82話 死鯨
黒々とした鯨の表面はよくみると、いくつもの筋のような蔓と、ひび割れた外皮のようなものに覆われている事がわかる。
外皮の下では筋繊維のような蔓が、常にうねうねと蠢いているのが見て取れた。
多分、この鯨もMTTBと呼ばれる魔物の一種なんだろう。
これまで、わたしが相手をしてきたMTTBと呼ばれる魔物に特徴自体は酷似している。
しかしこれほど巨大で、一撃一撃が重たいMTTBを相手にするのは初めてだった。
鯨の口の中から無数に手を伸ばす、か細い亡者の手のような触手一本の一撃でさえまるで鉄球で殴られたかのような衝撃がある。
「あぅっ……」
わたしは歯を食いしばると、わたしに噛み付かんと複雑なジグザグ軌道を描きながら向かってくる触手の一本一本を丁寧に受け流し、捌いていく。
まともに防ごうものなら、きっと肩が外れてしまうに違いない。
現に最初、触手の細い見た目に騙されて普通に猫村正で受け止めたら、肩が外れる一歩手前までいってしまった。
今も、動かす度にズキズキと痛むがそんな事は気にしていられない。
「――――っ!!」
声なき咆哮がビリビリと辺りを振るわせたかと思うと、数十の触手を編み上げ一本の太いワイヤーのようにして、鞭をしならせるように振り下ろしてきた。
「……っ」
わたしはショコラを抱きかかえると横に飛ぶ。
そのすぐ直後に、わたし達が立っていた場所がドォンと大きく音を立てて爆発した。
ワイヤーのように極太に編まれた鞭状の触手が地面を抉ったのだ。
土煙の晴れた後には、生々しく地面が抉れた跡と、弾け飛んた石レンガの欠片が散乱する。
間一髪だった。
体勢を崩したわたし達を啄ばもうと、群がってくる周囲を回遊する魔魚。
わたしは猫村正を振り回して、追い払う。
「はぁはぁ……」
水底を歩くかのような抵抗に、無防備なショコラ、隙あらば啄ばもうとしてくる魔魚。
そして、MTTBの口から伸びてくる無数の触手。
どうすればいいの。
頭の中に焦りが生まれてくる。
この空間自体、あのMTTBが張っている結界の中なのだろうか。
とにかく動きづらくてしょうがない。
それに加えて、無防備なショコラを庇いながら無数の魔魚と触手を相手にするというのでは全く手が足りない。
一つ救いなのは、わたしが斬撃増やしの技を持っていた事だった。
グレートキャットフォレストでは二つ斬撃を時間差で生み出す程度だったが、今は一振りで三つの斬撃を同時に繰り出すことが出来る。
これがなかったら、今頃手数不足でわたしはとっくに死んでいただろう。
「三重〈みえ〉斬り!」
掛け声と共に、向かってきた触手の一本に向かって剣を振るう。
すると、それとは別に二つの斬撃が出現し、それぞれ反対側から襲い掛かってくる触手と、最後から啄ばもうと寄って来ていた魔魚を切り裂いた。
それを秒速三回の速度で連続で行い、これを斬撃の繭と為す。
周囲の触手と魔魚は、バラバラになって散った。
「うっ……」
意識が霞んで、ふらっとする。
分かってる。
多分使いすぎなんだ。
使えば使うほど、魔力切れの時に感じたあの感じに近くなっているのが分かる。
魔法が魔力を使って発動させているように、技も決してノーコストというわけではないらしい。
単純に技術だけで出しているわけではなくて、精神力のようなものを消費して発動させているのだ。
それをある猫は剣気といったりするし、闘気と表現したりする猫もいるのだと。
そんな話を、そういえば昨日の夜ミケと剣の練習をした時に彼が言っていた事を今、思い出した。
技における精神力の消費は、魔法における魔法力の消費よりもはるかに大きく燃費が悪いように、わたしには感じられた。
技は文字通り必殺技で、多分本来はこんなに乱用するようなものじゃないんだろう。
このまま無計画に使い続けていたら、殺される前に意識を失っちゃう。
「でも、だからどうしろっていうのよ……」
今でも手一杯なのに、これ以上セーブするなんて無理だよ。
わたしが葛藤の中で、もがいていると鯨の形をしたMTTBは行動のパターンを変えた。
「なに?」
鯨のMTTBは一度、表に出していた触手を全部飲み込むと、モゴモゴと租借するように口を動かす。
そして、次に大きく口を開けた時には、その口の中から大量の魔魚が泳ぎ出てきた。
「くっ……」
わたしは眉を寄せる。
本体の圧力も相当なものだが、あの魔魚の不気味さも相当なものだ。
どうやら魔力で作られた魔法生物のようだが、あの魔魚に啄ばまれても痛みはないし、血が出ることもない。
気配らしい気配が全くなく視覚以外で認識するのはほぼ無理。
いくらただ啄ばんでくるだけの大して強くない存在といっても、放置して、気がついた時には体の半分ありませんでしたなんて事になったら洒落にならないので、とにかく意識し続けなければいけないのが地味に負担になっていた。
そして、それを見越したかのように鯨のMTTBは魔魚の数を増やしてきた。
「~うょちうぼらじく~」
ノイズのような声が聞こえたかと思うと、鯨の姿をしたMTTBは再び口をもごもごとさせると、カパッとまるで裂けたかのように口を大きくあけた。
「……剣?」
大きく開けた口の中には、巨大な剣がベロのように突き出しており、切っ先をこちらに向けていた。
何か大きなことをつもりなのだろうか?
わたしが猫村正を正眼に構え、警戒感を強めていると、
ドスッ。
背後から何かが、わたしの胸を貫通した。
「え……」
最初に感じたのは冷たいという感触だった。そして、その後を追いかけるように火のような熱さ、そして、激痛がやってきた。
「うっ、ごほ……」
口から真っ赤な血が零れる。
一体、何……?
恐る恐る胸に目を落とすと、血で赤く染まった腕くらいの太さがありそうな氷柱の先端がわたしのお腹を突き破って外に出てきていた。
何で、氷柱なんて……どこから?
痛みに顔を歪めながら後ろを振り返ると、そこには巨大な黒い魔法陣が浮いていた。
それは魔魚の魚群による魔法陣。
空に浮かぶ黒い魔法陣は、よくみると魔魚達がグルグルと泳ぎまわって形を形成している事が見て取れた。
海の中で魚群が集まって自分を巨大な魚に見せる事があるって飼い主さまに聞いた事があるけど、それと同じように、魔魚の魚群が巨大な魔法陣を形成していたのだ。
そして、わたしを貫いた氷柱はその魔法陣の中心から真っ直ぐにわたしの背中へと伸びていた。
魔魚の魚群が散開し魔法陣が解けると、わたしを貫いていた氷柱は魔力の粒子となって霧散した。
「あ……」
その瞬間、傷口から血が勢いよく流れ出て足を伝って足元に血だまりを作った。
わたしは倒れそうな体を、刀を地面に突き刺して辛うじて支える。
「はぁはぁ……」
痛い。痛いっ。
頭の中にガンガンと響く針で射すような警告に、荒い息をつく。
頭上には、魔魚の魚群がさらに巨大な魔法陣を形成しつつあった。
「魔法……か」
つまりは、あの魔魚はただ敵と啄ばむだけの魔法生物じゃない。
あれは、一匹一匹がこのMTTBの魔法端末。
あの魔魚たちが魔力の粒子で出来ているとわかった時点であの鯨が魔法使うかもしれないと警戒するべきだったのかも……。
いや、そんなの無理。そんな事を考えている余裕なんてなかった……。
「ごほっ……」
再び口から血の塊が零れる。
ギリギリと引き絞るような音が、鯨のMTTBから漏れる。
それと共に、鯨の口の中にある剣の切っ先が奥へと引っ張られていく。
「……っ!」
そして次の瞬間、バシュと音を立てパイルバンカーのように勢いよく、わたしに向かって打ち出された。
「はぁっ!」
わたしはなんとか力を振り絞って、猫村正を構えなおすと受け流そうと防御する。
ガガガとけたたましい音を立てながら火花が舞う。
しかし、それは辛うじて少しだけ軌道をずらしたに過ぎなかった。
鯨の口から打ち出された巨大な刺突兵器と化した剣が、わたしのわき腹を掠める。
しかし、ただ掠めただけだというのに、わたしのわき腹は抉られ、パッと鮮血が舞った。
「あぅ、ああ……!」
わたしはもはや立っている事も敵わずに、ペタンを地べたに座り込む。地面に膝をつくとピシャッと血だまりの血が跳ねた。
頭上では魔魚の魚群による魔法陣が完成し、先ほどのものとは比べ物にならない程巨大な氷柱が、わたしに向けて落とされようとしていた。
目の前で、再びギリギリと音を立てて巨大な剣が鯨の口の中に引き戻されている。
もう一度打ち出そうという意図は明らかだった。
「うぅ……」
強すぎるよ……。
涙が滲んでくる。
なんてことはない。
あのMTTBの能力の触り程度しか使っていなかったのだ。
なのにまったく歯が立たないなんて。そして、まだまだ奥の手を持っているに違いなかった。
「う、ごぼ……」
あまりにも痛すぎて、痛覚が麻痺してきた。
さっきまでは、まるで火で炙られているかのように熱かったのに、今はもう寒くて寒くて凍えてしまいそう。
「いや……」
目が霞む。
ああ、わたし死んじゃうんだ。
飼い主さま、ミケ。ごめんなさい……。
ショコラ……にげ……て。
わたしは最後の力を振り絞って、無表情な瞳を向けるショコラに向かって手を伸ばす。
頭上の巨大な氷柱が振り下ろされ、巨大な剣が再び打ち出されようとしたその瞬間だった。
「……っ!?」
ゴォォという野太い音と共に。わたしの脇を極太な光の奔流が通り過ぎ、巨大な鯨のMTTBを飲み込んだ。




