55話 ほんとのきもち
「やった……の?」
「倒した……、倒したんですね」
チグリスとショコラが手を取り合って、ぴょんぴょんと跳ねる。
そうして二人でひとしきり喜びを共有した後、
「そうだ。ルナさんは?」
ショコラは思い出したように、キングおっぱいスライムが爆発した、その爆心地の中心に目を向けた。
キングおっぱいスライムが破裂した場所には、キングおっぱいスライムから飛び散った大量のミルクが大きなミルクの溜まりを作っていた。
わたしはその中心にペタンと座り込むと、ぼぅっとぼんやりとした目で白い床とミルクまみれになっている自分の姿を見つめていた。
キングおっぱいスライムが破裂した際、丁度、その中心に居たわたしは思いっきり頭からミルクを被ることになってしまったのだ。
髪から服から全身、ミルクでドロドロになっていた。
わたしはぼんやりと霞がかかったような意識の中で、ミルクにまみれになっている手を口元に持っていくと、粘り気のあるミルクを舌で舐めた。
「変な味……」
わたしがペロペロと毛繕いをするように手についたミルクを舐めていると、ショコラが駆け寄ってきた。
「ルナさん。大丈夫ですか?」
「ぇ……」
わたしは緩慢な動作で、駆け寄ってきたショコラを見上げる。
わたしはミルク溜まりから、ミルクを滴らせながらゆっくりと立ち上がると、ショコラににっこりと微笑みかけた。
「大丈夫じゃないよぉ。もうドロドロなの。パンツの中までびしょびしょになっちゃった」
「ルナ……さん?」
ショコラが困惑した表情で、わたしを見ている。
「えへへ、ショコラも一緒にドロドロになろっ。それで一緒にハッピーになるのっ」
そう言うと、わたしはガバッとショコラに抱きつく。
ショコラはかわそうとしたが、あえなくわたしに抱きつかれてしまう。
「ぎゃー、なんで抱きついてくるんですかっ。ショコラも汚れちゃうじゃないですか」
「ショコラ好き」
なんか言ってるけど無視。わたしはぎゅっとショコラを抱きしめた。
「それはうれしいですけど……、って、あんっ。耳を食べないでください。猫は耳が弱いの」
ショコラが悶えながら、助けを求めるようにチグリスを見た。
「チグリスさん。なんとかしてくださいっ」
「なんとかしろと言われてもね。きっと一時的に混乱しているだけよ。しばらくしたら抜けるでしょう。それよりも、はやく下に戻って終わった事をナイルに報告しなくちゃね」
「このままですか!?」
「だって、しょうがないでしょう?」
苦笑いをしながらそう言うと、チグリスは部屋を出て階段を下りていく。
「えぇ……、いいのかな」
ショコラも抱きついているわたしを引きずりながら、その後に続き階段を下っていく。
階段を下りきってバーカウンターの前まで来ると、わたしは後ろから被さるように、抱き付いていたショコラの体からぱっと離れて前に出た。
「あ、ミケだ。ミケ、ほら見て見て、わたしドロドロなのー」
くるんとその場で一回りすると、スカートの裾を摘みあげて、ちょこんと礼をする。
ミケはカウンター席に座ったまま、そんなわたしを見てぎょっとした顔をする。
「どうしたんだ、こいつ?」
「色々あってね。話すと長いから話さないけど」
くつくつと口元に手を当てながら、チグリスがミケの問いに答える。
わたしは目を細めてミケを見た。
「えへへ、どうどう? このどろどろ感すごない?」
「いや、別に」
「どろリッチだよっ」
「だから、わかんねーよ」
「むぅ……」
わたしは餌をおあずけにされたひな鳥のような顔をした。
ははーん、これは照れてるんだな。そうに違いない。
「もぅ、ミケったらエッチさんなんだから。もっとルナの事どろどろにしたいんだ。こんなに白くてどろどろなのに、もっとどろどろにしちゃうんだ。……いいよ、ルナと一緒にきもちいいことしよ」
わたしはにっこりと笑みを作り、改めてミケを見つめる。
「うふふ。ミケも一緒にハッピーになるの。ルナがいっぱいいっぱいハッピーにしてあげるからね」
そう言うと、わたしはミケに突進する。
ミケは席を立つと、そんなわたしをひらりとかわした。
「あれ?」
勢いのままに、カウンターの机に手をつくと目を瞬かせる。どうして……。
もう一度、わたしはミケに狙いを定めると抱きつく。しかし、またしても体は宙を切り回避されてしまう。
あれ? あれ……?
わたしは、恐る恐るミケに視線を向ける。
「どうして、逃げるの?」
「いや、その格好で抱きついてこようとする奴がいたら普通逃げるだろ。常識的に考えて」
なにそれ、意味わかんないよ。
「どうして逃げるの? どうしていじわるするの? ミケはわたしの事嫌い……なの?」
じわっと涙が滲んで、目の前が霞む。
「いや、嫌いとかそういうわけでは……」
ミケが苦し紛れに言うのに、わたしはブンブンと頭を振った。
なんで逃げるの、なんでなんで。わたしはただ……、ただミケにも気持ちよくなってもらいたいだけなのに。気持ちいいこと沢山してあげるのに。
「ミケのばか……」
わたしはミケを睨みつけると、
「わたしはミケの事が……」
そこまで言うと、フラッと目の前が揺れる。
あ、あれ。なんだろ……。
なんかおかしいよ。
あたまが、ぼんやりしてきた。
「わたし……ミ……ケ……のことが……」
ぐにゃりと視界が歪みマーブル模様のように景色が混ざる。
「ミ……ケ……」
目の前がグラリと崩れていった。
「ルナちゃん!」
「ルナさん!」
チグリスとショコラが声を上げて駆け寄ってくる。
ミケは崩れ落ちるルナの体を受け止めると、二人に向けて小さく手を上げ大丈夫である事を示す。
「大丈夫、寝てるだけだ」
ルナの目尻に溜まった涙を拭うと、ミケはルナの顔を見つめながら言った。
その言葉にチグリスはほっと胸を撫で下ろすと、
「きっと疲労が限界を迎えちゃったのね。彼女、頑張っていたから」
すぅすぅと安らかな寝息をたてているルナを覗き込んだ。
「んっ……」
ミケ、チグリス、ショコラの三人の視線の集中を受けてなのかルナが居心地悪そうに、もぞもぞと寝返りをうった。
「さてと」
ルナのことはミケに任せておけば大丈夫と判断したチグリスは、視線をバーカウンター内でカップを磨いていたナイルに向けた。
上での戦闘の結果を報告するためだ。
チグリスはカウンターに歩み寄る。
「ナイル全部終わったわ」
「ご苦労様です」
チグリスが言うと、ナイルが恭しく礼をする。
「えっと、それで……」
チグリスは言いにくそうに目を逸らすと、
「かなり部屋を汚してしまって……」
「あなた達の格好を見ればそれはなんとなく分かりますよ」
ナイルはチグリス、ショコラ、ルナの順に衣服を見て頷いた。
チグリスとショコラもルナほどではないにしても、返りミルクでそれなりに汚れていたのだ。
「心配する必要ありませんよ。掃除の方はこちらでやっておきます」
そう言うと、ナイルはニャルラトフォンを取り出して、画面を軽く叩く。
すると、空中に魔力の粒子が結実し、二つの三十センチくらいの人型を作り出した。
「あら、新しいお掃除妖精?」
「ええ、配信されたばかりなんですよ」
段々と姿がはっきりとしてくる。
しばらくすると魔力によって生み出されたワンピースを着た背中に薄い羽のある二人のお掃除妖精の女の子がいたずらっぽい笑みを浮かべて出現した。
「お掃除するよー」
「汚れをぶっ殺せー」
出現したお掃除妖精は、それぞれゴツイ高圧洗浄機と、高圧洗浄機に負けないくらいゴツイ吸水掃除機を背中に背負っていた。
「上の階の部屋を掃除してきてもらえますか?」
ナイルはニャルラトフォンを操作しながら、お掃除妖精の二人に声を掛ける。
お掃除妖精達はお互いを見やると頷き。
「まじかー、汚れ殺害しちゃうかー」
「SATUGAI! SATUGAI!」
「汚れ大虐殺!」
「それな、それな、汚物は消毒だー!」
ひとしきり盛り上がった後、ぴゅーと音を立てて、お掃除妖精達は上の階へとあがって行った。
チグリスはそんな彼女たちの後ろ姿を見送ると、ため息をついた。
「黙って掃除できないのかしら。魔法に人格を乗せたがる企業の考えが理解出来ないわ」
「最近の流行りなんですからしょうがないですよ。そういう事言ってると歳だと思われますよ」
「別に思われてもいいし」
つんとチグリスがそっぽを向く。
「所で、あなた達も綺麗になったらどうですか? 個室にバストイレが完備される前に使われていた大浴場の方にお湯を張っておきましたよ」
「え、ほんと。ナイルって気が利くのね」
「いえいえ」
チグリスがぱっと顔を明るくすると、ナイルが謙遜する。
「ありがとう。早速使わせてもらうわ。ショコラちゃん」
ナイルに礼を言うと、駆け戻ってチグリスはショコラに声を掛けた。
ミケに支えられながら眠っているルナの様子を見守っていたショコラは顔をあげる。
「ナイルがお風呂を沸かしてくれたみたいなの。一緒に入りましょう」
「ほんとですか」
チグリスの提案に、ショコラは一瞬喜びの顔を作るが、すぐに表情を曇らせてルナを見る。
ルナの事はどうするのかと思ったからだ。
そんなショコラの心配を察したのか、チグリスがウィンクして続ける。
「もちろん、ルナちゃんも一緒にね」
「でも、寝てますけど」
「ええ、だから私たちで体の隅々まで綺麗にしてあげましょう。寝てるなら洗ってしまおうホトトギスよ」
「意味がわかりません……」
ショコラが顔を染めながら苦笑いする。
チグリスはミケに向き直ると、
「というわけだからミケ君。ルナちゃんを脱衣所まで運んでくれるかしら?」
「え、なんで俺が……」
「なんでって君が適任でしょ。丁度抱いているんだから、そのまま持ってってくれればいいの」
「はい……」
人差し指を向けながら言うチグリスの剣幕に負けて、ミケは渋々頷くとルナの体をお姫様抱っこして一階の奥にある扉へと向かう。
「ミケさん、場所わかりますか?」
「さっきあんたが沸かしてる所を見たよ」
声をかけてきたナイルに、ミケは顔だけそちらに向けて応える。
その後ろ姿に思い出したように、チグリスが声を掛けた。
「分かっているとは思うけど、運ぶだけよ? 脱衣所だからって服を脱がしたりしちゃ駄目だからね」
「脱がさねーからっ」
ピクピクと青筋を立てながら、ミケは至極不満そうな表情と共に振り返るとそのまま奥へと消えていった。
チグリスはそれを見送ると、
「じゃあ、私たちも行きましょう」
そうショコラに声を掛けた。
ショコラがチグリスと共に、ミケを追いかけようとした時、
「あの、待って」
引き止める声にショコラはビクリと体を震わせる。
声の主はユーフラテスだった。ユーフラテスは椅子を並べて作られた簡易なベッドに寝かされていたが、意識を取り戻し、体を起こすとショコラの元へと駆け寄ってきた。
「あ……」
ショコラは胸元に手を当てると一歩後ずさる。その表情には明らかな怯えが表れていた。
その反応に、ユーフラテスはショコラから目を逸らした。
「ユーフラテス、起きていたのね。体は大丈夫?」
チグリスはそんな二人を交互に見て睫を落とす。
それから、努めて平静を装うとユーフラテスに声を掛けた。
「う、うん。まあね……」
歯切れの悪い返事。ユーフラテスは躊躇うように目を泳がせた後、
「本当にごめん」
そう言ってショコラに頭を下げた。
ショコラは突然のことにビックリして固まってしまったが、やがて、思い出したように手をかざすと、
「えっと、顔を上げてください」
困ったようにユーフラテスに言った。
ショコラは少し考えるように唇に手を当てる。
「あの、記憶があるんですか?」
ショコラが訊ねると、ユーフラテスは顔を上げ、
「断片的にだけど……」
「そうですか……」
ショコラはほぅと息をつくと、
「操られてたんですもん。しょうがないですよ」
「でも……」
食い下がるユーフラテスに、ショコラは微笑みかけると、
「気にしないでください。ショコラも気にしてませんから。それに、ショコラもユーフラテス君の事魔法で撃ってしまいました。ほら、これでお互いさまですから」
「でも、僕は……」
「でも、じゃないですよ」
ショコラはユーフラテスの手を取った。
「もういいんです。ユーフラテス君の気持ちは受け取りましたから。だから、この話はもうおしまい。ね」
「……ごめん」
ユーフラテスがもう一度、謝罪を口にした時、
「何してんだ。もう運び終わったぞ」
扉の奥から、ルナを脱衣所に置いて戻ってきたミケが顔を出した。
「あ、はいっ」
ショコラはユーフラテスの手を離すと、チグリスと共にミケが出てきた扉へと駆けていく。
「ショコラちゃん」
大浴場へと向かう廊下の途中、チグリスは眉を八の字にしながら上目遣いで申し訳なさそうにショコラに声を掛けた。
「ありがとう。本当に……」
「そんな、本当に気にしてないですから」
ショコラの言葉に、チグリスは首を振った。
「ううん、ありがとね」
気にしていないはずはないでしょうと。
その事に気づきながらもチグリスはショコラに礼を言うと、軽く目を閉じた。




