77話 ヤマネコとサシ飲み
地下の秘密の部屋から出て、英雄ショップの階下にある酒場で飲み始めて十分程が経過した時だった。
エール酒の注がれたグラスを片手に、テーブルの上でチロチロと赤い舌を出して、平皿に注がれたカルーアミルクを舐めているヤマネコの様子を、ミケがなんとはなしに眺めている時だった。
突然、ヤマネコがピンと髭を伸ばし頭を宙に向けると、どこか遠い所を見るような目をする。
その目は虚空を見つめるかのように、具体的に何かを見ているわけではない。
突然、猫が一点を見つめて固まってしまうという行動を取る事があり、それを見た人間がビックリするという事がよくあるが、ヤマネコの行動はそれによく似ている。
もっとも、あれは音に反応しているだけで、その音は人間の耳には聞こえないものらしく、それ故に、突然理由もなく一点を見つめているように見えるだけなのだが。
ピクピクとヤマネコの耳が小刻みに動く。
あの時の、人間の気持ちというのはこんな感じなのだろうな。とミケは思った。
そして、よく知らない者がこのヤマネコを見れば、まさしくあれを見た人間達と同じように驚くに違いない。
もっとも、ミケにしてみれば理由を知っているので特別驚くことはないが。
暫くすると、ヤマネコは体の緊張を解き伸びをするように居住まいを正す。
「クエストの報告ですか?」
「にゃ」
ヤマネコは肯定を示すように、短く声を上げる。
ヤマネコは、ニャルラトネットワークに接続していたのだ。そして、このような突然の接続は大抵がクエストが完了した事を報告する内容の通信を受け取っている事がほとんどなのだ。
「先ほどのクエストが完了したニャ」
「は?」
事も無げに言うヤマネコに、思わずミケはグラスを持つ手を止め間抜けな声を上げてしまう。
先ほどのクエストというのは、先ほど地下で狂猫が受けた、あのクエストの事を言っているのだろうか。
そう思いミケが訊ねると、「そうニャ」とヤマネコは特別な事でもないという風に、再び平皿を舌で舐めると、
「カルーアミルクうめー。飲み会の最初にカルーアミルク頼んだっていいじゃない。だって猫だもの」
とわけの分からない事を口走りながら、ふにゃふにゃになっている。
「いやいや、おかしいだろ。まだ、狂猫が出て行って十分だぞ。こんな短時間にクエスト報告がくるわけがない」
仮に狂猫が超絶優秀な奴で、速攻でMTTB養殖プラントを発見、潜入し、破壊したとしても、クエストの完了報告というのは依頼を受けた使い魔ではなく、依頼主がするものだ。
依頼が達成された事を確認し、それから報告する。
そこにはかなりのタイムラグが存在するはずで、それだけも十分は裕に超えてしまうだろう。
そもそも、今回の依頼。
依頼を受けた狂猫自身は依頼主が誰か知らないのだ。
なので終わったなら、まずヤマネコに報告に来て、それからヤマネコが依頼主にクエストの達成を伝えるという形にならなければおかしい。
「何もおかしいことはないニャ」
ヤマネコは平皿のカルーアミルクを舐めながら、目線だけをミケに向け続ける。
「ミケはちょっと勘違いをしてるようニャ。今回の依頼は、あくまでネコソギシティにあるとされるMTTB養殖プラントなるものの場所を知りたいという依頼なのニャ。別に、潜入して欲しいとか、破壊して欲しいとかそういうのではなく。ただ場所を教えてくれというものニャ。潜入も破壊も、狂猫が他の依頼主から受けた内容。別に狂猫がそれをやるのは構わないニャが、オレが出した依頼は、単純に場所を知りたいというもの。そういう意味では、狂猫はすでにオレのクエスト受けた時点ですでにクエストを達成していたとも言えるかも知れないニャ」
ヤマネコはにんまりと口元を歪めると、
「後はオレが狂猫が情報を持ってると彼女に伝えれば、勝手に彼女が狂猫から情報を引き出すに違いないニャ。そして、狂猫から情報を得た彼女がクエストの達成報告を送ってきた。何もおかしな事はないニャ」
そう言ってから、狂猫は意地悪そうに目を細めた。
「ああ、素直に情報を渡しているといいんニャが。もし、渋るような態度を取ったら最後、きっとその瞬間彼女は死神へと豹変してしまうニャ。そうニャったら、ただではすまないニャも。こわいニャ」
ハプニングを楽しむ女子のように、ぶるぶると体を揺する。
「彼女?」
「といっても、おそらく彼女はクエストの依頼主である事を明かさないだろうから、多分トラブル不可避だろうけどニャ」
そう言うと、ふぅとヤマネコはため息をつく。
「さっきから、彼女って言ってますけど。依頼主は市じゃないんですか? 俺はてっきりそうだと思ってたんですが」
市が手に負えなくなった案件を、英雄ショップに回すのは割とよくある事だ。
しかし、彼らも憲兵団という警察組織を持っている以上、表立って依頼するのは自分達の手には負えませんと宣伝するようなもの。
憲兵団の中身も結局は同じ使い魔〈サーヴァント〉なわけだが、組織に所属しているという立場がそうさせるのか、冒険者として活動している一般の使い魔に対して彼らはエリート意識を持っている。
その為、体裁を気にして依頼主である事を伏せることがままあるのだ。
今回も、てっきりそういう案件だと思ったんだが……。
ミケが指摘すると、ヤマネコは「にゃっ」と慌てると、上目遣いの伺うような目をミケに向けた。
「にゃにゃにゃ、詮索しちゃ駄目ニャ。今回の依頼はとにかく秘密厳守という約束なのニャ。だから訊かれても何も答えないニャ」
「そうですか」
ミケはすんなりと引き下がる。
いやまあ、別にそこまでして訊きたいわけでもないので、話せないというなら、無理に訊こうとも思わない。
「でも、依頼主は市ではないニャ」
何も答えないんじゃなかったのか。
「知りたいニャ? 知りたいニャ?」
ヤマネコはテーブルを横切ってミケのすぐ近くまで顔を近づけると、振り子のように顔を傾けながら覗き込む。
「いや、別に……」
ちょっとうぜぇ。
ミケがヤマネコのどアップに顔を背ける。ヤマネコはうんうんと頷くと、
「いや、わかる。わかるニャ。隠し事をされたら掘ってみたくなるのがネコ科の本能にして見ざる聞かざる言わざるは猫のDNAに組み込まれた反三大欲求。もうむりぽ。穴があったら入りたいニャ」
いや、むしろ掘り返す習性は猫というより犬なのでは。
見ざる言わざる聞かざるのは猿の話で、猫が穴のような狭い所が好きというのはその通りだが、それは意味が違う気がする。
ミケは目を細めると、ヤマネコに流し目を向ける。
ヤマネコはムフフと口元を緩めると、二足で立ち上がり大げさに手を広げた。
「でも、だめー。言わないニャ~」
にゃははと笑うと、後ろに倒れそうになるのを、体を捻ってなんとか立て直す。
「おっとと、危なかったニャ」
足元が若干覚束ない様子だ。
早くも、少し酔い始めているように見える。
ヤマネコは元の場所に戻ると、チロチロと幸せそうにお皿のカルーアミルクを再び舐めている。
ミケはそんなヤマネコの様子を見ながら、チビチビとグラスのエール酒に口をつけた。
どのくらいの時間が経っただろうか。
ヤマネコの中間管理職の悲哀に関する愚痴を延々と聞かされ、いい加減うんざりし始めていた時だった。
「それでニャ、シロアリは蟻じゃなくてゴキブリの一種――……」
突然、会話を中断し、ヤマネコが再び宙を仰いだ。
その直後の事だ。
ピロリンピロリン――。
「――っ?!」
耳を劈くような不協和音。
突然、ミケのニャルラトフォンが警告音のようなけたたましい音を立てて鳴り出した。




