110話 すき焼きを食べよう
「佇むは炎髪の乙女
はじまりの火を抱いて陽炎にまどろむ
ようよう感じ入い給えども、うたたむ心は揺りかごを編む
火の鳥となりて、羽ばたくこと未だ及ばず
未だ芽吹くことあたわず
種火の姫は今日も泡沫の夢をみる
さあっ、現れて、種火ちゃん!!」
チグリスが呪文を唱えると、彼女の手の中にふわっと小さな炎が起こり、親指くらいの小さなダブダブのパジャマを着た炎のように赤い髪の女の子が姿を現した。
「しぇすた?」
女の子はそう呟くと、子リスのように首を傾けている。
「この子は?」
「種火ちゃんよ。火付け魔法の初級。これをお鍋の火にしましょう」
そう言うと、チグリスはキッチンから持ってきた鍋の受け台の中に親指サイズの小さな女の子を入れた。
「しぇすた?」
「しぇすた」
「しぇすた!」
女の子はチグリスと短いやり取りをすると、受け台の中でころんと横になってスヤスヤと寝息を立て始めた。
するとぼぅっと女の子の体が淡い炎に包まれた。
「うん、これでよし」
チグリスはその事を確認すると、キッチンに向かって声を掛けた。
「ショコラちゃん鍋持ってきて」
すると、奥から「はーい」と返事をする声が返ってくる。
実はほとんどの調理はキッチンの方でやってしまったので後は、後は鍋を持ってくるだけなのだった。
受け台の中に火を入れたのも保温の為であって調理の為ではない。
キッチンの方のお鍋はショコラが見張ってくれている。
程なくして、ショコラがお鍋を持ってやってきた。
女の子がすやすやと眠る受け台の上に鍋を置くと、キッチンミトンを脱ぎながら、
「あの、なんか鍋の下に女の子が寝てたみたいですけど……」
と困惑した表情を浮かべるのに、チグリスが「いいの、いいの、気にしないで。それ種火だから」と軽く受け流すと、すき焼きの出来具合をチェックする。
「うん、よく味が染みているわね。もう食べられるわ」
「ほんとっ」
「ええ」
チグリスからの許可が下りたので、わたし達は席について受け皿に卵を割りいれて溶いた。
この卵に潜らせて食べるのだ。
ぐつぐつと音を立てるお鍋の中を見つめるとお肉やねぎやしらたきや豆腐などの具材にタレが染みこんでいるのがわかる。
もくもくと立ち上がる湯気と仄かに甘い香りが食欲を刺激してくる。
これが飼い主さまも食べていたすき焼き。
「いただきます」
ゴクリと喉を鳴らすと、お肉をお箸で掬い上げるとそのまま溶いた卵にダイブさせる。よく絡ませると、口に頬張る。
はふはふ。と熱さに悶えながら口の中に広がるお肉の甘さと甘辛のタレ、そしてそれを包み込むような卵が絶妙に調和している。
お肉はとっても柔らかくて、舌の上で簡単に溶けてしまうようでとってもおいしかった。
白いご飯と交互に食べると、さらにおいしい。
「チグリス、おいしいよ」
わたしが頬張りながら言うと、チグリスはほっとしたような表情を浮かべる。
「そう、よかったわ。実はあまり作った事なかったから、うまく出来てるか不安だったの」
「完璧だよ。チグリスってめっちゃ料理うまいよね」
「はい、とってもおいしいです」
ショコラが言うのに、ミケも頷く。
「ああ、まるでプロ並みだな。ナイルと一緒にお店をやったら案外いけるんじゃないか」
「ふふ、そうですね」
まんざらでもないという風にナイルがミケの言葉に頷く。
「えー、そこまで言われると照れちゃうわ。ほら、もっと食べて」
照れ照れと顔を赤くした、チグリスが次々と器に具材を盛り付けてくる。
いつの間にか器がてんこ盛りになっていた。完全に卵が隠れている。
あ、いや。もうちょっと、自分のペースでいきたいかも。
「チグリス、困ってるよ」
「はっ」
ユーフラテスに指摘にチグリスははっとして菜箸を止めると、ふふっと照れくさそうな笑みを作った。
でも、本当においしい。
このしらたきになんて味が染みていて、それが卵のまろやかな味を合わさるとより複雑な味に変わる。
つるつるとした喉越しがおもしろい。
野菜も適度に柔らかく、焼き豆腐と共にメインのお肉を引き立ててくれている。
「褒められるのは嬉しいけど、実際の所、素材がいいからよ」
チグリスはそう言うと、お肉を一枚摘みあげて口に運ぶとうっとりと頬を押さえた。
確かにチグリスの言うとおり、素材もかなりいい。
お肉にも満遍なくさしが入っているし、他の野菜もかなり立派なものだった。
このすき焼きセット結構高かったと思う。
まさかこんなにいいものを送ってくれるなんて、よかったのかな。
ちょっと雪之丞の懐事情を心配しつつ、またお肉を頬張る。
じゅわぁと甘い肉汁が口いっぱいに広がる。
ああ、幸せとほっぺたを押さえながら、そんな事を考えていた。
全部食べ終わり、片付けという段となった。
チグリスとショコラが、食べ終わった食器をキッチンに持っていく中で、チグリスがお鍋を抱えながら、その受け皿を指し示してわたしに言った。
「ルナちゃん悪いんだけど、お鍋の火を消してもらえるかしら?」
受け台の中には、未だに小さな女の子が横になって穏やかな寝息を立てている。その表面にはうっすらと炎が纏われていた。
「え、消すってどうするの?」
「種火ちゃんに息を吹きかけてくれればいいから」
そう言い残すと、お鍋を持っていってしまった。
息を吹きかければいいと言われても……。
「あのぅ……」
声を掛けてみるが、むにゃむにゃ言うだけ。
言われた通りに、息を吹きかけてみる。
「ふぅー」
女の子が纏っている炎が揺らめいたかと思うと、
「ふぁああ……」
「あ、起きた」
眠い目を擦りながら種火ちゃんが目を覚ました。
「しぇすた?」
「しぇすた?」
「しぇすた!」
そう言うと、また種火ちゃんはころんと横になると寝てしまう。
「まって、まって」
もう一度、息を吹きかける。
「ふぁああ……」
再び眠い目を擦りながら、目を覚ました。
「しぇすた?」
再び子リスのように首を傾ける。
どうやら、ここで頷いてしまうとまた繰り返しになってしまうようだ。
「あかん」
わたしがふるふると首を振ると、種火ちゃんはうーんと大きく伸びをすると、にっこりと笑顔を浮かべ、
「あでぃ」
手のひらをグーパーすると、ふわっと姿を消した。
種火ちゃんの居なくなった、お鍋の受け台をチグリスの所に持っていくと、言われた棚に置く。
「ありがとう」
「ね、わたしも手伝おっか?」
受け台を棚に戻した後、チグリスとショコラの二人に声を掛けるとチグリスに、
「いいよいいよ、大丈夫だから」
と言われてしまう。
確か昨日の夕食の時と同じ事を言われてしまった。いやまあ、その気持ちは嬉しいんだけど。
「でも、何かすることない?」
「する事って言っても、もう大体終わっちゃったし」
「後は見てるだけですから」
「え……もう?」
さっきお皿運んできたばかりなのに。
わたしが不思議がっていると、こっちこっちとチグリスに手招きされる。
促されてみると、シンクの中には大きな洗い桶があり、その洗い桶の中には食べ終わって汚れている食器が水に漬けてあり、その中を泡で出来た無数の魚が泳いでいた。
「ほぇ、何これ? これで食器が洗えるの?」
「それが洗えるの。泡魚〈ウォッシュフィッシュ〉って言ってね。汚れを取ってくれる泡で出来た魔法の魚なの。元々は水質汚染を引き起こす魔法の対抗魔法として開発された魔法らしいんだけど、とある猫がブログで食器洗い機の代わりに泡魚〈ウォッシュフィッシュ〉の魔法を使ったのを載せたら、ネットで瞬く間にそっちの用途で広まっちゃったらしいの。今は、食器洗いに特化した泡魚の魔法もあって、今、使ってるのはそれね」
よく見ると泡で出来た小魚は、洗い桶の中を泳ぎながら体を食器に擦り付けたり群れを作って水流を作ったりしていた。
「だから後は、洗い終わった後に水で流すだけなのよ」
「へー」
それはかなり楽かも。でも、魚の形をした魔法かぁ。
ちょっと魚の魔法に殺されかけた事を思い出して、わたしは思わず苦笑してしまう。
いや、彼らに罪はないんだけど。
そうこう話している内に、洗い終わったらしい。
洗い桶の中を泳いでいた泡魚〈ウォッシュフィッシュ〉の姿が文字通り泡となって消えた。
「じゃあ、私が流していくから、ショコラちゃんとルナちゃんで布巾で食器を拭いてもらえるかしら?」
「はい、わかりました」
「え、わたしも?」
「さっき手伝うって言ってたじゃない。嫌なら別にいいけど」
「あ、いや、うん。やるやる。りょーかい」
わたしは机に置かれた布巾を手に取ると、濡れた食器を拭いていった。
それから洗い物も終わって、少しの間まったりとした時間が流れていたが、安心したからかどっと疲れがやってきてしまった。今日は色々あったからしょうがない。
幸い、ナイルによればわたし達の部屋の掃除は終わっている。
というか、ついさっき終わったと、ぐったりとノイローゼになりながらぐっと親指を立てている二匹のお掃除妖精と共に報告を受けたので、わたし達はそれぞれの部屋に戻り休む事になった。




