114話 ヘモグロビンさんのせいにしてはいけません
「ルナさん。ご飯出来ましたよ」
「うぅん……」
薄らと目を開くと、ショコラの顔があった。
「え、もう? さっき目を瞑ったばかりのような気がするのに」
「きっとノンレム睡眠だったんですよ。深く眠れた証拠です。さ、起きてください」
ショコラが覗き込みながら言うのに、わたしは布団を掴んで口元まで寄せる。
「あと五分……」
「そんなに待ってたら冷めちゃいますよ」
やんわりとした口調ながら、かなり有無を言わさない声でショコラが言った。
わたしはうるうるとした瞳でそんなショコラを見ると、
「ヘモグロビンがね……」
「はい」
「ヘモグロビンが、わたしを起きさせまいと牛歩戦術をしているの」
「低血圧って言いたいんですか?」
「なんもかんもヘモグロビンが悪いの」
「それは、大変ですね。確かに、血中の酸素濃度が下がりそうな話です」
わたしが潤んだ目で見つめると、ショコラは困り笑いを浮かべる。
「うーん、どうしたらいいんでしょう」
ショコラは口元に手を当てて少し考えると、パンと手を叩いた。
「そうだ、ルナさんはこんな御伽噺を知ってますか?」
そう言うと、ショコラは穏やかな口調で話し始めた。
「とあるシャム猫のお姫さまが森で倒れて目を覚まさなくなってしまったんです。妖精達が必死に原因を調べた結果、どうやらお姫さまは重度の低酸素症だという事がわかったんです。でも、妖精達にはどうすることも出来ませんでした」
「うん」
「そんな時です。森を訪れたものすごい肺活量のシャルトリューの王子さまがお姫さまに人工呼吸をするとあら不思議、お姫さまの全身に酸素が行き渡り、お姫さまは目を覚ましたのでした」
「それで?」
「なので、その……」
「うぅん、そろそろ起きよっかな」
「えぇ」
わたしはむくりと体を起こすと、寝ぼけ眼で伸びをする。
それからショコラに視線を向けると、頬を赤くして落ち着かない顔をしていた。
「ん? どうかした?」
「あ、いえ。いいんです。起きてくれてよかったです」
「なんだか、話してる内に体の方も起きてきたみたい。着替えたら行くから下で待ってて」
「はい。じゃあ待ってますから」
ぱたぱたと急いで扉に向かうショコラの後ろ姿に「あ、そうだ」と声を掛ける。ドアノブに手を掛けかけたショコラが振り向く。
「さっきの話ってさ。単に王子さまの口付けで呪いが解けたってだけなんでしょ。だって人工呼吸で低酸素症が治るわけないもん」
「即興の御伽噺にマジレスはNGですよ」
にっこりと微笑むと、ショコラは部屋を出て行った。
即興だったんだ。
あれ、でもあの話の内容からすると……。
「じゃあ試してみるのも一興ですね。的な事を言いたかったのかな?」
って、そんなわけないか。
わたしは口元を思わず綻ばせると、もう一度んーと伸びをしてから着替えると、一階へと下りていく。
一階ではみんなが席について、わたしの事を待っていた。
今日はナイルもおり、全員揃っている。
一つのテーブルを囲むように座っていた。
「おはよー」
「おはようございます」
「おはよう。ルナちゃん」
わたしが朝の挨拶すると、ショコラとチグリスが挨拶を返してくる。
「相変わらず重役出勤だな」
「しょ、しょうがないでしょ。起きれないもんは起きれないんだから」
ミケがからかうように言うのに、わたしは開き直ったように文句を返す。それを見ていたチグリスが「まあまあ」と割って入った。
「ルナちゃんは夜遅くまで私の事を手伝ってくれていたんだもの。起きられないのも無理ないわ」
「そういえば、深夜にお二人で飾りつけの続きをしていたそうですね。朝起きたら、そこかしこに立派なリースが飾られていたので驚きました」
「まあね」
ナイルが言うのに、わたしがまんざらでもない風に返すと、ユーフラテスがそれに続くように声を掛けてきた。
「姉が迷惑をかけてしまったみたいで……」
「ううん、そんな事ないよ」
申し訳なさそうに言うのに、わたしは笑みを作るとブンブンと首を振った。
どうやら、わたしとチグリスが夜中に作業していたという事はみんな知っているらしい。おそらくチグリスから聞いたのだろう。
そこまで考えて、わたしははっとするとチグリスの座っている席まで駆け寄ると、顔を寄せて小さく声を掛ける。
「ねぇ、変な事言ってないよね」
「変な事って?」
「それは、その……」
「ふふ、大丈夫言ってないわよ」
「ほんと」
「というか、私だって他の猫に言えないわ」
「まあ、そうだよね……」
わたしとチグリスが話していると、ショコラがコホンと咳をした。
「ルナさん。こそこそと話してないで席についてください。みんな待ってるんですから。……もしかして二人で良からぬ事でもしてたんですか」
ジト目をわたし達の方へと向けてくる。
「そ、そんな事ないわ」
わたしが慌てて言うと、ショコラがくすくすと口元に手を当てた。
もう、知ってる癖に。
わたしは、ショコラに抗議の目を向けると、ミケとショコラの間の席に着く。
それを確認してからショコラはキッチンに戻ると、熱々の金属トレイを持って戻ってくると、トングでわたし達の前に置かれたお皿へとトレイの上にあるパンを置いていく。
出来たてらしく熱々な事を表すように湯気が上がっており、思わずゴクリと喉が鳴ってしまう。
ショコラは全て配り終えると、キッチンミトンを手から外す。
「さあ、どうぞ。食べてみてください」
ほわほわとおいしそうな湯気を前に、待ての状態だったわたし達はショコラの合図と共に一斉に食事を開始した。
「いただきます」
朝食はピザトーストと簡単なサラダで、しっかりと焼かれた薄い食パンの上に、ベーコンと細かく刻まれたピーマン、その上にトロトロになったチーズがのっている。
パンの両端を持ってかぶりつくと、具材の柔らかい食感の後にサクッというローストされたパンの食感と共に小麦の風味が弾ける。それが、それぞれの具材の風味と合わさって鼻腔を抜けていった。
「はふはふ」
熱さに慎重になりながら頬張る。
どうやら、パンの表面にケチャップが塗ってあるらしくトマトの甘みをほのかに感じる。
チーズの甘みとベーコンの塩味、ピーマンの苦味が絶妙に絡まりあっている。
ピザって飼い主さまがレンジでチンしてるのしか見たことなかったけど、こんな味だったんだ。
すごいチーズがトロトロでおいしい。
「あの、どうですか?」
「すっごくおいしいよ。ショコラも料理うまいんだね」
わたしが頬張りながら言うと、ショコラがはにかむ。
「そう言ってもらえると嬉しいです。ショコラに作れるのは簡単なものくらいですけどね。チグリスさんみたいに凝ったものはとても」
「いや、十分だよ。こいつにやらせたらマジ猫缶が出てくるからな」
ショコラが謙遜するのに、ミケがわたしの方を見ながら言った。
わたしはミケを睨みつける。
「うっさいな。そんな事ないわよ」
そう言ってから、ふっと目を逸らしながら、
「……高級な猫缶だもん」
「猫缶じゃねーかっ」
「まあまあ、料理はゆっくり覚えていけばいいんですから」
ショコラが宥めるように言う。
「それに猫缶もおいしいですよ」
「そうそう、カリカリよりマシでしょ」
「猫缶ならショコラはチキンのやつよりも、お魚のやつの方が好きですね」
「わかるっ。お魚のやつの方がおいしいよね。でも血合いが入ってるのは苦手でさぁ」
「ああ、わかります。あれってなんで入ってるの多いんでしょうね」
「ねー、なんでだろうね」
わたしとショコラが和気藹々と話しているのを見て、
「なんとも飯がまずくなりそうな会話だ……」
ミケがはぁとため息を吐く。
ピザトーストを食べきって、サラダの最後の葉っぱを青虫のようにちまちまと齧っている時だった。
「さてと、そろそろ行くか」
そう言うと、ミケが席を立った。
「行くってどこに?」
わたしが口に葉っぱを咥えながら訊ねると、ミケはニャルラトフォンを取り出してわたしを見た。
「ヤマネコさんの所だよ。そろそろ店も開いてるだろうからな」
ミケが壁に立てかけてある時計を見る。
それに釣られてわたしも視線を向けると、時計の針は十時を過ぎていた。というかもうそんな時間だったんだ。
時計を見て初めて気がついたけど、実はかなり遅めの朝食だったらしい。もしかしたら、わたし達を寝かしてくれる為にショコラが遅らせてくれたのかもしれない。
「昨日の事を報告して報酬を貰わないといけないからな」
「あっ」
わたしはもしゃもしゃと急いで葉っぱを口の中に入れる。
そうだった。早く行かないとネコババされちゃう。
「待って、わたしも行く」
口元を手で拭いながら立ち上がると、ミケに駆け寄った。
「ショコラも一緒に行こっ」
「はいっ。あ……」
声を掛けると、わたしを追いかけるようにショコラも腰を浮かせるがピタッと途中で止まる。
「ん? どうしたの?」
そんなショコラの様子に、わたしが怪訝の目を向けるとショコラが困ったようにチグリスを見た。
「実は、今日のパーティの料理の下準備を手伝うってチグリスさんに約束しているんです……」
「えー」
わたしが不満の声を上げる。
どうやらチグリスが手伝いをショコラに頼んでいたらしい。確かにパーティの料理をチグリス一人で準備するんじゃ大変だろうし、他に頼めそうなのはショコラくらいしかいないからショコラに頼むのは納得できるけど。
わたしが不満そうな顔をしていると、ミケがわたしの頭をぽんと押さえた。
「別に全員で行く必要もないだろ。先に約束があるっていうなら、お前がむくれてもしょうがないじゃないか」
「うー、まあ、そうだけどさぁ」
がっかりという顔をしていると、チグリスがそんなわたしを見てショコラに言った。
「こっちは気にしないで一緒に行ってきたら?」
「でも、チグリスさん一人では大変です」
チグリスが言うのに、ショコラが迷ったような顔をする。
「むー」
確かにミケの言う通り、先約があるならしょうがない。
ここは後腐れなくする為にも、わたしが大人な態度を取ってあげないと。何しろ、わたしは大人なレディなんだから、レディはこういう時駄々をこねないもん。
「わかったわ。そういう事なら、わたし達二人で行って来るからショコラは待ってて」
「でも……」
まだ迷ってるみたいだった。背中を押すようにもう一声言う。
「ミケの言うとおり、ヤマネコさんの所に行くだけだし、みんなでぞろぞろ行ったら借金取りみたいになっちゃうでしょ」
「借金取りって……、でも、そうですか?」
ショコラが上目でこちらを見る。
わたしはそれに「うん」と頷いた。
「ルナちゃんいいの? ショコラちゃんを借りちゃっても」
「だって約束破らせるわけにはいかないでしょ? 別にこっちは緊急性のある話でもないし、気にしないで」
ネコババとかはまあ冗談であって、ヤマネコさんは逃げたりしないし、チグリスの側とは違って、こっちは別に人手が必要ってわけでもないしね。
一緒に行けないのは、ちょっと残念だけど。
「決まりだな。ルナ行くぞ」
話が固まったのを確認するや、ミケがアパルトマンの入り口へと歩き始めていた。
「あ、ちょっと待ってよ。じゃあ、ショコラ行って来るね」
「はい。お二人とも行ってらっしゃい。きっと帰ってくる頃には部屋中にいい匂いが一杯してると思いますよ」
「ほんとっ。うわぁ、帰ってくるの楽しみ」
わたしはショコラ達に元気よく手を振ると、先に扉を出て行ったミケを追いかけていった。




