47話 白い影を追って
カタリと音がしたような気がした。
「……」
いや、気のせいだ。
規則的に並んだ窓から差し込む光によってぼんやりと浮かび上がる廊下には、今彼女の他には誰もいない。
ショコラは本能的に振り返ると、そこに何も居ないことを確認して安堵した。
いや実際の所、安堵している場合ではないのだが、やはり毛が逆立つような気味の悪さに敏感になってしまうのは致し方ないものだった。
「ふぅ……」
息をつく。
上の階から順々に見て回ってみたものの、特別何かおかしな所を見つける事は出来なかった。
やはり、自分の思い違いだったのだろうか。アレじゃないのかな。それとも本当に幽霊……。
「もう一回上から調べてみようかな」
一人呟くと、ショコラは再び上階へと踵を返した。
冷たい石の階段を上りながら、ショコラは思案する。
プロジェクト虱プレス作戦で兎に角、隅々まで探してみよう。
結論を出すのはそれからでも遅くはないはず。
もし、幽霊と呼ばれているものがショコラの思っている通りのものだとしたら、放置しておくなんて絶対によくない。それだけははっきりと分かっている事でもあった。
「……あれ」
三階に上がった所で、ショコラは足を止めた。
階段を上がったすぐの部屋の扉が、半開きになっていたのだ。
扉は揺りかごのように微かに揺れ、キィキィと首を絞められた小鳥のような声を上げていた。
あの部屋は確か、最初に来た時にショコラが違和感を覚えた部屋だ。
いや、そんな事よりもおかしな事があった。
あの部屋はさっきも見た。
そして、確かにショコラは扉を閉めたはずだった。
なのに開いている……。
「なんでだろう」
妖精のいたずらか、それとも。
とにかく調べてみなくちゃ。
ショコラは、すり足で半開きとなっている扉に近づくと、ゆっくりと音を立てないように扉を動かし中を覗き込んだ。
薄暗い室内は、窓から入り込む光によって埃がキラキラと乱反射し、微かに白んでいた。
ショコラはそろりそろりと足音を立てないように、足を動かすと室内に入る。
薄暗いが、あかりをつける事はしない。
注意深くあたりを伺いながら、落し物を探すように腰を低くしてテーブルの下や椅子の下、ベッドの下などを見ていく。
ガタッ――。
「……っ!」
窓ガラスが一度大きく振れ、大きな音を立てる。
ショコラはビクリと体を震わせると、恐る恐る音のしたを方を見た。
「風……」
窓ガラスには何もいない。ただただ採光という己の役割を実直にこなしているだけだ。
どうやら、風でガラスがしなっただけだったようだ。
ショコラは胸に手を当てると、ほっと安堵する。いや、だから安堵している場合ではないんだけど、それでもやっぱり胸を撫で下ろしてしまう。
その時だった。
バタンという音を立てて突然扉が閉まったのだ。
「きゃ……っ!?」
ショコラは突然の事に驚き、ベッドの下を覗きこむ姿勢から跳ねるように立ち上がると、恐る恐る入り口の方を見た。
「やあ」
そして、そこに居た人影を見確かめて、緊張の糸を解く。
「なんだ、ユーフラテス君ですか」
そこには栗色の髪をした、先程まで下で一緒に折り紙のリングを作る作業をしていた少年がたっていた。
名前はユーフラテスという名前だったはずだ。
確かもう一人の、チグリスという少女とは双子なのだと言っていただけあって顔がよく似ている。
「あの、どうしたんですか?」
ショコラが遠慮がちに訊ねると、少年はにっこりと笑顔を作りながら、
「ショコラが、建物の中を探検するって言ってたから、僕が案内しようかと思ってさ。ほら、来たばかりだしよくわからないでしょ?」
「ああ……」
そういう理由で来てくれたんだ。
確かに、来たばかりの猫が建物を探検しようなんて言ったら、そういう親切心を持つ猫もいるのかもしれない。ショコラは少し申し訳ない気持ちを抱きながらも大丈夫という事を示すように手を振った。
「気持ちは嬉しいですけど、ショコラは一人で大丈夫ですから」
単純に建物の構造を知りたいわけじゃないし、じゃあと目的を話すのは憚られた。
「こんな所で何してるの?」
ショコラが断ってなお、ユーフラテスに動じた様子はなかった。
「えっと、あの、ちょっと探し物を……」
「探し物って?」
「あの、本当に一人で大丈夫なので」
笑みを繕うと、ショコラは両手をヒラヒラと振った。
困ったな。どうしよう。
笑みの中に困惑が混じる。なまじ善意だと、どうやって断ったらいいのかわからない。
ショコラはあれこれと思案していたが、ガチャリという音にはっと意識を引き戻した。
「え……あの。ユーフラテス君?」
ユーフラテスが扉の鍵を閉めた音だという事に、少し遅れて気がついた。
「どうして、鍵を閉めるんですか?」
「……」
少年は口元に三日月形を作ると、一歩ショコラへと歩み寄る。
「あの……」
ショコラは一歩後ずさる。
「どうしたんですか。変……ですよ?」
出来るだけ平静を装い、語りかけるがまるで聞こえている様子はない。
「ねえ、ちょっと……」
ショコラの声が震える。
「それ以上、こっちに来ないでください」
ショコラが静止を訴える。しかし、少年は更に距離を詰めるように歩を進めてくる。
ショコラは再び一歩後ろに下がった。
「来ないで……ください」
搾り出すようなショコラの声が、静謐な室内に染み込んでいく。
その顔にははっきりと恐怖の色が浮かび上がっていた。
目の前の少年の纏う異常な雰囲気に気がついたからだ。
見開かれた目はまるで光を失ったように虚ろにも関わらず、口元はまるで別の生き物のように釣りあがり歪んでいた。
「……」
無言で近づいてくるソレから逃れるように、ショコラはフルフルと首を振りながら後ずさっていく。
「あ……」
しかし、すぐに足がぶつかり、それ以上後ろに下がる事を拒まれてしまった。
ベッドの縁だ。
ベッドの縁にぶつかり、それ以上後ろに下がることは出来ない。
そうこうしている内にも、ソレはショコラの目と鼻の先に立っていた。
「……っ!」
次の瞬間、強引な力でショコラはベッドに押し倒されていた。
ベッドに押し付けられるようにのしかかられ、手は頭の上で掴まれ動かす事も出来ない。
「いやっ、いやっ!」
ショコラは足をバタバタさせるが、抜け出すことはおろか体を満足に動かすことも出来なかった。
「やめて、おねがい……ですから」
ソレは、ショコラのローブの襟口を掴むと、無理やり剥ぎ取ろうと乱暴に力を込める。
「あ……」
そして、ローブを留めていたボタンが弾け飛び、ローブの下に着ていた黒いワンピースが露になった。
ショコラは涙を滲ませながら目を逸らした。飛んでいくボタンが妙にはっきりと目に映る。まるでスローモーションのように。
その時だった。
ボタンが床に落ちて、大きく跳ねるその先に白い影を見た。
何かいる。
ショコラとユーフラテスの他にも、この部屋には何かがいる。
それをショコラは見た。
幽霊……? ううん、違う。あれは、やっぱりアレだ!
やっぱりアレがいたんだ!
見つかったことに気づいたのか、それはすっと姿を消してしまった。
しかし、その事がショコラの心を持ち直させた。
ショコラは自分にのしかかり、ワンピースを引きちぎろうと布を無理やり引っ張っているユーフラテスを、きっと睨みつけると奥歯を噛んだ。
「ごめんなさいっ! ホーリーピストル!」
ショコラが叫ぶと、いつの間にか拳銃を持ったキューピットがユーフラテスの頭部に銃口を突きつけていた。
「きゅぴきゅぴ(動くと撃つぜ?)」
ニヤリとニヒルな笑みを浮かべたキューピットの存在に気づき、ユーフラテスが顔を向けようとしたその時、
「撃て〈ファイア〉!」
鋭い銃声と共に、撃ちだされた聖なる弾丸がユーフラテスの額を貫いた。




