79話 騒乱の序章
「な、なんだ?」
もう一度、ドンと壁から音がする。
酒場の壁は石レンガに覆われている。
それを何者かが外から叩いているようだった。
しかし、外から叩くといっても、ここは地下。
外から壁を叩かれるというのはおよそ普通のことではない。
酒場にいる全員の視線がその音の先に集中する。
その時だった。
ドガンという鈍い音と共に石レンガの石が吹き飛び、木の根のような複数の触手が壁を突き破ってきた。
「――っ!?」
室内は騒然となる。
最初の触手が壁を突き破って、一分と経たない内に壁がガラガラと脆い砂糖菓子のように崩れ、そして本体が姿を現した。
それを見て、ミケはなるほどな。と思った。
やはりこの手の速報というのはあてになるものだ。
確かに、今この街にはMTTBが大量に出現しているらしい。目の前に出現してやっと実感を得ることが出来た。
「にゃー、にゃー!」
とヤマネコが混乱して泣き叫んでいる。
酒場にいる他の使い魔〈サーヴァント〉も程度の差こそあれど混乱と動揺を隠せていない。
ぬらぬらと舌なめずりするように、無数の触手を動かす突然室内に現れたMTTBに警戒するように対峙するものの、その顔には困惑と恐怖によって固まってしまっている。
無数の木の根、そして植物の蔓が筋のように絡み合い、筋肉を形成している。
ギリギリと筋同士が軋む音を立てながら、ぬらぬらと黒光りする無数の触手が蠢く。
その上にはイカやタコに似た何かが頭として乗っている。
〈最悪のトレント〉〈黄昏が運ぶ種子〉とも呼ばれるMTTBは同時に〈名状し難きもの〉とも呼ばれている。
そう呼ばれているだけあって、形は常に流動的でカチリと決まることはない。
それでも、何となく特徴は掴めるようになるものだ。
酒場に出現したMTTBは強いて言うなら巨大なイカであり、その姿にはミケは見覚えがあった。
「あいつは……」
その姿はニャルハラを訪れてすぐに、ネコソギシティ郊外で遭遇したものとおそらくは同種の存在だ。
という事は最近この街の近くに出現するようになったA級MTTBと同じものという事。
そして、その発生原因はヤマネコの話によれば確か――。
「うわぁああああ」
そこでミケの思考は中断される。
見れば長剣を持った軽装の使い魔〈サーヴァント〉の青年が触手の一つに叩き飛ばされていた。
床に叩き付けれた青年に止めを刺すべく、敵MTTBは数本の触手を束ねその先端を銃口へと変化させると、その銃口を青年に向け、その先端に光を収束させる。
「ちっ……」
ビームを撃つ気だな。あれは予想外の攻撃だった。苦い記憶が蘇る。
ミケは舌打ちをすると席を立ち、自身の剣であるウィングドエッジを引き抜く。
そして、銃口となっている触手の先端を切断するように、ブンと剣を振る。
すると、斬撃をなぞるようにウィングドエッジから真空波が飛び、触手の先端を吹き飛ばした。
切り飛ばされた銃口から発射された光の光線は、天井を薙ぐようにあらぬ方向へと発射され、ビームによって抉られた天井の瓦礫がボロボロと落ち、MTTBに礫となって襲い掛かる。
間髪入れずに、ニャルラトフォンに表示された魔法の発動ボタンを押した。
丁度、クエスト内容の確認の為にニャルラトフォンを弄くっていたという事もあるのだが、MTTBの触手が見えた時点で魔法のメニューを開き、一つの魔法を使用していたのだ。
そして、今、その魔法の待機時間が終わったのである。
「ハイエンシェントカーズ……」
ミケが呟くと、ビームの暴発により混乱状態にあったイカ型MTTBの周囲を濃い黒い霧のようなものが包み込んだ。
瓦礫に気を取られていたMTTBにこれを回避する術はない。悶え苦しむように、MTTBが体を捻る。
「おい、大丈夫か?」
ミケは倒れた青年に歩み寄ると、手を貸して立ち上がらせた。
「す、すみません。ありがとうございます」
青年は立ち上がると礼を言い、黒い霧に包まれ悶えるMTTBを見つめ言った。
「なんなんですか、こいつは……?」
「さあな、敵だろ」
それ以上の定義づけが必要なのかと言わんばかりのミケのぶっきらぼうな言い様に青年は言葉を失う。
「敵ですね……」
そして、辛うじて搾り出すように、そう言った。
ミケは周囲を見る。
酒場にいた使い魔達が、侵入してきたMTTBを取り囲むように武器を構えている。しかし、その姿はどこか腰が引けているようだった。
あの時、地下室にいた奴らが一人でも残ってればと思ったんだがな。
ミケが心の中で舌を打つ。
あの時、あの場に居た者達は間違いなく実力者で、おそらくはこのMTTBの討伐経験もある。もしかしたらと期待したが、どうやら当ては外れたようだ。
すでにこの酒場からは去ってしまったらしい。
というか、未だに酒場に残っている俺の方がおかしいんだけどな。とミケは苦笑した。
兎も角、今この場にいる数人の使い魔の様子を見るに、男も女も一様に顔が固い。
おそらくはA級ほどのMTTBを相手にした事もないような者達の集まりであることは間違いない。
そして、彼らは皆ミケに期待と不安の入り混じった眼差しを向けていた。
「……っ」
ミケは苦虫を噛み潰したように顔を歪める。
そういう目で見てくるな。俺にはその資格はないのに……。
ミケは一度大きく、肺から空気を吐き出すと、とりあえず雑念を脇に置く。
今は、目の前の敵を何とかしなければならない。
「おい、俺が前衛をやるから、お前達は魔法で援護しろ」
「え、でも……」
「だ、大丈夫なの?」
「滅茶苦茶強いぞ……」
ミケの提案に、使い魔達が顔を見合わせる。
「安心しろ。俺のパーティはあれの同型種を一回討伐してる」
嘘は言っていない。
「それに、奴には〈ハイエンシェントカーズ〉の魔法をかけた。ハイエンシェントカーズはパーキンソン病と呼ばれる下界の病を魔法的に擬似再現する暗黒魔法。あの魔物相手にどこまで効果があるかはわからないが、多少なりとも身体能力は落ちているだろう」
ミケが説明すると、心なしか酒場にいる使い魔達の表情の緊張が解れたようだった。
同型種を倒した経験がある猫がこの場にいるという事が安心感に繋がったのだろう。
まあ、ぶっちゃけ倒した経験どころか、殺されかけた経験しかないわけだが、彼らにガチガチに緊張されたままでは戦う事もままならないのだから、多少のはったりには目を瞑ってもらう。
「俺たちも一緒に戦います」
先ほど、MTTBの触手で吹き飛ばされた青年を中心に戦士風の使い魔〈サーヴァント〉達がそう申し入れてくる。
「ああ、わかった」
断る理由がない所かありがたい提案だ。
もちろんミケはこれを受け入れる。
「剣で戦う者は前へ、魔法を使うものは後ろに下がれ。ビビる必要はない。これだけの人数が揃ってるんだ。戦略的に戦えば手こずるような相手じゃない。いくぞ!」
ミケが掛け声をかけると、「おう」と声を上げ前衛の戦士達が一斉に巨大なイカの姿をしたMTTBに斬りかかっていった。




