75話 ハンバーガーショップで剣を向け合う猫達
「別に名前なんぞ、訊いてない」
切れ長の目を更に刃のように細めると、氷のように冷めた声をわたしに掛けてくる。
「何か用なのか?」
「その手を離せって言ってんの。嫌がってるでしょ」
わたしが睨みつけると、女はさらに強い力でツインテールの女の子の服を締め上げた。
「あぅ……」
思わず少女の口から苦悶の声が漏れる。
「ちょっとっ」
「こいつは私の身内だ。部外者は黙っててくれないか?」
「わたしには、あなただって十分部外者に見えるわ。周りが見えないの? あなたものすごくアウェーよ?」
わたしが言うと、女がチラリと回りを見る。
先ほどまで、しまねこバーガーの前に行列を作っていたお客さん達は一様に距離を取り、まるでぽっかりと穴が開いてしまったかのようにわたし達を中心に少し離れた所から事の推移を見守っている。その中には不安そうなショコラの姿もあった。
彼らはいきなりやってきて、楽しい場を荒らした女に対して皆非難の目を向けていた。女の迫力に圧されて、今はみんな口を噤んでいるが、ふとしたきっかけで不満が爆発してもおかしくない。
「はやく店員さんから手を放して、ハンバーガーが買いたいなら行列の最後尾に並んだら? 違うなら帰った方がいいんじゃない?」
わたしが小首を傾げながら、そう言うと女はわたしを一瞥しふっと鼻を鳴らした。
そして、掴んでいた女の子の制服の胸倉を離した。
開放されて女の子が、胸に手を当て安堵の吐息を吐いている。
なんだ、意外と素直じゃん。怖そうな見た目に反して意外と話は通じるのかも。わたしがそう思った次の瞬間、鋭い銀色の風が吹き抜けた。
「――っ!?」
わたしは本能的に危険を感じ、咄嗟に後ろに飛ぶ。
銀色の風は、わたしの体があった場所を吹き抜けていった。それが、彼女が抜き放った剣による斬撃だと気づいたのは、体勢を立て直して、再び彼女を見た時だった。
「今のをかわしたか。まあまあだな」
女はわたしを見下ろすと、口元を軽く歪める。
周囲の猫が彼女の抜き身の剣を見てざわりとざわつく。
「な、何すんのよっ」
わたしが睨みつけても、意に介した様子もなくブンと秀麗な装飾の施された銀の剣を横に一薙ぎする。
「使い魔風情が、誰に物を言っているのか、わかっているのか?」
「知らないわよ。だってあなた名乗ってないじゃないっ」
わたしが言うと、女はくすりと笑う。
「では名乗っておこう。私はアグリアス。死神と呼ぶものもいるな」
「死神……?」
わたしが怪訝な顔をしていると、アグリアスと名乗った女は一直線にわたしに向かうように剣先を向けた。
ほ、ほんとにやる気なの……。
わたしは腰を低くすると、いつでも猫村正を引き抜けるように柄に手を掛ける。
フーと息を吐いて威嚇するように、睨みつけると、
「戦うっていうなら、容赦しないんだから」
「容赦? ふん、お前じゃ三分持たん」
「な……っ」
アグリアスはゆらりと剣先を揺らすと、両手持ちに変える。
「間が悪かったな。今、私は虫の居所が悪いんだ。我が神技を以ってその無礼な態度を調伏してくれる!」
声を上げると、アグリアスが剣を振り下ろす。
いや、振り下ろすはずだった。
来ると思っていた、わたしも刀の柄に手をかけたまま固まり目を瞬かせる。
「どういうつもりだ?」
アグリアスが目線だけを、しまねこバーガーの注文カウンターの中へと向ける。わたしも釣られてそちらを見た。
「て、店員さん」
カウンターから橋渡しをするように伸びた一本の銀の剣が、アグリアスの前を塞ぐようにその刃を首元に当て動きを止めている。
その剣を握っているのは、先ほどアグリアスに胸倉を掴まれていたしまねこバーガーの店員さんだった。
え……? いつの間に、あそこに剣が……?
彼女は俯いたまま、剣を前に突き出している。
「いくらお姉さまでも、無辜の女の子に剣を向けるなんていけません」
店員さんは上目をアグリアスに向けると、
「お姉さま。どうか剣を収めてください」
「嫌だと言ったら?」
「私が、アグリアスお姉さまと戦う事になります」
店員さんが言うのに、アグリアスが目を細める。
「正気か? お前じゃ私に万に一つも勝ち目はないぞ」
「そうかもですけど、それでも一太刀浴びせるくらいなら出来ます」
「……」
アグリアスは、無言でわたしを見つめてきた。
「な、なによ。やるの、やらないの。はっきりしてよ」
なんか状況がよくわからないんですけど。
やるならやるではっきりして欲しい。
わたしが困惑しているとアグリアスが剣を鞘に収めた。それを受けて、店員さんも彼女の首元の剣を引く。
「……まったく、面倒な奴らだな」
「あの、お姉さま……」
「明日やる。予定を空けておけ」
「ええ、明日って選挙当日で忙しいのに……」
「ローズミルクにもそう伝えてある。なんとか予定を空けると言っていたぞ」
「え、ローズミルクお姉さまも来るのっ。わかりましたぁ。抜けられるか店長に頼んでみますぅ」
女の子の声がパッと明るくなる。
「その反応は多少傷つくんだが。まあいい。大体なんでお前らバイトなんてしてるんだ。もっと効率のいい金稼ぎがあるだろう」
そう言うと、アグリアスは剣の柄頭に手を置く。
「まぁ、なんとなく……、どう資金繰りするかは各々好きでいいって」
「確かに言ったが、本業に支障が出るようでは困る」
「すみません……」
鼻を鳴らすとアグリアスは最後にわたしを一瞥した。
「後の先で必殺といった所か。そんなに剣気を漏らしていては何かしますと言っているようなものだ」
「むぅ……」
「どちらにしても私に通じるとも思えんがな」
アグリアスは踵を返して立ち去ろうとする。その際、キラリと光るものがアグリアスの体から零れ落ち、石畳の地面に落ちてカランと乾いた音を立てた。
何か落とした?
わたしはそれを拾うとじっと見つめる。
それは、装飾のない至って普通の質素なダガーだった。
アグリアスの背中が遠ざかっていく。
声を掛けるか、少し躊躇したが。もし大切なものだったら大変だと思い、わたしは結局声を掛ける事にした。
「ちょっと、アグリアス」
わたしが声を掛けると、ムスッとした顔で振り向く。
うわっ、機嫌悪そう。だから、ちょっと躊躇しちゃったんだけど。
「お前に呼び捨てにされる筋合いはないんだが、なんだ?」
「これ、落としたよ」
わたしが示したダガーを見て、アグリアスが「ああ」と目を細める。
「いらん。欲しければやるぞ」
「え、でも――」
あなたが落としたんだけど。
とわたしが言うよりも早く、アグリアスはすでに歩き出していた。
すでに雑踏に紛れ、姿が見えない。
「なんなのよ……」
ポツリと呟きながら、手にしたダガーの鈍い輝きを見つめながら呟く。
すると注文カウンターから出てきていた店員さんが、わたしのすぐ脇に立っていた。
ハンバーガーショップの店員の制服を着た彼女の片手には、ジャンクフードの店員という服装とは不釣合いな程優美な装飾が施された剣が握られている。
「あ……」
わたしのその剣を見つめる視線に、彼女は自身が抜き身の剣を持ったままである事に気がつくと、慌てて鞘に戻した。
「あのぅ。ありがとうございました。助かりましたぁ」
そう言って、どさっと勢いよく頭を下げる。長いツインテールがばっさばっさ脈動している。
「そう? もしかして、わたし余計な事をしたんじゃないかと、途中から思い始めてたの」
確かに胸倉を掴むのはやり過ぎだと思ったけど、途中からはじゃれ合ってるようにしかみえなかったから。むしろ、わたしが入っていったせいで余計拗れてたような気も……。
「そんな事ありません。本当に助かりました」
「そっか、ならよかった。でもアグリアスはあなたの事を身内って言ってたけど」
わたしはチラリと、彼女の剣を見る。
その剣には、アグリアスが持っていたものとよく似た意匠が施されていた。
その剣を見るに、というかまあ見なくてもだけど。アグリアスが言ったように彼女達が身内であるという事は多分本当なのだろうと思えた。
「アグリアスは私の姉です」
「あ、お姉さんなんだ」
そういえば、どことなく雰囲気が似てるような。そうでもないような。
「はい、アグリアスお姉さま。もぅ、お姉さまってば超怖いんだから。ルナちゃんが止めてくれなかったら、私なんて公開処刑まっしぐらですよぉ。お姉さまはほんとギロチンがないなら、首をねじ切ればいいじゃないみたいな性格の猫なので。わがままな王女さま役の私としては慈悲を乞いたい気分ですぅ」
「ふふ、確かにそんな感じかも」
わたしは話を聞きながら笑う。
もはやギロチンの前に、裁判すっ飛ばしそうだけど。
「って、あれ……、わたしの名前?」
「さっきに名乗ってたじゃないですかぁ」
「ああ」
確かに名乗ったかも。
「私はしらたまと言います。しらたまちゃんって気軽に呼んでくださいね」
「うん、しらたまちゃんね。わかった」
わたしが頷くと、しらたまと名乗った少女がはにかむように笑う。
ハンバーガーショップよりも、あんみつ屋さんとかの方が合いそうな名前だと、勝手にちょっと思ってしまった。
「しらたまちゃん、しらたまちゃん。そろそろお店再開するから、戻ってきて」
注文カウンターの中から、ワイシャツにしらたまと同じ帽子を被った男性が声を掛けてくる。
騒ぎが収まった事を受けて、回りに居た猫達が集まってきて、再び店の前に行列を形成しつつあった。
「あ、店長さん。はーい」
元気よく返事をすると、わたしに向き直り、
「ごめんね、ルナちゃん。もっとお話ししたい所なんですけど……」
「いいよ、いいよ。しらたまちゃんもお仕事頑張ってね」
「はいっ」
返事をすると、ぱたぱたと慌しい足取りでしらたまは店内へと戻っていく。そして、途中で思い出したように振り返ると、
「またどこかで逢えたら、その時はお茶しようね」
そう言って、店の中へと入っていった。
わたしは手を振りながら、ふと考える。
なんだか、不思議な子だったなぁ。っていうか不思議ちゃん?
でも、強い。
あの時アグリアスを静止したしらたまの突き出しは、正に神速のそれだった。
わたしにはいつあの剣があの場に突き出されたのか見えなかった。
それよりも強いっぽいアグリアスはどのくらい強いんだろう。
彼女が言っていたように、本当にわたしが三分で倒されてしまうのか。どこまで通用したのか。
制止に入ってくれたしらたまの気持ちは嬉しいけど、ちょっと戦ってみたかったな。
わたしは列の邪魔にならないように移動しながら、そんな事を考えて「ふふ」と身震いする。
「ルナさん、大丈夫ですか?」
「うん、だいじょうぶ。あーあ、ポテト冷めちゃっただろうなー」
「気にするポイント、そこなんですか……」
少し離れた所で見守っていたショコラと合流すると、わたしは自分達の席に戻る。そこで、ふと、手に持ったままのダガーを思い出した。




