42話 幽霊なんて怖くない
中では数人の男女が、慌しく室内の飾りつけを急いでいた。
「ユーフラテス。そっち持って」
「こう?」
「違う。もうちょっと上だって」
よく似た背格好の男の子と女の子が三つに重ねた椅子の上に立ちながら、リング状にした紙の飾りを天井につけようと格闘していた。
「ナイルも手伝ってよー」
椅子の上から、栗色のふわふわと柔らかい髪を二つにまとめている少女が、恨めしそうな目でバーカウンターの奥にいるシャツにベストというバーテンダーのような格好をした落ち着いた雰囲気の男に声を掛ける。
「飾りつけは二人でやると言っていたじゃないですか。チグリス」
「それは確かに言ったけども。私達じゃ背が足りないっていうか……。あ、だからユーフラテスもっと上だって言ってるでしょ」
「猫使いが荒すぎる……」
少女と同じく栗色の柔らかい髪をもった少年がため息をつく。
その時、不意に入り口の扉が開いた。
「あっ……」
扉に付けられたカウベルのカランという音に驚いて、少女はバランスを崩し椅子から転げ落ちると、ドスンと尻餅をついた。
「え、何?」
扉を開いたと同時に聞こえていた、建物内全部に響こうかというけたたましい音に、わたしは目をぱちくりとさせる。見れば、室内には倒れた椅子が散乱しており、よくわからない色紙が床に散らばっている。
そして、二人の少年少女がその色紙をひっかぶるように床に倒れていた。
え、何? 殺人現場?
わたし達が呆気に取られていると、カウンターの奥にいるバーテンダーらしき男が声を掛けてきた。
「ようこそ、お待ちしておりました。御入居の方ですね?」
「あ、はい」
わたし達は中に入ると、バーのカウンターの前まで進む。聞いていた通り、一階はバーになってるらしい。
バーカウンターといくつかのテーブル席が置かれている。
割りとちゃんとしたバーだった。営業はしてないという事だったが、やろうと思えばすぐに営業できそうなくらい整備されている。
もっとも今は、椅子が倒れてすっちゃかめっちゃかになってしまっているけど。
「あの子たちは……?」
そして椅子に二人の子供が下敷きになっていた。
わたしが、惨状を見つめていると、男が、
「ああ」
と笑みをこぼす。
「気にしないでください。ちょっとした脳震盪ですよ。じきに目を覚ますと思います」
「はぁ……」
わたしは生返事を返す。
すると、ミケがカウンターに手を突きながら、ぐぃっとわたしの前に出た。
「それで、あんたは?」
「私はナイルといいます。このアパルトマンの大家をしています。以後お見知りおきを」
ナイルと名乗った男は、そう言うと丁寧なお辞儀をする。
「大家さん?」
「はい。そうですよお嬢さん」
物腰の柔らかい優しそうな猫だ。
「いい人そうな大家さんだね」
「そうですね。大家さんは優しいに越したことありませんから」
わたしが言うと、ショコラも頷く。
「家賃を滞納しなきゃいけない時に、優しい方が何かと都合がいいですからね」
え、そういう問題?
「あはは、家賃の滞納は出来ればやめていただきたいですね」
笑ってる。家賃滞納の話で笑ってる。ものすごく器の大きい猫だ。
「さて、荷物も多いようですし。まずは、部屋の方に御案内しますよ。込み入った挨拶はその後で」
ナイルはカウンターから出ると、先導するように歩き出した。
わたし達もその後に続く。
奥にある階段を登ると、廊下がありそこにいくつかの扉がある。
ただ、わたし達の部屋はこの階ではなくもう一つ上の三階にあるという事なので、二階は無視してさらに階段を上がった。
「ねえ、ルナさん」
「ん、なに?」
「あそこ、今、何かいませんでしたか?」
「え……?」
階段を登りきろうかという時に、ショコラが声を掛けてきた。ショコラが指差したのは、半開きになっている扉だった。
「今、こっちを何かが覗いてたような気がして……」
「やめてよー。今からこの階で寝泊りするんだよ。変な事言わないで」
と言いつつも一応半開きの扉を開けて中を確認する。
「ほら、何も居ないじゃない」
「そう……、そうですね」
わたしがほっと胸を撫で下ろしながら、同じように部屋の中を覗いているショコラに言うと、ショコラは釈然としない表情を浮かべながらも、わたしの言葉に同意した。
「気にしすぎ。ショコラってば結構怖がりなのね。怖いと思うから、居ないものも見えちゃうのよ」
「……」
お姉さん風を吹かせて言ってみるものの、ショコラは無言で部屋の中を見つめていた。怖いから無言やめて、何か言ってくださいお願いします。
「お、幽霊がいたのか?」
わたし達がそんな事をしていると、ミケが後ろからかうような声音で声をかけてきた。
「別にいないわよ。ただ、ショコラが何かこの部屋に居たって言うから……」
「ふぅん」
ミケがわたし達の背中越しに、部屋の中を覗き込む。当然、中には何も居ない。
「別に、何もいないな」
「でしょ? だから言ったじゃない」
わたしが人差し指を立てて言う。
ミケは少しの間思考を巡らすように、視線を泳がせると、
「じゃあ、お前この部屋にしたら?」
「へっ……、何言ってんのっ。嫌! 絶対に嫌!」
「怖いんだろ?」
「怖くないけど、絶対に嫌なのっ」
「ほら」
ミケがわたしの背中をポンと押す。
「わっ!」
放り出されるように、わたしは部屋の中に入ってしまう。
わたしが中に入ると同時に、扉が閉まる。
ちょっ、マジか。
――カサ。カサカサ。
ああもう、なんか居る気がするってこの部屋―。
意識するとゾクゾクと背中に怖気が走る。
ガサガサガサガサ――――。
ガタガタガタガタ――――。
もうなんか色々音が鳴ってるような気がする。
怖い怖い怖い――!
わたしは慌てて、扉に駈け寄るとドアノブにしがみつき扉を開こうと押すがビクともしない。
向こうで押さえつけてるんだ。
「開けて、開けてよ! お願い開けて! ミケ、お願い開けてよぉ!」
わたしがドアノブをガチャガチャやっていると、不意に扉が開いた。
「あっ……」
「なっ、やっぱ怖いんだろ?」
開いた扉の先では、ミケがニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「馬鹿! ミケの馬鹿! ほんっと信じらんない! あんたなんて大っ嫌いなんだから!」
「いや、お前が強がるからじゃん」
「むぅー」
飄々とした態度のミケを、恨めしそうに涙の滲んだ目で睨みつける。
「ほら、いつまでも膨れてるなよ。ちょっとしたいたずらだろ」
うわ、いたずらで済ます気だ。
「ルナさん。ミケさんも悪気があったわけじゃないはずですよ」
おろおろとショコラがフォローするように言った。悪いけど、それ的外れだから。
むしろ、悪気しかなかったから。
「ふぅ」
深く深呼吸する。
「わかったわよ。でも、もうしないでよ。その……ちょっと怖かったから。なんか知らないけどラップ現象まで起こってたし」
「ラップ現象?」
ミケが首を傾げる。
「そこらへんで鼠が這うようにガサガサなったり、窓ガラスがガタガタ揺れたり」
「気のせいだろ。怖いと思うから、あるはずのないものが聞こえたりするんだよ」
「まあ、そうなんだろうけど……んっ」
ミケがわたしの頭にポンと手を置く。くしゅくしゅと撫でながら、
「悪かった。そんなに怖がると思ってなくてさ」
「だから、ちょっとだって」
「はいはい、ちょっとな」
なんか適当にあしらわれてる気がするんですが。
「どうかなさいましたか?」
わたし達の騒ぎを聞いて戻ってきたナイルが、怪訝な面持ちで声を掛ける。
「いや、大した事じゃないんだが。仲間が幽霊を見たらしくてな」
ミケはわたしとショコラを一瞥するとナイルに言った。
「幽霊ですか……」
幽霊という単語が出た途端にナイルの顔が曇る。
「ところで幽霊騒ぎでここの価値が暴落してるんだってな」
「なるほど、知っておられましたか」
「そりゃ不動産屋で説明されたからな」
ミケが言うと、ナイルは心配そうな顔をする。
「別に俺たちはわかっていて来てるんだ。それで破談になったりはしないんだから、そう嫌な顔をするなよ。でも、隠し事はしてもらいたくないな。実際の所、どうなんだ? 幽霊は出るのか?」
「実の所わからないのです。見たという猫がいるのは確かですが、私自身はそれらしいものを見たことがありません」
ナイルの答えに、わたしはへーと唇に人差し指を当てる。
大家さんなのに見たことないなんて、霊感がないとか?
「つまり、あんたは幽霊なんて居ないと思ってるんだな」
「まあ、そうです」
「それだけ聞ければ十分だ。この話はやめよう」
「ミケさん。いいんですか?」
ショコラが食い下がるようにミケに声をかける。
あれ、なんか意外。
ショコラって結構怖い話に興味があるの? ショコラも嫌いなんだと思ってたのに。同士じゃなかったなんて軽くショック。
「? 大家が居ないって言ってるんだから、居ないんだろ」
「そう、そうですね」
ショコラが目を伏せる。
「それより、いい加減部屋に行こうぜ。荷物が重い」
「あ、うん。そうだね」
確かに、この大量の荷物を置きたい。
といっても持ってるのはほとんどミケで、わたしが持ってるのは例のネコモッコリDXGOLD2000の箱だけなんだけど。
「さあ、こちらです」
わたし達は案内された部屋に入ると、それぞれ荷物を置く。
その後で、わたし達は再び一階のバーに戻ってきた。
一階では先程椅子の下敷きになって気絶していた二人の少年少女が、せっせと店内の飾りつけに精を出していた。




