70話 投票に行こう
「また来てね。絶対だよー」
「うん! またねー!」
チコとコクリコが見送ってくれるのに、わたし達は手を振り返すと、チコのお店を後にして期日前投票所のあるネコソギシティ市庁舎へと歩き出した。
「って、どこにあるのかな?」
まあ向かうのはいいんだけど、その市庁舎というのがどこにあるのかとか、わたし、全然知らないんだよね。
「大きな建物ですから、すぐわかりますよ」
そんなわたしの様子を見て、ショコラはおかしそうにくすりと笑うと、少し前を歩く。そして、路地裏から大通りへと出た所で指を指した。
「ほら、あそこです」
ショコラが指した先を目で追う。大通りの道路は街の中心へと集まるようにして伸びているのだが、その道路の先、街の中心には一際大きな石レンガ造りの建物が頭一つ抜ける形で建っていた。
大通りを街の中心へと向けて歩き、市庁舎のすぐ近くまで来るとよりその大きさが際立っていた。まるでちょっとしたお城みたい。
建物内に入ると、磨かれた石のタイルが敷かれており、広々としたロビーには選挙期間中という事もあるのだろうか、様々な猫でごっちゃがえしていた。
「さあ、こっちですよ」
「あ……、ショコラ」
わたしが呆気に取られていると、ショコラがわたしの手を引く。
ショコラと手を引かれながら、市庁舎の中を進んでいった。
建物の中はちょっとしたダンジョンみたいで、多分、わたし一人で来ていたら絶対迷子になっていただろうなと断言できるくらいに複雑だった。
いくつかの廊下と曲がり角を過ぎると、期日前投票所というプレートの掛かった部屋へと辿りついた。
中の様子を見ると、フルプレートの西洋甲冑を着込んだ騎士の格好をした猫や、魔法使いの格好をしたトンガリ帽子を被った猫、スクール水着の上に金属の鎧を着込んだ槍を持った猫や、世紀末風のトゲトゲの服をきた猫、踊り子の格好をした猫などが、周りを薄い壁で仕切られた小さな机に向かって、カリカリと鉛筆で何かを書き込んでいた。っていうか踊り子の格好の猫いるし。
「やっぱり期日前投票だと、使い魔〈サーヴァント〉が結構多いみたいですね」
「うぅ、なんだがちょっと緊張してきちゃった」
「最初はみんなそうですよ。ほら、受付しましょう」
ショコラに促されて部屋の中に入ると、入り口のすぐ脇に受付の机があった。
受付のお姉さんはわたし達を見つけるとにっこりと微笑んだ。
「ようこそ。期日前投票ですね。一般の方でしょうか? それとも使い魔〈サーヴァント〉?」
「えっと、使い魔〈サーヴァント〉……です」
「あらあら、投票は初めてかしら? 緊張しなくていいんですよ。使い魔ですね。それではニャルラトフォンを貸していただけますか?」
「あ、はい」
言われた通りに、ニャルラトフォンを受付のお姉さんに手渡す。
受付のお姉さんはニャルラトフォンを受け取ると、箱状の読み取り機の上にニャルラトフォンを置きモニターを見つめながら、手元のキーボードをリズミカルに叩いていく。
「はい、大丈夫です。ニャルラトフォンはお返ししますね」
そう言うと、わたしにニャルラトフォンを返してくれる。
「それでは、こちらが投票用紙になります。ここに投票したい候補者の名前を書いてください」
「ここに書けばいいの?」
わたしは不安げに投票用紙の記入欄を指差す。
「はい、投票者の名前がわからなくなってしまっても、目の前に名前が貼ってあるのでそれを見て落ち着いて正確に書いてください。書き終ったら向こうの投票箱に入れてください」
そう言うと銀色の箱を手で示す。ちょうどフルプレートの騎士が投票用紙を二つ折りにして箱の穴に差し込んでいる所だった。
なんだ、意外と難しくなさそう。緊張して損しちゃったかも。
「えっと、そちらは?」
受付のお姉さんが、今度はショコラに声を掛ける。ショコラは手を振ると、
「あ、ショコラはもう投票しましたから……」
わたしに向き直った。
「じゃあ、ショコラは外で待ってますね」
「ええ、付いて来てくれないの!?」
「こらこら、相談しちゃ駄目ですよ」
受付のお姉さんがわたし達のやり取りを見て苦笑する。
「そういう事ですから」
「うん……」
そう言うと、ショコラはわたしを残して部屋の外へと出て行ってしまった。
やっぱりちょっと緊張してきたかもしれない。
わたしは投票用紙を持って、薄壁で仕切られた机まで進むと紙を置いて鉛筆を取る。
さて、どうしよう。
なんとなく来てしまったものの、はっきり言ってどっちの猫もわたしはよく知らないんだよね……。
とりあえず目の前の薄壁を見ると、二人分の名前が書いてあった。
アドルフ=ネコラーとスターニャン。
わたしは記憶の糸を手繰るように、聞いた話を思い出していく。
確か、このネコラーっておじさんはネコソギシティに来たばかりの時に会ったおじさんの事だ。握手の時、あんまりにも手を強く握るものだから、手が痛かったのを覚えている。
記憶が確かなら、使い魔をさらに優遇してくれるという話をしていたような。だから使い魔は自分に票を入れた方が得だと。
もう一人のスターニャンという猫のことはわたしは見たこともない。でも、確か使い魔の排斥を訴えているという話だったはずだ。排斥って確か追い出すって意味だよね。本当にそんな事をするつもりなのかな。
この選挙は両極端な戦いなのだとミケが言っていた。
わたしは使い魔なわけだから、迷うまでもない。
ちょっと笑顔が怖いおじさんだったけど、ま、いっか。
「うん、決めた」
わたしはサラサラと投票用紙に名前を記入すると、二つ折にして投票箱に持っていく。気がつくと、わたし以外の猫はもうとっくに投票を終えて外に出て行ってしまっていた。普通はこんなに悩んだりはしないのだろう。
その時、勢いよく女の猫が部屋に入ってきた。
「ローズミルク! ローズミルクはいるか!」
飾り気のないエプロンドレスを揺らしながらずかずかとした足取りで受付のテーブルまで来ると、手をついて受付のお姉さんを見つめる。
「あらあら、アグリアスちゃん。どうしたの?」
「どうしたの? じゃない!」
なんだ、受付のお姉さんの知り合いか。あまりの剣幕で入ってくるものだから、ちょっとびっくりしてしまった。
「奴の居場所の手がかりをつかんだ。すぐに支度して一緒に来い!」
「だめよ。今、バイト中なの。明日まで選挙を手伝う約束だから。明後日まで待てない? ね
、お願い。別に今すぐ逃げたりはしないのでしょう?」
「ローズミルク何を悠長にバイトなどしているんだ。ただでさえ神的拡張領域を侵され、ただの使い魔と成り果ててしまっているというのに、これ以上失態を塗り重ねる事があったら、どのような顔をして我らが主神に顔向けすればいいと言うのか。まったくお前達は暢気過ぎる! まともに調査しているのは私だけではないか!」
「まあまあ、落ち着いて」
「これが落ち着いていられるか。我らは心を犯されたのだぞ。陵辱されたも同じ。我が神剣ニャルキリアスに賭けて、一刻も早くあの化け物を駆逐し、我らが純潔を取り戻さなければ――」
「アグリアスちゃん声が大きい。ほら、女の子が見てるわ」
受付のお姉さんがそう言うと、気の強そうなお姉さんがギロリとわたしを睨みつけてくる。 やばっ、目が合った。
わたしは、そそくさと二つ折りにした投票用紙を投票箱に突っ込むと、
「お疲れさまでした~」
そう言って足早に投票所を後にする。
受付のお姉さんが「投票ありがとうございました」とわたしに声を掛けてくれるのに、わたしは会釈を返すとパタパタと部屋を出た。
「はぁ……」
わたしは肺に溜まった空気を吐き出す。
すごい怖そうなお姉さんだった。なんだか八つ当たりされそうな雰囲気を感じて思わず出てきちゃったけど、なんだったんだろう。
わたしが首を捻っていると、外で待っていたショコラが駆け寄ってきた。
「投票終わったんですね」
「うん……」
「どうかしたんですか?」
「ううん、なんでもない」
不思議そうにわたしの顔を覗き込むショコラに、わたしはぎこちない笑顔を返す。
相変わらず投票所からは女性のヒステリックな声が聞こえていた。
「なんだか揉めてるみたいですね……?」
「見ると因縁つけられるよ。ほら、行こ」
「あ、はい」
中の様子を覗こうとするショコラの袖を引っ張ると、投票所を後にする。
市庁舎の中を歩きながら、思い出したようにショコラに訊ねる。
「ねぇ、そう言えば、わたしがどっちに入れたのかとか訊かないの?」
「訊かないです。だって訊いたら匿名でやってる意味なくなっちゃうじゃないですか」
ああ、なるほど。確かにそうかも。
「それに、もしルナさんがショコラと違う猫さんに入れていたら、ショコラはきっと悲しい思いをすると思うから」
「そっか、確かに友達同士で野球と政治の話はするなっていうもんね」
どこで聞いたのかは忘れちゃったけど。多分飼い主さまかな。
「わかった。じゃあ、わたしも訊かない」
わたしはその考えをぽいっと頭から追い出すと、猫で溢れるロビーを縫っていく。
外に出た頃にはすでに、お昼を大きく過ぎていた。
「うぅ、お腹空いてきた」
「朝ごはんシリアルしか食べてないですからね」
わたし達がそんな事を話していると、
「はぁい、そこの女の子達〈ガールズ〉。献魔に興味ない?」
市庁舎脇に停まっている黒毛のネコバスの前の女の人が声を掛けてきた。白衣を羽織り耳にインカムをつけている。
「けんま?」
「献血の魔力版よ」
「献血……」
献血ってあれだよね。注射器で血を抜くやつ。うわぁ考えただけでもぞくっとする。
「悪いけど、わたし達そういうのは、ちょっと……」
愛想笑いをして通り過ぎようとすると、インカムをつけた女性が残念そうに、
「今、献魔してくれたら、そこの〈しまねこバーガー〉のハンバーガーセット無料券プレゼントしちゃうんだけどなぁ」
くいっ、と服の裾が引っ張られる。
「え、ショコラ?」
ショコラの真剣の瞳がわたしを捉える。
「あの、ルナさん。やってみませんか?」
穏やかながらも強い意志が、その瞳の奥には感じられた。
「ええ……」
「いいじゃないですか。だってハンバーガーの無料券ですよ」
これは折れそうにないな……。
「痛いのは嫌なんだけど……」
「ノープロブレム。痛くないわ。むしろ気持ちいいわよ」
「本当に……? えっと?」
「あ、ネームを訊ねているのね。エミリーよ。まいねーむいずエミリー」
「わたしはルナ。こっちはショコラよ」
「わお、ルナにショコラ。よろしくね」
エミリーはにっこりと笑うと、
「さあさあ、どうぞこっちへ」
そう言って。黒猫のネコバスの前に設置された受付テーブルへとわたし達を連れて行った。




