経験だから、なんだかむずむずしてしまう。
っていうかミニスカ過ぎて座り込んでる視点の高さだと、丁度スカートの中が見えそうで気になる。
チラチラと太腿の絶対領域のあたりを見てしまう。
目の前では、戦闘が開始されていた。
コジローが光を纏い肥大した剣の一撃をMTTBに叩き込み、マリリンが器用に炎の魔法をスターマインのように炸裂させて、周囲の魔魚を散らしている。
「ねえ、アステル。あれは一体なんなの?」
目の前の戦いを見つめながら、わたしはアステルに訊ねる。
アステルも、前を向いたままで、
「あれは、回遊型SS級MTTB。通称死鯨〈デスゲイ〉って呼ばれてる奴さ。正真正銘の化け物だよ。無意識を回遊し、その存在を喰らう。奴を目の前にした者は重度の精神汚染に侵され存在を認識できなくなってしまうんだ」
死鯨〈デスゲイ〉……。それがあのMTTBの名前なの。
「そして食べられた者は存在を抹消され、居なかった事になる。だから、つい最近まで存在すらも認識されていなかった。僕らが聖剣を手に入れるまではね」
「聖剣?」
コジローが振り回している、光り輝いている剣のことだろうか。
光のオーラで肥大化した剣が、死鯨が口から出した長巨大な剣と盛大なつばぜり合いを繰り広げている。
あの剣の事を言っているのか……。
わたしの考えている事を読み取ったのか、アステルは頷くと、
「コジローが引き抜いた聖剣エクスカリニャンには、死鯨の精神汚染を無効化する力があった。正確に言うと、未知既知全ての状態異常を無効化してくれるらしいんだけど。とにかく聖剣のおかげで、僕らはこうして奴を認識できるし、奴の存在を明るみにする事も出来るようになったってわけ」
「じゃあ、わたしはなんで平気なの?」
なんで、わたしはショコラや他の猫達のようになっていないのだろう。
「さあ、そんな事、僕に訊かれても分からないよ。体質とかじゃない? 何事にも例外はつきものだしね。運がよかったんだよ」
体質とか運がよかったとか、えらいざっくりとした評価だった。
でもよく考えたら、考えてわかるような事じゃないから考えるだけ無駄なのかも。
むしろ、何も分からずに魔魚に食べられて、そのまま世の中から消えてしまわなかっただけよかったと思うべきなのかもしれない。
「でも、驚いた」
わたしが感心していると、アステルが手を広げる。
「僕らより先に、戦ってる猫がいるなんて思ってなかったからさ」
「わたしは……」
口ごもる。大分傷が塞がってきたとはいえ、まだお腹の辺りがズキズキと痛む。
「全然歯が立たなくて……」
わたしは力なく言うのに、アステルは首を振った。
「落ち込むことないって。だってSS級だよ。もう上にはSSS級しかない。そもそもが一人で立ち向かえるような相手じゃないんだよ。本来いくつものパーティを纏めて大規模パーティ〈レイドパーティ〉を組まなきゃ相手に出来ないような相手なんだから」
「うん……」
ちょっと納得できないけど、でも少しだけ気が楽になった。
「ところで、なんで三人しかいないの?」
確か、記憶が確かなら五人パーティじゃなかったっけ?
「聖剣の加護は三人までだから」
「あ、そうなんだ」
至極単純な理由だった。
「なら、あなた達はあれに勝てるの?」
「……」
わたしが訊ねると、アステルは複雑な顔をした。
「勝てないの?」
今、戦っている二人は遠目には結構戦えているように見える。
むしろコジローに関していえばさすが勇者と呼ばれるだけあって超人的ともいえる戦闘を繰り広げている。
しかし、よくよくみるとあまり決定的なダメージが入っているようには見えなかった。
アステルが言うようにいくら強くても二人では無理なのでは。
「勝てる勝てない以前にね。僕達はあれを狩る為に、この町に来たんだよ。ここで倒せなきゃまた死鯨は無意識の中に姿をくらましてしまうから。そうなったらまた一から探さなきゃいけない。それはちょっと勘弁してもらいたいね」
アステルはそこまで言うと、含み笑いをし、
「それに僕たちも無策ってわけじゃ……」
そう言い掛けた所で、アステルの電話が鳴った。
「あ、ごめん」
そう言うと、アステルはニャルラトフォンを耳元に当てた。
「あ、舞鶴駅長。うん、今戦い始めたとこ。うん、水槽できた? じゃあそっちに追い込むから、うん、うん――」
ズガァンという轟く音と共に、聖剣から伸びた光刃が巨大な鯨の頭部を左右に裂いた。
やったかと思ったが、左右に分かれた頭部はすぐさま捻りドーナッツみたいにギリギリとねじり合わせると、すぐさま再生してしまう。
そして、口元をモゴモゴと動かし、視界を覆わんばかりの大量の魔魚を吐き出した。
大量の魔魚は死鯨を中心にグルグルと回り始め、死鯨を囲む毬のような魔法陣を組み始める。
高速で泳ぎ回る魔魚によって生み出された毬には、いくつもの幾何学図形のような魔法陣が編みこまれている。
ピキピキと音を立てて、死鯨の周囲が凍り始めたかと思ったらフッとそれまで圧倒的な存在感でそこに居た巨大な鯨の姿は掻き消えていた。
「――じゃ、そういう事でよろしく」
そう言うと、アステルは通話を切った。
そして、姿が見えなくなった死鯨の場所を見つめると、
「氷で鏡面を作って、姿をくらましたね。逃げるつもりだ」
そう呟いた。
「逃がさないわ!」
マリリンの叫ぶ声が聞こえ、周囲全部を覆うような炎の嵐が巻き起こった。
あ……。
その炎に炙られて、ゆらりと揺らめく蜃気楼のように離れていく死鯨の姿がちらりと映った。
どうやら、逃げるつもりらしい。
「アステル、行くぞ!」
コジローはこちらに一声かけると、マリリンと共に疾走するスピードで死鯨の後を追いかけていった。
「悪いけど、僕も行かなきゃ。とりあえず応急処置はしたから、後は君の仲間に治してもらってよ」
「うん、ありがとう。いろいろと」
「どういたしまして。じゃあねルナ」
わたしが礼を言うと、アステルは明るい笑顔を残して駆け去っていった。
かなりのスピードで、もう見えなくなってしまった。
「ふぅ……」
わたしは、それを確認すると肺に溜まった空気を一気に吐き出す。
行っちゃった。
彼らが来てくれなかったら、わたしはきっと死んでた。おきのどくですが、あなたのぼうけんのしょはきえてしまいました状態になっていたに違いない。
今更ながら、助かったという安堵がこみ上げてきた。
「しまパンだったなぁ……」
アステルの駆け去って行った方を見つめながら感慨深く呟く。
あ、いや別に見るつもりじゃなかったよ。
スカート短いのが悪いんだもん。
別に男の娘の下着ってどっち穿いてるのか気になったとか、そんな事じゃないんだからね。
「……」
わたしは少し顔を赤くしながら、目を泳がせると猫村正を鞘へと戻す。
それからすぐに、青みがかっていた景色が元に戻り、明るさを取り戻した。
死鯨がいなくなった事で結界が解けたのだ。
まるで水中にいるかのような体の重さも消えていた。
「?……、ルナさん?」
それと共にショコラが狐につままれたみたいな顔で、目をパチパチとさせた。
「ショコラ!」
わたしは立ち上がると、ショコラに抱きつく。
「よかったぁ。正気に戻ったのねっ」
「わっ、いきなりなんなんですか? あれ。ショコラなんで外に? っていうかルナさん怪我してるじゃないですか」
「ちょっと、そこで死にかけちゃって」
えへへと笑う。
「冗談言ってる場合ですか。転んだんですか? ドジさんですか」
ショコラが小鳥のように首を傾げながらクスクスと笑う。
「え、いや……」
本当にショコラは何も覚えていないようだった。
「その、なんでもない。そう、ちょっとね……」
「この辺、ちょっと舗装が荒いですもんね」
ショコラは抉りとられた地面を見ながら、眉を顰める。
「待ってください。今、回復魔法かけますね」
「うん、お願い」
何も分からないなら、説明しない方がいいのかもしれない。
わかってもらえないかもしれないし、無駄に怖がらせるだけになってしまうかもしれないから。
「はぁ……」
わたしはショコラに回復魔法をかけてもらいながら、ため息をつく。
「どうしたんですか?」
「ううん、わたしもまだまだって事かな」
「?」
ショコラが怪訝な顔を向けてくる。
わたしははにかみを返すと、回復魔法の温かい光に包まれながら「んー」と大きく伸びをした。




