44話 キヌちゃんという猫
「ねー、ミケも手伝ってよー」
わたしは三段積みの椅子の上から、バーカウンターに座って優雅にナイルの煎れたコーヒーを飲んでいるミケに声を掛けた。
「興味ないね。お前が自分で手伝うって言ったんだろ」
「そうだけどさー」
紙のリングを天井に貼り付ける作業をかれこれ三十分くらいやっている。
「ルナちゃん無駄口叩いてないで、ほらもっと右」
「はい……」
チグリスから言われた通りに右に紙のリングを動かすとテープで留める。
役割分担としては、わたしとチグリスが飾りを天井につける役で、ショコラとユーフラテスがリングの飾りを作る役をやっているわけだが、わたしとしてはこの代わり映えのしない作業にちょっと飽きてきた。
というか、わたし達は今日入居してきたばかりなんだから、本来もてなされる側なはずなんだよね。なのになんで、もてなす側の作業をしなきゃいけないのだろう。
いや、理由はわたしが手伝うって言っちゃったからなんだけど。
これはあれだね。
興味本位で漫画の原稿手伝うって言っちゃって、消しゴムがけばかりを延々やらされて、後悔しちゃう猫の気持ちを今わたしは味わってるわけだね。
「ルナちゃん。後で私の自家製のプリンを食べさせてあげるからがんばって」
「え、プリン!」
プリンってあれでしょ。角みたいなのを折ると、カップから落ちてくるやつ。おうちの冷蔵庫に入ってるの見たことある。
「単純なやつ」
「何か言った?」
ポツリとミケが呟いたのを、わたしの耳はしっかりと捉えていた。
「いや、別に……」
ミケは露骨に目を逸らすと、手に持ったコーヒーカップに口をつけた。
わたしはそんなミケに上からジト目を向けていたが、ふと思い立って同じように三段の椅子の上で作業をしているチグリスに目を向けた。
「所でさ、キヌちゃんってどういう猫なの?」
首を傾げながら訊ねてみる。
まあ、単純に作業に飽きたからという事もあるのだが、この飾りつけは彼女のためにやっているものなのだし、どんな猫なのかくらいは聞いておきたくなったからだ。
わたしが訊ねると、チグリスは記憶の糸を手繰るように遠い目をすると、
「そうね。真面目で優しくて面倒見がよくて、私達はみんな彼女に惹かれて集まったの。後、なんといっても彼女は魔法の天才だった。キヌちゃんが就職した会社もすごい大手の企業だったはず」
「どこの企業だ?」
チグリスの話した内容が、どうやらミケの琴線に触れたらしく。えらい食い気味にミケがチグリスに訊ねる。
「えっと、ニャン……、ニャンなんとかって企業だったような?」
「ニャンだけじゃわかんねーよ。この世界に一体幾つニャンのつく企業があると思ってるんだ」
ミケが呆れていると、折り紙を縦に裂いてリングを作る作業をショコラと一緒に黙々とこなしていたユーフラテスがフォローするように言った。
「ハレイニャン・ラグナロクだよ。チグリス」
「あ、そうそう、そのなんとかラグナロクってやつよ」
なんとかラグナロクって、今度はニャンが消えてるよ。
わたしが苦笑していると、ミケが感嘆するような声を上げた。
「ハレイニャン・ラグナロク……。ラグナロクってあのラグナロクグループか。それは確かにすごいな」
「有名なの?」
わたしが訊ねると、ミケは「ああ」と頷いた。
「ラグナロクグループと言えば、今世代に急激に成長してきた会社で、いまではいくつものグループ会社を保有するまでに拡大しているんだ。最近では生活インフラ用の魔法まで担うようになってる。文句無しの大企業だよ」
「ほえー、すっごいじゃん」
「まあね」
わたしが感心していると、チグリスは自分のことのように胸を張った。って、またバランス崩して落ちるよ?
「でも、キヌちゃんの実力なら当然だけどね。何しろ、キヌちゃんの魔法はかの七賢猫の再来かと思うくらいすごかったもの。そんじょそこらの企業製の魔法なんて遥かに凌駕してしまうくらいの威力の魔法を普通に自力で使っていたから。私達ネイティブマジック同好会では、自力魔法〈ネイティブマジック〉の修行をしている猫が何人も居たけど、機械に頼ることなくあそこまで強力な魔法を使えたのはキヌちゃんだけだった。当然いくつもの企業から常にスカウトが来てたわ。でもずっと断ってた。きっと自分が居なくなったらパーティが離散してしまうと知っていたのね。パーティがなくなったら私達みたいな力の弱い使い魔〈サーヴァント〉が路頭に迷ってしまうんじゃないかと心配していたんだと思うわ。でも、私は知っていたの。キヌちゃんがずっと最先端の環境で魔法の開発をしたがってたこと。だから私達のことは気にしないで言ったのよ」
「なるほど、それで大企業に就職しちゃったのね。所で〈ねいてぃぶまじっく〉って何?」
わたしが訊ねると、チグリスはキョトンとした目をわたしに向けた。
「ネイティブマジックは自力魔法の事よ? ルナちゃん知らないの?」
こくんと頷く。
え、もしかして常識?
「ショコラ知ってる?」
ショコラの頭上から声を掛けると、ショコラがふるふると首を振った。
「そっか、もう今の子はネイティブマジックも分からない世代になっているのね」
そう言うと、得心したという風にチグリスは手のひらをパンと叩いた。
「私達の頃も、すでにそういう風潮はあったけど。月日が流れるのは早いわね」
なんかチグリスがすごい婆くさい事言ってるんだけど。もしかして、見た目的にはわたし達より年下だけど、実年齢はわたし達よりも遥かに上なんだろうか。
「ニャルラトフォンとニャルラトネットワークの構築で、企業製の魔法の使い勝手が大幅によくなったからな。魔術書を買って自分でポチポチ魔法端末に魔術式を打ち込んでいた時代は、まだ自力魔法〈ネイティブマジック〉にも一定のメリットがあったらしいが、ニャルラトフォンの普及によって一気に過去の遺物に追いやられてしまったらしい。もっとも、俺はその時代を直接は知らないから実際の所は知らないけど」
ミケが言うと、チグリスは頷いた。
「私はその魔法鈴〈マジカルベル〉に魔術書買ってポチポチ世代だけど、全くその通りだと思うわ。あの当時は魔術書は高いわ。打ち込むのは面倒だわで、そこそこの威力でいいなら普通に魔法を覚えた方が早いんじゃないのって言われていた。でもニャルラトフォンの普及とニャルラトネットワークの構築で誰でも手軽にボタンを押すだけで魔法が使えるようになってしまったから、自力で魔法を使ってみようという猫が本当に居なくなってしまったのね。今は魔法道〈まほうどう〉という一種のメンタルトレーニングという形で辛うじて残っている感じなの」
「はあ」
ぶっちゃけまったく想像できない。というか。
「魔法って誰でも出せるものなの?」
素朴な疑問である。
「使い魔ならみんな魔力を持っているはずだから、誰でも出来ると言ってしまっていいんじゃないかしら。私達のパーティはネイティブマジック同好会っていうだけあって、威力の差はあったけどみんな自力魔法〈ネイティブマジック〉を使えたもの」
チグリスはうーんとちょっと考えながら、わたしの疑問に答えてくれる。
わたしはぐいっと体をチグリス側に乗り出すと、
「ということは、わたしでも出来るのっ?」
「もちろんよ」
間髪入れずにチグリスが答える。
「ルナちゃん、魔法に興味があるの? やってみる?」
「うん! やるやる」
わたしがノリノリで言うと、チグリスはふっと微笑むと、
「じゃあ、これが終わったらちょっと休憩しましょうか」
そう言うと、テキパキと作業の手を早めるのだった。




