56話 お風呂に入ろうよ
「はっ」
目が覚めるとそこはお風呂場で、わたしは湯船に浸かっていた。
何を言ってるのか分からないかも知れないけど、わたしにも分からない。
っていうかトンネルを抜けたら雪国でしたみたいなノリで、目を開けたらお風呂だったら怖いよ。
「ここどこ?」
キョロキョロと辺りを見渡す。
見たところ、どうやら大衆風呂的なところらしい。
大きな湯船に広めの洗い場が隣接されていて、湯けむりで風景が霞んでいる。
湯船はなみなみと丁度いい温度のお湯で満たされ、わたしが体を揺らすと、波紋となって水面を滑っていく。
体が芯からあったまるみたいで気持ちいい。
わたしは猫にしては珍しくお風呂は嫌いじゃなかったから何度も入ったことはあるけど、いつもは飼い主さまがシャワーをかけてくれるだけで、湯船には入れてもらえなかったから、こんなに大きな湯船に浸かるという事がとても新鮮に思えた。
こんな広い湯船で足いっぱい伸ばせるなんて、なんて幸せなんだろう。
「って、そんな事考えてる場合じゃない」
確か、あの時キングおっぱいスライムの乳首にフライパンを叩き込んで、それからキングおっぱいスライムが破裂して、わたしは破裂したキングおっぱいスライムから出た白くて濃厚なミルクを頭から思いっきり被ってしまって、それから――?
「……」
そこから先の記憶がない。
まるでこの浴室のように靄が掛かってしまってそれ以上思い出す事が出来ない。
思い出そうとすると、ズキズキと頭が痛くなる。
ただ、なんとなく恥ずかしい事をしていたような漠然とした記憶の断片のようなものだけが頭の片隅に残っていた。
「あ、ルナちゃん起きた?」
「チグリス?」
隣から声を掛けられて、そちらを見上げる。
丁度チグリスがお湯に足先をつけて湯船に入ろうとしていた所だった。
チグリスはそのまま湯船に浸かると、わたしの隣に腰を下ろす。
「ねぇ、ここは? なんで、わたしお風呂に入ってるの?」
「慌てないで、ちゃんと説明してあげるから」
チグリスはうーんと体を指先から足先まで伸びをすると、改めてわたしを見て表情を緩めた。
「ここはアパルトマンの一階にある大浴場よ。今は各部屋にお風呂がついているから使われることがなくなってしまった場所なのだけど。ナイルが気を利かせてお湯を張っておいてくれたのよ」
一階に大浴場なんてあったんだ。
そういえば、すぐに上に上がってしまったから一階はあまり見てなかったなと思い出す。
「それで入ろうって事になったんだけど、ルナちゃん一階に下りてきたら倒れちゃったから、私達でお風呂まで運んで勝手に入れさせてもらったわ」
「倒れた?」
「ええ、だからミケ君に頼んで運んでもらったの」
「えっ、あ、そうなんだ……」
わたしはお湯に沈むと、ぶくぶくと泡を立てる。
「あ、もちろん。運んでもらっただけだから安心して。服を脱がして浴場に運んだのは私達、その後にルナちゃんの体のあんな所からこんな所まで、体の隅々まで洗ってあげたのも私達だから」
「あ、当たり前でしょっ。っていうか、ありがとう」
ぎこちない笑顔を返す。
それはそれで安心できないような。怖くて詳細を訊くことが出来ないよ。
「ルナちゃんってすごく敏感なのね。だってね、スポンジで触る度に――」
「言わなくていいから、ほんとに訊いてないからっ」
わたしはチグリスの口元を押さえる。
お風呂で温められた肺に溜まった空気を吐き出すと、
「どうしよう。わたし、全然記憶がないみたい。ねぇ、チグリス。わたし変な事をしなかったよね?」
わたしが訊ねると、チグリスは人差し指を口元に上げて上を見る。
「んー、特になかったような?」
「本当? ほんとだよね。なんかわたしぼんやりとだけど……」
「強いて言うなら、ショコラちゃんに抱きついて猫耳を齧っていたくらいかしら」
「ほっ、よかったぁ。なんだその程度か」
わたしは胸に手を当てると、ほっと胸を撫で下ろす。
「その程度だなんてひどいです」
「ショコラ?」
湯船に入ってきたショコラが不満そうな顔で、むくれながら言った。
「なんか、迷惑かけちゃったみたいでごめんね」
「いえ、いいんですけど……」
ショコラは首までお湯に浸かると、
「ショコラも相応の仕返しはさせてもらいましたから……」
ポツリと言うと、顔を赤らめながらショコラが目を閉じる。
ほんとにわたしが寝てた時、この二人、わたしの体に一体何をしたのだろう。
気になるけど訊けない。むしろ訊いたら負けな気さえする。
「ま、まあ。ショコラなんて毎日飼い主さまに食べられてるんだから、耳を齧られるくらい今更よね」
「別に毎日というわけではないですけどね」
冷静にショコラが訂正する。
「日によっては毎時の時もありますし」
あ、そっちなんだ。
わたしはお湯を弄びながら苦笑する。
それからしばらくお風呂を楽しんでそろそろ上がろうかなという時に、思い出したようにチグリスがわたしに言った。
「そういえば、あれって比喩じゃなかったのね」
「あれ?」
首を傾げてチグリスを見る。
「ショコラちゃんが言っていたやつ」
「ショコラが言ってたやつ?」
何を言いたいのかさっぱり分からない。
ショコラわかる? とショコラの方を見ると、ショコラが申し訳なさそうに眉を八の字にして顔を赤らめていた。
「だから、スライムの形」
「……っ!?」
一瞬で理解したわたしは、ばっと胸元を隠す。
「くすくす。別に、今更隠さなくてもいいのに」
そんなわたしの反応に、チグリスは面白そうにころころと笑った。
そういえば、ショコラがそんな事言ってたのを思い出した。あれの形がわたしのに似てるとかなんとか。
「戦っている間も、ずっとその事が気になっちゃって集中出来なかったのよね。確かめることが出来て、やっと心が安寧を取り戻したわ」
そう言うと、チグリスが胸元に手を当ててほぅっと息をついた。
この猫ずっとそんな事考えながら戦ってたのか。
わたしは胸元を隠したままチグリスにジト目を向ける。
「今度、プリン作る時はルナちゃんのを参考にしようかな」
「まだ作る気なんだ……」
チグリスの独り言を聞きとめて、わたしは呆れる。
チグリスってば、まだ影響が抜け切ってないんじゃないの。
「それで、ミケ君に食べてもらうの」
「っ!? ちょっとチグリス。それはやめてっ、お願い」
顔がばっと赤くなる。わたしはチグリスに詰め寄ると、懇願するように言った。
「うそうそ、冗談よ。いくら私でも、そこはわきまえているから安心して」
「むぅ……」
わたしは頬を膨らませると、不満ありありの顔でチグリスを見た後、
「もぅ……」
わたしは大きく息をつくと、湯船から立ち上がった。
「あ、ルナちゃん。上がるの?」
お湯から出て行くわたしに、チグリスが見上げながら声を掛ける。
「うん、せっかく起きたのに、またのぼせて倒れちゃったら洒落にならないし」
今の自分の状態だとやりかねない。
チグリスは、お風呂の入り口を指差すと、
「脱衣所に私の服が置いてあるから、服はそれを着てね。なんとかルナちゃんのサイズに合うものを探したから、簡素な服しか用意できなかったけど」
「あ……そっか」
わたしの着ていた服はビショビショだから、当然着る事は出来ないんだ。
なんだか、何から何までお世話になっちゃって悪いなと思いながらも、わたしはありがたく使わせてもらうことにする。
「ありがとう。別に着られればなんでもいいよ」
わたしは軽くチグリスに手を上げると、浴室を後にした。
わたしは脱衣所に入ると、体を拭いてからチグリスが言っていた簡素な服というのを探す。
てっきり畳まれて用意してあるのかと思っていたら、想像とは違って服が無造作に全て一山となって置かれていただけだった。
こういうとこ、意外とチグリスってずぼらなんだなぁと思いながらも、それを見てわたしは困ってしまう。
というのも、具体的にどの服というのは教えられていなかったからだ。
この一つの山になっている服の中から、自分の着る服を見つけられるだろうか。
「えっと、簡素な服だよね。簡素な服」
そんな事を呟きながら、服の山を漁っていく。
そして、それを見つけてしまった。
「もしかして……これ?」
それを拾い上げてマジマジと見る。
それは、料理する時に身につけるエプロンだった。
もしかして、簡素な服ってこれ?
とりあえず着てみる。
「……」
いやいや確かに簡素だし、これならサイズも関係ないのかもしれないけど。これはないわ。ないない。裸エプロンなんて飼い主さまがたまにやってるゲームでしか見たことないよ。もっと真面目に探そう。
わたしが苦笑いしながら、そう思い服の山に手をかけた時だった。
浴室の扉がガラッと音をたてて開き、ショコラとチグリスの二人が脱衣所の方へと入ってきた。
「あ……」
「え……」
一瞬流れる気まずい空気。それを破るように、ショコラが恐る恐るわたしに声を掛けた。
「ルナさん……何やってるんですか?」
「え、あの、これは……。だって、チグリスが簡素な服だって言うからっ」
微妙に責任転嫁だという事はわかっているが、言わずにはいられない。
「確かに簡素な服とは言ったけど、裸エプロン着ろなんて私は言ってないわ」
「うっ、じゃ、じゃあなんでエプロンなんてあるのよ」
「それは、私が着るためよ」
チグリスが腰に手を当てながら、呆れたように言う。
「えっ、チグリスが裸エプロン着るの?」
「ルナちゃん。まずはその発想から離れて。この後キッチンに入るからエプロンをつけようと思っていただけよ。ほら、ポトフ作ってあげるって言ったでしょう」
「あ……」
「それとも、その格好のまま行く? 私は止めないけど」
チグリスがいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「行かない。行くわけないでしょ」
わたしはブンブンと首を振った。
常識で考えてっ。こんな格好で出て行ったら痴女だと思われちゃうでしょ。
「まあ、そうよね」
チグリスは衣服の山まで進んでくると、身を屈めてガサガサと中を漁る。
「えっと、ルナちゃんのはこれとこれね。あと下着も」
山の中から白いブラウスと、赤に黒のチェックが入ったプリーツスカートを引っ張りだすと、わたしに手渡す。
「うん……」
目を逸らしながら。
わたしはエプロンを脱いで交換すると、受け取った衣服に袖を通した。




